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今日は残されたもう一人の娘長女について少しだけお話ししようと思っています。彼女のプライバシーに配慮しつつきょうだいを幼くあるいは若いうちに亡くされた立場の方その親の気持ちなど参考になれたらとあくまで一個人としての記録として残せたらなと思い書き記します。4月に入って新学期を迎えクラス替えや新しい担任の先生など繊細な長女にとって慌ただしい日々が始まりました。幸いにも新しいクラス、先生も雰囲気が良いようで長女はとても安心して通っています。相
小児救急についた。コロナ禍の為、夫は駐車場で待機。整形の先生が電話してくれていたから診察までスムーズだった。診察室に入って様々な検査をする。やはり右手指が動いていない。右足も明らかに引きずっている。だんだんと先生の顔が険しくなってくる。「お母さん、今から血液検査とCTを撮りましょう。頭に何かできているかもしれない」と言われすぐに承諾した。待っている間「注射いやだー」と叫ぶ次女に終わって病気が治ったら大好きなゲームセンターいっぱい連れて行ってあげるから頑張ろうと告
結局一睡もできないまま朝を迎えた。コロナ対策でなーちゃんのPCR結果が出るまでは個室だった。ずっとザワザワしていた。今思えばあれもこれも病気のせいだったんだを繰り返し何度も謝った。朝、早い時間に先生に呼ばれ全て揃っている大学病院に転院、それもなるべく早くと言われた。明日には転院できるよう手筈を整えますと言われ脳外科の先生からお話しがあります。ご主人も来れますか?と尋ねられたのですぐに連絡。夫は週末まで丸々休みを頂いていたのですぐに準備して来てもらった。
※アメトピ掲載されたようでたくさんの方に「(小児)脳幹グリオーマ」という病気を知ってもらうことができました。ありがとうございます。また、たくさんの励ましやコメント、メッセージありがとうございます。現在まだ24時間付きっきりで入院中の為、娘が寝てからブログに書き溜め清書して投稿しております。なかなかお返事ができませんが時間ができたら順次お返ししたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いします※悪夢のようなあの日から眠れない日が多くなり宣告された日も眠れないま
月曜日この日は姉妹初めての夏休みだけの短期水泳教室の日だった。長女が学校のお友達が泳げているのを羨ましがったのをキッカケに二人分申し込んだ。上手くできるか不安な長女とは裏腹に楽しみにしていた次女。早速始まった。私はガラス越しに見学する。あれ…次女のなーちゃんなんだか右足が動きづらそう………プールサイドに立ったときもやはりふらついている。そして、やっぱりおかしいと思う出来事が起きた。バタ足の練習
前日、私のPCR検査もした。いちいちコロナが邪魔をする。結果は陰性、無事に転院できることになった。そして翌日、救急車で大学病院に搬送された私となーちゃん。もうこの日には車椅子やベッドがなければ移動できないほどになっていた。あんなに大好きだったおしゃべりも口が動かしにくいのかそれとも言葉が出てこないのかわからないがほとんど喋らなかった。なーちゃんは病室で看護師さんとお留守番し、私と夫はロビーで合流し先生に呼ばれ部屋に入った。主治医となった先生以外にもとにかくたく
こんにちは。Twitterでは昨日報告ツイをしましたが・・・再燃後の放射線治療の評価(結果)を聞きに行ってきました。正直、心は無でした。どうなっていようと治す方法が無い以上できることをするしか無いですから。でも、診察室に入るとき主治医の暗い表情を見た時からあぁ、、、良くない事があったんだなとすぐに察しました。以下、結果として・再照射の脳幹部の腫瘍は縮小しているので照射の効果はあった。・播種部分も白い影が縮小しているので
ちょっと感情が大荒れしてXではボロボロ呟いてる私ですがアルバムの整理始めました。基本的にはしまうまプリントさんでフォトアルバム作るんですがiPhoneでも画質の良いスマホでもないので旅行した時やイベントの時はデジカメを持参しています。・・・といってももうだいぶ古いSONYサイバーショットDSC-WX350なんですがスマホで撮るよりかは良いです。いい加減買い換えた方が良いのだろうか特にこだわりも不満も無いので家電はわりと長く使うタイプですただ
※現在まで書き溜めているのですがきちんと整理して書いていきたいのでゆっくり更新していきます。7月某日お姉ちゃんと2歳違いの次女が5歳を迎えてすぐ七五三の前撮りに行った日。なぜか、真っ直ぐ立ち続けるのが難しいようでお姉ちゃんに寄りかかったり右足がおぼつかない感じがした。今思えばこの日にはもう病魔に侵されていた。次女は人を笑わせるのが大好きな子で変顔だったりユニークなダンスをしたり面白いことをしたりするのが大好きでした。だから、歩くこともおしゃべりも普通にで
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち的にも余裕が無かった。身内と幼稚園の先生とお世話になった医療従事者の方々くらいかな…と思っていましたがそんなことは全然無くご近所さんや幼稚園のお友達お姉ちゃんの幼稚園時代のママさんたちなどお忙しい中、
こんにちは。今日は皆様にご協力をお願いしたくブログを書いております。闘病中、そして今もお世話になっている・小児脳幹部グリオーマの会そして同じ小児脳幹部グリオーマでお子さんを亡くされた方たちからなる各支援団体様でプロジェクトチームを発足されました。目的は今年5月8日〜9日にカナダのトロント小児病院にて小児がんの医薬品開発を加速させることを目的とした会合「ACCELERATE」(公式サイト)にてDMG/DIPGに特化した治療研究フォーラムが開催さ
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。SpO2が80後半から90前半だったことや最後に食べたのがアイスのピノ(それでも半分以上口からこぼれ落ちていました)苦しそうに呻き声をあげてもどうして欲しいかがわからない。腰が痛いのか体
夢を見た。渚はいなかったけど私は何故か彼女の靴を持っていた。場所は小学校の下駄箱。多分、入学式。一生懸命訴えてる。みんなとは一緒に入学できなかったからせめて靴だけはここに置いて写真を撮らせてほしいって。でも、みんな困っていた。あぁ、駄目か・・・ってガッカリしたところで目が覚めた。起きたら泣いてた。久しぶりだった。目が覚めて泣いていたのは。ここ最近は、明るくいようと
ちょっと色々あって疲れてます。なーちゃんの状態も波があってでも、落ちてる時間の方が(傾眠傾向)圧倒的に長くなってきて段々死神の足音が近づいてきてるようなそんな気持ち。ママきらい〜!ババァ〜!ぶさいくー!なーんて軽口を叩く悪ガキなーちゃんでしたがママ、そばにいてママといたいママが良い…って言って私の腕を不自由ながら一生懸命つかんでくるんです。言葉も段々出にくくなってるのに頑張ってかすれた声でゆっくり、ゆっくり私を呼ぶ娘。こんなこと今まで一度も無かっ
こんばんは。最近はTwitterの方にすぐ報告しちゃうから何から書けば良いのか………。とりあえずご報告としては予想通り脊髄に播種がありました。でも予想よりかなり悪く広範囲に腫瘍があってこの増大スピードは厳しいです…と涙目でおっしゃった主治医。そっか、そっかぁ…宣告された時から残された時間についてはずっと頭から離れることはなくてでも大丈夫、まだ大丈夫まだ一緒にいられる。そう思って今日までやってきた。
娘の病気が発覚したのは昨年の夏です7月21日の夜に休日救急受診からの緊急入院になりました最初に「あれ?」と感じ始めたのは3月中旬頃です発覚までの道のりは長めになりますので、数回に分けて記していきます================================翌日の朝、変わらず歩き方がぎこちない娘。この日は日曜日でしたが、夫も私も仕事のため夫の実家に子供をお願いすることになっていました。娘と息子と私、3人で朝ご飯。フリフリして小さな丸いおにぎりを作るキッチングッズで
闘病記シリーズも結構長くなってきたので今回から自己紹介を作ってみました。よろしくお願いします。自己紹介(なーちゃん)と簡単な経緯2017/7我が家の次女として誕生2022/75歳の誕生日を迎える2022/8突然ふらつき、右上下肢の麻痺があらわれそのまま緊急入院→大学病院に転院後びまん性正中グリオーマ(小児脳幹部グリオーマ/DIPG)と診断2022/9放射線治療30回終了現在症状は改善。週に1~2、リハビリと訪問看護師さん、月に1~
こんばんは少し日にちが空いてしまいましたというのも退院→通院に切り替え→放射線治療終了→MRIの流れだったんですが…放射線治療終了したタイミングで夫がコロナになってしまい私達家族は濃厚接触者となり病院に行けずMRIが延期になりました😭(今のところ家族は無症状で明日まで自宅待機です)今日記事にするPICC(末梢静脈挿入型中心静脈カテーテル)も抜去予定が延びなーちゃんには不便な思いをさせてます😫早く終息して安心して病院に通える日々になってほしいものですでは、
※闘病記5の続きです。この頃、本来はコロナ禍で付き添い入院の交代は禁止されていました。長期入院になることや私の精神状態を考慮して病院側がPCR検査をして陰性であれば月に1回のみ交代を許可してもらえるようにしていただけました。夫がなーちゃんと直接触れ合ったのは転院前の病院の時でした。余命宣告をされた時でさえコロナ予防の為に夫は転院先では会えていません。つまり10日間ほど夫は余命宣告された娘を抱きしめることさえできていませんでした。
ランチを終えた後再びIさんと合流しリムジンバスでホテルへ🏨お疲れ気味の夫となーちゃんはバスの中でぐっすり長女は機内で怖がって疲れてたのにご飯食べて復活しバスの中ではまだ?まだ?と、テンション上がってきてましたさて今回宿泊させていただいたのはホテルオークラ東京ベイさんでした。一旦そこでIさんと母とお別れし(旅行支援の影響で同じホテルや近隣のホテル抑えるのが難しかったため母は別の駅近のホテルへ宿泊)夕飯はイクスピアリで食べようと約束し
こんばんは🌕あっという間に4月が来てしまいました。こんなにワクワクしない春は人生で初めてかもしれない胸をギュッと掴まれるようなそんな時季になってしまいました。それでも、生きている限り時間は進むわけで。春休み前半は、長女がスイミングの春期講習に通いました。渚の異変をハッキリ感じた例のスイミングスクールですね。相変わらず複雑な気持ちを抱えつつもあの日ここに来なければ発覚が遅れ治療がズレていた可能性もあったと思うと運命だったの
お昼ご飯を食べた後はジャングルカーニバルでボール投げをしました残念ながら私、長女、次女&夫で挑戦しましたが獲得ならずあの限定クッション可愛かったなー参加賞のピンバッジをもらって帰りましたそのあとはアリスのティーパーティーキャッスルカルーセル等子どもが好きそうなアトラクションに乗ってシンデレラ城を見学してちょっと疲れたのでワールドバザールでアイスを食べるともうあっという間に夕方パレードを見るために早めに予約を取っていたのでクリスタルパ
こんにちは。少し遅くなりましたが春休みに叶えた夢について書いていこうかな、と思います実はこの春休み中はまだ脊髄への照射は終わってませんでした。ただ、採血の結果が問題なかったことそしてもう時間がないこと主治医からは今が一番お出かけできるときだと思いますと言われていたのでなーちゃんの体調を考慮しつつ行けるなら行くぞ!と県内の遊園地へ向けて出発しました。その日は春休み入ってすぐで県外に住む妹家族(共働き)も繁忙期なのに無理して遊び
皆様、こんばんは。今日は闘病記ではなく近況報告と少しブログの更新頻度が落ちるお知らせです💦まだ闘病記は最初の頃の方の話しですが現在は放射線治療とリハビリとなーちゃんの頑張りによって信じられないスピードで症状の改善がみられました。一時的な回復とは分かっていても娘の笑顔が増えたことは嬉しいです。(複雑な気持ちもありますけどね…)そしてなにより実はもうすぐ退院します。少しバタバタすることと病気のことを考えないのは難しいし、もう前の生活には戻れないからこそ新し
脳幹グリオーマ、そんな病気なんかなくなってしまえ奇跡をずっと願ってる愛してる
夜分遅くの更新です。ちょっと間が空いたのでご心配おかけしてるのではないかなと思い更新しました。前回無事に修了式を迎え先日始業式にも参加することができました。無事に進級することができました。本当にありがたいことです。ただ残念ながら放射線治療の結果として現段階ではやはり進行を食い止めた、だけといった感じですかね・・・。本人はリハビリ頑張っていますが顔面麻痺が残り喋り辛さや自立歩行はやはりまだできません。体力も以前に比べて恐らく5~6割
※昨日お伝えしたとおり現在入院中ですが今回の旅行記はこれで終わりなので続けます。この日の朝はリムジンバスまで時間があったのでホテルオークラ東京ベイのレストランフォンタナの朝食ビュッフェを堪能しました噂に聞いてた通り目の前で作っていただけるオムレツが最高においしかったですフレンチトーストもgood!!子どもたちはベーコン、ウインナー、からあげと朝からガッツリ食べてましたその後はホテル内のショップで買いそびれたお土産品を少し買い足し荷造りをしてロビ
前回の遊園地が終わった後脊髄への照射もようやく終わりました。始業式のブログでも書きましたが現在でもやはり歩けるまでには至らず。残念でなりません。また奪われた身体機能や体力のせいで今はまた寝たきりの時間が増えてきました。脳幹の再照射後はその子たちや症状にも寄りますがわずかに生存期間が延びるだけ。・・・そういうことなんでしょう。書きたくない、言いたくもないだけど、現実を見つめることも大事なことで。娘が少しでも長く笑っていられる日がきますよう
来月3歳になる末娘宛てに3歳児健診の案内が届きました。我が家の住む自治体は日が決まっているわけではなく視力検査など、健診項目のいくつかを自宅で練習をして、それができるようになったらかかりつけの小児科で検診を受けます。各検査はそれなりの理解力が必要なので3歳後半で受ける人が多いようです。心菜もそうでした。正確には後半...というより4歳間近で受けました。心菜の場合は理解がという点より私が日々やることに追われ遅くなったのですが2月4日が誕生日で1月に入
麻痺の進行、止まってなかった。また、あっという間に自立歩行できなくなった。その速さに現実をつきつけられる。例外は無い病気なんだなって。今日は検査入院の為にPCRとそして自立歩行ができなくなったので入院する時の部屋の相談し(車イスが必須なのでトイレや洗面が近い部屋にしていただきたく)照射というスケジュールでしたが突然、照射の前に激しい嘔吐。激しい嘔吐はあの日以来…再燃したあの日が蘇って頭が真っ白になる。ぐったりしていたので照射は中止。慌てて小児科に戻りました