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切迫早産入院(26週〜)から前期破水(32週0日)を経て、32週6日の早産で産まれた娘。2週間ほどNICUでお世話になり、その後GCUへ移って生後1ヶ月ちょっとで退院した。その後、生後10ヶ月経っても腰が座らない、ということで1歳1ヶ月にMRI検査を受けPVL(脳室周囲白質軟化症)による脳性麻痺と診断された。それまでは、助産師さんや保健師さんからごく普通のアドバイスを受けながら育ててきたわけだけど、そんな中で感じた違和感がいくつかあった。今振り返ると、どれもこれもP
最近のいろいろ。保育園・慣らし保育は問題なく1週間で終了。・いまのところ風邪をひくこともなく、通院日以外は元気に登園・先週から預けるときも泣かなくなった・ごはんは開始日から毎回ほぼ完食、お昼寝も2時間以上・連絡帳によると、楽しそうにしてるっぽい。通院(リハビリ・療育)・PT(週1)インソール使い始めて1ヶ月、足の突っ張りは靴を履いているときはいいけど、裸足の状態ではまだまだある。3歳頃まで様子見て、改善してなかったら装具に変えるかも。とのこと。たいちゃんもPTやって
今日PTさんと話していて知ったことなんだけど、脳性麻痺って身体の内側(内臓とか)にも影響が出ることがあるらしいというのも、まあ麻痺の種類とかにもよるのかもしれないんだけど、うちのそーくんの場合は、痙性麻痺といって、突っ張るタイプの麻痺で。今わかっている範囲ではその影響が一番大きくでているのは左足なんだけど、(足首が硬くて、本人の意思とは関係なくピーンとのびてしまう)それってピンポイントで左足だけが突っ張るとかはなくて、身体の筋肉に対する信号に支障がでているということなので、
母乳を持ってNICUに歩いていくのも慣れた頃、息子の隣にいると、NICUでの主治医がたまたま居たようで声をかけてくれました。状態は落ち着いていること、順調に母乳が増えて、一度減った体重も増え始めていること、ありがとうございますと喜んで、それじゃあと挨拶をした先生が戻ってきて一言エコーでちょっと白いところがあるんですよね、とえどういうことですか初耳だし、いきなりこんなベッドサイドで1人で聞かされる話…そして、詳しいことは言わず、経過を見ますね~と去っていかれました…えっ…えっ…えっN
1月中旬に斜視の手術をしてから約1ヶ月が経ちました。昨日経過を診てもらうため、大学病院の眼科で診察をしてもらいましたが、経過も順調とのこと術後処方されていた目薬や、日常生活での制限もなくなりました。ヤッターーーー1日3回の点眼や、シャワーが目に入らないようジタバタするナツを制止してのシャンプーや、洗えない分顔を拭く手間がかかったり…地味に大変でした上:退院後すぐ下:術後10日ナツの場合、内斜視のため内側の目の筋肉を緩める手術をしています。なので、術後すぐは目頭の方が充血していま
息子、先日3歳になりましたとーってもかわいいですでも、やっぱり考えてしまいました…3年前、まだまだ出てきて欲しくなかった息子を産むしかなかった日息子が障害をおった日辛かった日という思いがまだ消えてないんだなと感じましたそして明日、発達検査がありますはっきりしてしまう遅れ身体、知的ともに手帳取得になるのかなとうとう、障害者になるのかな受け入れているつもりでした受け入れてるとは思っているのに、恐くて仕方ないですもちろん、結果がどうだったとしても、かわいいことに代わりはない愛
2024.3.9pipiとKokiが通う高校の卒業式の日。私はPTA会長なので来賓として出席した。我が家の子どもたちは卒業年度ではないが、pipiの彼は卒業生。pipiは前日から彼やお世話になった先輩のためにいろいろと準備をしていたのだが、どうやら途中で私が地雷を踏んだらしく過去最高にチンピラ化してめちゃくちゃな状態になってしまい、耳鳴りがするくらい寝不足のまま出席した。そして只今またギックリ腰中…それでも式が始まると具合が悪いのなんて飛んでしまうから不思議よね。
わんの脳性麻痺がわかるまで⑤です。これでやーっと最後の投稿です!お時間のある時にぜひ読んでください。④はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで④そして、療育センターに着いたのですが、まず、S先生にお願いして、もう一度わんの症状の説明を受けました。わんは、右の側脳室がイビツで、少し拡大している為、白質が少なくなっているそうです。運動の神経は交差するので、右脳では左半身を動かしている為、左手足の動きが鈍いのにもこれで納得がいきました。PVLについても質問しましたが、やはり、PVLの所見とは
当初、申請は全く考えていなかった。娘が3歳ころまでは障害を受け入れること自体に必死で(2人目の出産&新生児育児も同時進行)、制度のことまで考えが及ばなかった。申請を勧められたこともなかったし、脳性麻痺でも歩ける子は対象外というイメージがあった。それでも「申請は5歳の誕生日まで」というのが頭の片隅に残っていて4歳になる頃、ふと機構のウェブサイトを覗いてみた。どんな制度かはこちら↓みなさま妊娠中に同意書にサインしているはず。産科医療補償制度ウェブサイト以下、申請を迷われて
わんの脳性麻痺がわかるまで、つづきです。①はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで①再診までの1ヶ月間、私は意識的に左手を使わせるように、右手を抑えたり、時には手袋をさせ使えないようにしたり…。それがよかったのか、はたまた単なる成長なのか、わんの左手の動きは少なからず上達していました。それで安心する反面、やはり右手ほどとはいかないので心配も消えていませんでした。そして再診日。この日は主人も一緒に病院へ。やはり、以前診ていただいた先生はいなくなっていて、新しい先生。今度の先生も若い男の先
ひさびさに真面目なブログ結構センシティブな話題というか、、ずっとブログを読んでくださっている方でもびっくりしてしまうかもしれないようなことなんですが。実は、たいちゃんとそーくんふたりとも出生後間もない頃に脳室内出血があって。たいちゃんはグレード1でまあ現状見る限り特にその影響はないのかなというところなんですがそーくんは、なんとグレード4の出血でした。早産・超低出生体重児の親御さんならピンとくる方が多いとおもいますが、、脳室内出血において、グレード4は最重度です。(
さて前回に続いて、今度はそーくんの話。そーくんの検査にはわたしは立ち会っていないので詳しい検査の様子などはわからないんだけど、検査後に旦那に聞いた話によると、たいちゃんとそーくんでそもそも検査の内容がかなり違っていた様子。おそらく、たいちゃんは1歳半〜1歳9ヶ月くらいの内容だったのに対して、そーくんは1歳前後〜1歳以下の内容だったと思われます。ちなみに、実はそーくんは、昨年の9月に発達専門の病院の方でもK式の発達検査を受けていて、そのときはわたしが立ち会ったので、なんと
こんばんわ色々あって久しぶりの投稿ですこれから話す内容はこれから出産される方には不安にさせてしまう内容かもしれないので見たくない方はご注意ください妹ちゃんのMRIの結果がでて『脳室周囲白質軟化症』と診断されました聞いた事ない病名でした…我が家の場合、なってしまった原因として一卵性の双子である事双胎間輸血症候群になってた事早産で低体重であった早産で脳の血管が未発達であった産まれた後浮腫がなかなか取れなかったが要因だそうです。脳の血管が途中で成長が止まり栄養が行かなくな
shunくんの蕁麻疹も落ち着きました痒いって言う時もある。疲れたってすぐ寝る😴1年生、頑張ってるんだね、可愛いね🤩学童から仲良く2人帰り今度はnonちゃんがカンジダ洗い過ぎ、、、させてしまったのはママ臭いって言うからさ🥺よく洗いなさいって沢山洗わせてしまった免疫力アップだ
改めて、娘が先月1歳になりました修正でも10ヶ月です。これまで一度も発熱等大きく体調を崩す事なく、元気いっぱいに成長してくれました産まれた時は身長37.0㎝、体重1378gだった小さな娘は、現在身長70.0㎝、体重7680gに成長曲線では、月齢通り下のギリギリ範囲内、修正では下気味の真ん中をなぞりながら順調に大きくなってくれています。娘のPVLという症状により、思い描いていた子育てとは全く違うものにはなりましたが、それ故に沢山の良い出会いがありました病院の先生や療育センターの先生たち
ナツの脳室周囲白質軟化症(PVL)の程度については中度だと診断されています32週の早産で産まれたナツですが、NICUで約1ヶ月入院し、退院前にPVLだと判明しました。出産前後に酸素不足など何らかの原因があり、脳の手足(特に足)を司る神経がダメージを負った状態です。PVLは脳の損傷を受けた部分や程度により、全く症状が現れない人から少し手足に麻痺がでる人、寝たきりになってしまう人まで様々なようです。そして、症状の現れ方についてはある程度予測はできるものの、必ずしも一致するわけではないとも聞い
ずいぶんと間が開いてしまいましたが、トイトレがどんなふうに終わったか。いや、まだ終わってないか。誰かの参考になっているか分かりませんが、いまさらですが続きをかいてみることにしました。前回はこちら、もう1年半も前でした。4歳トイトレ〜仕切り直し(後編)本気で頑張った!年中さんになって保育園でもパンツ生活スタート年中に進級するタイミング(4歳8ヶ月)でコロナ禍になり2ヶ月の自主隔離期間に、本気で取り組んだトイトレ。家でのおしっこのトイトレは完了し、保育園でもパン
わんの脳性麻痺がわかるまでの話。いやー、長い。笑もう少し短く終わらせたかったんですがよければ見てくださいm(__)m③はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで③予定の時刻を大幅にすぎて、やっと診察に呼ばれました。その時、呼びに来た看護婦さんの顔を見て結果が良くない事にうっすらと気付いたんですよね。。私、昔から悪い予感は当たるんです。S先生「お待たせしました。画像が届くのに時間がかかってしまってね。ごめんなさいね。」次に出る先生の言葉を聞くのがすごく怖かった、、でも、現実は残酷です
昨日で、体重3020gになったさんたくん。昨日13時から無呼吸発作は起こらずに居てくれている面会につくと、お風呂に入る所だったみたいで沐浴を実施することが出来たお風呂は好きみたいで、ずっと、「ほー」の口をしたままキョトンと気持ちよさそうにしてた昨日から配属になられた、新人の助産師さんが色々準備してくれたけど、服のサイズが1つ小さいサイズ用意してくれてて久しぶりに着るとパッツンパッツン(笑)これはこれで可愛い最初着た時は、ぶかぶかだったのに、これだけ成長したって事だよね沐浴のあとは、
Yuが最近使い始めたもの⬇ビッグより大きいサイズのメリーズパンツ(笑)なーんと、28kgまで対応!このサイズ、ずっと欲しかったのよね。ツインズが生まれた病院が医療用メリーズ(1500g未満用)を使っていた事から、その後ずっとこのシリーズを愛用してきた。初めは1500g未満用でもテープを貼る部分をひと折りして詰めていたのが、Kokiが生まれ、動き出すのと同時にYuもパンツタイプに替えて早数年…ついに通常のビッグサイズに不安を感じる様になった頃、新しくこの大きさのものが
令和元年8月1日木曜日昼トイレで血の塊二つ出血、胎胞(羊水を包んでる膜)が膣まで出てきてるので、子宮けいかん無力症と言われる。胎胞が出過ぎてて奥に押し込んで子宮けいかんを縛る手術は難しいと言われ手術無しで絶対安静入院。8月3日土曜日昼トイレで胎胞が膣よりも外に出てしまい破水もして、いつ陣痛来てもおかしくないと言われる。流産するだろう。妊娠20週目なので今産むと延命治療せずに、亡くなるのを待つだけとなると医者に言われる。出産の日までずっと破水がおさまることは無かった。8月20日夜中2
先生への質問事項をまとめるために、最初にもらったMRIの報告書をよく見返すことにしました。MIRの報告書には、以下のようなことが書いてありました【所見】・側脳室広角周囲に空洞があり、嚢胞性PVLと考えられます。・脳室拡大。白質減少も認められます。・右側側脳室周辺にわずかな出血跡があります。・右小脳にも小さな出血があった可能性があります。・髄鞘化の遅れはありません。【診断】・嚢胞性PVL疑い・脳室拡大・小脳出血後疑い以上を踏まえて、娘の退院まであと数日。事前に先生にもう一
息子、風邪もひかず元気でやっていますお正月明けに弾丸スケジュールで夫の地元(九州)へ里帰りしたり、連日朝から晩まで移動して遊んで人に会ってしたのに、強くなったなぁと感動お姉ちゃんももちろん元気こちらも小さい頃からなかなかのタフです頼もしい2歳9ヶ月(修正2歳7ヶ月)になった息子ですが、粗大運動は相変わらずハイハイ(へたっぴ)、つかまり立ち、つたい歩きです。お座りも割り座3歳が見えてきたので少し焦る気持ちもありますが、無理せずのんびり見守ろうと思います本人も立とうとしてないし摂食外来に
つづきです。②はこちら→わんの脳性麻痺がわかるまで②一歳になるまでの3ヶ月は、S先生の診察で安心していたのもあり、以前より左手の訓練を意識的に行ってはいませんでした。それでも、少しは上達していたと思います。その他にも、言葉の真似っこや、バイバイ等の身振りなど、できることが増えていた事もあり、順調だと思っていました。しかし運動発達では段々と成長の遅れがみえはじめていました。移動は相変わらずズリバイ。右手を主に使いながらずりずりと動きます。普通のハイハイする傾向は一向にみられず、心配
あうたん、3歳10ヶ月になりました身長88センチ体重9.8キロそして、家庭でのトレーニングも一年が経ちました!↑退院してから毎日つけてたミルクとかの記録表にトレーニング欄を付け加えて記録しています。この間、トレーニングを始めて何日目、の欄に365日目、と書いて、そうか!一年経ったのか!と自分でもびっくりというわけで今回は、あうたんが色々やってる家庭トレーニングの中のひとつ。一年前の2月に東京で習ったドーマン博士のプログラムについて書きたいと思いますベッドや道具とかが色々必要で
慣らし保育始まっていますまだ午前中だけなので、連れて行って、一瞬家帰ってきたと思ったらまた迎えに行ってるってかんじ準備も多いし、わたし自身が新しい環境とかルールのある集団との関わりが得意ではないのでわたしも子どもたちもてんやわんやしていますまあでもそのための「慣らし」保育だからとおもって、わたしも子どもたちも少しずつ慣れていきたいとおもいます少し気分が落ち気味でしたが今日お昼ご飯を食べさせていたら急にそーくんがスプーンを使えるようになってましたまだスプーンですくうの
初めて脳性麻痺だと宣告されたのは次女がNICUに入院して2ヶ月たった頃、その時はまだ脳のMRIが撮れないからエコー検査して脳室周囲が軟化してると言われ、足の麻痺が出て装具を履かないと歩くのが困難になると医師に言われた。(この時は脳のダメージは軽度だと言われてました。後にMRIで重度に近いとわかりました。)脳性麻痺と言われた日私は気が狂って泣きまくり同居してる義母と長女(3才)と夫の前で、「私が早産で産んだせいで子供を障害者にしてすみません。」と土下座で謝っていた。初めて見る母の泣いてる姿を3
息子、わんの脳性麻痺がわかるまでの事です。長いですが、よければ読んでくださいm(__)m今思えば、物に手を伸ばしはじめた頃から右手ばかり使う子でした。最初は気にもとめてなかったのですが、6ヶ月をすぎた頃、相変わらず右手ばかり使う事、歩行器も右足でしか蹴らない事、動きにも左右差が出てきた事で少し気になりはじめ…でも、わんは右手を抑えればしょうがなく左手を使ってはいたので、個人差の範囲かなと思うようにしていました7ヶ月健診の時、かかりつけの小児科で一応相談。ティッシュを顔にかけて片手ず
たまごクラブ•ひよこクラブさんの「たまひよオンライン」に我が家のことが2/23(金)〜昨日まで4日間の連載で掲載されました!きっかけは、11月の永田町子ども未来会議。『永田町子ども未来会議』2023.11.7第47回永田町子ども未来会議の日。アーカイブはこちらからご覧頂けます【生配信】第47回永田町こども未来会議/テーマ【令和6年度概算要求…ameblo.jp私のプレゼンを聴いて下さった編集部の方からインクルーシブ教育の話をしてほしいと取材依頼が来たのだ。18年前は愛読書
先日、初めてのリハビリに行ってきました!主人もたまたま休みだったので一緒に担当の理学療法士さんは、若くて綺麗な先生でした乙葉に似ていたので、ブログ内では、乙葉先生と呼ぶ事にします。笑リハビリと聞くと運動やマッサージなど、みっちりやっていくイメージで、家でのリハビリ法なども教え込まれるのかな?と思っていたのですが、まだ小さいので、遊びながらするようです。その日は初めてという事もあり、リハビリというより、先生がわんの左手足の動きなどを観察しているようでした。最近、座ったまま移動するように