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こんにちは今日はマイナス思考フル回転の暗い内容になるので、見たくない方はスルーしてください昨日また新たな展開がありました。その話も含め、今回は私の気持ちを書きます。昨日、主治医から連絡来て国立病院からこの後連絡が来ますので、予定を決めたら紹介状を取りに来て下さい。と言われました。退院前は肺動静脈瘻の治療が出来るか、判断して貰うため国立病院にデータを送っていると聞いていました。肺を国立病院で再検査し、今後の治療方針を決めると。カテーテル等の話もありました。だから私はてっきり、
18日、金曜日。ここさんは今日で、1ヶ月と1日を迎えました。お宮参りや写真撮影を予定していたけど、もちろん入院で延期に…。可愛いここさん。わたしたちのところに生まれてきてくれて、ありがとうね。はやく家族で、たくさんお出かけしようね。朝の回診で、私服のおじさんと看護師さんがきてくれて、ここさんのお腹を触診。「肝臓が硬くなったりはしていないので、胆道閉鎖症でもまだ軽いか、他の病気が考えられますねぇ」穏やかそうななおじさんがそう言っていた。…後に、このおじさまがこの小児外科の
2024年10月1日(肝移植28日目)32.8kg胆汁せき止め事件も一件落着肝臓の数値がまた順調に下がって来たので、週末から術後の抗がん剤を始めることに術前に使ったプラチナ系の抗がん剤で、娘の腎臓はかなりダメージを受けてしまった移植された肝臓の拒絶を抑えるために、これからもずっと免疫抑制剤を飲み続けなければならない娘の腎臓に、これ以上ダメージを与えられない次の抗がん剤は、イリノテカンと言う薬を使うことになったイリノテカン「喜樹(きじゅ)」という植物から抽出された成分をもとに合成され
外来になんとか行ってきました。着いた時点でヘロヘロで車椅子借りて検査等を済ませて診察へ。退院してからは、ほぼ食べてない飲んでない状態なので、脱水と肝不全の状態だと。もし積極的治療をしなければ数ヶ月しか持たないと。その過程は苦しみを伴うことも言われました。とくに感情の変化もなくそんなもんや、それでええよって感じでした。傾眠傾向も進み、家の中を歩くので精一杯で頭も回らなくなってきました。積極的治療はしないと宣言したので、あとは水が流れるように深く深く沈んでいきます。また書ける時にま
次男の2回目のドナー検査日、私も自分の検査結果をもらうべく同行しました。この日の検査は血液検査検尿検便身長、体重、血圧心電図精神科X線胸部レントゲン造影剤CTほぼ私が行った検査と同じ内容。検査と検査の間に時間があったのですが、次男は絶食状態でしたので何かを食べに行くということも出来ず、どうする?と考えていると『この近くに古着屋さんあるみたい!そこ行こっ』というので古着屋さんへ病院から徒歩15分くらいのところに2〜3軒ありました。次男は何着か試着してました病院外の
今日は比較的元気な日。部屋の片付けや蔵書を売りに行ったりといろいろやってきました。元気な日にやらないとやれないので、元気な日はこうやって部屋を綺麗にしたり出かけたりしたいと思ってます。しかし、相変わらずほとんど飲まず食わずでやってます。2日に1回少量しか尿が出なくなったのは、衰弱してきとるんやなって感じです。家の階段の昇り降りが無理かトイレに行けなくなったら入院かなーって思ってます。
元気な娘を見ていると、病気のことを忘れてしまいそうになるけれど、採血結果や抗がん剤の説明を聞くと、再び現実へ引き戻されるこの感覚は、しばらく…いや、もしかしたらずっと続いていくのかもしれないでも、そうやって寛解へと向かっていけたらそれでいいなと思う2024年10月2日(肝移植29日目)32.9kg今日の院内学級は、午前中に理科、午後に音楽を受けさせてもらう予定理科は実験で楽しかったみたい良かった次の抗がん剤は、腸内細菌と反応して下痢がひどくなるらしいので、1日3回抗生剤を飲
私と夫、そして長男の遺伝子検査の結果遺伝子の異常は特にないと医師から説明がありました。ただ、エコーやステロイドの薬で進行が遅くなることからおそらく原発性硬化性胆管炎だろうと診断をいただきました。小さい子供にはとても珍しい病気らしく難病指定されている病気です。長男が生きて行くためには❶内服薬で肝臓の繊維化の進行を遅くする❷肝臓の移植が必要になります。ひとまず内服薬で進行を遅くして数ヶ月に一度肝生検を行うこととなりました。内科的に難しい状況になったら移植外科のある病院
2024年6月26日(闘病45日目)36.3kg胸囲70.4cm腹囲68.4cm蓄尿量4555mlこないだのCTの画像診断が出た!腫瘍の大きさはあまり変わっていないとのこといやいや!1クール目で腫瘍が小さくなっていないから落ち込むなんて早過ぎる!肝機能も良くなって、腫瘍マーカーもぐんと下がって、これだけで十分だけれど肝臓はやはり残せないとのこと分かってはいたけれど、改めて言われるとショックだ肝移植に向けて準備を始めて行くことになった
ブログを更新しました。腹水とむくみの話、後半です。※肝硬変末期の意識がなくなるまでのこと、写真など載せているので閲覧に注意してくださいhttps://takasaku.com/ascites-2/利尿薬開始からは腹水コントロールが可能な状態でした。しかし1年ほどで効果が薄れ、徐々に自覚できるほどの腹水が溜まりだし「難治性腹水」と呼ばれる状態になっていきました。その後の話です。改めて考えると、昨年までの話なのですが遠く感じます😑よろしければ押してください
9月2日本当ならドナーのパパが入院するはずの日。ICUに入るのが怖い…麻酔が切れてるアンちゃんはどうなっているのか…アンちゃんに近づいて覗き混んでみる。パパは「うわっ!」と声をあげる。そこには目を開けているアンちゃんがいたのです。どっちを向いているかわからない菩薩のような目。目が合わない…ロウ人形みたいで生気が感じられない。手を握ると弱い力だが握ってくれる。「昨日の電話で最高でも目が開くか開かないかって言ってましたけど、目を開けてますし手も握り返してくれます。思ったよ
はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキスト4という一番ハイリスク群。これまで高熱だって出したことなく、大怪我もしたことなく、元気そのもので過ごしてきたので、まさに青天の霹靂。突然の数ヶ月に渡る入院生活、抗がん剤治療、手術、一見聞くと大変しかなさそうですが、笑いあり、涙ありで娘の強さと周りの方のサポートに力をもらい続けた半年間☺️そんな
大学病院の精神科を受診する日。旦那、私、義母、義姉の四人でいきました。今思えばこれも間違い義母連れていかなければ良かったと後悔。義母は旦那の担当の先生と会うと、民間療法の訳のわからない怪しい薬の話。自分の話。後は旦那が病気になったのは子供の頃からの生活態度が原因。と言い張り、一切先生の話に耳を傾けません。私は悪くない。そればかり。自分の話を聞いてくれる人=医者だと思い込んでいるのです。そんな義母の愚痴を私と旦那は永遠診察室で聞かされます。そして、旦那がいいかげんにしろとキレる。このパタ
旦那が少し落ち着いて、何となく、通院や投薬の日々にもなれて来た頃。私の体に異変。ひたすら毎日気持ち悪い…この気持ち悪さ…まさか…案の定、ご懐妊旦那と、ずっと長男に兄弟をと話していました。旦那が、子供がもう一人ほしかったと言うのもありますが、旦那自身が姉の存在にとても、救われていたから。旦那は長く生きられないかもしれない。私も長く生きられるとは限らない。長男は?一人?兄弟がいたら、助け合えるんじゃないか。そう思ったのです。旦那の体調や長男の世話もあるから、不安はありましたが、産
+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜明るい未来を信じて初めまして方はこちらをご覧下さい↓↓↓小児がん肝芽腫の闘病記録。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜゚*+:。:+*゚゜2月3日生体肝移植後2ヶ月✨ドナー(夫)の術後2ヶ月検診と三男の退院日✨お薬ケースに退院おめでとうって書いてくれてた嬉しいね入院中仲良くしてくれたお友達からプレゼント頂きました栗大
肝移植手術ができないと言い渡されてから何を目指してICUに通っていいのか分からなくなりました。片道1時間かけて通い、昼30分面会してから夕方の面会まで4時間ボーッと待つ。どこにも行く気がしない。何も手につかない。私は何を待っているの?病院に申し出てみた。「もう少し長い時間いさせてほしいです。待ち時間が耐えられないです。」すんなり聞き入れてもらえました。少しでもアンちゃんのそばにいてお世話したい。アンちゃんは麻酔が切れた直後は目を開けたり手を握ってくれていましたが、だんだん目が閉
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘の身体になんとなくの違和感を覚えたのは病気発覚の1ヶ月前ほど。当時、下の息子が生後5ヶ月ぐらいになり、お風呂や着替えはだいぶバタバタしていたことや3歳になってある程度自分でやりたいお年頃ということもあって、そんなにじっくり身体を観察するということ正直ありませんでした💦それでも朝とかお風呂上がりに着替えを一緒にしているとき、「あれ、幼児ってこんなにお腹でているもの?」とふと気になったことがありました。下
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoです💡病気発覚数日前の娘。元気いっぱいに公園で遊んでおりました🚲病気が発覚する少し前の頃、息子がまだ0歳だったのと我が家は保育園が車で行く距離(パパの通勤途中)なので、保育園への送迎はパパ担当でした。振り返ってみると降園時、車まで戻るときに抱っこをせがむ回数が多かったらしく、甘えているのかと思ったけど、疲れやすくなってたのかなーと言っていました。振り返ってみたらそうだったのかもなーと思うんですけど、明らかに食欲が
治療も功を奏してるとは言えない今、家族と色々話せてよかった。私は、大学出てバリバリ働いてお金を稼ぐつもりで、親もそのつもりだと思ってた。だから、移植後の拒絶で働かないってなった時はすごく焦った。なぜなら、我が家はニートは禁止と叩き込まれ育ったから。けど、実際にはそんなことなくてよかった。休んで良いんだよって言ってくれたし。もし働ける状況になったら、そのとき考えれば良い。実際には、もう一度肝移植することは無いし、これ以上体調がよくなることは無いかもしれないし、1人でできないいこと
事が動き出したのは昨年6月。定期受診の折に、ASTALTが150前後、ビリルビンも2.3と高めの数字のため肝生検をしたところ、拒絶ではないけどもということのため様子見でいました。しかし、今年1月にASTALTが300弱まで跳ね上がり、再度肝生検をしたところ拒絶と確定。ステロイドパルス(3日間ステロイドを大量に点滴)をして一旦下がるも、再上昇するも高めの安定が続き退院しました。退院後も高めの安定が続いていたが、再度ASTALTが上昇したため、先月から再入院し再度ステロイ
原発性硬化性胆管炎(PSC)とは簡単にいうと、肝臓から十二指腸へ向かう胆管という管が徐々に硬くなり、だんだんと狭くなる病気です。少し前までは約10万人に1人とか言われていましたが、最近調べたら約1万人に1人となっていました。徐々に増えてきとる病気なのかな?※日本胆道学会HPより引用原因名の通り原因は不明ですが、自己免疫が暴走して自分の臓器を傷つけている。もしくは、潰瘍性大腸炎(指定難病、患者は結構多い)を3割くらいで合併するので、大腸との関係も研究されてい
私はこれまで内視鏡を使ったバルーン拡張術というのを4、5回やってきました。細くなった胆管を内視鏡の先にバルーン(風船)を付けて、それを膨らませることによって狭くなった胆管を拡げるという治療です。この施術は血管や食道、胃など様々な箇所を拡げることでも使われているようです。私の病気の場合は薬以外で唯一の進行を遅らせる治療になります。※ドクターマップHPより引用ただ私の場合は炎症を繰り返すことによって、だんだんと線維化して狭くなっている所を無理やり拡げるので
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘の病気発覚〜退院までを遡って書いていますので、最初から読まれる方はこちらから。『はじめまして』はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキ…ameblo.jp先生からのお話があった翌日。旦那さんがお休みの日だったので、保育園に行かせているあいだに買い物などの用事を済ませて、娘の降園後に近所の小児科に行くことにし
生後すぐ、先天性肝疾患と診断され対処療法を続けてきましたが10代でコントロールが難しくなりました。ICUで命を失いかけることも数度ありました。10代半、肝移植を受ける機会が巡ってきました。私はあまり肝移植に乗り気ではありませんでした。他人の肝臓をもらってまで生きる気はしなかったのと拒絶反応や免疫抑制剤などのデメリットも強く考えたからでした。しかし、まだ手術同意書にサインするのは親という年齢だったため避けられませんでした。これはもう変えられない事実です。そして20代になりひょんなことか
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘の病気発覚〜退院までを遡って書いていますので、最初から読まれる方はこちらから。『はじめまして』はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキ…ameblo.jpついにその日がやってきました。ある日娘を保育園にお迎えに行った時のこと、「お腹の張りが少し気になるから、一度お医者さんに診てもらってはどうか。」と先生から
整理するためにも今の肝臓の状態をメモしようと思う。肝生検では、拒絶反応による炎症と繊維化がみられる。血液検査ではAST、ALTとγ-gtpの上昇とアンモニアやビリルビンの悪化もある。血小板も5万を割る勢いで脾腫もある。再肝移植も視野にある状況。(もちろんしない)自覚症状としては、強いだるさや食欲がないくらい。フルタイムで働くのは難しい。(先生に今は働くなと言われているが、食い扶持が、、、)入院で拒絶の山を乗り越えて、退院してまた入院してを繰り返す感じと思っているところ。
なぜ、急に肝臓を壊れたのか考えてみた。原因1よろしくない生活習慣ここ2年ほど、やることが多く、朝5時起きで家に帰るのが23時が日常でした。そのため、家に帰ってからやるべきことをやる必要があり、疲れを誤魔化すためにエナジードリンクに頼る生活。夜職もしていたため、多少お酒を頂く機会があり断れなかったこと。たぶんこれだろうな。体力の限界を鑑みずに予定を入れ働き詰める性格が悪さをしたんだろな。けど、性格はなかなか変えられない。難しいところだ。しぶとく入退院を繰り返して生きるしかないね
こんにちは!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘の病気発覚〜退院までを遡って書いていますので、最初から読まれる方はこちらから。『はじめまして』はじめまして!あーちゃんmamaのyumikoです💡娘が3歳半のときに肝芽腫と診断されました。発病率は100万人に1人という小児がん。病気の進行具合プレテキ…ameblo.jp「このあと時間ある?念のためCT取った方がいいと思うんだけどね、ここでは取れないから、紹介状書くから。」と、近
ブログを更新しました。PSCが悪化した結果に起きる「肝硬変」その状態で起きた「腹水」の話をまとめました。⬇️長いので前半と後半に分けてます。https://takasaku.com/ascites-1/以下はブログ本文の抜粋です。腹水とはお腹(腹腔)に体液が異常に溜まった状態で、自分の場合は原発性硬化性胆管炎(以PSC)診断から8年後の2017年頃から発生しました。結局この症状は自分が最後に体験したPSCの合併症になりました。振り返ると、このPSCという病気になって以来、
本読んで過ごしていたら、三連休終わってびっくり。光陰矢の如し。採血DAY。肝機能系がなぜか軒並み大悪化。そろそろ退院したいけど、退院の話題を出すことも憚られるような悪さ。テンションは高めなのですが、、、今後の治療はまだ決まってないけど、副作用が辛くないのだと良いのだけど笑笑