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〈54〉・53歳11か月【手つなぎ寿命】夫婦で手をつないでの散歩は、恥ずかしくて出来なくなる。〈55〉・54歳3か月【モール寿命】ショッピングモールやアウトレットが広すぎて、買い物に行く気がしなくなる。〈56〉・54歳7か月【起業寿命】起業できなくなる。〈57〉・56歳6か月【既読寿命】読んだことが思い出せなくなり、一度読んだ小説・文庫本を買ってしまう。〈58〉・56歳8か月【組み立て寿命】組み立て式の家具を、自分で組み立てる気がしなくなる。
〈45〉・51歳3か月【階段寿命】ちょっと遠くてもエスカレーターやエレベーターを探すなど、階段を使わないようになる。〈46〉・51歳4か月【焼き肉寿命】焼き肉がヘビーに感じて、食べたいと思わなくなる。〈47〉・52歳8か月【冒険旅行寿命】海外旅行には行きたいけれど、アフリカ・南極・マチュピチュへの旅行は、もう無理。〈48〉・52歳9か月【姓名寿命】よく知っている知人なのに、フルネームが言えなくなる。〈49〉・52歳10か月【ネットオークショ
〈37〉・48歳1か月【バーゲン寿命】セールやバーゲンにわざわざ出かけて、買い物をしたくなくなる。〈38〉・48歳9か月【人ごみ寿命】繁華街やイベントの混雑など、人ごみに足を踏み入れるのが嫌になる。〈39〉・48歳10か月【信号ダッシュ寿命】横断歩道の青信号が点滅し始めたら、渡ることをためらうようになる。〈40〉・49歳6か月【長距離バス寿命】長距離深夜バスで移動することが、できなくなる。〈41〉・49歳9か月【母親デート寿命】母親と二人でシ
私もかつては、電車の中で空席があっても、立ち続けていたのに、いつのまにか、身体が、座ることを欲するようになり、空席があると、やれやれ座れる…とばかりに、ドスンと座るようになっていました。そう考えると、「立ちノリ寿命」」は、「ドスンと座るようになる年齢」と、重なるような気がします。とまあ、脱線話になりましたが、「立ちノリ寿命」などという、今まで聞いたこともないネーミングの、目新しい寿命を前にして、ふと思い出したエピソードでした。(~閑話休題~生活寿命
そんな中、コンサートが始まり、往年のヒット曲が流れると、中年のおじさん、おばさん達は、なつかしさが高じたのか、思わず立ち上がって、ノリノリの声援を、送っていたと言うのです。その後、その曲の演奏が終わると、おじさん、おばさん達は、「やっと座れる」とばかりに、皆一斉に、座席にドスンと座ったそうです。もちろん、古館伊知郎本人も、その一人だったので、その様子を、面白おかしくしゃべっていました。ちょうどその頃、私自身も、電車の座席に、ドスンと座るようになっていた
〈30〉・45歳7か月【流行語寿命】その年ブレイクした流行語を、使いたくなくなる。〈31〉・45歳11か月【自分探し寿命】自分探しをするのが恥ずかしくなる。〈32〉・46歳0か月【立ちノリ寿命】立ってコンサートを見続けられなくなる。…まだまだ、様々な生活寿命と、その寿命(年齢)の話は続くのですが、「立ちノリ寿命」に関して、とても印象に残っている話題があるので、それを取り上げたいと思います。「立ちノリ寿命」とは、「立ってコンサートを見続けられなくな
(続けて、40歳台の生活寿命を、羅列していきます)〈40歳台〉〈20〉・40歳5か月【アイドル寿命】アイドルに興味をもったり、憧れを抱くことができなくなる。〈21〉・40歳5か月【大盛り寿命】大盛りを注文することができなくなる。〈22〉・40歳9か月【原宿寿命】原宿竹下通りや大阪アメリカ村で、買い物ができなくなる。〈23〉・41歳5か月【海水浴寿命】海水浴に行こうと思わなくなる。〈24〉・41歳11か月【深酒寿命】次の日のことを考え深酒
「締め切りに間に合わさねば」という使命感だけで、~フラフラになりながら、~昼間の睡魔と闘いながら、~お肌シワシワになりながら、4日後に、とうとう、引き受けた仕事を、やり遂げることが出来ました。その後は、爆睡したはずなのですが、全く記憶にありません。それくらい無茶をしました。3日連続徹夜は、あとにも先にも、この一回だけでしたし、30代後半だったからできた無茶だと、今更ながら、強く思います。この【徹夜寿命】の説明は、「徹夜をすると、翌日使い物にならなく
〈18〉・39歳7か月【ヒット曲寿命】今のヒット曲が何であるか、ということに興味が無くなる。〈19〉・39歳8か月【徹夜寿命】徹夜をすると、翌日使い物にならなくなる。…ここまで、様々な生活寿命年齢を、興味深く読んでいた私ですが、30歳台の最後に現れた、「徹夜寿命」には、思わず、感情移入してしまいました。私は、30代後半に、3日連続徹夜という偉業(?)を、達成したことがあります。その頃やっていた仕事には、常に、締め切りが設定されていたのですが、
〈30歳台〉〈7〉・32歳5か月【日焼け寿命】思う存分日焼けできなくなる。〈8〉・32歳11か月【プリクラ寿命】プリクラで写真を撮る気がなくなる。〈9〉・33歳3か月【ゲーセン寿命】ゲームセンターに行かなくなる。〈10〉・34歳4か月【ナンパ寿命】街中でナンパをしなくなる/街中でナンパをされなくなる。〈11〉・34歳7か月【メリーゴーランド寿命】メリーゴーランドのような、メルヘン系の乗り物に乗らなくなる。〈12〉・35歳5か月【ミニスカ
この『生活寿命』という、生活行動に関する、寿命調査と調査結果が、とても興味深いものだったので、今回、詳しく取り上げていきたいと、思います。調査内容の、今までありそうでなかった、斬新さと、思わず「あるある」「そうそう」と、頷いてしまう、共感の高さは、秀逸だと感じています。では、その64種類の『生活寿命』とは?10歳をスタートにして、72歳までの生活寿命を、書き連ねてみます。〈10歳台〉〈1〉・10歳5か月【お父さんとお風呂寿命】父と一緒にお風呂
(生活総研による、『生活寿命調査』の趣旨説明)人間が本来生きられる長さを、「寿命」また、介護や医療が、日常的に不可欠になる年齢のことを、「健康寿命」と呼びますが、この二つはともに、体調や体力で、決まってくるものです。これに対して、『生活寿命』は、体調や体力だけではなく、生活全体の、さまざまな要因や、人の気持ちが絡み合って決まるもので、生活者の年齢による、暮らしの移り変わりそのものを、映し出している指標だと、言えます。今回、64種類の生活行動について
私の、生命線への「?」は、続きます。人生の途上で、運命が変容して、生命線それ自体が、途切れたり、つながったり、するものなのでしょうか?もしくは、個々人がもともと有する身体事情から、かけ離れた不幸に対して、あるいは逆に、最先端の医療技術によって、死に瀕した命が救われるといった、現代ならではの幸運に対しては、さすがの手相(生命線)でも、予言に限界があるのでしょうか?『当たるも八卦当たらぬも八卦』という、有名な諺があるくらいですから、突き詰めても仕方あり
最近になって、このはるか昔の占い師さんの言葉を、ふと思い返した時、「あっ」と気付いたことがありました。そう…私が10年以上も前に体験した、ダブルドナーの件です。これは、自分由来の病気の治療ではないにせよ、肝臓と胆のうと腎臓を摘出するという、大きな手術を受けた件ですから、十分に「ちょっとしたことがある」に、該当することがらだと思ったのです。この結び付けが、当たっているのだとすれば、(何千年もの歴史がある)手相って、すごいんだなあと、今頃になって、改めて
「寿命」とか「長寿」という言葉で、私が、個人的に思い出すのは…昔、学生時代に、初めて体験した、手相占いのことです。その頃『ものすごく当たる』と、評判になっていた占い師さんに、占ってもらうために、当時、京都に住んでいた友人と一緒に、四条河原町の繫華街からほど近い、八坂神社の入口付近に、出向いたことがあります。中年女性の占い師さんは、生年月日と手相で、運勢を占うようで、私の生年月日を聞いてから、手のひらを見た途端、「途中、ちょっとしたことがありますが、長
今日から取り上げる話題は、「寿命について」です。寿命というと、「ヒトが生きられる時間の長さ」だと、認識されています。長寿という言葉は、長生きの同義語として、誰もが手軽に使う言葉になりましたし、何より日本は、長寿国として有名です。今や、80歳代は当たり前で、90歳代はおろか、100歳まで生きて、初めて「天寿を全うした」と、評される時代になっています。1945年(終戦)以後の日本は、平和が続き、物質的にも、右肩上がりに満たされるようになり、医療水準も、
〈7月に自宅に戻ったYさんの思い〉「何気ない、でも、生きている実感をともなう、平凡な日常が、帰ってきた。夜は、早く寝て、朝は、早く起きる習慣になってしまい、五時前から、目が覚めてしまう。起きると、夢にまで見た、ももじろうとの散歩」〈2000年の終わりに〉「年始めと年末が、まったく違った一年になった。この一年は、本当に楽しい一年になった。仙台でめそめそ泣いていたことも、術後のつらさも、いろんな人に出会い、温かさを感じたことも、ももじろうとの散歩も、会社に復帰
〈肺移植手術後、初めて自宅に戻った、2000年7月〉「長い長い旅行から、戻ったような気分だった。自宅はやっぱり、ホッとする。何だか、全身から疲れが、溶け出していくようだ。何より、ももじろう(愛犬)に会えたこと。私を憶えていてくれたこと。何気なくそばにいてくれることが、うれしかった」「夜、お風呂に入って思った。去年、家に居た時は、一週間に一度か二度、訪問看護ステーションの人に、介護されながら、入れてもらうのが、やっとだった。でも今は、一人で入れる。幸せなこ
…肺移植後、一カ月経ったYさんは、苦しかった移植前の身体状況を、振り返ります。「少しづつ、肺機能が低下している。自分のことだから、ほんのわずかな変化も見逃さない。先生にも看護師さんにも分からない。酸素吸入の量が、徐々に増えている」「心臓の周りにたまった心嚢液を、350cc抜いた。アレルギーの発作が起き、咳は止まらないし、痰も出る。体中からねっとりとした汗が流れ落ちる。サチュレーションは、79%脈拍が155まで上昇している。最近はますます、息を吐きづらくなっ
〈肺移植手術後、一カ月が過ぎた、5月初旬〉「病室の窓から、満開の八重桜が見える。玄関前のけやきの新緑が、鮮やかだ。手術前は、苦しくて、食べると言うより、無理に呑み込んだり、栄養ドリンクで、栄養を補給していた。今は、食べても話しても、歩いても、自転車をこいでも、歌っても、息は切れない。みんなは、気が付かないけれど、これは、すごいことだ。私は、日常のちょっとした、どんな動作でも、感激している」「でも、苦しかった時のことは、絶対に忘れてはいけない。待機中が、どん
(ダブル移植の語り部より抜粋)劇的なシーンに遭遇しました。移植手術翌日の午後、夫の部屋に出向くと、「クレアチニンの値が下がると、こんなに、体から曇りが取れ、頭がクリアになるのか。こんなに爽快な感覚は、二十歳の時以来だ!」と、夫が、感動の声を上げたのです。「300%やって良かった」心から、そう思いました。そして、感動している夫の姿を、この目に焼き付けたいと思い、そっと、心のシャッターを押しました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇2015年当
…ここには、肺移植手術から7日経ったYさんの、ハイテンションどころか、ウルトラハイテンションな様子が、描かれていますが、彼女の幸福感が、こちらにも伝わってきて、思わず、感情移入してしまいます。死を覚悟しながらも、かすかな生への希望を、移植手術に託していた、Yさん。その、かすかな希望が、叶えられたのですから、興奮せずにはいられなかったことでしょう。「うれしい」なんていう言葉では、全然表現しきれない、異次元の喜びに包まれていた、Yさんの気持ちが、私には、
移植手術後の、Yさんの興奮や感動は、読み手の琴線に、触れずにはいられないほど、際立っていました。〈2000年4月5日(肺移植手術後7日目)〉「誰もがいなくなった部屋で、S先生は、私の手を握りしめて、話をしてくれる。私の話を、聞いてくれる。マスクに手袋、見えるのは眼だけ。その眼が、やさしく笑っている。先生の手を握りしめ、離さないで、一晩中、話を聞いてもらっていた」「呼吸器を抜いて、話が出来るようになると、私は、三日三晩、夜も寝ずに、話し続けた。まるで、
…Yさんの本音は、続きます。「患者である私の位置まで、降りて来てくれないと、心はいやされないと思う。心がいやされなければ、体もいやされないのではないだろうか」「相手のために『してあげる』と、考えた時点で、それは、相手を見下している。あくまで、『させてもらっている』『したいからしている』と思わなければ、違ったものなのではないだろうか。されるほうが、数倍、大変である」…こんな風に、自分の心の中のモヤモヤを、正直に、日記に記しながら、自分の身体の衰弱と、日々
「私が、初めての肺移植手術後の、リハビリと管理についての不安を、言った時、看護師さんは、自信たっぷりにこう言っていた。『できます。大丈夫です。肺気腫の方の術後管理を、いつもしています』」「それは、いつもしているだろう。でも、経験したことのない未知のものに対して、そんなことってあるだろうか?一見、頼りになる返事だけれど、本当に手探りな部分は、まったくないのだろうか。実際には、まだ一度も、行っていないのだから」「私としては、私の不安に共感して、『心配はごも
「移植医療については、始まったばかりで、医療の側も、移植を受けなければならない患者の、心にまで立ち入ったケアとは、およそかけ離れていた。看護師から、よく言われたのは、『そのくらいだったら、リハビリだと思って、自分でやれば?』という言葉だった。何気なく軽い気持ちで、言っていることは分かる。しかし、『そのくらい』が出来ないから、移植をするのだということには、理解が及ばない」「リハビリで、少しは回復すると、思っている看護師さん、親切だけど、困る。私の場合は、現状
そう…私も含めて、これまで、健康という身体状況を、与えられ、それが空気のように「当たり前」だと、気にもとめずに過ごしてきた人間は、えてして、健康であることを土台にして、世の中の医療問題に、切り込みます。彼ら彼女らは、健康という土台が、ズタズタに崩れている人が、多数、この世に存在していることを、視野の外に置き去りにしたまま、「そういうことはしない方が良い」とか、「そんなことをしたら、トラブルが生じるかもしれない。そうなったらどうするんだ!」という、健康人の発
…Yさんは、感受性の研ぎ澄まされた、女性でしたから、治療法のない難病を抱えて、入院生活を送っている自分への、(自分以外の人間からの)応援に対して、「無意味な応援は、しないでほしい」と、その心情を日記に記しています。彼女の疑問~がんばってと言われても、もうがんばりようがない~は、重病患者の偽らざる本音です。「がんばって」と、声を掛けられる人は、「がんばりさえすれば、きっと状況は改善する」だとか、「がんばれという言葉は、どんな人をも、勇気付けられる」と、どこかで
「昨日まで出来たことが、今日は出来ない。がんばって、がんばって、がんばって、生きている自分に、もうこれ以上、がんばれとは、言ってほしくない。がんばるということは、力を入れて病気と向き合うということ。でも、肩の力を抜いて、病気も、自分の個性の一部と、受け入れたい。息が切れることも、自分の個性と受け入れたい」「死を目前に控えて、もうそれ以上、がんばらなくてもいい。あなたはよくがんばったと、思える人の、なんと多いことか。その人の力が尽きる前に、掛ける言葉は、『
「自分の限界を感じているからこそ、末期がん患者は、身近な人と、残り少ない時間を、共有したいと考えるのだと思う。でも、そんな風に思っていても、まわりは『がんばってね』という、空しい応援を繰り返す」「私の病気も同じだ。がんばってリハビリをしたら、良くなる性質のものではない。この話をすると、『希望は捨てないで』とか言われる。でもそれは、希望とは違うと思う。これ以上、治る見込みがない病気だと、理解していたからこそ、ほんの何年か前までは、先が短いのだから、それなりに、