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こんばんは。じぇすぃです。先に言っときます。いいね大歓迎です。かもんいいね。昨日の夜、やけに帰りが早かったお父さんと悟史。病室を出たり入ったりそわそわ落ち着きがないお母さん。「ご家族の方も揃ってるし、先生からお話しがあるんだけど大丈夫かな?」と看護師さん。一瞬3人を見渡して「はい。大丈夫です。」と答えました。あとから聞いたら、お父さんも悟史も仕事を少し早退して来てくれたそうな。ごめんね、ありがとう。少し年配の、深い緑のスーツが良く似合う物腰のやわらかいおじいちゃん先生
こんばんは。じぇすぃです。今日も仕事終わりに皆が病室に集まって家族団欒。私はあんまり喋ると苦しくなるし、ツムツムとかマンガとかそれぞれ好きな事してるだけなんだけど、お父さんがいてお母さんがいてピーチがいて悟史がいる。うちは皆仲良くて、他の一般的な家庭とくらべたら一家団欒の時間もかなり多いと思う。だけど、元気なうちにもっとこんな時間がもちたかったなぁと思ってしまう。私がこんな気持ちになるんだから、きっと他の人は大切なご家族が癌におかされた時とか「全然時間が足りない!!何もしてあげら
こんにちは。じぇすぃです。先日のブログに沢山のいいねありがとうございます(*^^*)この土日は、外泊しようと思ってたんだけど…あまりにしんどくてどうしようかなぁって…(´ε`;)このカーテンの向こうにトイレがあるんですが、一旦途中に置いてある椅子で5分程休憩しないと行けないんですよね…。すぐ!すぐそこなのに…!!!こんな状態で帰ったところで出来る事は限られてるし…。でもお家が好きだから帰りたいなと思ったり。振り子のように心が揺れてます(´・ε・`*)あと、好き嫌いの多いわたし
2023年11月14日、緩和ケア病棟に移動した。家族面談をして、なるべくお母さんの痛みや苦痛を取り除きますと言ってもらえて嬉しかった。さっそく、痛み止めレスキュー入れてもらったら、痛みがマシになったと言っていた。だけど、痛み止めの副作用の影響でせん妄がひどくなる経験をしたせいで、お母さんは痛み止めを追加してもらうことに抵抗を感じていた。だから、痛いのを我慢してしまってた。夜、痛みで眠れなかったらしい。痛みを我慢してるから、看護師さんも痛み止め追加しなくても大丈夫と判断して
10月大学病院に手術目的で入院、精査の結果動、静脈に巻き付いており手術不可になる。その時に抗がん剤治療しても一年ほどと言われた。2月痛みと吐き気が増強し、癌が大きくなっていて、抗がん剤は中止。胆管ステントをいれ、状態が落ち着いてから二次治療を開始と言われるがステント留置後も痛みは増強し、体重減少。二次治療は不可といわれ余命は月単位、週単位での急変あると言われる。その後麻薬を開始し、なんとか痛みはコントロール。吐き気は少々落ち着いた程度で在宅医療へ切り替えたのが
お母さんは卵巣がんだったけど、さいごは全身に転移してたんだろうなぁと思う。緩和ケア病棟では何も調べたりしないから分からないけど、入院した時点で、肺に転移してるって言われてたし、腹膜播種でお腹に癌が散らばってる状態だったから。とにかく腹水がすごくたまって、抜いても一日経てばまた3リットルくらい溜まってしまう状態だった。腹水抜いた時、お腹から出血したこともあった。お母さんのパジャマのお腹の部分が血で滲んでた。妊婦さんみたいにお腹が出てて、苦しいってよく言ってた。足のむくみもほんとにひど
受診のあと家に帰ったけど、だんだんと息苦しさは増していった。週末近くなるとしんどくてお風呂も入るのをやめた。ポート抜去後の処置をしないといけないからお風呂は欠かさず入っていたけどもうそろそろ限界かな…と。そんな話を聞いた友だちが休みの日に駆けつけてくれた。会っても息切れして話せないからって言ったけど「話さなくていいよ!30分背中さすりに行くだけやから」と。そして彼女はほんとに30分、背中をさすってくれた。不思議とさすってもらうと痰がたくさん出てきた。「私がさすると悪いモ
もう少し母といられると思って、欲がでてしまった。できれば食べて欲しい。体力を戻して家に少しの間でも連れて帰りたい。母は、自宅療養時は痛み止めの効きすぎでウトウトなり目も開けられた時もあり、ぼーっとした状態でした。入院して、今は覚醒している顔になりました。せん妄も全くなくなり落ち着いたと安心して、そうなるともっとと欲が出てしまいました。昨日夕方の面会終了前に、入院して初めて胆汁を吐いてしまいました。大丈夫かな?と心配しながら帰りました。お昼と夕方に小さじ1ほどの
お母さんが亡くなった2023年11月29日、この日は朝いつも通りに面会に行って、まさかこの日にお母さんが死んじゃうなんて誰も思ってなかった。お母さんが入院してた緩和ケア病棟では、亡くなると予想される24時間前になると、病室に泊まることができる案内があると看護師から説明されてた。24時間面会許可がおりるらしい。だけど前日にそのお知らせはなかった。だからお兄ちゃんは普段通り仕事に行った。前日に他の病室の家族が泊まっていて、朝、ロビーのところで泣いていた。家族の誰かが亡くなったん
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
自宅療養を希望され訪問診療をしていた患者さん訪問診療開始前に緩和ケア病棟の見学、面談を済ませていました緩和ケア病棟の担当医からは入院が必要になったら連絡くださいというお手紙もいただいていましたあれから半年少しずつ痛みがでたりだるさがでたり最近はトイレまでの移動もやっとになってきてそろそろ入院したいというお話が出ました緩和ケア病棟に問い合わせをして返事まち「お部屋空きました今日か明日入院してください今回キャンセルされると次はいつ空くかわかりません」と患者さんの希
癌にもよるのだろうけど、末期癌になると色々なところに転移していたり、あちこち痛みがある人が多いと思う。そんな中、緩和ケアで痛みを緩和してもらう人も多いと思うけど…緩和ケア病棟での処置には、納得できてないことが正直ある。お母さんは卵巣癌、腹膜播種、肺に転移ありで緩和ケアに入院してた二週間、ずっと痛みと闘い続けてた。看護師さんや医師に何度も、痛くて眠れない、痛みをもっと取り除いてほしいと訴えたけど、痛みを完全になくすことはできません。とはっきり言われた。お母さんは痛みで
3月20日(月)5時30分〜5時50分の間に夫は息を引き取りました。旅立った日の事アメンバー記事で残そうかと思っていましたが、私の中で大切にしまっておく事にしました。夫の闘病する姿に励みになりましたと沢山の方に言って頂けました。なので、ほんの少しだけ、病と闘う方やどなたかの励みになれば…夫の最期まで諦めない姿を少しだけ。前日の3月19日早朝5時30分頃頭が痒いとナースコールを自分でしたみたい。(私は気付かず)私の名前を呼ぶ声に目が覚ました『○○〜』『来るかなぁ…』私が『
・4月5日(水曜)(VAC16日目)抗がん剤後の血球を上げる為の注射(フィルグラスチムやジーラスタ)は自宅近くの総合病院に打ちに行っている。限度額適用認定が別になってしまうが、楽さを考えれば致し方ない😥ここの総合病院には、緩和ケア外来・緩和ケア病棟(要はホスピス)があり、私がトイレに自分で行けなくなった時には自宅からすぐだし、ここの緩和ケア病棟に入るのが1番良いかなぁとなんとなく考えていた。旦那に下の世話だけは頼みたくないからだ。でも本音を言うなら、子供達の生活する姿を見ていたいし、声
お久しぶり13日に緩和ケア病棟に入院して8日目です今も水しかとれず痛み止めでベッドの上で寝返りも打てず足掻いてますこれまで、励まして頂きありがとうございました皆様はどうか元気になって下さいね応援しています
こんばんは。じぇすぃです。暗い話しになるので明るい写真貼っておきます←また行きたいなー!主治医と、専門の看護師さんとカウンセラーさんと今後についてのお話し。やっぱり積極的な治療は今後難しいと言われてしまいました。来週火曜日からの放射線治療を10回、そしてその後ハラヴェン…が効けばいいけど…きっと効果は期待出来ない…その後の事を一緒に考えましょうと。旦那と母親が一緒に話を聞いてくれました。皆言葉を選んで優しく優しくオブラートに包んで伝えてくれてありがたかったです。最終的に緩和
先月下旬に母が手術を受けるため、私も緩和ケア病棟に入院させてもらっていました。部屋からキレイな虹🌈が見えました母の手術は無事に終わり、退院後も調子はいいようですあとは取った腫瘍の病理の結果を聞きに行くだけです。良性だといいです。(今のところ良性だという話のようです)私の入院生活の方は、コロナがだいぶ落ち着いたため各種ボランティアさん達の活動が復活してきて、足のマッサージをしていただきました普段マッサージのお仕事をされていて、ボランティアでたまに来ていますと話されていました。あとはコー
大学病棟を退院してひと月と少し過ぎました。自宅介護から緩和病棟入院しました。日に日に悪くはなっていましたが、まだ自宅で見られるんじゃないか?と思うと、母を捨ててしまう気持ちになり入院するまでは罪悪感でいっぱいでした。緩和病棟には介護タクシーで、車椅子をリクライニングさせていきました。着いたら、病棟に行かずまずはそのまま検査。血液検査、レントゲン、心電図、CT在宅ではほとんどが予測での治療になるので、検査ができたことはよかったです。病棟に着くと看護師さんも先生も家
こんにちはお立ち寄りいただき、ありがとうございます前回のブログ、驚かせてしまってそして、これから書くことが皆さまを不安にさせてしまったらごめんなさい🙏日曜日の夕方、呼吸困難で救急車で、緊急入院しました大学病院の救命が受け入れてくれるのかと思ったら即受け入れOK病棟は、いつもの病棟に不安でいっぱいだったのにホッとしましたタイミング悪く、主治医の先生は、不在週チームの中の選考医のケモ中ラインとってくれたり、お話してた先生が主治医先生は、頼りなくてごめんなさいって言わ
こんにちは東大阪病院看護部8階緩和ケア病棟で勤務している看護師Oです東大阪病院に勤めて13年が経ちました。入職当時は慢性期障がい者病棟で勤務していましたが、緩和ケア病棟を開設することになり、立ち上げと同時に緩和ケア病棟へ異動し、11年が経ちました。その間に私は、結婚・出産というライフイベントを経験しました。子どもを育てながら仕事をするということに対しとても不安がありましたが、東大阪病院は子育てをしながらでも働きやすい環境を整えてくれています。結婚後、2人の子どもに恵まれ
こんにちは。じぇすぃです。21日、病院に行ってきました。肝臓の数値、その他諸々を検討した結果やっぱり治療の継続は難しいということで、先日見学に行った緩和ケア病棟に紹介状を書いて頂く事に。明日の10:00から面談です。早ければ月曜日から入院になるかも!って事で22日~23日、1泊2日で大阪に遊びに行きました。仕入れもしたいし心配だしってお母さんもついてきてくれました。やっぱり安心感が違いますね。ありがたいです。遊びに…と言ってももうダーツも出来ないし、商店街を歩く元気も体力もな
検診で見つかったがん自覚症状もなく検診のつもりだった「異常なし」の結果をもらう予定だったのに胃がんと診断されしかもすでに手術は難しいと化学療法を受けた転移もあったあっという間に生活も変わり体調もどんどん悪くなる痛みも強い「体調が落ち着いたらまた治療再開しましょう!」そう説明され緩和ケア病棟に入院でも同時にご家族は「ひと月もたない」と説明された患者さんはよくなるために緩和ケア病棟にきているので日に日に刻々と悪くなる体調に不安しかないなぜ?どうして悪くなるの
緩和ケア病棟のお見舞いに行ってきました初めてです東京とは思えないくらい緑があって広々としてとても素敵な所ですでもどこか殺風景でシンプルで色のない世界なんですちょっと刑務所のような雰囲気もします一週間前、彼女はまだ違う病院に入院していて寝たきりとはいえ小さな声で会話もできていました一週間後の昨日緩和ケア病棟の看護師さんがあまり良くない状況です喋る事も食べる事もできないので面会は早めにと言います病室の中に入った時。。。こんなにも。。。たった一週
こんばんは、colorです。前回の記事では、なかなか言葉をかけにくいテーマにも関わらず、心のこもった励ましをいただき素直にうれしかったですいま、私と同じように、恐ろしい病と向き合っているサバイバーさんにおいては、再発しながらも、のらりくらりと生き長らえてきた私が本格的な緩和ケアに移ることはいささかショッキングな話だったかもしれません。私のお腹にある病気がおとなしくなりますように@鷲子山上神社また、日頃から私のブログにお付き合いいただいている方はご存知かと思う
妻は今迄、何とかしてがんをやっつける為に、抗がん剤治療を行い、病気を治す事を目標に頑張ってきました。その様な中、昨日妻から「今の身体の状態について知りたい」と申出が有り、医師からは「今の身体に抗がん剤は負担が大きすぎる、先ずは身体を整えるべき」との説明があった様です。妻は抗がん剤などの治療が、今の身体ではもう難しいと思ったのかも知れません。昨日も腹水を1リットル抜きました。今入院している病院では、面会制限が有る事から今後は、自宅療養か緩和ケア病院への転院何れかを選択する事となります。妻の
もうすぐ義父が亡くなって2年になる。義父はガンだった。ひどいアル中でそのうち肝硬変にでもなるんじゃないかと思ってたけど先に違う部分にガンが見つかって入退院を繰り返してたけどずっと元気だった。この様子を見ててガンの人ってこんなに元気なんや。って、びっくりしたのを覚えてる。最初、伝えてきたのもオレ、ガンやったねん!って、サラッと伝えてきたもんだからわたしも反応に困ってしまってえ!としか返せなかったような…特に悲しんでる様子もなく普段と変わらない様子だったからそうい
いつもありがとうございます。乳がんステージ4からの奇跡!あけみんです私の母は2012年11月の満月の日に大腸がんで亡くなりました。そんな母の希望で私は、亡くなるまでの2ヶ月、伴走しました。緩和ケア病棟入院中はほぼ1日を母の病室で過ごしました。「アンタが居たらご飯食べられるねん」「寂しいから早く来て」こんなことを言ってましたから朝9時過ぎくらいから面会時間が終わるまで…。そんな母がある時、嬉しそうに母「看護師さんがお姉ちゃん(私のこと)何のお仕事されてる
昨日は朝から退院手続きと妻をストレッチャーに乗せ、介護タクシーにて転院先へ搬送。受け入れ病院での入院手続きや諸々の検査、その後職場で来月一か月の介護休暇登録を行うなど慌しい1日でした。がんセンターの主治医からは、「また、体調が復調したら私が外来で診るからいつでも戻って来てね」と仰って頂き、妻も「必ずまた戻って来ます。その時にはまた宜しくお願いします」と返答していました。介護タクシーの車内からは、満開の桜を見る事が出来、以前住んでいた住居にも立ち寄る事が出来ました。受け入れの病院は、改装後ま
アメンバー記事も徐々に解除していこうと思う。まずはモラ夫氏の治療経過から。これは、現在抗癌剤治療中の人にも役に立つと思うので公開する。前にも伝えたが、うちのモラ夫は「自らの意思」で己の癌をステージ4まで引き延ばした。これについては開いた口が塞がらん。2019年7月末にやっと地元の病院で受診した。本人は病院に行ったら最後、入院してそのまま終了と思とったようだが、その病院では1週間ほど毎日通院させられて検査、検査の連続だった。それで、最終的に近くの大学病院を紹介された。しかも
ゆっこです。今年もどうぞ宜しくお願い致します。年が明けたら直ぐに、はまさんのお命日が来ます。1月6日㈯2回目のお命日が来ました。年末から……あ~2年前はこうだったなぁ~あ~だったなぁ~……と色々と思い出されます。その時に話した会話の内容もおぼえています。全てではないけど、こんな話をしたな~と。大晦日は体調が思わしくなく、少し暗いはまさんでした。毎年大好きで見ていた年末の歌番組も見る気が起こらなかったようで、テレビもつけずお通夜みたいな時間