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11月に入ってすぐ父親が救急車で運ばれて入院。もともと前立腺がんで4年間治療をしてきました。そして医者から治療はやり尽くし、これ以上治療しても治る見込みはない、と余命2年の宣告を受けたのが今から2年前。ちょうどその期日が来た頃から体調が悪化。早朝、ゴボゴボという音で目を覚ました母親が見たのは吐血して意識がない父親でした。発見が早くその後の治療も的確だったのでしょう、一命を取り留めます。そして、長くても1週間と医者から言われて「とうとう」とか「ついに」という覚悟を決めた瞬間がありました
三角腰まくら転院(12/8)された病院🏥側からこの⬆️“三角腰まくら”を用意してください🖐️と言われ買ってきました(しまむらで売ってます😀🖐️笑)寝てばかしやと床ずれ防止のためのまくら、クッションなのよね〜使いとしてゎ
藤岡陽子さんの新刊で《満天のゴール》の続編です📖これから読む方も多いと思うので、感想はサラッと!前作の内容は、読んだ後にドラマも観たので、めずらしく覚えていました。でも読み始めると、さりげなく登場人物の今までが書いてあり、しっかり思い出せます。前半は、涼介の担任や奈緒の兄が腹立たしくて…哀しい出来事があったのに、あまり哀しめなかったかも💧後半は「死」を前にした患者さん達のお話が辛かったです😢とても好きなお話だったのですが…前作に続き、奈緒のことがなんだか鼻につくんですよね…良い人だ
10/28から病院🏥に入院していて…今日12/8(月)…最期を迎えるであろう…看取り病院🏥、緩和ケア病院🏥に転院、入院しました🖐️入院している病院🏥へ朝9時⏰️までに来てくれ❗️て自前に連絡されていたので家を8時⏰️ちょっと前に出発朝の通勤通学ラッシュ(←チャリ通)😓病院🏥に着いて義父の居る病室に行くとご
3日に入院し気づけば6日になっていました水曜日から緩和ケア病棟に移ります
おはようございます♥️いよいよ、温泉♨️旅館1泊旅行に向けて、いよいよ退院します💕退院日が近づいてます💕主治医やソーシャルワーカーさんやナースさんとのミーティングの時に、旅館チェックインの日に退院してそのまま思い出作りに行きたいので、それを目標に治療計画と看護計画をお願いしたいです🙇♀️🙏この日しかないしもうキャンセルできない高級旅館なんですーー🤣🤣🤣🙏💦キャンセル料高いんですよーー!笑とお伝えしました体調が良くなってから退院日を決めましょうと言われたけど、それやってたら
オープンキャンパスじゃないけれど訪問診療ってどんなことをやっているかって案外わからない人が多いらしく昨日は50代の男性の医師が見学って事で俺の訪問に同行する事になっていた元々緩和ケア病棟で勤務されていて訪問の経験がないため今後転職して自分の方向を考えるために訪問診療とはどんな仕事なのかを見たいという内容だった俺は午前も午後も忙しい一日でしかも本来であればこの忙しい土曜日にはバイトの先生がクリニックに来てくれて他のDrの患者さんの指示受けを担当してく
今日も面会職場でお世話になった方々がいらっしゃるから挨拶してほしい、と頼まれたのでしばらくいることに…他愛のないことを話してるんだけど急に泣き出す弟申し訳ない、気持ち一杯と塩酸モルヒネ投与されてて起きてられる時間が減ってきてるとのこと車のことを気にしていて譲渡したいんだけど実印が壊れてて手続きのやり直しに奔走するまるところが…営業日を間違えてて登録のし直しが今日できない大切な場面でやらかすのは相変わらず本庁でしか、今日は扱われないなんてドジすぎ
私はがんで死ぬかもしれないがんで死ぬってなったら緩和ケア病棟に入りたい家族に迷惑かけたく無いお義母さんをがんで亡くしてるその亡くなる時の苦しそうな唸り声忘れられないでも義母は立派に逝った私もあんな風に死にたい出来るだけ生きるだけ生きて立派に成仏したいきっと最後は意識も失うんだろうでも息子と夫に迷惑かけずにサッパリと逝きたい70歳までは生きられますように70歳過ぎたら死んでもいいですがんよそれまで待ってくれ再発転移待
緩和ケア医・大橋洋平先生の新刊『がんになった緩和ケア医が、本気でホスピスを考えてみた』を購入し、拝読しました。ご存じの方も多いと思いますが、先生は2018年、緩和ケア医として最前線で働かれていた最中に消化管間質腫瘍(GIST)を発症されました。体重が40kgも落ちるほどの壮絶な闘病を経て、現在も治療を受けながら診療を続けておられます。先生が緩和ケアを学ばれた淀川キリスト教病院での研修が2003年。私は2005年に緩和ケア医として歩み始めましたので、緩和ケアが今ほど一般的ではなかった
夫が行動し始めた「お見舞い」ののし袋買ってきて私に問う夫「お見舞いの紅白の水引おかしくない?水引無しも買ってきたけど高額入れるのにはどうかな?」私「その2種類しかないみたいよそもそもお見舞い文化(入院)が無くなってると思う病院は年中面会制限だし自宅までっていうのは今は無いから」夫「弟に電話したんだ来週に入院するから落ち着いたら連絡くれるって会いに行こうと思って」私「よかったね」夫「○○万円包もうと思ってるんだけどどうかな?」は~私にそんなこと聞くなよ…と思ったが
明日は緩和ケア病棟へゴスペルを歌いにいきますそして明後日はアドヴェントコンサートというイベントでゴスペルを歌いますゴスペルを通してたくさんの方が神様にふれられ神様を知ることができますように
有効な治療法なくがん細胞放置中MRIの影はすこぉ〜し(1〜2mm)大きくなっているけれど一応飛躍的に成長はしていないらしいのですし数も増えている様子はなし脳浮腫も今は落ち着いているとの事ですが記憶障害と皮膚障害は思っていた以上にスピード速くて訪問介護受けるよう指示が出ました緩和ケア病棟入院も時間の問題かなその前にお家仕舞いしなきゃその前にエレベーターのあるお家に引っ越さなきゃもう気力体力途切れすぎ😂本日のお写真はお友達から頂いた『シュトーレン』&久し振りにマキ
夫が9:00頃部屋にやってきて「叔父さんから電話来た弟ががんの末期らしい・・・俺には言わなくていいと言ったらしいが」私「そうは言ってもこうやって伝わって来たわけだし音信不通の兄弟なんだから兄(夫)には直接言いづらいんじゃないの?」夫「がん(義父が亡くなった際にがんの手術したと聞いた)が転移したらしい」私「電話して直接聞いたら?(弟さんに)」夫「でも俺には言うなって・・・」私「あなたの家のとんでもなく頑固なDNAをなんとかして欲しいといつも思ってたよお父さん(義父)の時だ
https://youtu.be/vbf7_uIjCw0?si=fOxdKIaw4FJbb8A2-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be昨年救急車🏥🚑で運んで緩和ケア病棟へ最期…中山奏琉さんのニュース動画見ながら…先輩も普通に他愛ない様子で…旅立ちました…本人の前では絶対泣かないと決めてお見舞いに出かけて行ったのを思い出しました。Amebaブログも様
急な姉のがん告知から9ヶ月が過ぎようとしています、、。腎臓治療中ですごくうまく行っていて一旦退院の目処(姉妹が一緒に過ごすことが条件、24時間誰かがいる事という条件、1人退院は認められないという条件)で動いていました。。。家の片付け🏠したいという願いを叶えてあげたくて。自分の大切なものだけでもどう処分するかを指示出したいらしい。3日だけでも退院させてあげたいという願いを主治医もなんとか叶えてあげたくて、と動いてくれてる☺️♥️それなのに、神様はすんなりと(これまでもすんなりではな
自己紹介2前回は幼少期から看護師になるまでのご紹介でした。自己紹介①はこちら『自己紹介』ーわたしの歩んできた道ー新ためまして私自身のことを少しだけ、お話ししようと思います。恐竜🦕で有名な福井県で生まれ育ち、両親は共働きの会社員。3姉妹の長女として…ameblo.jp今回は看護師生活26年間のお話をします。私は要領がいいタイプではなかったので、仕事を覚えるのはそれなりに時間がかかりました。それでも、日々の積み重ねで、3年ぐらい経ったときには、後輩の指導をするまでにはなっていました
以前Facebookので点滴をしてると吸引が必要になると書かれているのを読んだ。海外で寝たきりの方が少ないのは、延命治療をしないと読んだこともある。私は延命治療無しでいいよと伝えてるけど、救急車とか呼んでしまったら、あれよあれよと管だらけになってしまいそう。かと言って黙って寝せといたら虐待言われそうな世界。インフルエンザワクチンを撃たないってことだけで「和を乱す」とか言われるから、まだまだ医療費が上がりそうな予感(-_-;)ちゅーことで、Facebookより転載させていただ
旦那が旅立って2ヶ月が過ぎまだ手続きがあるので気が張っています公務災害の方から連絡があり追加資料を提出です50年前に一緒に働いていた方に聞き取り調査もするみたい当時のこと覚えてる人はどれくらいいるかな役所に用事があったのでちょっと生存確認してみようかと😅私が小学2年生の秋、両親が離婚したたくさんの借金を残してくれた両親の喧嘩が絶えなかった両家の家族会議が頻繁に行われていたその時の記憶はしっかり残っているいい思い出ではない長期間家庭裁判所で争っていた私が欲しいと…物のよう
連休中、いかがお過ごしでしょうか。先日、ナード・アロマテラピー協会の会報誌を読んでいたら萩尾エリ子さんが、緩和ケア病棟で食べることができなくて眠りも浅い入院患者の方々に、コーヒー豆を数粒入れたサシェを差し上げたと書いているエッセイがありました。そこには入院中の友人のために挽きたての豆を使ってコーヒーをいれた友人のパートナーのことも記されていました。そのときの控えめだけれど、病棟中に流れて居合わせた人をしあわせな気分にしたコーヒーの香りがきっかけでエリ子さんは地元の病
「ゴミ収集車に吸い込まれる勉強机」を見て、泣き崩れた両親…それでも業者に片付けを依頼する《子を亡くした親》の胸中「ゴミ収集車に吸い込まれる勉強机」を見て、泣き崩れた両親…それでも業者に片付けを依頼する《子を亡くした親》の胸中イーブイに来た最初の依頼は、ある高齢の母親からのものだった。大腸がんと闘病していた娘が、入院先の緩和ケア病棟で亡くなったという。依頼内容は、パソコン1台と段ボール5~6個を、病室から隣の市にある自宅へ…toyokeizai.net
この状況になっても祖父母からしたらやっぱり孫は孫だ。たった一人の孫…今、義父は緩和ケア病棟に居る…お見舞いに行った帰り…我々は彼女と連絡が取れないが何とか連絡が取れるようにしてあげたい…なぜか…ふとそう思った…家に帰り旦那さんに言うとじぃじへ電話をした最近はきちんとしゃべることができなくなっているが『おとうさんにとってはやっぱりかわいいまごだ』と。そう言った…まだ手はきちんと動くし字も書ける。義父が手紙を書くそうだ。返事が来れば良いが
今通院している病院の主治医から緩和ケア宣告を受け数カ月放置されましたが脳外科担当医の機転がきいた対応で緩和ケア病棟のある病院を紹介してもらいその病院で面談を受け緩和ケア病棟入院の審査も通りましたが腫瘍の転移先が多すぎてかかっている受診科も4つくらいあり緩和ケアの病院に移るタイミングがわかりません病院サイドも患者の意思優先ということなんでしょうか遠回しにやんわりとしか意見を言わずひたすら傾聴に徹している感じですし私から「いつから」とか「今回が最後で次回からは転院先にかかり
いつだったか布団の重さやしんどさでパニックになりひさにしがみつき緩和ケア病棟に入院してます。
6月に病気が発覚し余命宣告され年内なのか?そう思っていたが少し早いような気がするがそろそろのようだ7月は普通だったどこが悪いのだろうそう思えるほど10月末はパジャマを着ていたので病気なのだろうとそんな感じだった17日後の一昨日、そろそろなのだろうなかなり痩せこけてしまった昨日、入院した病棟は緩和ケア病棟投薬は痛み止めのみ夜は家族も帰りさぞかし寂しいだろうなシーンと静まり返った真っ白い壁紙病院の夜は夕方から始まる朝までがとてつもなく長い入退院を繰り返
2023年7月から、ブログが全く途絶えてしまった、北海道のあびしにあんさん、お元気ですか?彼女は、独身で、キャリアウーマンでした。縁談もありましたが、振った人生でした。そして、がんに罹患して、治療されていましたが、ブログが途絶えて、ずっと、心配で、たまりませんでした。いつも、楽しいコメントをくれた明るい方でした。とても楽しいブログを書く方でした。まだ、元気なお母様、弟様、このブログを読んでいたら、返信ください。凄く心配で、たまりません。又、あびしにあんさんと交流のあったブロガーさん、
こんにちはなっちゅです。気がつけば、1ヶ月以上もブログ放置色々落ち込むことも多くて私の気持ちがついて行かなくてスミマセン。まず、ダンナさんですがかなり体調悪化させています。9月に検査をした結果抗がん剤が効いてないことが分かりその後、引き続き検査で期待したオプジーボが使えないことが判明ダンナさんには意味が無いとのこと次に使える抗がん剤飲み薬タイプの物だが効くと期待した、一番手二番手がダメで、飲み薬タイプにも副作用があって強くは効かないと言われ副作用で、体力が落
看護師の当たり前先日知り合いの方から聞いて感じたこと看護師の当たり前大きく言うなら医療従事者の当たり前は一般の方にとって当たり前ではないということ特に感じるのは入院する科一般病棟回復期リハビリテーション病棟地域包括ケア病棟療養病棟緩和ケア病棟などなど本当にたくさんの種類があるその中でそこは何をするところなのか?ということをきちんと伝えていないことがある伝えられずに転院してくることがある口から食べられなくなった時の選択肢は?
緩和ケア病棟に戻ってきました。手術してもらった病院は、バリバリの大きな急性期公立病院。バッチリケアしていただいて落ち着いて帰ってこれました。ただ、ずっといたCCUが賑やかすぎてちっとも寝れなかったので、1日が、ほんと長かった〜💦することないし、ひたすらドラマ見てました(笑)こちらに戻ったのは、朝の10時すぎ結構な距離があるはずなのに、救急車で搬送されると、僅かに30分で、戻られました。そうそう急性期病院で、早く帰りたいな〜と言ってたら、こちらは長いんですか?と
R7年11月19日は母が亡くなって7年先日教えていただいた写経を書いてみました母は本当に働き者でまた人に気を使いすぎる人7年前の亡くなる間際の夜のこと母はすでに緩和ケア病棟に移り最後の時を過ごしていましたこの日私は体調が優れずに今日は病院には行けそうもないなと思っていましたがいや今日は少しでも顔を見に行かなきゃと気を張って家を出ました病室に着くと母眠ってましたこの時はあの世とこの世の境に居たのではないかなと思います突然ふっと目を覚ますと「お前は忙しのだから早く帰