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■2024/4/30(火)夫の退院日が5/2(木)に決まり、退院に向けて着々と準備を進めています。・大学病院医師から訪問診療医師へ申し送りしていただいて、退院日の午後に自宅に訪問診療医師と訪問看護師が来てくさるとのことです。・今日は、4/12入院以来初めてシャワーでした。ドレナージチューブとバッグをつけての退院なので、シャワー時の保護の方法や、テープ取替方法を看護師さんから習いました。以前も、同様な形で退院経験が有り、その時も習ったのですが、今回は自宅で私一人でなく、訪問看護師さんもつ
こんにちは。じぇすぃです。先日のブログに沢山のいいねありがとうございます(*^^*)この土日は、外泊しようと思ってたんだけど…あまりにしんどくてどうしようかなぁって…(´ε`;)このカーテンの向こうにトイレがあるんですが、一旦途中に置いてある椅子で5分程休憩しないと行けないんですよね…。すぐ!すぐそこなのに…!!!こんな状態で帰ったところで出来る事は限られてるし…。でもお家が好きだから帰りたいなと思ったり。振り子のように心が揺れてます(´・ε・`*)あと、好き嫌いの多いわたし
こんばんは。じぇすぃです。先に言っときます。いいね大歓迎です。かもんいいね。昨日の夜、やけに帰りが早かったお父さんと悟史。病室を出たり入ったりそわそわ落ち着きがないお母さん。「ご家族の方も揃ってるし、先生からお話しがあるんだけど大丈夫かな?」と看護師さん。一瞬3人を見渡して「はい。大丈夫です。」と答えました。あとから聞いたら、お父さんも悟史も仕事を少し早退して来てくれたそうな。ごめんね、ありがとう。少し年配の、深い緑のスーツが良く似合う物腰のやわらかいおじいちゃん先生
おはようございます。お読みいただき感謝します。私の病院の緩和病棟の最大入院患者数は18名だそうですが、スタッフの人員的に14名がMaxだそうです。看護師さんは20人程度だそうです。皆さん親切で、優しく、至れり尽くせり。4人部屋もあるそうですが、実質1人で使用、皆個室状態です無料の個室は2~3割程度状況により変わるそうです。一番驚いたのは、食事に関してでしょうかwアイスとジュースのみの食事。アイスを食べることを食事と数えてくれる事。末期がんの方の多くが、アイスは食べやすいと感じる方が
■2024/5/2(木)胆のう炎のすこいやつで4/12〜大学病院に入院していましたが、本日無事退院しました。『【入院してます。胆のう炎のひどいやつで】膵臓癌バイパス手術済・胆管金属ステント済』入院したくないので、訪問診療医師に診てもらっていた夫ですが、血液検査結果で敗血症が分かり、大学病院に行って、入院することにしました。『【訪問診療医師に来ても…ameblo.jp午後には訪問診療医師と訪問看護師が自宅に来てくれました。夫は、久しぶり、夕食を食べることができました。やはり家がいいで
おはようございます。昨日は私の死亡保険金を母が受けとれるように受け取り人変更の申請をしました。最後の入院費用、火葬費用、家の片付け等には、少なくとも100万くらいは掛かるだろうと思っていましたのでこれでまた一つ心配事が解消されそうなのですが、母が保険金受け取りの書類を揃えられるのかと一つ心配事も増えました(笑)今日、社会福祉協議会に、母に代わり保険金の受け取り手続きをしてもらえる支援事業はないのかと問い合わせしてみるつもりです。2名のケアマネさんから、成年後見人制度の利用を勧められましたが
■2024/4/28(日)天気も良く爽やかな日でした。夫と大学病院の屋上庭園に行きましたので、投稿しようと思います。逆光ですかね💦屋上庭園までは車椅子で来ましたが、庭園内は夫は歩いて移動してました。撮り直し(笑)筆記具マニア■数日前に体調の悪い日が有って、『この筆記具が欲しい』と夫が言うのです。(以前も書きましたが、収集癖が有り、自宅には、たくさんの筆記具が有って…)■入院中なので通販で買えるか探しましたが、売り切れでした。■そういえば、大学病院の近くに、学生時代たま
TVで築地市場跡地の再開発のニュースをやっていました。“築地市場跡地に多機能型スタジアム”再開発事業者が提案説明|NHK【NHK】築地市場跡地の再開発を担う事業者が5月1日会見を開き、およそ5万人を収容できる多機能型スタジアムを整備するなどの提案内容…www3.nhk.or.jp跡地至近の病院に入院していたとき、通話エリアの窓から、広大な更地が見えていたんですよね。夜は近くを流れる川と夜景も綺麗でした。この時は「ここに緩和ケア病棟ができればいいのになぁ」とぼんやり考えていたんだった。
こんばんは。じぇすぃです。今日も仕事終わりに皆が病室に集まって家族団欒。私はあんまり喋ると苦しくなるし、ツムツムとかマンガとかそれぞれ好きな事してるだけなんだけど、お父さんがいてお母さんがいてピーチがいて悟史がいる。うちは皆仲良くて、他の一般的な家庭とくらべたら一家団欒の時間もかなり多いと思う。だけど、元気なうちにもっとこんな時間がもちたかったなぁと思ってしまう。私がこんな気持ちになるんだから、きっと他の人は大切なご家族が癌におかされた時とか「全然時間が足りない!!何もしてあげら
緩和ケア病棟のイメージは人生の絶望の場所?緩和ケア病棟についてリアルタイムの闘病ブログだと緩和ケアや、終末期についてはもちろん最後のほうに書かれることが普通ですよね。私達の場合は、闘病中にブログを読み書きはしてきませんでした。フルマラソン42.195kmの42km地点にいる母を見ている私が最初に書くのはあえて「緩和ケア」について。闘病開始の頃は「緩和ケア」は最も遠い言葉だと思います。しかし、闘ってきた私達から言えるのは癌闘病が始まった時から「緩和ケア」は頭の隅にでも置いていてほし
早期発見・早期治療が当たり前に母が食道がんになった時ネットに散見している情報を見てとても怖かったのを思い出しますいざ闘病生活が始まってみたら母の場合水も飲めない、食べれない、呼吸が苦しい、あっという間に人間の生命を維持するための基本が出来なくなりました想像を絶する苦しさです水も飲めない食べれない唾も飲み込めなくなって9ヵ月喉だけは潤してあげたい目標にしてた天ぷらそばを食べさせてあげたかったそんな思いに苦しくはなりますが感傷には浸れないと強く思うのが今後こんな苦
2023年8月に急性骨髄性白血病になってしまい余命を宣告されその後コロナ感染でもうダメかと思ったら突然寛解になり地固めの治療を3クール。退院の話が出て喜んだ。しかし2024年2月末に再発。今日お兄ちゃんは緩和ケア病棟に入った。私には妹がいる。5歳下の妹だ。お兄ちゃんとは8歳も離れている。数日前お兄ちゃんの状況を話したら病院にお見舞いに行ってくれた。2個目のジョージ(笑)また次の日も行ってくれた。3個目のジョージ(笑)最初の入院の時のジョー
モラ夫氏が亡くなって、4週間になる。この間、怒濤の手続きの嵐。まだ完全に終わってないが、2/19にしか取れへんかった「年金事務所」での手続きを終えたら、とりあえずは一段落。はっきり言う。癌ステージ4は治らない!医者は「5年生存率が向上した!」とか宣ってごまかしているが、結局は、抗癌剤治療でヘロヘロになりながら辛い時期が延びただけ。それなら、緩和ケア病棟がたったの1ヶ月ちゅうのは全く解せない。エンドレス抗癌剤の最後はほんまに悲惨。前にも言うたが、副作用>>>>>>>抗癌
今回は食道がんの治療について前回の記事では癌が発覚するまでの経緯をまとめていますが、今回は治療について(薬剤とかまでは事細かに書きません。これから治療するかたに先入観も持って欲しくないので。実際ひとりひとり症状が違い、結果も違うので。ここにはあくまで母が治療したことをまとめたものです)前回までの経緯2023.3~4月にかけて体調不良を感じるように(主に食べ物が詰まるつかえ感、えずき、皮膚トラブル、喉の痛み、違和感等)2023.5.19駅前内科で食道がん発覚すぐに大きい病院へまわさ
緩和ケア病棟はがん患者さんの苦痛を緩和しその人らしく生きられるように支援する病棟です看取りの役割もありますが自宅で過ごしたい方には在宅医や訪問看護師さんと連携して退院に向けての支援も行いますそして、またその方に入院が必要になった時には速やかに受け入れができるよう連携を続けます症状が厳しく外来や在宅での苦痛緩和が困難な際には入院して症状コントロールしその後退院しますつまり看取りの場として知られているホスピス•緩和ケア病棟ですが入退院することも可能ということです
・4月5日(水曜)(VAC16日目)抗がん剤後の血球を上げる為の注射(フィルグラスチムやジーラスタ)は自宅近くの総合病院に打ちに行っている。限度額適用認定が別になってしまうが、楽さを考えれば致し方ない😥ここの総合病院には、緩和ケア外来・緩和ケア病棟(要はホスピス)があり、私がトイレに自分で行けなくなった時には自宅からすぐだし、ここの緩和ケア病棟に入るのが1番良いかなぁとなんとなく考えていた。旦那に下の世話だけは頼みたくないからだ。でも本音を言うなら、子供達の生活する姿を見ていたいし、声
本日もお読みいただき感謝しております。今日(12月28日)緩和ケア病棟のある病院で、入院前面談を受けてきました。近親者の方がいる場合には、私のように本人が事前に面談に行く必要はないようです。面談は、病棟の応接室。医師と看護師長さんと私の3人で小1時間。入院の流れは、事前に聞いていた通り、一度、日赤に入院し、緩和病棟のあるこの病院に転院となるそうです。「入院前面談」話しを聞いて、かなり安心しました。たまに耳にする、3か月で病院たらいまわし、心配していましたが、緩和ケア病棟には、入院期間の
2月17日娘の運転で緩和ケア病棟のある病院の外来受診に行きました。これで、今後、抜き差しならない状況になった時、緩和ケアにも入れます。痛みのコントロールでも入れるとか言っていたけど、今かかっている病院でもそれはやってくれるので、選択肢が二ヶ所。2月18日今日は、在宅医療専門医の診察がありました。診察と言っても、前回からの状況報告とかです。前回の診察に比べ見た目悪くなってるね、と言われちゃいました。PTBD入れたとか、痛みのコントロールはどうしてるとか話して、各種検査結果は先生写真
葬儀が終わってそろそろ1週間になる。モラ夫氏の検査数値は凄まじく悪かったが、まだ10日ぐらいは持つだろうと思てた。でも、後の始末のことも何も聞けないままあっけなく急に逝ってしまったので、片付けは超絶大変だった。本人はまだ春頃までいけると思てたようで、「退院したら○○しよう!」とか散々言うてたな。おそらく一時帰宅して動き回ったのは身体に悪かったんかもしれん。9日に医者に呼び出され、検査値を見たら仰天した話は前回した。ビリルビン値は20に跳ね上がり肝臓数値も100超え。10日に一時帰宅
数年前に夫くんをガンで亡くしました。約30年前に結婚してからの夫親との確執、夫くんの闘病、そして、現在までを振り返り綴っています。アラフィフおばさんによる夫親への怒りが中心ですがお許し下さい。今回はうちの夫の終末期のことを蒸し返してきた夫父のお話ですうちの夫はコロナ禍前に亡くなりました主治医から「もう全身状態が悪いので(抗がん剤)治療はできません」と言われずっと通院してきた病院の緩和ケア病棟に入院することになりましたその時、毎晩のように痛みで眠れずに家
癌にもよるのだろうけど、末期癌になると色々なところに転移していたり、あちこち痛みがある人が多いと思う。そんな中、緩和ケアで痛みを緩和してもらう人も多いと思うけど…緩和ケア病棟での処置には、納得できてないことが正直ある。お母さんは卵巣癌、腹膜播種、肺に転移ありで緩和ケアに入院してた二週間、ずっと痛みと闘い続けてた。看護師さんや医師に何度も、痛くて眠れない、痛みをもっと取り除いてほしいと訴えたけど、痛みを完全になくすことはできません。とはっきり言われた。お母さんは痛みで
受診のあと家に帰ったけど、だんだんと息苦しさは増していった。週末近くなるとしんどくてお風呂も入るのをやめた。ポート抜去後の処置をしないといけないからお風呂は欠かさず入っていたけどもうそろそろ限界かな…と。そんな話を聞いた友だちが休みの日に駆けつけてくれた。会っても息切れして話せないからって言ったけど「話さなくていいよ!30分背中さすりに行くだけやから」と。そして彼女はほんとに30分、背中をさすってくれた。不思議とさすってもらうと痰がたくさん出てきた。「私がさすると悪いモ
腹水について色々教えていただき、ありがとうございました。色々あちこちで調べさせてもらい、近くの病院で、カートのための検査に来ました。そして、CTを撮ったら、そこには水も溜まっていますが、癌細胞でいっぱいでした。原因は腹膜播種。それが結託して塊になっているとのこと。そして、もちろん、カードは出来ないし、治療もない。緩和ケア病棟に入院するか、ギリギリまで在宅で頑張るか?の選択を迫られ、娘が帰ってきているので、ギリギリ迄在宅手間過ごしたいと答えました。緩和ケアの医師も同席されて、その時
もう限界となりました。今までありがとうございました。たくさんの応援ありがとうございました♪感謝しかないません。後悔のない人生ないのかもですが、まぁまぁだったのかな?と、本当ありがとうございました♪
お母さんは卵巣がんだったけど、さいごは全身に転移してたんだろうなぁと思う。緩和ケア病棟では何も調べたりしないから分からないけど、入院した時点で、肺に転移してるって言われてたし、腹膜播種でお腹に癌が散らばってる状態だったから。とにかく腹水がすごくたまって、抜いても一日経てばまた3リットルくらい溜まってしまう状態だった。腹水抜いた時、お腹から出血したこともあった。お母さんのパジャマのお腹の部分が血で滲んでた。妊婦さんみたいにお腹が出てて、苦しいってよく言ってた。足のむくみもほんとにひど
お母さんが亡くなった2023年11月29日、この日は朝いつも通りに面会に行って、まさかこの日にお母さんが死んじゃうなんて誰も思ってなかった。お母さんが入院してた緩和ケア病棟では、亡くなると予想される24時間前になると、病室に泊まることができる案内があると看護師から説明されてた。24時間面会許可がおりるらしい。だけど前日にそのお知らせはなかった。だからお兄ちゃんは普段通り仕事に行った。前日に他の病室の家族が泊まっていて、朝、ロビーのところで泣いていた。家族の誰かが亡くなったん
入って良かった!緩和ケア病棟!!!!!(入ってて良かった!公文式!と同じリズムで)先週から、前と変わらずに過ごしていても、怠さが抜かない。食欲はわかない。ベットで殆どの時間を過ごすようになり。そんな状況で、今週木曜日から、抗がん剤をハラヴェンからジェムザールに切り替えてチャレンジする予定でしたが、在宅の緩和ケアの先生から、この状態で受けても、副作用の毒も強いし、在宅医療では薬の切り替えとか出来ることに限界がある。一度緩和ケア病棟に入院して立て直そうと提案あり。昨年の時点で
今日は受診日でした。家族にも来てもらってくださいと言われていたので、妻に来てもらいました。病状の説明ですね。自分からは伝えてありますが、主治医からも伝えたかったようです。肝機能は少しは良くなってますが、ビリルビンが2.9で、退院時3.9から二週間たつのにこれじゃあ、もう下がらないみたいです。肝内胆管、右は完全に閉塞してますからね。腫瘍マーカーも高い。CEAは26もあります。CA19-9は再検査中で分からなかったけど、前回は24000くらいだったかな?ということで、抗がん剤は終了、
落ち着いている‥‥と、言っても、かなり低い位置です。変化が無いだけ‥‥そう表現してもいいかもしれません。緩和ケア病棟は日差しが入り、明るいです。差額が発生しますが少し良い病室にしました。治療も出来ない事だし、少しでも心地よく過ごせればと、考えました。殆どカーテンを開けて外が見えるようにしています。入院した時は夏。秋が来て冬になろうとしています。『早く日が暮れて寂しいよな』毎日言います。夫の希望は面会に来た人は、自分に夕飯を食べさせてから帰ってほし
自宅療養を希望され訪問診療をしていた患者さん訪問診療開始前に緩和ケア病棟の見学、面談を済ませていました緩和ケア病棟の担当医からは入院が必要になったら連絡くださいというお手紙もいただいていましたあれから半年少しずつ痛みがでたりだるさがでたり最近はトイレまでの移動もやっとになってきてそろそろ入院したいというお話が出ました緩和ケア病棟に問い合わせをして返事まち「お部屋空きました今日か明日入院してください今回キャンセルされると次はいつ空くかわかりません」と患者さんの希