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『藤原氏の本流は長男ではないことが多かった』シリーズ。此度も、冬嗣から数えて6代目にあたる藤原基経について語っていきます。ただ…今回が…ですね…。タイトル「藤原の兄弟たち」なのに、藤原氏の兄弟が出てこない…ナンテコッタ。どうしょうかなーと思ったのですが…まぁそういう回があってもいいかなって(いいのか?)そういうわけで、今回は基経の単独譚になってしまいます。ただ、「応天門の変」から一歩も進まなかった前回(苦笑)と違って平安藤原氏のお話はグンと進みますので、そこはご安心を
さて、前回の続きを。前回は、チャールズ1世が処刑されることになった「清教徒革命」について、まったりとご紹介しました。今回は、その続き…というか、このシリーズの本来のメイン人物・チャールズ2世をご紹介します。彼は、処刑されてしまった、チャールズ1世の息子に当たります。系図で確認すると、このようなかんじ。ところで、世界史で習った「名誉革命」って覚えてます?1688年。イギリス議会が国王「ジェームズ2世」をイギリスから追放し、海外から新たな国王を迎え入れたという革命
はるさん共有情報https://twitter.com/hyggejapan/status/1647567964550610944?s=53&t=H_JcY6nxi_J-SDp05SE5jQ■天皇系図天皇制存続?廃止?重要な資料になると思います😊👍✨🌈拡散📢をお願いいたしますm(__)mpic.twitter.com/TVgf9OYS4d—HYGGEJapan🇩🇰🇯🇵(@HyggeJapan)2023年4月16日
平安時代を漁ろうとする時の最大の悩み。それは「藤原氏」なのではなかろうか。来年の大河ドラマ『光る君へ』の主役・紫式部は、父が藤原為時であることからも分かるように、藤原氏の出自(勧修寺流)夫となった藤原宣孝も、藤原氏(勧修寺流)。紫式部が仕える彰子と父の道長も藤原氏。「四納言」と呼ばれる道長の腹心四天王のうち3人は藤原氏。(藤原公任・藤原斉信・源俊賢・藤原行成)どこからどこまでも藤原氏(^^;2012年大河ドラマ『平清盛』が「平氏と源氏と藤原氏ばっかりで
『光る君へ』の公式サイトを見てみたら、なんと藤原惟成(これしげ)のキャスティングが新たに発表されておりました。大河ドラマ「光る君へ」第4回の相関図・キャスト(外部リンク)⇒★藤原惟成@吉田亮さん2024年大河ドラマ『光る君へ』より「藤原惟成って誰…?」というと、リンク先の人物紹介でも書かれている通り、師貞親王の乳母子(乳母兄弟)乳母の役目はオッパイ与えるだけなんて考えていたら、大間違い。幼児のころは皇子の成長を見守り、大きくなってからは教育までやらねばならない。
本日も『藤原氏の本流は長男ではないことが多かった』企画をやります。今回で第4弾。藤原北家の祖・房前から数えて5代目(玄孫)にあたる良房(よしふさ)を取りあげます。良房は冬嗣の次男として生まれました。長兄は、長良(ながら)。802年生まれなので、良房(804年生まれ)とは2歳差。どちらも、母は藤原美津子(藤原南家・真作の娘)なので、同母兄弟にあたります。前回は脱線してしまいましたが、今回こそ、良房が兄を差し置いて藤原氏本流になっていったのは何故なのか…について、迫って
最近、ウチの母がプライムビデオでアニメ版の『平家物語』を見ているようで。『TVアニメ「平家物語」公式サイト』様より→★ワタクシは見たことないので感想を聞いてみたら、「○盛とか△盛とか似たような名前ばっかりで誰が誰だかサッパリ分からない」と、サジを投げておりました。ああ、なんだか10年前に(『平清盛』放送時に)聞いたような話だなぁ(笑)そこで、むかし作った平家の系図を母に差しあげようと、このブログを見返してみたのですが…あれ?ない??作ったはずなのに…??パソコンのデ
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。本日は承平天慶の乱の藤原純友はどんな家系の出身だったのかについて見ていきます。藤原純友は藤原北家長良流の出身です。藤原不比等の四人の息子、武智麻呂・房前・宇合・麻呂の家系がそれぞれ南家・北家・式家・京家となり
加賀百万石の城下町・金沢。この金沢に本拠を置いた加賀藩は、前田利家を藩祖とし、徳川家を除けば、他の追随を許さないほどの圧倒的な石高を誇る大藩であった。ここには、藩の年寄(家老)の職にあたる門閥があり、八つの家があった。これを「加賀八家」と呼ぶ。この「八家」は、元禄三年(1690)に加賀藩の五代藩主・前田綱紀が定めたものである。八家には、本多家(五万石)・長家(三万三千石)・横山家(三万石)・前田家(長種系一万八千石)・奥村家(宗家一万七千石)・村井家(詳細は後述)・奥村家(一万二千石)・
このブログは「平安時代ブログ」を標榜して始めたブログ。なので、外しては語れない人のひとりが「桓武天皇」。「鳴くよウグイス平安京」794年「平安京遷都」から、平安時代が始まるわけですからねー。桓武天皇が即位するに至るまでの長く険しい道について話は、別の日に譲るとして。今日は桓武天皇の後裔について、語ってみたいと思います。桓武天皇の後裔と言えば、なんといっても「桓武平氏」。高棟王(たかむねおう)と高望王(たかみおう。高見王と同一?)の兄弟が、天長2年
大河ドラマ『光る君へ』は、次回からいよいよ「越前編」へ。為時が下国「淡路守」から大国「越前守」に「国替え」となる経緯が、今週の放送で描かれました。「国替え」されてしまったのは、源国盛。源国盛@森田甘露さん2024年大河ドラマ『光る君へ』よりドラマでは、選ばれた国盛が「漢文ができない」ということで「越前守」は不適格であるとされ、漢学に長けた為時が選ばれる…という流れでした。「漢文は命じて書かせたもので私は苦手です」とか「どこかにいい通詞はおりませんかね~」とかの
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。本日取り上げるのは、天智天皇と天武系の天皇たちとの血縁関係です。皇統の呼び方として、天智系と天武系という言い方があります。天智天皇の崩御後、天智天皇の弟の大海人皇子と息子の大友皇子との間で皇位継承を巡る壬申の乱が勃発、結果大海
「平安(院政期)~鎌倉時代に現れるいくつかの一条家を整理して紹介しよう!」という、どこに需要があるんだか分からない(笑)今企画。前回の続きとして、今日は一条家(中御門流)を取りあげます。「中御門流(なかみかどりゅう)」とは、道長の子・頼宗(よりむね)の系譜の呼称。「御堂関白」と呼ばれ権勢を誇った藤原道長は、たくさんの子宝に恵まれましたが、正室の子と側室の子とを明確に区別して遇していました。天皇に嫁がせた娘は全て正室から生まれた子ですし、摂関家の地位も正室の子・頼通に継
みなさんこんばんは(´Д`)。歴史大好きなぶたさん、ぶーです。さてさて、本日は日本史系図トリビア。飛鳥時代の推古天皇・聖徳太子・蘇我馬子の関係について、系図から見ていきたいと思います。あくまでも血縁関係のみです(´Д`)。政治的な立場などは記載せず、血縁関係のみを淡々と系図で紹介していきます。血縁関係が近いから同派閥だとか、政治的志向も一緒だとか考えているわけではありませんので、ご了承ください。なお、系図は『日本書紀』や『古事記』などをもとに作成しています。聖徳太子は、この呼
出てきた言葉を全て理解したわけではないものの、なかなか面白く読めました!図説イギリスの歴史(ふくろうの本)Amazon(アマゾン)990〜6,833円巻末に英王室の系図がありました。こうやって見るとチャールズ国王もヘンリー王子もウィンザー朝の由緒正しい人物なのに、その割には、扱いが雑で馬鹿にされすぎな気がしました。
@SakanaHiko親戚かよ・:*ゞ(∇≦*)ぎゃはは間違いじゃなぃょね☺️pic.twitter.com/fCQPUk6TJb—💫𝑒𝒞𝑜💫𝓉𝒽𝑒𝓌𝒾𝓁𝓁💘𝒻~𝓓~(@eCo_tan1)October19,2021">間違いじゃなぃょね☺️pic.twitter.com/fCQPUk6TJb—💫𝑒𝒞𝑜💫𝓉𝒽𝑒𝓌𝒾𝓁𝓁💘𝒻~𝓓~(@eCo_tan1)October19,2021『横○めぐみさん拉致事件は李家の自作自演だった⁉️』https://am
大河ドラマ『光る君へ』は今週の放送で、皇太子妃(居貞親王=のちの三条天皇の妃)が登場しました。藤原娍子@朝倉あきサン2024年大河ドラマ『光る君へ』より劇中では「御息所(みやすどころ)さま」と呼ばれておりましたが、お名前は藤原娍子(すけこ)。「また藤原氏…」と思われた方も、多いのではなかろうか(^^;どの藤原氏なんだ…というと、「小一条流藤原氏」の御方になります。小一条流!!出た!!やっと出た!!全く出てこないから心配していたんだよー(涙)(『光る
画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
前回からの続き。「『藤原北家の本流は長男でないことが多かった』のやや深掘り」をやります。今回は藤原鎌足から数えて5代目にあたる藤原内麻呂から。前回も述べた通り、内麻呂は父・真楯の三男にあたります。母は阿倍帯麻呂の娘。帯麻呂は遣唐使として渡り、客死した阿倍仲麻呂の弟です。内麻呂は阿倍仲麻呂の姪の子だったんですねー(ちなみに、阿倍氏の系図はこちらをドウゾ→★)この血統の良さからか、異母兄2人が庶流となり、内麻呂が嫡子として藤原北家の本流になっていきます。藤原内
『光る君へ』第7話「おかしきことこそ」の劇中で、「陣の定」を開催しているシーンがありました。で、SNS情報によると、字幕をオンにしていると、台詞があった公卿たち全員に役名が付いていたそうです。えっ…と驚きなんですけれども…。オープニングクレジットには名前なかったのに…。お願いだから名前載せてよNHKさん。せっかくなので備忘記録のために、そのシーンを書き起こして、さらに人物名を追記すると、こんなかんじ。序列1位・源雅信(正二位・左大臣)「帝が亡き忯子さまに皇后の称
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい、本日は藤原不比等の妻たちの系図です。藤原不比等は藤原鎌足の息子で、藤原四子や光明皇后の父。飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家で、大宝律令などの編纂に関わりました。本日はこの古代の大物政治家・藤原不比等の奥さんたちの
本日も、前々回からの続き。藤原氏魚名流を取りあげて行こうと思います。魚名が見た夢(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12728328493.html前回は、「武士系藤原氏の代表格」とも言える「藤原氏秀郷流」をご紹介しました。系図で見てみよう(藤原氏秀郷流)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12730979360.html今回は、秀郷流の祖となった藤成の兄・鷲取の末裔をご紹介します。
来年の大河『光る君へ』に向けて、紫式部関連の系図を2つ、ご紹介しました。その続き…ということでもないんですが。よく「平安貴族はみんな親戚」みたいなことを言われます。確かに、その多くは「藤原さん」ですし、女系を辿ると意外な所で繋がっていたりもします。そこで、『光る君へ』に登場しそうな女流歌人たちが、どんなふうに繋がっているかな…というのを、ちょこっとやってみようかなと。系図をご紹介というより、系図好きなワタクシのMYチャレンジ!というような企画になります。範
帰り道、1本前の電車が人身事故に遭遇してしまったようで、辺鄙な駅で2時間も足止め喰らっちゃいました。いやぁ、ひどい目に遭ったものです。今日は、桓武平氏の系図を取り上げます。例によって、系図の中身について適当に語りますねw葛原(かずわら)親王の子である高棟王(たかむね)・高望王(たかみ)の兄弟が平氏の姓を賜って臣籍に下ったのが「桓武平氏」の始まりです。高望王は早くに父・高見王を亡くしてしまい、後ろ盾のないままでは中央にいても出世の見込みがないので、肥沃な坂東に下っ
私市と書いてなんと読むかご存知だろうか?「きさいち」と読む。北河内にある地名だ。大阪には読みに困る地名が多い。放出(はなてん)、喜連瓜破(きれうりわり)、枚方(ひらかた)、十三(じゅうそう)など、挙げればキリが無い。関東の河原氏は、武蔵七党の私市党に属していた。日本の苗字七千傑の私市氏についての説明にこうある(以下、引用)。「開化天皇の皇子、彦坐主王の後裔で、日下部氏より別れる。河内国交野郡私市村から地名を負つて、武蔵国埼玉郡私市村に移住したものと思われる。私市氏一族は武蔵七党の私市
先の記事で、敦実親王のことを「ワタクシ、ちょこっとしか知らない人」と紹介しました。蝉丸のにおい(再掲)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12733609648.htmlちょこっと知っているというのは系図上のことでして。というのも、敦実親王は宇多源氏の代表的な祖にあたる人なのです。「源氏」というと、鎌倉幕府を開いた源頼朝の家系「河内源氏」や、酒呑童子退治で知られる源頼光や鵺退治知られる源三位頼政の家系「摂津源氏」が有名で、他は何だかぼんや
『藤原北家の本流は長男でないことが多かった』の深掘り企画。今回は藤原北家の祖・房前から数えて6代目(来孫)にあたる基経(もとつね)について、やっていきます。日本史上初の皇族以外での摂政となり、人臣のトップリーダーとなった平安時代前期の巨人・藤原良房。最強最大にも見える彼の最大の弱点は「跡を継ぐ子に恵まれなかった」こと。そこで、兄・長良の息子を養子に迎え入れて嫡男としました。その養子に迎え入れられたのが、今回の主役…のはずの、藤原基経。基経は長良の三男で、承和3
「3つある一条家をそれぞれ解説しよう!」という、連続3回やらかした前企画。「一条家(五摂家)」は、なんだか二条家の解説っぽくなってしまったのですが(もちろん理由があってですよ…無駄に語ったからじゃない!と思う)これに便乗して、二条家の曖昧回避もやってしまおうかな…などと思い立ってしまった…というわけで、今日はそんなお話になります。相変わらず、どこに需要があるんだか分かりませんが(笑)、まぁ自己満足もまた、立派なストレス解消なのでねー。さっそく、wikipediaで「二
うちのブログは、アクセスの7割ちょっとが「検索」でいらっしゃる方々でして。ありがとうございます。日本古代史ばっかりやっている所ですが、たまに中世や近代や海外もやってます。ゆっくりして行ってってくださいましね☆で、アクセス解析を見てみると、多い日で「検索」の8割ほどは「系図」なのですが、ここ数ヶ月は『光る君へ』関連で来る「藤原氏」のほかに、「徳川家」でいらっしゃる方が多いのです。去年は大河ドラマが『どうする家康』だったので、その余波かな…と思いかけたのですが、検索ワードでは「徳川
「鎌倉時代前後に登場する3つの一条家を解説しよう」というシリーズも今回で終わり。最終日は、藤原氏の中でも名門中の名門・摂関家から輩出された「一条家(五摂家)」を紹介して、自己満足感満載で進んできた今企画を締めようと思います。「五摂家って何?」というのは、以前にも触れていますが、軽く解説すると「摂政・関白になれる5つの家」のこと。その5つの家と言うのは、「近衛家」「鷹司家」「一条家」「二条家」「九条家」のことで、ぜんぶ藤原氏。これらは全て大河ドラマ『平清盛』にも登場した