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葛下城(苫田郡鏡野町山城・中谷)正保書上五十四城の一で、「古城之覚」は苫西郡山城村の「葛下之城」として、城主を「中村大炊助槍沢頼宗」、頼宗の家臣桜井越中の末流が山城村へ今にあるとする。「作陽誌」は、山へは五町半、城主は初め大河原大膳太夫、のち中村大炊介頼宗、事跡不詳で、落城の日、頼宗に仕える浅山図書は城を焼き死んだ、城の西南、東には桜井越中・加藤豊後・木村菅兵衛・浅山図書・一柳平次・茅山将監・田中八右衛門・大蔵如真らの屋敷跡があると記す。「美作鬢鏡」「美作鏡」は城主を「中村大炊助頼宗」とする。
別所城(赤穂郡上郡町別所原)『赤穂郡誌』によると「別所三郎之に城を構え赤松則村と交戦す」とある。「別所系図」によると、別所家は別所太郎敦光を祖としており、敦光は円心と兄弟とされているが、これは誤りで、敦光は頼光ー範光ー敦光と続く系譜と、茂則ー円光ー敦光とあって、敦光は則村の弟円光の子ということになっている。『赤松氏の史料と研究』ニの中の別所譜には円光のところに敦光ともいうと付記してあって、それが正しければ敦光は円心と兄弟ということになる。この別所譜で注意すべきことは大聖寺山城主であった義長が書
【問題】山城において、斜面に竪堀が連続して配置されたものを次のうち何というか?【選択肢】滑面竪堀群畝状竪堀群海鼠竪堀群数珠竪堀群【正解】畝状竪堀群【解説】日本の山城では、斜面に竪堀が連続して掘られた「畝状(うねじょう)竪堀群」の遺構が数多く見つかっている。「畝状阻塞(そさい)」などとも呼ばれる。