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黒山城(倉敷市福田町浦田)これだけの優れた縄張りを持つ城ながら、一次文献には一切記述がみられない。一方、岡山大学付属図書館所蔵池田家文庫にある『内田玄綾先祖書』には天正2~3(1574~1575)年に勃発した備中兵乱に際し、三村方として戦った国侍、内田牛介が本城に居住し、毛利方の攻勢により戦死したとされる。以後、毛利方の在番として塩津三河守が入城し、内田九郎兵衛が相番を務めたとする。しかし、『新修倉敷市史2』ではこの城の技巧的縄張りから、その築城は天正7(1579)年に勃発した宇喜多氏・毛利氏
海老山城(松江市鹿島町名分)千光寺の裏山の海老山城(標高九〇M)は、城主新田右馬頭泰国が、長享元年(一四八七)から二年の歳月をかけ築城したと伝えられています。新田氏(仁田氏)は、佐太神社の神領島根分三百五十貫を領していた地頭でありました。天文十九年(一五五〇)に、佐太神社の兼神主でもあった朝山越前守綱忠と佐太神領を巡って争いになり、海老山城は五月二十日に落城し、新田氏は討ち死にし滅んだとされていました。落城したこの日に海老山に入ると鯨波声や轡の音、黄金の鶏の声を聞いた者は不幸になると山に入