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水別れ公園から出撃し、いそ部神社で戦勝祈願し、人工滝のとこで秋を感じ、登山道を進撃すると2度も道を間違えた挙句ヘビに通せんぼされ、沢沿いを歩いてたらコケてレンズフードが割れてしもて意気消沈。激斜面を登って士気も撃沈しかけたところ竪堀に遭遇して精気回復。竪堀を横断するとようやく城域に突入した様子で士気アゲアゲとなってきたところです。石生西河原城後半戦と題しながらの本戦編参ります。ド派手な竪堀を横断すると間もなく尾根に辿り着いたかな。上に見えてるのが尾根の西先端部で、そこから清水山とか
白石城(岡山市北区建部町大田)『和気絹』には、田淵十郎左衛門尉氏光の築城と伝わる。また、天正七(1579)年11月頃、宇喜多直家の宿老明石行雄が白石城の普請に携わったとみられる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)北大竪堀北西六郭北西五郭から北西六郭への北竪堀北西五郭西五郭西六郭西七郭西八郭西九郭帯曲輪状の西四郭西三郭西帯曲輪西三郭西二郭主郭主郭の説明看板主郭の妙見大菩薩東二郭北畝状竪堀群が十一条北西堀切北東堀切白石城遠望軌跡ログ
紀伊国(和歌山県)の山城を攻めました。いちおう熊五郎は出没しない山だと踏んでの出陣です。まぁ山であるかぎり絶対出ないとは言われへんのですけどね。和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見紀伊・神田城(かんだじょう)神田城は、すさみ町周参見にある紀伊・周参見城の支城であり、永禄12年(1569)宇都宮勘解由道直によって築かれたと伝わる。その宇都宮氏と言うのは、関東(下野国)の摂関家藤原北家道兼流の流れを汲む下野宇都宮氏の後裔と云われ、織田信長さまに敗れた宇都宮道直が、永禄12年