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爆笑でこの不景気を吹きとばそう‼――。昭和46(1971)年11月25日(木曜)、談志・円鏡のファミリー寄席(NETテレビ)の番宣広告。司会は立川談志(当時35歳)と月の家円鏡(当時37歳)。落語家だけでなく、ラジオやTVのタレントとしても超売れっ子だった二人がダブルで司会を務め、まるで古代ローマのコロシアムの如き円形の舞台で、約200人の観客に見おろされる構図にて、出演者は演芸を披露していたようだ。普段の演芸場とはかなり勝手が違ったことだろう。出
ただいま、「芝浜」の高座本を作成中。この中に、魚屋の勝五郎(魚勝)が、芝の浜で煙管の煙草に火を点ける場面があります。当時(江戸時代)は、マッチやライターなどありませんから、別の方法で点火していました。当時は「火口(ほぐち)」を使っていたそうです。-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be小さな火打石に小さな金属片?で叩くと出る火花?を火口綿で熾こし、それを
す年2回、新宿の紀伊国屋ホールで松元ヒロのライブをやっている。4日間やって、3時の昼の部は発売日に完売になる。だから仕方なく夜の部を取るのだが去年は確か夜の部で一番後ろの席だった様な気がする。今年は構えていたから前から6列目、だけど一番端の壁より。次は10月らしい。しょっちゅう行ってるとパターンが頭に入ってくる。まず、どの辺の席が革新系でどの辺が自民党か、はたまた国民民主か、でまず笑わせる。そして自分はテレビでは見られない芸人だと言い、それは自民党の悪口を言って商売しているからだと
渋谷の伝承ホールまで、「立川談寛真打昇進披露落語会」を観に行ってきた。といっても、落語界のことを知らないひとにはどこから説明すればいいだろうか、立川談志最後の弟子である立川談吉がようやく真打になり、談寛(だんかん)を襲名することになったのである。よく知られていることだが、たけし軍団のダンカンはもともとは談志の弟子であり、「立川談かん」と名乗っていた。その「談かん」が初代だから襲名というわけだが、談吉がその名前を継ぐと最初に知ったときにはかなり唐突に感じられた。なぜダンカン(談寛)なのか。なんで