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福岡市東区の香椎エリアがうっちゃんのホームグランドです。香椎の町に多くの人々が訪れてくれるよう願っています。香椎宮には仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の親子が祀られています。語られてきた伝説の中心となる舞台が福岡市東区の香椎です。僕(香椎うっちゃん)は、記紀に登場する神功皇后のモデルとなる女性が実在していたと信じています。多くの伝承と史跡が静かなたたずまいを見せる香椎に住んでいると、皇后の浪漫を感じるのです。何気ない街角、行きかう人々、博多湾の潮風、照葉の近
瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
今日は、福岡空港で視聴者さんとランチしました。その時に出た話題なんですが、長崎県の佐世保ですが、『させぼ』か『させほ』どっちの読み方が正しいか?と言うお話。まず、佐世保の地名の由来について、諸説あるようですが、定まった説はありませんが、主な説を下記に紹介します。サセブという木が生い茂っていたことから、訛りが転じて「佐世保」となったもの。(サセブの木は和名シャシャンボといわれる。)⭐️シャシャンボ(ツツジ科)暖帯林に生える高さ2-5mになる常緑低木または小高木。花期は
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
すっきり広々とした境内に楠の巨木が何本も、それも生き生きと聳えていて木々🌳の素晴らしさにびっくりしたのが宇美八幡宮です。静かな街の中に鎮座されていました。美しい宇美という社名✨は神功皇后がここで応神天皇を安産で産んだことから、産む(産み)、宇美と称されたそうです。鳥居の前からも緑豊かで清浄な気配が感じられました。鳥居をくぐると広い境内が見渡せ、本当に大きな木🌳が境内のあちこちで生い茂っていました。とにかく目を引いたのは楠たちの存在感とエネル
パワー溢れる香椎宮と西鉄香椎駅前の『点と線』2025年3月30日のJRウォーキング千早駅です。地元のコースなので、今回は僕が歩きながら香椎の町をご案内いたします。張り切っているので、ブログの説明が長くなりそー千早駅まで歩いて行って、構内で受付を済ませ、11時にスタート。↓受付の為に通って来た駅前の並木通りを、再び香椎の町方向に歩き出す。↓JR鹿児島本線の踏切を渡る。線路と平行に左右に走る道路が旧唐津街道になる。ここから香椎宮前まで、約800mのクスノキ並木の参道
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】秋7月5日。皇后は豊浦津に泊まりました。この日に皇后は如意玉を海中から得ました。『日本書紀』での記述はたったこれだけです。けれど、この、神功皇后が手に入れた、すごい力を持った珠の話はいろいろな場所でいろいろな名前で伝わっているのです!!九州・山口では、圧倒的に満珠・干珠です。『歴代の長府藩主を祀る豊功神社より
対馬の魅力のひとつは、信じられないほど美味しい海の幸。とくに、穴子は絶対にはずせない。島の西の穴子は、深海魚をエサにするので、脂が乗って、とろけるように美味しいのです。かつてタモリが穴子を食べるだけのために対馬に行ったとか⁉️大好きなあなご亭のせいろ。絶品😋あなごのお刺身もプリプリです✨店内の木が立派すぎて感動🥺これだけのために、行く価値あり❣️開店日が限られているので、チェック必須です。島の中心地、厳原近辺には新鮮なお魚料理の居酒屋さんもいっぱいあって、手軽に堪能できます❣
10月19日の事です。佐賀県唐津市呼子町の龍が飛んでくるゲストハウス「百と十」さんに泊まって、あさイチに呼子八幡神社を参拝しましたそこから、少し東に向かい、パワースポットの「湊立神岩」に行ってみました。そして、母の病院に向かう前に、もう一社、参拝したのが、佐賀県唐津市鏡1827に鎮座します松浦総鎮守鏡神社ここに到着するまで、すごい土砂降りだったんですけど、、、呼子の町を出発してからは、ずっとものすごい雨でした鏡神社に着いて、車から降りたら、少し小降りになってき
○投馬国について、これまで、ブログ『投馬国』、『投馬国が諸県であること』、『諸県とは?』、『すゑよしの住吉』、『住吉信仰』、『住吉神社』、『住吉大社の住吉信仰』、『住吉神社(福岡市)』、『科長神社』、『神功皇后』と書き続けて来ている。○狗奴国もなかなか面白いが、意外に、投馬国は日本の起源の於いて、重要な国であったことが判る。後世、邪馬台国が大和国となったのに対し、投馬国は山城国となっている。つまり、天孫降臨の世界山、霧島山高千穂峰とは、大和国と山城国との境に存在する山であったことが判る。○南
本吉諏訪神社福岡県みやま市瀬高町本吉835−1清水保育園の敷地内かすぐそばにある様子だったので、Googleマップで清水保育園を目指して行ったら、鳥居があった。祭神は建御名方神。神功皇后が土蜘蛛田油津姫退治の際、朝敵降伏のために諏訪神を祭り山の谷に建てられたという。神功皇后が諏訪神=タケミナカタを祀った!慶長六年に領主田中筑後守が下の守、上の宮と合殿に移し、下社地神領を引揚げ、元和七年、立花宗茂公が当国の領主となり山林の寄付があった。安産の神として名高く、南筑後地方のものは産婦とな
こんにちは。先日の土曜日に京都の嵐山に行ってきたのですが、ここには、九州北部の糸島で伝わる伝説の石がはるばる運ばれてきて、神社の隅っこに置かれているのです。まさか伝説の石がこのような無人の境内の隅っこにあるなんて…蘭子もびっくりしましたなお、糸島では、「古代からの伝説の石」として、神社もありますし、地名にもなっているのです。これが昔は、皇子産石(みこうぶいし)と呼ばれていまして、この石を本殿に祀っているのが、糸島の「鎮懐石(ちんかいせき)八幡宮」であり、地名
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
奥宮につながる鳥居の手水の龍https://www.umi-hachimangu.or.jp/about/宇美八幡宮について–宇美八幡宮www.umi-hachimangu.or.jp大きな木です神功皇后が応神天皇を産んだ地長い間この地をみんなを見守ってきました樹齢2000年の楠安産を願う人お宮参りの方が多いです
こちらも2016年の7月過去記事。さわやかな時にいってきた巨石探訪。不思議な伝説がありますが、このあたりイワクラ信仰が点在しています。東根は、さくらんぼの町として有名。※佐藤錦仙台からも車で関山峠を越えれば近いです。今回の舞台は、山形県東根市神町(じんまち)にある若木山公園。「おさなごやま」と読みます。地名が神町というからには、この小山が関係していそうな。。。ある時、マップで大森山公園をみていたら、山頂から見える風景の中に、まるで島に浮かんでいるような
別府の宮地嶽神社にも、本日、初詣させていただきました✨今年もありがたいことに宮地嶽神社の御朱印を作らせていただきました〜😆✨と言いましても筆文字は、宮地嶽神社の宮司さん、御神木の絵は、博堂村の大塚さん蛇さんの写真は、神社のお世話をされている橘山さんによるものでして、私はそれらをデザイン〜入稿しただけなのですが、今年の御朱印もすごく良い出来です☺️💓✨御朱印の左下には、今年の干支の蛇さんが可愛く入っています✨こちらは、宮地嶽神社の参道に祀られて
今年(2025年)の5月8日のことですこの日は、佐賀県への旅でした。佐賀に行くのに、福岡県福岡市経由で向かいました。福岡市都市高速に乗って、福岡市早良区(さわらく)から、国道263号線を走ります。この日の一社目は、福岡県福岡市早良区(さわらく)曲淵(まがりぶち)の山神社でしたそこから、国道263号線のループ橋を登って南下し、三瀬トンネルを通りましたトンネルを通って、佐賀県に入り、間もなく右折して佐賀県道299号線(三瀬栗波線)に入ります。二社目の神社は、佐賀県道
『日本(ひのもと)は岩戸神楽のはじめより女ならでは夜の明けぬ国』詠み人知らず女性総理の誕生に伴って、責任ある積極的な経済政策の推進を際立たせる内閣が布陣され、国民の暮らしを最優先にした政策を連発するスタートダッシュが切られました。今後、国益を守り強い日本を取り戻す政策にも大いに期待が持てます。「男はこれまで何やってたん?」と言われても仕方ないレベルだと思います。だいたい、首班指名までの政局でも、対立する男たち(メディアを含む)は迷走し失敗を繰り返していました。見苦しいったらあり