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葛飾八幡宮ブログを始めて間もなく「参道に踏み切りのある神社」でご紹介した下総国総鎮守葛飾八幡宮だいぶ御無沙汰のお詣りでしたが、なんとなく気になって再訪問大通りに面した一の鳥居を潜ると随神門までの間に踏み切りがあり、京成電車が通過するのです初参りのときのそうだったけれど改めて斬新さに驚きます(*゜Д゜)もともと天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門でしたが神仏分離によって葛飾八幡宮の
関門トンネル人道を歩いて、門司にやってきました。関門トンネル人道入口福岡県北九州市門司区門司こちらが門司側の出入口です。目の前には関門橋そして大きな鳥居ああ、もっと青空だったらどんなに良かったか。和布刈神社ここは九州最北端に鎮座する神社。ホームページより画像をお借りして貼ってみますね。立地がよくわかると思います。鳥居の位置も分かりやすい☝️和布刈(めかり)とは、「わかめを刈る」という意味なんですって。神功皇后が三韓出兵から帰還した際に、関門海峡でわかめを刈り取って神前に備え
春日神社(かすがじんじゃ)福岡県宮若市倉久87祭神武甕槌命、経津主神、天児屋命、姫大神社殿の手前に、文字が書かれた石が左右にある。見ると、「牡鹿」「牝鹿」と書いてある!春日大社の神の使いは鹿だからだろう。この神社、私がいつも参考にしている『福岡県神社誌』には大した由緒は書かれていないのだけれども、2つの地名の由来になったという伝承がある。1つ目。【鞍手】の由来。現在ここは宮若市だが、以前は鞍手郡だった。神功皇后はこの倉久
こんにちは🤗蓮殊(れんじゅ)と申します昨年5月、守護龍、リラ星人の十和さん、守護神の十一面観世音菩薩、薬師如来様などの神々様のお力をお借りして「龍と心の解放戦士」を目指すべくスタートしました『わくわく💞』が私の原動力✨💪日々楽しみながら、気付いた事、感じた事などを発信しています🎶どうぞ、よろしくお願い致します『ヒ一リングのご案内』【ヒ一リング】各種1000縁24時間内何度でもお受け取り頂けます(1回15分位)〇薬師如来&十一面観世音菩薩心身癒しヒ一リング人によっては浄化の作用があ
本日は城南宮に行ってきた日記を書いておこうと思います。ちなみに撮影日は今から約一か月前でして、まだ紅葉が色づいているような時期ではありませんでした。紅葉が一緒に写れば映えるのですが、ちょっと早い時期だったのでごめんなさい。それではやっていきましょう。こちらは城南宮の東側の鳥居になります。参道を通って城南宮を見ていきましょう。こちらは城南宮内にある真幡寸神社です。城南宮の敷地内にはこうした小さな神社がいくつもありますね。参道沿いにはこのよう
山口八幡宮福岡県宮若市山口1723御祭神主祭神応神天皇相殿神功皇后、武内宿祢明治五年十一月三日村社に被定。社説に曰く昔神功皇后此村を行幸ましましける折柄此処にて休ませ給う。夫より見坂越に赴き給ひ遥に海原をながめさせ給う其の後延喜二年(西暦九○二年)九月九日始めて小方隼人と云える者皇后の行幸の例に任せ八幡宮を建立す、今の宮所是なり。神功皇后はここで休んでから、見坂を越えて香椎へ向かったのね。昭和七年九月九日鎮座一○○○年祭を斎
みなさんおはようございます~(^_^)いまいち体調がスッキリしない、今年後20日?そろそろ神社の絵馬が来年の干支になっているのではないかな?摂津国一の宮の坐摩神社です入り口の鳥居は三つ鳥居です坐摩神社はいかすりじんじゃと読みます祭神は坐摩大神生井神(いくいのかみ)福井神(さくいのかみ)綱長井神(つながいのかみ)阿須波神(あすはのかみ)波比岐神(はひきのかみ)の合体ですこのお札が欲しいです拝殿神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のち
玉津島神社へ和歌山県の和歌浦にあります。神社前に駐車場あります。正面鳥居右側に金高稲荷神社があります。玉津島神社の正面鳥居。小野小町袖かけの堀。手水舎。拝殿。来年の絵馬。根上り松。扉が開いてるので行ってみました。和歌浦あしべ庵が上から見えました。福島嘉六郎邸が2024年9月から和歌浦あしべ庵という名前に変わって開館。広い駐車場もありました。拝殿前まで戻ってきて、拝殿右側に行くと奠供山碑があって、さらに右側に歩いていくと、奠供山に登る階段があります。玉津島神社
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】秋7月5日。皇后は豊浦津に泊まりました。この日に皇后は如意玉を海中から得ました。『日本書紀』での記述はたったこれだけです。けれど、この、神功皇后が手に入れた、すごい力を持った珠の話はいろいろな場所でいろいろな名前で伝わっているのです!!九州・山口では、圧倒的に満珠・干珠です。『歴代の長府藩主を祀る豊功神社より
昨夜は、石清水八幡宮をお詣りしたら、そのまま京都に戻って新幹線🚅に乗って帰ろうと思っていました。でも、京都まではなかなか来られないので、少し欲が出ました。伏見桃山のあたりは、歴史的に見るものが多そうとAIさんにきいてみたら、一日から半日で回れるモデルコースを提示してくれました。そのうち、一つか二つ見られたらいいな、と思いました。始めに行ったのは、御香宮神社御香宮神社-安産・子育ての社御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)は京都市伏見区に鎮座し、安産・子育ての社として古くより信仰を集め
12月7日参拝華表(かひょう)神社御堂筋線北花田駅徒歩約4分住宅街にひっそりとある神社です華表(かひょう)とは神社の鳥居のことだそうですここの一の鳥居は朱色です御祭神は素盞鳴尊、誉田別命、宇賀之御魂命の三柱創建は第14代仲哀天皇の時代と伝わる歴史ある神社仲哀(ちゅうあい)天皇は日本の第14代天皇とされる人物で『日本書紀』や『古事記』などに登場本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子皇后は神功皇后です
No.0922(酬恩庵一休寺)今日のテーマは『酒屋神社』12月6日(土曜日)。特に予定はなかったので、年末にむけて、片付けでもしよう~=[,,_,,]:3と思ってたんですが😅窓からの日差しがあんまり暖かくてレースカーテンを閉めるぐらい……。陽気につられてアカンシィーとちょっといくか‼️🐝アカンシィー行けそうか?行きましょうか!いい天気です☀️.°ということでꉂ🤣𐤔京田辺にあるもうひとつの国宝のある場所へ行くことに‼️大御堂観音寺が目的地です!このルートの途中に「酒屋神社
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】仲哀天皇即位8年春1月4日。筑紫に行きました。その時に、岡県主の祖先の熊鰐が天皇の車駕が来ると聞き、あらかじめ五百枝賢木を抜き取って、九尋の船の舳に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剣を掛け、下枝には八尺瓊を掛け、周芳の沙麼之浦(山口県防府市佐波)に迎えに行きました。魚や塩が取れる土地を天皇に献上し、言いました。「穴門から向津野大済まで
こんにちわ読んでくださりありがとうございます。釘付けになってしまった文章です。日本書記の編纂に関わった天武天皇と藤原不比等と太安万侶と舎人親王の四人の墓の位置は、どこか仲良し4人組という感じが漂って来ます。または乙巳の変の真相を4人で共有していたようなコードです。稗田阿礼は太安万侶のペンネーム。不比等の双子。人麻呂でもあり柿本人麻呂と言う説もある。舎人親王は天武天皇の第六皇子藤原不比等さんが日本の歴史を都合の良いように隠蔽、捏造したという見解はよ
東京から奥さんと二人で伊豆市に移住した50歳過ぎのオジサンです。伊豆暮らしを始めてから神社が大好きになり古事記を読みながら伊豆半島の神社をお参りしてまわる50歳過ぎのオジサンです。自分が暮らしている伊豆半島伊豆國には式内社と言う由緒正しい神社が百社くらいあるらしい。知っている人にはわかると思いますがこんな小さな半島に百社も式内社があるのはありえない事だと思ってます。伊豆諸島も伊豆國に入るので伊豆市で暮らしていると言っても中々全てまわるのは難しいです。それで
宮前区主祭神応神天皇(おうじんてんのう)玉依姫命(たまよりひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)康平4年(1061年)、源頼義が奥州征伐の際に、戦勝祈願の誓いを立てて建立したのが起源とされます。鎌倉幕府を開いた源頼朝が、祖先の事歴を調べて建久3年(1192年)に再建し、『源栄山八幡宮』と名付けました。境内に満ちるエネルギーが、特に「勝負」や「成功」を求める人々の運気を高めると信じられています。必勝の神として、様々な困難を乗り越え、目標を達成するための強い守護の力を授けてくれる
2025-11-23神功皇后神社巡り美祢市秋芳町別府の「壬生神社」ご祭神は、高龗神、神宮皇后、仁徳天皇石灯篭の上にシャチホコがいますよ(^^)/珍しいですね。初めてみました。見上げるような石段を上がりましょう。まあまあ、ありました(^-^;立派な拝殿がありますよ。社殿は東向きです。これも珍しいですね。しっかりお詣りしました👏
JR萩駅の南にある神社です。<御祭神>主神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后配祀:宇治皇子・難波皇子・玉依姫・高良大明神<由緒>後嵯峨天皇仁治四年三月一五日長門守護職佐々木四郎高綱が源頼朝の命を受けて鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのがはじまり。当時は阿武郡川上村立野に祠を建立したが、地頭三好康久御告の如く、今の地に古宮を建て、同年秋八月一五日喜部より遷祀した。藩政時代も毛利氏の尊崇厚く、万治二年に綱広公の造営により本殿と楼閣が備わり現在の
浄土真宗本願寺派福岡教区遠賀組法輪山西圓寺(さいえんじ)福岡県遠賀郡岡垣町大字三吉869西円寺と熊鰐の由来日本書紀によりますと、四世紀頃仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐のため九州へお越しになる事を聞いた当時遠賀地方の支配者だった熊鰐は九尋(約十六メートル)の船に鏡、剣、玉を飾って周防の沙麼の浦、現在の山口県防府市までお迎えし、北九州に渡る水先案内を努め、魚や塩をとる区域を献上いたしました。よって熊鰐は、仲哀天皇に対する忠節を認められ岡の県主となりました。往昔の遠賀郡は、現在
山上八幡神社大和国添下郡奈良市山陵町326(P無し、周辺古墳の見学と合わせるのであれば古墳見学専用Pに駐車可、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩20分程度)■祭神天照皇大神八幡大明神春日大明神「佐紀盾列古墳群」の西群内、日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)の南側に鎮座する社。◎創建年代、由緒ともに不詳。佐紀町の川辺家が所蔵する古文書に、天正四年(1576年)に超昇寺氏が家門安栄の加護を祈った祈願文があるとのこと。つまりそれ以前には創建済みということに。旧「佐紀村」には超昇寺という
加耶/任那―古代朝鮮に倭の拠点はあったか(中公新書)Amazon(アマゾン)古代の日本には元々の土着の民族もいたのでしょうが、朝鮮半島から時期ごとに日本に集団移住してきた人たちがいて、元の故郷との繋がりをそれなりに保っていたと思われます。なので西日本に(大和朝廷とは一線を画して)親朝鮮的な豪族がいたり、南朝鮮に親日本的な小国家があったり、朝鮮半島の紛争に大和朝廷が援軍を送って介入しても不思議ではありません。百済が滅亡した時も王族を始め多くの人々が日本に逃れて来まし
自浄.jpjijyo.jpある方から、こちらを教えて頂いたが、神社本庁、神道政治連盟、日本会議、旧統一教会も含めての諸々の歪められてある問題は、色々と根が深そうであり、解決は容易でなさそうであります。以前にも述べてある通り、日本の神道の「本宗」を「伊勢神宮」とするのは問題があり、また、実際に本宗としたいのは、「宇佐神宮」と併せての「伊勢神宮」ということでもあるのでしょう。伊勢神宮、宇佐神宮に祀られてあるのは、第二次物部東征を行った豊国(宇佐国)の豊玉姫(天照大神・卑弥呼
【古事記(神武記以降)における勢力争い】〈神武東征、欠史八代〉神沼河耳命による庶兄當藝志美美命殺害、葛城高岡宮で即位(綏靖天皇)→安寧天皇(師木津日子玉手見命、北葛城・片塩浮穴宮)→懿徳天皇(大倭日子鉏友命、高市郡軽境岡宮)→孝昭天皇(御眞津日子訶惠志泥命、葛城掖上宮)→考安天皇(大倭帶日子國押人命、葛城室之秋津嶋宮)→孝霊天皇(大倭根子日子賦斗邇命、磯城郡黑田廬戸宮)→孝元天皇(大倭根子日子國玖琉命、高市郡輕之堺原宮)→開化天皇(若倭根子日子大毘毘命、奈良市春日之伊邪河宮)
篠原八幡神社しのは(わ)らはちまんじんじゃ(糸島市)[訪問:令和6年7月]糸島市に合併する前の旧前原市に属する篠原、その住宅地に鎮座する神社ですこちらは私の特別な場所で、自分が5歳〜19歳までこの辺りに住んでいて、ここで遊んだり町の集まりで来たり夏休みのラジオ体操があったりと、懐かしい氏神さまです自分の神社の基礎イメージはここから来ています⚫︎神社前⚫︎社号標⚫︎鳥居⚫︎燈籠⚫︎注連石⚫︎鳥居子どもはだいたい鳥居に石をのせる遊びをしました乗ったら願いが叶うとか言ってま
福岡八幡古表神社傀儡子(くぐつ)による「神相撲」注目の点はここでも「コトシロヌシ」は「大三輪大神=大物主」として扱われていない!と言うこと。ここでは東西各11柱の神々を模した傀儡子が1対1の勝ち抜き戦を繰り広げるシンプルに見ると「東」は陽が昇る生き神=つまり氏族の祖先などモデルがある「人格神」「西」は陽が沈む黄泉の神々=つまり実体が元々ない「虚神」だここでしか見られない呼び変えもあるが、その神格の殆どは実は「イソラの変化」と「三島神」の眷属だまず古表神社祭神神功皇后の子
こんにちは。魂覚醒ナビゲーター・相馬美絵です。今日も神々とつながる物語や見えない世界からのメッセージをお伝えしていきます。今日の【神縁クエスト】は水戸八幡宮のご紹介。最初の写真から書き換わっているのが氣にかかりますねぇ…。国宝に指定された際に変更したのでしょうが元は「水戸」ではなさそう。古くは「白旗山(しらはたやま)八幡宮」と呼ばれていたようですが白旗山でもなさそう。社格である「懸社」から「国寳」に変更したようです。こちらの正式名称は「八幡宮」とのことで。「水戸」も「
記紀の神功皇后の征韓譚にアユ釣りの話が載っている。記では征韓からの帰途に筑紫国で御子を生んでからのこと、紀では征韓の途上でいまだ対馬海峡を渡る前に肥前国でウケヒとして行っている。記に前段としてあるいわゆる鎮懐石の件は、時系列上、紀では後のこととして語られている。ここではその部分を抜粋し、ひとまず通訓どおりに掲示する。故かれ、其の政まつりごと未だ竟をへたまはぬ間に、其の懐妊はらみませるを産あれまさむとしき。即ち御み腹はらを鎮しづめたまはむと為して、石を取りて御裳みもの腰に纒まかして、筑紫国つ
摂津国一之宮・住吉大社に初参拝住吉大社神代記によれば、神功皇后が生駒山(岩瀧山磐座霊畤)で大嘗祭を行い天皇に即位していたと考えられるため、参拝することによっての新たな知見があると思い、参拝させて頂きました。七五三詣りの方が多く見られましたね。住吉大社は、神功皇后が、三韓征討後に創祀されたと伝わっており、岩瀧山磐座霊畤で大嘗祭を行う前の創祀になるのではないかと考えられます。祭神は、住吉大神とされる海の神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)と神功皇后を
若江鏡神社に初参拝もちろん、研究の「三種の神器ダイヤモンド結界」における重要な一角としての鏡を社名に冠する神社であります。往生院六萬寺の真西、つまり、岩瀧山磐座・三間石山の真西に位置しています。やはり実際に参拝しないと分からないことがあります。社殿は東向き朝日の陽を受ける鏡が意識されてあるからでしょうか。しかし、遥拝所が向かう対象先は真東となっていました。つまり、岩瀧山磐座、三間石山を遥拝していたということにな