ブログ記事5,892件
第1849話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければ
第1848話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーです(←祇の字は、祇園の祇です。左側は示ですがパソコンや機種によってはネで表示されるようです)プロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきま
1/5(月)仕事が早く終わったので、いつもの神社なく教えてもらった神社へ行ってきました。やっと初詣でした💦HJさんありがとうございました。またよろしくです。うちから近いとこにあったとは‥鳥居前の駐車場は10台程しか停めれないけど、次から次へとみなさんやって来ます。姫路市にある破磐神社(はばんじんじゃ)さん。兵庫県姫路市西脇に鎮座する、約1800年の長い歴史を持つ由緒正しい神社。田園の中にありながら、その荘厳な佇まいは
現在の皇室と天照大神(豊玉姫・卑弥呼)・宇佐王家の関係、繋がりについて改めて考えみます。蘇我王朝が、現在の皇室に繋がるのは、旧東出雲王国の富家から蘇我家へと養子に入り、振姫と結婚したオホド王が、継体天皇として即位したことから始まるわけですが、手白香皇女(たしらかのひめみこ)との子、欽明天皇から考えれば、あくまでも継体天皇は、蘇我氏に養子となった者として、蘇我王朝とは言えないのではないか、との疑問もあるわけです。もちろん、継体天皇と蘇我本家の振姫との子となる安閑天皇、宣化天皇の二代は、
瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
昨晩から久しぶりにちゃんとした雨最近見たニュースではどこかのダムでは貯水量が減っていてヤバいって言ってたから良かったね~と思いつつも寒い雨はやっぱり濡れたくないから仕事の帰りは傘が無くてダッシュでタクシー拾おうと思ったら考えてる事は皆さん同じようで並んでる!!年末でも並ばんかったのに・・。でGO呼んだら🚘急にタクシーが増えてきたタイミング悪しだったこんばんわ味醂です{昼頃には雨も止んだよ~!さて、割り込み投稿ありましたが和歌山市加太の記事に戻ります
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
神功皇后は、どの海を渡ったのでしょうか。日本海?それとも瀬戸内海?日本書紀には、次のような記述があります。皇后、從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。【現代語訳】皇后は、角鹿から出発して、渟田門に到着し、船の上で食事をしました。この「渟田門(ぬたのと)」、大きく二つの説があります。ひとつは、現在の福井県若狭湾周辺とする日本海側とする説。もうひとつは、広島県三原市付近の瀬戸内海側とする説です。角鹿(敦賀)を発ってすぐなので、若狭湾周辺のこととも考え
2024年10月ランチの後はいつもの様に神社を目指してコチラヘあれ今みたら乙姫子安河原観音ってのもあったんだそんなことも知らず参拝こじんまりとした社殿■歴史阿蘇神社の第六社として、若比咩神(わかひめのみこと/乙姫様)が祀られ851年に地域の守護神として創建昔、この地域で疫病が流行った際に多くの子どもが亡くなったが、乙姫様により疫病が鎮まったとされています。また、神功皇后の三韓征伐の際にご懐妊されていた神功皇后の無事を祈願した神話もあるそう。まだ、新しい社殿でしたね。本殿
今、私、足の靭帯を傷めていて、しばらく歩けないので、神社巡りができません。過去ブログを加筆修正したブログになります。悪しからず<m(__)m>8月14日からは、神社でハロ(日暈)に遭遇したことについて書いてます2023年5月ごろのことです。福岡県宗像市鐘崎岬224に鎮座されます織幡神社(おりはたじんじゃ)を訪れました。福岡観光Webクロスロードふくおかからコピペ<m(__)m>福岡県内随一の水揚
神功皇后ゆかりの神社であることと、近年、かなり大幅にイメチェし、一般的な神社とは見た目が随分違う神社になったということで、ずっと気になってはいた鳥飼神社。やっと行って来ました⛩️鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう)福岡県福岡市中央区今川2丁目1−17こちらが表口かと思いきや、本殿から見て横だったので、正面の鳥居から入り直しました。この見た目よ!…なんとなく、エジプトを連想したのは私だけかな?本殿・拝殿当宮の社殿は、今和三年の遷宮で生まれ変わりました。茅葺の建物は、みな
歴史公園彼杵の荘長崎県東彼杵町東彼杵郡彼杵宿郷437-1長崎県指定史跡彼杵の古墳(ひさご塚古墳)「ひさご」は「ひょうたん」の意味。長崎県の代表的古墳で、規模も県内最大級の前方後円墳である。前方後円墳全長五八・八m後円部直径三七・七m前方部最大幅一八・五mくびれ部幅一一・〇m長軸の方向N-57度-W埋葬施設石棺系石室(古墳の埋葬施設のうち、その構造が大村湾地方に多い埋葬施設である箱式石棺に類似する小型石室。石室というより石棺に近いもの。
【神功皇后/全国各地に祀られる八幡神を産んだ皇后】朝鮮半島の三国を平定した「三韓征伐(さんかんせいばつ)」を成し遂げるなど、勇ましい伝承を数多く残している第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后「神功皇后(じんぐうこうごう)」。神功皇后は邪馬台国の女王卑弥呼(ヒミコ)とも同一視されるなど、活躍した年代には諸説ありますが、3~4世紀頃に崩御した仲哀天皇に代わり治世されたといわれています。神功皇后は瞬く間に朝鮮半島を平定するなど、類まれな武勇伝を多く持ち、日本最強の女傑とも云われて
小倉住吉神社福岡県春日市小倉3丁目374月某日、バイクで訪れた。御祭神表筒男命(うわつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)底筒男命(そこつつのおのみこと)住吉神社の創立年月日は、不詳です。江戸時代の古い書物、『筑前国統風土記附録』によると「小倉の産土神(生まれた土地の守り神)です。祭神は、海の神さまの住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)です。小倉村は古は、博多住吉村住吉神社の神領であったので、勧請(祭神を移して祭ること)しました。祠は村の南、林中にあり
今年(2025年)の5月8日のことですこの日は、佐賀県への旅でした。佐賀に行くのに、福岡県福岡市経由で向かいました。福岡市都市高速に乗って、福岡市早良区(さわらく)から、国道263号線を走ります。この日の一社目は、福岡県福岡市早良区(さわらく)曲淵(まがりぶち)の山神社でしたそこから、国道263号線のループ橋を登って南下し、三瀬トンネルを通りましたトンネルを通って、佐賀県に入り、間もなく右折して佐賀県道299号線(三瀬栗波線)に入ります。二社目の神社は、佐賀県道
糸碕神社尾道から三原に向かう途中の糸崎町にある海沿いの神社です。糸崎町は、昔は糸崎市でしたが、今は三原市です。昔は、糸碕八幡と呼ばれていたとのこと。八幡様なんですね長井の浦と呼ばれる風待ちの浦(風の向きが変わるのを待つ港)として、万葉集にも詠まれてます。車で走っていて、海の眺めは気持ち良し昔から、風光明媚な場所なんですね。茶道を習っていた頃には三原に通ってたから、毎週のように車で前を通過してましたが、お参りしたことがなかったので、お参りしてみました。昨年末のことです糸碕神社は
神功皇后札(明治16年)(忌宮長府祭事記より)(彦島のけしきより)拾円(十円)札参考日本初の肖像入りのお札改造紙幣(神功皇后札)1円国立印刷局(参考)ドイツの印刷会社に発注した「新紙幣」(ゲルマン紙幣、明治5年発行)は、印刷は精緻でしたが、用紙が脆弱(ぜいじゃく)であるという欠点がありました。そこで、印刷局で新しいお札をつくることになりました。「改造紙幣」とは、新紙幣に代えて発行された紙幣という意味です。用紙には、和紙の原料である三椏(みつまた)を使い、印刷局で開発した独自
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
先日瑞穂舞の先生が筥崎宮の宮司様との会食会をセッティングしてくださいました前回は香椎宮の木下権禰宜様の回で今回は第二弾です『初稽古と木下権禰宜のお話会』瑞穂さんからいただいた今年の年賀状。香椎宮奉納時の様子。昨日は瑞穂舞の2024年初稽古でした。今年から新しいメンバーが2名加わりまして新鮮な空気感でのスタ…ameblo.jpところが会食会の日程も出席の連絡も完全に忘れており前日になって舞仲間から「行かないんですか?」と訊かれ慌てて瑞穂さんに申し出ました💦自分でお
5月16、17日でお出掛けした東北の旅レポの2日目をお伝えしています横手市大森町の波宇志別神社神楽殿から40分ほど車を走らせ、秋田新幹線が走る羽後境駅手前までやってきました珍しい神社を見つけたので立ち寄ってみました今は大仙市に合併した旧協和町の唐松神社参道にしては道幅が狭いです雪深い地だと思われ、参道を狭くして杉並木で雪を防いでいるのかもしれませんねここが駐車場?駐車区画もないため端のほうに駐車させていただきました神仏旅No.011唐
今年の(2025年)の4月19日のことですこの日の一社目は、福岡県久留米市北野町の北野天満宮さんでした二社目は、同じ久留米市の福岡県久留米市草野町の須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)三社目は、須佐能袁神社から近い、久留米市草野町の若宮八幡宮若宮八幡宮の参拝を終え、ここから、自宅に帰ることにしました走っていると、、、鳥居が、、、見えた( ̄▽ ̄;)ということで、四社目は、福岡県久留米市田主丸町の石垣神社石垣神社の参拝を済ませて、さぁ、帰るぞーーーーと、自宅
2026年1月10日土曜日その2山崎から移動して、石清水八幡宮に向かいました。しかし駐輪場が見つけられず近くの施設に行ってみたさくらであい館|淀川河川公園凄い展望塔やん登ってみたエレベーター付きで無料でした京都市方面など大パノラマでした!!ロードサイクルの利用者が多かった降りて歩いて石清水八幡宮に向かいました歴史の有る橋なんやねー石清水八幡宮中御前応神天皇(おうじんてんのう)(第1
どうして「東」と書いて「あづま」と読むのだろう?って話をします。「あづま」というのはもともと「田舎」という意味です。田舎風の質素な家屋を「あづまや」といいます。キャンプ場や公園にある、柱と屋根だけで壁のない建物を「あずまや」と通称するのは、こっからきてます。本来は「ド田舎の、吹きっさらしの粗末な家」という、はっきりいえば蔑称です。漢字で「四阿」ですが、「東屋」とも書きます。平安時代、「あづま」といえば現在の関東地方の意味でした。京都の貴族にとって、関東というのはド田舎であり、左遷や流罪
関門トンネル人道を歩いて、門司にやってきました。関門トンネル人道入口福岡県北九州市門司区門司こちらが門司側の出入口です。目の前には関門橋そして大きな鳥居ああ、もっと青空だったらどんなに良かったか。和布刈神社ここは九州最北端に鎮座する神社。ホームページより画像をお借りして貼ってみますね。立地がよくわかると思います。鳥居の位置も分かりやすい☝️和布刈(めかり)とは、「わかめを刈る」という意味なんですって。神功皇后が三韓出兵から帰還した際に、関門海峡でわかめを刈り取って神前に備え
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『古事記』『日本書紀』をメインに、地域伝承を織り交ぜて描いています。1コマ目香椎宮にて。神功皇后に神(アマテラス)が降りてきてのご神託です。住吉神もデザインはしましたが、登場させるの絵面がややこしくなるので出しませんでした。2コマ目赤ちゃんによっては、ものすごくムチムチした腕になる子いますよね。それをイメージしました。3コマ目これは、『古事記』『日本書紀』読んでも、どう解釈してよいのやら…の部分です。鞆の読みが「ホムタ」は
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『古事記』『日本書紀』をメインに、地域伝承を織り交ぜて描いています。1コマ目熊襲と熊鷲は本当にややこしい。同じ熊◯という名前でも、熊鰐は全く別のものとして扱われているけれど、「熊鷲」については、資料によっては「熊襲」と書かれている場合も多い。「熊鷲は熊襲の徒類」と書かれているものもあるので、熊襲の派生系のような存在とするのが妥当かなと思います。2、3コマ目『日本書紀』より。4コマ目美奈宜神社より。巻貝が一夜城を建てたり、潮