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昨晩から久しぶりにちゃんとした雨最近見たニュースではどこかのダムでは貯水量が減っていてヤバいって言ってたから良かったね~と思いつつも寒い雨はやっぱり濡れたくないから仕事の帰りは傘が無くてダッシュでタクシー拾おうと思ったら考えてる事は皆さん同じようで並んでる!!年末でも並ばんかったのに・・。でGO呼んだら🚘急にタクシーが増えてきたタイミング悪しだったこんばんわ味醂です{昼頃には雨も止んだよ~!さて、割り込み投稿ありましたが和歌山市加太の記事に戻ります
武雄市の目的地の1つ。淀姫神社(よどひめじんじゃ)佐賀県武雄市朝日町大字中野10247祭神淀姫命外六柱由緒淀姫神社の祭神は、神功皇后の妹の淀姫命で、またの名を豊姫ともいい、朝日村の村社であった。神社の創建のいわれは、神功皇后の朝鮮出兵の時、妹の淀姫が後をしたって武雄温泉に来られ、丸山の風景をながめ、長旅の疲れを慰められたという。皇后の旅立たれた後、淀姫は二十二歳の若さでここ川上の地で亡くなり、御霊を祀るため建てられたと伝えられている。22歳
目次【序章】記されなかった血筋【第一章】景行天皇と神夏磯媛【第二章】田川に残る系譜【第三章】皇后に仕えた田油津媛【終章】なぜ書かれなかったのか目次を開く【序章】記されなかった血筋歴史には、はっきり書かれていることがあります。そしてそれ以上に、「書かれていないこと」もあります。今回気になったのは、神夏磯媛、夏羽、そして田油津媛をつなぐ系譜でした。日本書紀には書かれていない。けれど、地方には確かに残されている事柄があります。今回は、神夏磯媛から田油津媛へ続く伝承を追いながら、
福岡県北九州市八幡東区にある**枝光八幡宮(枝光八幡神社)**について、その歴史的背景、地名の由来となった伝説、そして見どころを深堀りして解説します。製鉄の街「八幡」を見守り続けてきたこの神社は、実は**「神功皇后(じんぐうこうごう)」にまつわる伝説**と深く結びついており、非常に神秘的な由緒を持っています。1.「枝光(えだみつ)」という地名の起源この神社の最も興味深い点は、「枝光」という地名そのものが、この神社の由緒に由来しているという点です。伝説:光る枝の物語社伝によると、仲哀天
1/5(月)仕事が早く終わったので、いつもの神社なく教えてもらった神社へ行ってきました。やっと初詣でした💦HJさんありがとうございました。またよろしくです。うちから近いとこにあったとは‥鳥居前の駐車場は10台程しか停めれないけど、次から次へとみなさんやって来ます。姫路市にある破磐神社(はばんじんじゃ)さん。兵庫県姫路市西脇に鎮座する、約1800年の長い歴史を持つ由緒正しい神社。田園の中にありながら、その荘厳な佇まいは
山上八幡神社大和国添下郡奈良市山陵町326(P無し、周辺古墳の見学と合わせるのであれば古墳見学専用Pに駐車可、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩20分程度)■祭神天照皇大神八幡大明神春日大明神「佐紀盾列古墳群」の西群内、日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)の南側に鎮座する社。◎創建年代、由緒ともに不詳。佐紀町の川辺家が所蔵する古文書に、天正四年(1576年)に超昇寺氏が家門安栄の加護を祈った祈願文があるとのこと。つまりそれ以前には創建済みということに。旧「佐紀村」には超昇寺という
ブログに訪問くださりありがとうございます。実家に帰省している間に訪れた場所を備忘録として書き残しています。福津市の宮地嶽神社も訪れました。宮地嶽神社わたしの母の父方が旧津屋崎町の出で宮地嶽神社からほど近い場所にあるお寺には本家のお墓もあります。旧御本殿跡の御神木さま。宮地嶽神社を訪れたときは御本殿跡の御神木さまにもご挨拶しています。この日も宮地嶽神社は多くの人で賑わっていましたが、参道から一歩入った場所にある旧御本殿跡は静かな空気が流れていました。宮地嶽神社のご由緒
糸碕神社尾道から三原に向かう途中の糸崎町にある海沿いの神社です。糸崎町は、昔は糸崎市でしたが、今は三原市です。昔は、糸碕八幡と呼ばれていたとのこと。八幡様なんですね長井の浦と呼ばれる風待ちの浦(風の向きが変わるのを待つ港)として、万葉集にも詠まれてます。車で走っていて、海の眺めは気持ち良し昔から、風光明媚な場所なんですね。茶道を習っていた頃には三原に通ってたから、毎週のように車で前を通過してましたが、お参りしたことがなかったので、お参りしてみました。昨年末のことです糸碕神社は