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75.唐松岳(大仙市協和)標高:103m駐車場:まほろば唐松パークセンタートイレ:あり(水洗)登り片道:27分(パークセンターから)スマホ高低差:60mおすすめPoint:山頂からの眺めがいい。神社にまつわる歴史ミステリー。戦国時代秋田の重要拠点。歴史:「物部氏」をご存知でしょうか?飛鳥時代、587年、「蘇我氏(蘇我馬子)」が「物部氏(物部守屋)」を襲撃した戦いを、「丁未の乱(ていびのらん)」と言うそうです崇仏派の「蘇我馬子(そがのうまこ)」
昨年(2024年)の12月24日のことです。わぁ~、クリスマスイブですねぇこの日の一社目は、福岡県北九州市若松区浜町1丁目2-37に鎮座されます若松恵比須神社(わかまつえびすじんじゃ)美しい神社ですねこちらのブログの続きです『福岡県北九州市若松区若松恵比須神社へのプロローグ絶景の空に、、、』昨年(2024年)の12月23日のことです。この日、福岡市での用事を済ませて、泊まったお宿は、福岡県遠賀郡芦屋町の国民宿舎マリンテラスあしやここは、全室…amebl
御陵宝満神社(ごりょうほうまんじんじゃ)福岡県大野城市中1-9-7(以下『筑前国続風土記附録』)社伝によると、玉依姫はこの地でお亡くなりなられた。よって御陵を築き、神廟を建てて祟め祭った。ここは、初代神武天皇の母、玉依姫が亡くなった地!(以下、現地案内板)祭神(左座)神功皇后(中座)玉依姫(右座)應神天皇西曆七一年~一三〇年景行天皇在位期間天皇自ら筑紫に下らせ給い。熊襲を征伐し給うこの時、御陵の宮に、ご祈願ありて賊を平らげ給う一九二年~二
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
【鳥飼八幡宮(とりかいはちまんぐう)】(福岡市中央区)福岡市中央区に鎮座する鳥飼八幡宮。創建は今から1700年ほど前とされ、神功皇后(じんぐうこうごう)とゆかりの深いお宮です。仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が遠征中に突如崩御された後、后である神功皇后は朝鮮半島に出兵した三韓征伐(さんかいせいばつ)を行い、瞬く間に朝鮮半島を平定し終えると、姪浜(福岡市西区)に帰国上陸し、その後、鳥飼村平山という場所に辿り着きます。その時に鳥飼村の人々は皇后と皇軍をもてなしたので、この鳥飼村での凱旋の
現在、色々準備中です。毎日ブログを更新しようと心掛けているのですが、中身が追い付いていません🙇♀️💦神功皇后やその周辺の物語を、より多くの人に分かり易く伝えたいなと思っています。そんなわけで最近、イラストレーターの弟に絵を描いて貰っているところです☀️阿曇磯良綿津見の神様の子孫です。航海術に長けていました。その為、神功皇后は阿曇磯良に協力を求めましたが、阿曇磯良は高齢であることを理由に断りました神功皇后は、神楽が大好きな阿曇磯良の為に、7日7晩、神楽を奏してお願いしました。する
瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
こんばんはお盆を過ぎたら少し涼しくなるかと思ったけどまだ暑いですね今日も家でのんびりしてましたこれだけ暑いと外に出れないですさぁ福岡の旅二日目です朝ご飯を食べて出発です高速に乗ってプップー🚗駐車場に止めてテクテク大己貴神社福岡県筑前町(旧三輪町)弥永にある大己貴神社我が国で最も古いといわれている神社のひとつです神功皇后が新羅討伐の兵士を集めるために太刀矛を奉納し願いを立てた戦勝を祈願したという言い伝えがある古社また邪馬台国-朝倉説の重要な神社とい
松尾大社に続いて城南宮にお詣りしました。平安京の南を守護する朱雀の神として京都の四神を構成し、方除け(ほうよけ)の御利益があります。菊水若水(きくすいわかみず)こちらの水を汲んで飲むと、あらゆる病気が治るとされています。御本殿。真ん中の赤い幕にあるのは太陽・月・星の「三光の御神紋」で、御祭神の神功皇后の旗印に由来しています。疲れた時などにお詣りすると、気持ちがすっきり軽くなるように感じます。とても清らかな気が流れる神社です。
立春の2/4。堺市三国ヶ丘にある「方違神社」へ、還暦の厄除け祈祷を受けに行ってきました。2020年頃から訪れるようになった方違神社。コンパクトな境内ながら、ひっきりなしに参拝者が訪れます。私の大好きな神功皇后が住吉大社を創建するにあたり、最初にこの「方違神社」で祈願したという記録も残っていて、神功皇后自身も気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)として祀られています。これまでに何回かこちらで祈祷を受けたことがあるのですが、見えないんですけどね。祈祷中にちょっとでも神功皇后の姿拝めないか
本吉諏訪神社福岡県みやま市瀬高町本吉835−1清水保育園の敷地内かすぐそばにある様子だったので、Googleマップで清水保育園を目指して行ったら、鳥居があった。祭神は建御名方神。神功皇后が土蜘蛛田油津姫退治の際、朝敵降伏のために諏訪神を祭り山の谷に建てられたという。神功皇后が諏訪神=タケミナカタを祀った!慶長六年に領主田中筑後守が下の守、上の宮と合殿に移し、下社地神領を引揚げ、元和七年、立花宗茂公が当国の領主となり山林の寄付があった。安産の神として名高く、南筑後地方のものは産婦とな
今日は、福岡空港で視聴者さんとランチしました。その時に出た話題なんですが、長崎県の佐世保ですが、『させぼ』か『させほ』どっちの読み方が正しいか?と言うお話。まず、佐世保の地名の由来について、諸説あるようですが、定まった説はありませんが、主な説を下記に紹介します。サセブという木が生い茂っていたことから、訛りが転じて「佐世保」となったもの。(サセブの木は和名シャシャンボといわれる。)⭐️シャシャンボ(ツツジ科)暖帯林に生える高さ2-5mになる常緑低木または小高木。花期は
こんにちは龍華ですご訪問いただきありがとうございますミニ曼荼羅体験会曼荼羅入門科講座オルゴナイト作成体験についてはこちらをご覧ください作品についてのご質問や体験・講座については公式LINEでお待ちしています作品はInstagramでも公開中販売中の作品はこちらでご覧ください産土神社2年前に産土神社鑑定士真壁辰郎先生に産土神社の鑑定を依頼させていただいた
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】仲哀天皇二年夏六月十日、天皇は豊浦津に泊まった。皇后は敦賀を出て濘田門(ぬたのと)に至り、船上で食事をした。そのとき、鯛が沢山船のそばに集まった。皇后が鯛に酒を注がれると、鯛は酒に酔って浮かんだ。漁師は沢山その魚を得て、喜んで言った。「聖王(神功皇后)のくださった魚だ」鯛は六月になると、いつも浮き上ってロをパクパクさせ酔ったように
「古代出雲歴史博物館」に触発されて、思い出した古代の「七支刀」。歴史の教科書等で目にしたことのある「七支刀」ですが、韓国の歴史ドラマを見ていた時に、それが使われる場面が出てきました。百済の何代目かの王が次に王位を渡す時に、立っている現王が、跪いている次王の(両方の?)肩にこの「七支刀」のようなものの先の十数センチ位の部分を当てる儀式をしていました。どのように使われるのか分からなかったけど、ふーん、そんな風に使うんだと思ったのですが、実際の場面は誰も見ていないので、想像で演出
五香宮岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2720唐琴の瀬戸のすぐそばにある。由緒書きを見ようとしたら、猫‼︎五香宮古記録に依れば、「神功皇后は、住吉大明神の御加護に感謝、此の地に古くから住吉宮の存する事を聞こし召されて牛窓の浦に上陸なされ、自ら親しく住吉宮へ御参拝され、武運長久、航海安全、安産祈願(御懐妊中)等を御祈願なされた。そして御神前にて御腹帯を召され、御鎧を付けられた上で西国に御出発され、瀬戸内各地に御事蹟を残されながら、西国との和平を実現。御帰還の途次、再度牛窓の浦に上陸、家来の
3月7日の金曜日に東京23区ランチ巡りの9回目、杉並区に行ってきました。杉並区はあまり観光地が無く、どこに行こうか困ったのですがネットで検索し大宮八幡宮があることを知りました。大宮八幡宮の歴史・由緒-大宮八幡宮御祭神応神天皇(第15代の天皇)仲哀天皇(応神天皇の父君)神功皇后(応神天皇の母君)境内社www.ohmiya-hachimangu.or.jp恥ずかしながら私は大宮八幡宮の存在すら知りませんでした。源頼義により建立され、約15,000坪と都内でも3番目の
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、日本の第14代天皇とされる人物です。『日本書紀』や『古事記』などに登場します。↑作:弟【基本情報】・名前足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『日本書紀』、和風諡号足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)-『日本書紀』帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『古事記』・在位:記紀によれば西暦192年頃~200年。(※年代には諸説あり)・父日本武尊(やまとたけるのみこと)-『日本書紀』倭建命(やまとたけ
沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)鞆祇園宮(ともぎおんぐう)広島県福山市鞆町後地1225以下、沼名前神社HPより沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)は、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)とも称され、大綿津見命(おおわたつみのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしています。今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが
雲八幡宮大分県中津市耶馬溪町宮園407灯篭の笠の部分が立派な石🪨本社の境内から400m下流に神功皇后が三韓征伐の帰途、腰掛けた石があるという。その後、大宝3年(703)、この石から七色に輝く雲が立ちのぼり童形の神様がご出現になったと伝えています。この石は「雲石さま」と呼ばれ、里の人に崇敬されました。この、童形の神様の出現をもって雲八幡宮の始まりとするわけね。個人的には、703年の神様の出現よりも、神功皇后が来た話しの方がめちゃくちゃ重要。
稲佐の浜でベンチに座り海を眺めながら癒されていた時のこと横でテレビのロケが始まり「今夜こちらで、かがり火舞が行われます」と言ってるのが聞こえてきましたえっ今夜稲佐の浜で「かがり火舞」なんて素敵なんでしょう浜の入り口に掲示されていたポスターを見逃していましたレポーターさんに感謝ですいったんホテルに戻り夕食をいただいた後にふたたび稲佐の浜に繰り出してみました稲佐の浜に着いたのが19時過ぎ🕖終盤だと思いますが…なんとか間に合いましたよろしければ動画をご覧くださいませ
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『古事記』『日本書紀』をメインに、地域伝承を織り交ぜて描いています。1コマ目香椎宮にて。神功皇后に神(アマテラス)が降りてきてのご神託です。住吉神もデザインはしましたが、登場させるの絵面がややこしくなるので出しませんでした。2コマ目赤ちゃんによっては、ものすごくムチムチした腕になる子いますよね。それをイメージしました。3コマ目これは、『古事記』『日本書紀』読んでも、どう解釈してよいのやら…の部分です。鞆の読みが「ホムタ」は
『「超国宝」は超満員!!』奈良国立博物館開館130年記念特別展「超国宝―祈りのかがやき―」「超国宝」公式ホームページちょっと奈良を舐めてました。平日の早朝から、…ameblo.jp先日、奈良国立博物館に行ってまいりました。奈良国立博物館開館130年記念特別展「超国宝―祈りのかがやき―」この特別展は6月15日までです。これから行こうと思っている方は、必ず前もってチケットを準備してください。平日でも長蛇の列です。公式サ
こんばんは!@Ricoです。京都巡礼ねえさんぽ👣城南宮✨の続きです^^(全体像が分からなかったので、一旦手前から順番に参拝しています🙏)東鳥居⛩️から進んでいくと、、、先ずは摂社真幡寸神社✨まはたきじんじゃ城南宮創建前からの起源を持ちます。御祭神真幡寸大神✨応神天皇✨→真幡寸大神って、、、🤔❓と調べてみたら古墳時代に第14代・仲哀天皇の后・神功皇后による三韓征伐の際、船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(八千戈神(やちほこのかみ)とも)の神霊を祀ったのが起
【筥崎宮(はこざきぐう)】(福岡市東区)福岡市東区に鎮座する筥崎宮は、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、大分県宇佐市の宇佐神宮(うさじんぐう)とともに三大八幡宮の一つに数えられ、勝運の神として信仰を広く受けプロ・アマ問わずスポーツチームの必勝祈願でも有名な神社です。延喜21年(921年)に現在地に遷座し、『延喜式神名帳』には「八幡大菩薩筥崎宮一座」と記載され、名神大社に列している歴史ある古社で、6月21日に八幡神(はちまんのかみ)の託宣があり、第60代醍醐天皇(だいご
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
御厨神社(みくりやじんじゃ)兵庫県明石市二見町東二見1323拝観・駐車場は無料創建は不詳ですが、4世紀頃に神功皇后が三韓出兵の際に二見浦に船を寄せ兵糧を集めたところ、現地の住人が兵糧を奉ったので御厨(みくりや)の名が付けられ、それが起源と伝わります。御祭神は本殿の左から素蓋鳴命・応神天皇・菅原道真がお祀りされています。菅原道真が筑紫大宰府に左遷されて西行の途次、船をこの浦に寄せて社地に上陸しました。この当時の社地は君貢神社(二見町東二見1)付近と伝え、菅原道真が西下の時、一夜の
どうして「東」と書いて「あづま」と読むのだろう?って話をします。「あづま」というのはもともと「田舎」という意味です。田舎風の質素な家屋を「あづまや」といいます。キャンプ場や公園にある、柱と屋根だけで壁のない建物を「あずまや」と通称するのは、こっからきてます。本来は「ド田舎の、吹きっさらしの粗末な家」という、はっきりいえば蔑称です。漢字で「四阿」ですが、「東屋」とも書きます。平安時代、「あづま」といえば現在の関東地方の意味でした。京都の貴族にとって、関東というのはド田舎であり、左遷や流罪
1/5(月)仕事が早く終わったので、いつもの神社なく教えてもらった神社へ行ってきました。やっと初詣でした💦HJさんありがとうございました。またよろしくです。うちから近いとこにあったとは‥鳥居前の駐車場は10台程しか停めれないけど、次から次へとみなさんやって来ます。姫路市にある破磐神社(はばんじんじゃ)さん。兵庫県姫路市西脇に鎮座する、約1800年の長い歴史を持つ由緒正しい神社。田園の中にありながら、その荘厳な佇まいは
鷹尾神社福岡県柳川市大和町鷹ノ尾317神功皇后行啓遺跡碑。これの側面や裏面を見てなかった鷹尾道祖之御瀬には以下の様に書いてあったので、多分この碑に書いてあったのだと思われる。『筑後風土記』に、「神功皇后元年三月、土蜘蛛田油津媛を撃たんと欲し橿日の宮より南のかた安の県に到り、海を航して高尾の宮にうつる。土人歓迎して魚(黒鯛)を献じ舞曲を奉す。後世その曲を名づけて、破牟耶舞という」(鷹尾神社の境門にある神功皇后行啓遺跡碑文)とある。神功皇后