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瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
2026新年明けましておめでとうございます10年以上に亘り、ブログ「香椎浪漫」を趣味として続けて来ました。後期高齢者を過ぎ、そろそろURLを閉めようとも考えていますが・・・ただ、検索による過去ブログへの訪問件数が、いまだに多いことは嬉しい限りです。よって、新規の投稿回数は月数回に減って来ると思いますが、気力がある限り続けて行きたいと思っていますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。(香椎うっちゃん)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
近況報告も兼ねて・・・方違ほうちがい神社さんへのお詣りを記事にしたいと思います(´ー`)方違さんへは何度か参拝したことがあるのだけれど今回は自宅改築の方災除けの為に伺いました^^10年以上ぶりの参拝です(。-人-。)目ぢから強い狛犬さんこちらが拝殿です。御祭神方違幸大神かたたがえさちおおかみ八十天万魂神(天神地祇)素戔嗚命(天照大神の御弟神)三筒男大神(住吉大神)息気長足姫命(神功皇后)を総称して方違幸大神と称されます。起源は古く崇神天
風浪宮2025年3月8日(土)参拝地元の人から「おふろうさん」と呼ばれている風浪宮へ8年振り2度目の参拝初参拝の記事『風浪宮』地元の人達からは「おふろうさん」と呼ばれているそうです。ふうろうぐう住所:福岡県大川市酒見726−1大川市は、福岡県の南西部にある市。家具の大生産地として知…ameblo.jpひとつ前に書いた磯良丸神社には安曇(あずみの)(阿曇)磯良丸(いそらまる)風浪宮には少童命わだつみのみことがお祀りされています磯良丸は少童命を祖神とする海洋
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
令和8年1月1日(木)元日新年を迎え、氏神様の藤森神社に初詣に行く。朝、8時頃に行ったが、既に駐車場は満車に近く、本殿への参拝者が100m以上行列を成していた。約15分は並んだかも。今年は午年で、藤森神社は歴史が古く、勝運と馬の社といわれていることから、参詣者が例年に比べて2倍くらいになっているようだった。なお、車で来る参拝者がかなり多く、境内の駐車場がキャパオーバーとなり交通渋滞を巻き起こしていることから、3日・4日(状況によりそれ以降もしばらくの期間)と駐車場の利用停止扱いとなってい
高皇産霊(たかみむすび)神社は、能勢電鉄日生線;日生駅から東へ1㎞のところに鎮座されます。鎮座地:兵庫県川西市一庫2-18-2一庫(ひとくら)ダムから流れている川を越えたところの坂を登ります。鳥居の基礎と柱の継ぎ目が見えています。御神木の公孫樹石段の手前、左に手水舎。手水舎の周りには、石臼が並べられています。かつて水車小屋の中で使われていた石臼だそうです。明治二十年九月に奉納された狛犬。
山上八幡神社大和国添下郡奈良市山陵町326(P無し、周辺古墳の見学と合わせるのであれば古墳見学専用Pに駐車可、「奈文研平城京跡資料館」無料Pから徒歩20分程度)■祭神天照皇大神八幡大明神春日大明神「佐紀盾列古墳群」の西群内、日葉酢媛命陵(佐紀陵山古墳)の南側に鎮座する社。◎創建年代、由緒ともに不詳。佐紀町の川辺家が所蔵する古文書に、天正四年(1576年)に超昇寺氏が家門安栄の加護を祈った祈願文があるとのこと。つまりそれ以前には創建済みということに。旧「佐紀村」には超昇寺という
2025-10-28ご祭神は、宇迦御魂大神、応神天皇、比売大神、仲哀天皇、神功皇后。宇佐八幡宮から勧請する前は五穀豊穣を願って氏神様を祀ったのではないかと書かれています。車だと境内まで上がれそうですが空き地に車を停めて下から歩きます。二の鳥居をくぐると見上げるような石段があらわれます。この日、一番の急坂でした(^-^;登りきると広い境内があり正面に拝殿があらわれます。よーく見ると龍などの彫刻の出来栄えが素晴らしいですね。
今年は午年京都にも馬に関する神社が色々あります🦓やはりお勧めは京都伏見にある藤森神社ですよね「午年まいり」の横断幕が掲げられています藤森神社は約1800年以上前に神功皇后により創建された古社です勝運と馬の神様と知られ、競馬関係者も訪れる神社です🐎端午の節句に武者人形を飾る風習の発祥の地とも言われています菖蒲=勝負とかけて勝運もあります紫陽花の神社としても知られていますよねこれは3年前の藤森神社
2025-10-28下関市の永田地区にある神社です。御祭神は、応神天皇・神功皇后・天照大神・月読命。大きなイチョウの木がありました。きっと黄葉がきれいでしょうね。扁額は「厳島神社?」なんで?由緒は、宝亀10年(779)宇佐八幡宮を勧請。旧社名は潮止八幡宮と称していたが正吉八幡宮と改称。大正6年(1917)厳島神社(梅ヶ峠駅西裏山にあった旧村社)、日野八幡宮、日吉社、大歳神社、八王子社、蛭子社、天満宮、貴崎神社の8社を合併し、地名をとって永田八幡宮と改称したようです。納得
開口神社(あぐちじんじゃ)和泉国大鳥郡大阪府堺市堺区甲斐町東2-1-29(境内に駐車可)■延喜式神名帳開口神社の比定社■旧社格府社■祭神塩土老翁神[合祀]素盞嗚神生国魂神摂津国との境界(「堺駅」前を東に延びる「大小路筋」)、和泉国大鳥郡塩穴下条開口村(現在の堺区甲斐町東)の市街地内に鎮座する社。大和とを繋ぐ最古の官道「竹ノ内街道」の西端にあり、「石津浜」は飛鳥時代より都の外港として栄えました。【当社の始源】◎創祀創建については当社由緒書に以下が示されています。━
若八幡神社福岡県田川市夏吉1636御祭神仁徳天皇・応神天皇・神功皇后地主神神夏磯媛命輝徳霊神小笠原忠真公若八幡神社と夏吉夏吉若八幡神社の祭神五柱(誉田天皇・大鷦鷯天皇・息長足姫命・地主神・輝徳神)のうち、地主神として祀られているのは神夏磯媛である。神夏磯媛は、景行天皇筑紫巡幸の際に、天皇の御使武諸木等に磯津山の榊を執って恭順の意をあらわし、親征の御援助を申しあげた。この磯津山は古説によると香春の鏡山のことである。磯津山が、香春の鏡山⁉︎のち、神功皇后
両児神社岡山県倉敷市松島943御祭神伊邪那岐大神伊邪那美大神天照大神月夜見大神品陀和気尊(第十五代応神天皇)由緒当社の創建は遥か第十四代(約千八百年前)仲哀天皇の皇后神功皇后は、三韓征伐の戦に多勢の水軍を引いて出兵し新羅を討伐、百済高句麗を降服させ凱旋の船路を当宮に寄せ、神に戦勝の奉賽と皇子の安泰を祈念され御太刀朕懐石鏑矢を奉納になられた時に皇后には筑前国譽田の宮にて皇子を誕生に相成り(後の第十五代応神天皇)当宮へお泊りの時、年の暮にて此の地で新年を迎へ御歳二歳になり御社号を
こんばんは!@Ricoです。京都巡礼ねえさんぽ👣城南宮✨の続きです^^(全体像が分からなかったので、一旦手前から順番に参拝しています🙏)東鳥居⛩️から進んでいくと、、、先ずは摂社真幡寸神社✨まはたきじんじゃ城南宮創建前からの起源を持ちます。御祭神真幡寸大神✨応神天皇✨→真幡寸大神って、、、🤔❓と調べてみたら古墳時代に第14代・仲哀天皇の后・神功皇后による三韓征伐の際、船上に立てた旗とともに神功皇后・大国主神(八千戈神(やちほこのかみ)とも)の神霊を祀ったのが起
・・西広島駅の3番のりばから、北西の山を見上げると、そこに神社が見えます。それが旭山神社で、昨18日はあちこちで秋祭りが執り行われていて、己斐の町も秋祭りでした。旭山神社はこれまで何度となく記事にしていますが、己斐の町名の由来は神功皇后へ鯉を献上したことからで。毛利元就が厳島合戦の折に戦勝祈願をして、合戦を制したことによって己斐八幡宮を、旭山神社と命名して。毛利元就が中国統一を果たした後、1589(天正17)年から毛利輝元が広島城を築城を開始し、完成のあかつきには神功皇后の故事に倣っ
浄土真宗本願寺派福岡教区遠賀組法輪山西圓寺(さいえんじ)福岡県遠賀郡岡垣町大字三吉869西円寺と熊鰐の由来日本書紀によりますと、四世紀頃仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐のため九州へお越しになる事を聞いた当時遠賀地方の支配者だった熊鰐は九尋(約十六メートル)の船に鏡、剣、玉を飾って周防の沙麼の浦、現在の山口県防府市までお迎えし、北九州に渡る水先案内を努め、魚や塩をとる区域を献上いたしました。よって熊鰐は、仲哀天皇に対する忠節を認められ岡の県主となりました。往昔の遠賀郡は、現在
ご訪問ありがとうございます。今回は外交が中心の記事になります。8年春2月、身狭村主青ムサノスグリアオと檜隈民使博德ヒノクマノタミノツカイハカトコを呉国に派遣した。呉国というのは、三国時代(魏・呉・蜀)の呉以来、建康(南京)に都を置いた中国の東晋、また南北朝時代(439~589)の宋、斉、梁、陳を指す言葉です。この六国を六朝リクチョウといい、文化が花開いた時代でした。つまりこの記事は「宋」に遣使したということなのです。今まで「日本書紀」には宋に遣使したということはなかったのですが、こ
こちらも2016年の7月過去記事。さわやかな時にいってきた巨石探訪。不思議な伝説がありますが、このあたりイワクラ信仰が点在しています。東根は、さくらんぼの町として有名。※佐藤錦仙台からも車で関山峠を越えれば近いです。今回の舞台は、山形県東根市神町(じんまち)にある若木山公園。「おさなごやま」と読みます。地名が神町というからには、この小山が関係していそうな。。。ある時、マップで大森山公園をみていたら、山頂から見える風景の中に、まるで島に浮かんでいるような
今日は、福岡空港で視聴者さんとランチしました。その時に出た話題なんですが、長崎県の佐世保ですが、『させぼ』か『させほ』どっちの読み方が正しいか?と言うお話。まず、佐世保の地名の由来について、諸説あるようですが、定まった説はありませんが、主な説を下記に紹介します。サセブという木が生い茂っていたことから、訛りが転じて「佐世保」となったもの。(サセブの木は和名シャシャンボといわれる。)⭐️シャシャンボ(ツツジ科)暖帯林に生える高さ2-5mになる常緑低木または小高木。花期は
かっこいい?名前の撃皷神社(げきこじんじゃ)へ参拝へ行きました。と言っても、2月に飯塚市を中心に神社巡りをした際の事なんですが。住宅街を通る道に一の鳥居があります。一の鳥居を入って奥へ続く道をまっすぐ約300mほど行くと二の鳥居があります。二の鳥居の左前に駐車場とは呼べないほどの小さなスペース(排水溝の蓋の上)があり、そこに停めて良いようでした。(裏返ってますが「参拝者駐車場」とのぼり旗が立っている場所)参道途中左側に大きめの駐車場があるのですが、普段は使われていないのか閉鎖さ
みなさんおはようございます~(^_^)大阪はまだ曇り空、そろそろ雨になるみたい住吉大社の角鳥居です、重文指定かな?反橋が無人角鳥居の扁額は伊万里焼かな?唐津焼?でもかなり高価ですよね今回も幸寿門から入ります、寿命が欲しい~船に乗る姿は昔の船、この神功皇后よりは後ですね、第4本宮第3本宮米俵、きっと中は入ってないでしょうね~狛犬さん、横に反り橋がいいね第2本宮第1本宮住吉さんのお守りですどちらも今年のお守りだそうです神館の前に奉納された桜がありますお~いお茶の伊藤
構成:筑前由紀イラスト:YUTARO【解説】漫画は『日本書紀』を元に描いています。【日本書紀の記述現代語訳】仲哀天皇即位8年春1月4日。筑紫に行きました。その時に、岡県主の祖先の熊鰐が天皇の車駕が来ると聞き、あらかじめ五百枝賢木を抜き取って、九尋の船の舳に立てて、上枝には白銅鏡を掛け、中枝には十握剣を掛け、下枝には八尺瓊を掛け、周芳の沙麼之浦(山口県防府市佐波)に迎えに行きました。魚や塩が取れる土地を天皇に献上し、言いました。「穴門から向津野大済まで
はこざきぐう筑前国一ノ宮★筥崎宮こんばんはご訪問ありがとうございます基本情報【鎮座地】福岡県福岡市東区箱崎一丁目22-1【主祭神】応神天皇【配祀神】神功皇后、玉依姫命【社格等】式内社(名神大)、筑前国一宮旧官幣大社、別表神社【創建年】延喜21年(921年)社号標・鳥居珍しい形の鳥居ですね由緒手水舎楼門敵国降伏の額がいいですね拝殿湧出石大楠
今年の(2025年)の4月19日のことですこの日の一社目は、福岡県久留米市北野町の北野天満宮さんでした二社目は、同じ久留米市の福岡県久留米市草野町の須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)三社目は、須佐能袁神社から近い、久留米市草野町の若宮八幡宮若宮八幡宮の参拝を終え、ここから、自宅に帰ることにしました走っていると、、、鳥居が、、、見えた( ̄▽ ̄;)ということで、四社目は、福岡県久留米市田主丸町の石垣神社石垣神社の参拝を済ませて、さぁ、帰るぞーーーーと、自宅
今回はこういうお題でいきます。妖怪談義ですね。土蜘蛛については、大きく解釈が2つに分かれます。一つは妖怪としての土蜘蛛。もうひとつは、古代の大和朝廷が日本各地に勢力を伸ばしていった過程で、それに従わなかった土着民、土豪であるとされます。この場合、女性の土蜘蛛もいました。さて、この記事は妖怪談義ですので、まずは妖怪としての土蜘蛛を見ていきましょう。下図の詞書は、「源頼光土蜘蛛を退治し給ひし事、児女のしる所也」となっていて、石燕が『平家物語』に登場する土蜘蛛を意識して、この絵を書
10月19日の事です。佐賀県唐津市呼子町の龍が飛んでくるゲストハウス「百と十」さんに泊まって、あさイチに呼子八幡神社を参拝しましたそこから、少し東に向かい、パワースポットの「湊立神岩」に行ってみました。そして、母の病院に向かう前に、もう一社、参拝したのが、佐賀県唐津市鏡1827に鎮座します松浦総鎮守鏡神社ここに到着するまで、すごい土砂降りだったんですけど、、、呼子の町を出発してからは、ずっとものすごい雨でした鏡神社に着いて、車から降りたら、少し小降りになってき