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葛飾八幡宮ブログを始めて間もなく「参道に踏み切りのある神社」でご紹介した下総国総鎮守葛飾八幡宮だいぶ御無沙汰のお詣りでしたが、なんとなく気になって再訪問大通りに面した一の鳥居を潜ると随神門までの間に踏み切りがあり、京成電車が通過するのです初参りのときのそうだったけれど改めて斬新さに驚きます(*゜Д゜)もともと天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門でしたが神仏分離によって葛飾八幡宮の
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
武内宿禰に刺客を放った応神天皇武内宿禰に反乱容疑壱岐神社(西区)に祀られた壱岐真根子武内宿禰と中臣烏賊津は義兄弟か?武内宿禰と容姿が似ていた壱岐真根子の謎中臣烏賊津(雷大臣)の二人の息子とその末裔香椎宮の神木「綾杉」の右奥に、第14代仲哀天皇と神功皇后に仕えた重臣「武内宿禰」の像がある。↑腕に抱っこしているのは、神功皇后の子・後の応神天皇である。武内宿禰は仲哀天皇の急死の後、お腹に子を身ごもった神功皇后を助け、朝鮮半島出征を成功させる。帰国後、皇后は宇美八幡宮で皇子を出産
先日瑞穂舞の先生が筥崎宮の宮司様との会食会をセッティングしてくださいました前回は香椎宮の木下権禰宜様の回で今回は第二弾です『初稽古と木下権禰宜のお話会』瑞穂さんからいただいた今年の年賀状。香椎宮奉納時の様子。昨日は瑞穂舞の2024年初稽古でした。今年から新しいメンバーが2名加わりまして新鮮な空気感でのスタ…ameblo.jpところが会食会の日程も出席の連絡も完全に忘れており前日になって舞仲間から「行かないんですか?」と訊かれ慌てて瑞穂さんに申し出ました💦自分でお
福岡市東区の香椎エリアがうっちゃんのホームグランドです。香椎の町に多くの人々が訪れてくれるよう願っています。香椎宮には仲哀天皇・神功皇后・応神天皇の親子が祀られています。語られてきた伝説の中心となる舞台が福岡市東区の香椎です。僕(香椎うっちゃん)は、記紀に登場する神功皇后のモデルとなる女性が実在していたと信じています。多くの伝承と史跡が静かなたたずまいを見せる香椎に住んでいると、皇后の浪漫を感じるのです。何気ない街角、行きかう人々、博多湾の潮風、照葉の近
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、日本の第14代天皇とされる人物です。『日本書紀』や『古事記』などに登場します。↑作:弟【基本情報】・名前足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『日本書紀』、和風諡号足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)-『日本書紀』帯中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)-『古事記』・在位:記紀によれば西暦192年頃~200年。(※年代には諸説あり)・父日本武尊(やまとたけるのみこと)-『日本書紀』倭建命(やまとたけ
9月21日(日)住吉神社の能楽殿で舞を奉納させていただきます私は能舞台で舞わせていただくのが今回初めてになります能舞台といえば松の木が描かれていますがその意味について知らずにいたので調べてみました住吉神社能楽殿能舞台の正面にある板を「鏡板(かがみいた)」と呼びそこに松が大きく描かれています松は一年中緑を保つことから“常緑樹”とされ不変の象徴ともなっています鏡板の松は神様が降り立つ場所とも考えられており演者が舞台に立つことで神と一体となる意味も込め
瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
筑前国続風土記拾遺によると、ここ糸島市浦志の八幡宮の御祭神は誉田別天皇(応神天皇)と、息長帯姫命(神功皇后)だそうです。この地域の方々にずっと大事にされてきたような、清掃行き届いたきれいな佇まい。近くにはすぐ交通量の多い202号線が走っているのに、ぽっかり異空間。大きな石造りの手水舎も立派です。水は出ていなかった。誰もいない境内で、鈴緒を控えめに鳴らす。お賽銭、お辞儀、拍手も控えめにお詣り。入り口は閉じられているので、中の奉納額の絵をガラス越しに見る。奉納額は、地域
美奈宜神社から3分ほど歩いて行った所(福岡県朝倉市片延838辺り)。白鷺塚(しらさぎづか)昔、むかし(約千八百年前)古処の山から見下ろした里には筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。古処山と筑後川を繋げて考えたことなかったけど、下の筑後川の図でいくと「福岡(県)」って文字の辺りが古処山なんだな。福岡地区水道企業団HPよりしかし、古処の山には羽白熊鷲と言う悪者が住んでいました。時どき山を下りてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。神
10月19日の事です。佐賀県唐津市呼子町の龍が飛んでくるゲストハウス「百と十」さんに泊まって、あさイチに呼子八幡神社を参拝しましたそこから、少し東に向かい、パワースポットの「湊立神岩」に行ってみました。そして、母の病院に向かう前に、もう一社、参拝したのが、佐賀県唐津市鏡1827に鎮座します松浦総鎮守鏡神社ここに到着するまで、すごい土砂降りだったんですけど、、、呼子の町を出発してからは、ずっとものすごい雨でした鏡神社に着いて、車から降りたら、少し小降りになってき
みなさんは「百済三書」という名前を耳にされたことがあるでしょうか?『三国史記』(「高句麗本紀」「新羅本紀」「百済本紀」からなる)の「百済本紀」とよく間違いそうになりますが、まったく異なる書物です。百済三書とは、『百済記(くだらき)』『百済新撰(くだらしんせん)』『百済本記(くだらほんき)』という3つの書物を指します。これらは『日本書紀』の神功皇后摂政紀から欽明天皇紀において合計26か所で引用されています。具体的には、『百済記』は神功皇后摂政紀・応神天皇紀・雄略天皇紀で計5か