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八幡宮の総本社豊前一之宮:宇佐神宮大分県宇佐市南宇佐2859前回参拝2020年3月(ブログアップは4月)御祭神一之御殿八幡大神【誉田別命尊(応神天皇)】二之御殿比売大神【多杵津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命】三之御殿神功皇后【息長帯姫命】※本殿内には住吉神社・春日神社・北辰神社・八子神社などの社725年に八幡大神を祀る本殿が創建。神と仏を一体的に信仰する神仏習合文化の発祥地とも言われています。全国に4万社以上あると言われる八幡社の総本宮として、皇室も伊勢
1/5(月)仕事が早く終わったので、いつもの神社なく教えてもらった神社へ行ってきました。やっと初詣でした💦HJさんありがとうございました。またよろしくです。うちから近いとこにあったとは‥鳥居前の駐車場は10台程しか停めれないけど、次から次へとみなさんやって来ます。姫路市にある破磐神社(はばんじんじゃ)さん。兵庫県姫路市西脇に鎮座する、約1800年の長い歴史を持つ由緒正しい神社。田園の中にありながら、その荘厳な佇まいは
武内宿禰(たけうちのすくね)は、古代日本の伝説的な人物であり、日本書紀や古事記などに登場する非常に重要な政治家・忠臣です。彼は神功皇后や応神天皇をはじめ、複数の天皇に仕えた長寿の臣下として知られています。構成:筑前由紀イラスト:YUTARO目次基本情報特徴と伝説実在性子供と子孫LINEスタンプ目次を開く基本情報・時代:古墳時代(3世紀末〜5世紀頃とされる)・仕えた天皇:景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后(摂政)、応神天皇、仁徳天皇・出身氏族:蘇
どうして「東」と書いて「あづま」と読むのだろう?って話をします。「あづま」というのはもともと「田舎」という意味です。田舎風の質素な家屋を「あづまや」といいます。キャンプ場や公園にある、柱と屋根だけで壁のない建物を「あずまや」と通称するのは、こっからきてます。本来は「ド田舎の、吹きっさらしの粗末な家」という、はっきりいえば蔑称です。漢字で「四阿」ですが、「東屋」とも書きます。平安時代、「あづま」といえば現在の関東地方の意味でした。京都の貴族にとって、関東というのはド田舎であり、左遷や流罪
今日は、福岡空港で視聴者さんとランチしました。その時に出た話題なんですが、長崎県の佐世保ですが、『させぼ』か『させほ』どっちの読み方が正しいか?と言うお話。まず、佐世保の地名の由来について、諸説あるようですが、定まった説はありませんが、主な説を下記に紹介します。サセブという木が生い茂っていたことから、訛りが転じて「佐世保」となったもの。(サセブの木は和名シャシャンボといわれる。)⭐️シャシャンボ(ツツジ科)暖帯林に生える高さ2-5mになる常緑低木または小高木。花期は
神功皇后は、日本の天皇家と、朝鮮半島の新羅国の王族の血を引く女性です。父親が、9代開化天皇の子孫。母親が、新羅から来たアメノヒボコの子孫です。神功皇后は、神を降ろして神託を受けることが出来る女性でした。第14代仲哀天皇が即位した翌年、仲哀天皇と結婚しました。近畿にいましたが、九州の熊襲という豪族が反抗的だと聞いて、九州へ向かいます。しかし、福岡県の香椎宮で神降ろしをすると、「熊襲を打つより朝鮮半島へ行くべし」という神託を受けます。仲哀天皇はそれを疑い
神功皇后は、どの海を渡ったのでしょうか。日本海?それとも瀬戸内海?日本書紀には、次のような記述があります。皇后、從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。【現代語訳】皇后は、角鹿から出発して、渟田門に到着し、船の上で食事をしました。この「渟田門(ぬたのと)」、大きく二つの説があります。ひとつは、現在の福井県若狭湾周辺とする日本海側とする説。もうひとつは、広島県三原市付近の瀬戸内海側とする説です。角鹿(敦賀)を発ってすぐなので、若狭湾周辺のこととも考え
武雄神社(たけおじんじゃ)佐賀県武雄市武雄町大字武雄5327御由緒武雄神社は、『武雄神社本紀』によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途に当地・武雄へ兵船を停泊させたところ、その船が御船山へ姿を変えたという伝承を有する、由緒深い神社です。この折、随行していた住吉大神および武内宿禰命が御船山南嶽、すなわち船の艫に鎮座されたことに始まるとされます。『武雄市のシンボル!神功皇后が船を繋いだ御船山【7/13バスハイク】』車窓から、個性的な山が見えた。山を見分けるのが苦手だけど、これは覚
瀬織津姫を祀る西宮の廣田神社金澤成保西宮市中心部から見て北方にある神体山・甲山の麓には、廣田神社が鎮座している。阪神タイガースが、必勝祈願をする神社としても知られる。境内地は移されているが、甲山の山麓にあることは変わらず、兵庫県ではもっとも古い神社の一つ。京から見て西方の神社ということで「西宮」と称され、西宮の地名の元になった。今では「西宮」といえば「エビス神」の総本社を指すが、もともとは廣田神社の摂社「浜南宮」で、それが全国的に栄えたお宮である。廣田神社の起原と西宮の湊廣田
丸山古墳佐賀県武雄市朝日町大字中野10609−2付近淀姫神社の周辺を紹介する地図を見付けました。丸山古墳淀姫神社の東南方にあり、自然地形を利用した小円墳で現在は上部まで畑として耕作されている。頂上には数個の自然石が置いてある。伝説では神功皇后の妹君、淀姫の墓であると伝えている。神功皇后の妹、淀姫の墓だって!周りをぐるっと回ってみましたが、正直何も分かりません!でも、淀姫の墓かも知れないと思うと、ロマンを感じます🪦
こんにちは✨関西に旅行に来ております🤣車で兵庫県西宮市を通ったときに、以前から参拝したかった六甲山の守護神、廣田神社を参りました⛩️茅の輪がありましたー❗️嬉しいですね✨✨さて、この廣田神社は、かの有名な西宮神社の本宮でして、西宮神社はもともとはこちらの廣田神社の末社だったのです😅西宮とは、近畿から見て、アマテラスの荒魂(あらみたま)を祀る西の宮、という意味で、廣田神社を指すのです。この廣田神社は、もともと六甲山の麓にあったのです😅六甲山とは、ろっこうさんではなく、六甲(ムコ
仲哀天皇は牛窓で亡くなったなどという驚きの話があり、そしてその墓があるということで、行ってみました。牛窓天神山古墳岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓以下、岡山博物図鑑「牛窓町のはなし」より全長85mの前方後円墳で、4世紀末の築造と言われ、前方部前面は牛窓天神の境内となっています。地元では、この古墳は仲哀天皇のお墓とも言われています。(中略)仲哀天皇のお墓がどうしてここにあるかというと、牛窓には記紀と異なる言い伝えがあって、それによると仲哀天皇はこの地でお亡くなりになられたの
京都の藤森神社(ふじのもりじんじゃ)を参拝した。当神社は、神功皇后によって約1800年前に創建された古社で、平安京の南方を守護している。また、当神社は古くより勝運の神として信仰が篤く、馬の守護神としても広く崇敬されている。京都市伏見区深草鳥居崎町609南参道入口拝殿本殿本殿霊験天満宮、大将軍社七宮社祖霊社、八幡宮社本殿旗塚不二の水藤森稲荷社神馬像絵馬舎藤森神社の御朱印
今年の(2025年)の4月19日のことですこの日の一社目は、福岡県久留米市北野町の北野天満宮さんでした二社目は、同じ久留米市の福岡県久留米市草野町の須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)三社目は、須佐能袁神社から近い、久留米市草野町の若宮八幡宮若宮八幡宮の参拝を終え、ここから、自宅に帰ることにしました走っていると、、、鳥居が、、、見えた( ̄▽ ̄;)ということで、四社目は、福岡県久留米市田主丸町の石垣神社石垣神社の参拝を済ませて、さぁ、帰るぞーーーーと、自宅
飛幡八幡宮(とびはたはちまんぐう)福岡県北九州市戸畑区浅生2-2-2鳥居の扁額に「名古屋神社」の文字。この辺りは『日本書紀』の仲哀天皇の章に出る「名護屋大済為西門」の、「名護屋」だという。「名護屋」は地名だとして、「大済(おおわたり)」は何?湾のことを指すみたいよ。由緒には仲哀天皇や神功皇后について書かれてはいない。しかし、岩の説明に記載がある!千曳ノ岩(ちえいのいわ)日本書紀(仲哀天皇紀)筑前風土記・福岡県地理全誌筑前名所書・古老傳記日本書紀
まいど❗️って事で本日2回目の更新……。阪神御影駅近くにある飯屋《なかよし》で昼メシ食った後……少し歩いて《阪神御影駅》まできてみました。いつの間にかメチャメチャ綺麗になってました。この御影駅北側には地下からコンコンと湧き続ける霊泉がありましてね。本当に物凄い量の地下水が湧き続けております。御影(みかげ)の名前の由来になった《霊泉沢の井》……。色々書いてありました。で、この《沢の井》、実はコチラはいわゆるオブジェ的な扱いの場所?でしてね。本当の【沢の井】は御影駅から少し西に行
昨晩から久しぶりにちゃんとした雨最近見たニュースではどこかのダムでは貯水量が減っていてヤバいって言ってたから良かったね~と思いつつも寒い雨はやっぱり濡れたくないから仕事の帰りは傘が無くてダッシュでタクシー拾おうと思ったら考えてる事は皆さん同じようで並んでる!!年末でも並ばんかったのに・・。でGO呼んだら🚘急にタクシーが増えてきたタイミング悪しだったこんばんわ味醂です{昼頃には雨も止んだよ~!さて、割り込み投稿ありましたが和歌山市加太の記事に戻ります
長い旅から帰ってまいりました。名古屋にいる長女家族のところに行っておりました。昨年末に3歳になった孫の幼稚園入園をお祝いするということで。それと同時に、昨年事情によりできなかった七五三もやろうと。かなり遅れての七五三は、名古屋の「別小江(わけおえ)神社」へ。小さな神社ですが、とてもたくさんの方々が来られてました。神功皇后が祀られているということで、いろんなご利益があるそうです。長女たちはプロのカメラマンを雇ってました。なかなかいいカメラマン。撮影は、お祓いの儀式も含めて2時間に
今年(2025年)の5月8日のことですこの日は、佐賀県への旅でした。佐賀に行くのに、福岡県福岡市経由で向かいました。福岡市都市高速に乗って、福岡市早良区(さわらく)から、国道263号線を走ります。この日の一社目は、福岡県福岡市早良区(さわらく)曲淵(まがりぶち)の山神社でしたそこから、国道263号線のループ橋を登って南下し、三瀬トンネルを通りましたトンネルを通って、佐賀県に入り、間もなく右折して佐賀県道299号線(三瀬栗波線)に入ります。二社目の神社は、佐賀県道
NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された、篠栗四国霊場85番札所祖聖大寺坊守(そしょうだいじぼうもり)真誠です。今日は、ティッシュを片手にウルウル運転しながら大分八幡宮へ嬉しい一日でした(^^)【公式】大分八幡宮:由緒と歴史神亀3年(726)の創建と伝えられる大分八幡宮は、神功皇后の所縁の地で、筥崎宮の元宮とされています。御祭神は応神天皇(八幡大神)、神功皇后、玉依姫命です。daibu-hachiman.com帰宅すると素敵なメッセージカードおわりなきゆめへの道できた分だけ
第1848話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーです(←祇の字は、祇園の祇です。左側は示ですがパソコンや機種によってはネで表示されるようです)プロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきま
【神功皇后/全国各地に祀られる八幡神を産んだ皇后】朝鮮半島の三国を平定した「三韓征伐(さんかんせいばつ)」を成し遂げるなど、勇ましい伝承を数多く残している第14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后「神功皇后(じんぐうこうごう)」。神功皇后は邪馬台国の女王卑弥呼(ヒミコ)とも同一視されるなど、活躍した年代には諸説ありますが、3~4世紀頃に崩御した仲哀天皇に代わり治世されたといわれています。神功皇后は瞬く間に朝鮮半島を平定するなど、類まれな武勇伝を多く持ち、日本最強の女傑とも云われて