ブログ記事1,260件
硝子体手術で目の中に入れた医療ガス目の中はまるで水中メガネで水の中を見ているかのように、ゆらゆらと揺れ動いています。例えるなら黒のミラーボールのようです。こんな感じです。私の手書きです。下手ですみません😣💦2024.3/13~3/17(入院中含む)入院中は充填したガスのせいで黒のミラーボールみたいな球体が前をふさいで全く見えません。光はキラキラとしてわかります。2024.3.18(手術して5日目)退院して初めての診察。まだ目も開きづらい。ガス60%は残っている。ガスで引き
きょうはまた真冬に戻ったような寒さ。晴れてはいても北風が強く空気も乾燥していました。コロナの感染者、東京は500人を下回る日が続いていますが、減少の仕方は鈍くなっていて、きょうなんかは前日よりも増えていますよね。街なかをみてもまたミッドタウンやアトレ、ヒルズなどのぞいて見ても人の流れは意外と多いんですよね。またそういったなかのレストランもお昼時は人がいっぱい!こんなんで、コロナ新規感染者200人くらいまで、あたりまえに減っていくんでしょうかね?ところでき
あーちゃん・はーちゃんの2人とも月齢が大きくなってから、片目だけ急激に未熟児網膜症が進行し、網膜剥離になりました。かなり珍しいケースのため、遺伝性の目の疾患も疑われており、私たち両親を含め、遺伝子検査をしていますが、まだ結果は出ていません(結果が出たところで、治療方針は変わらないようです)。私も自分なりにたくさん調べましたが、あーちゃん・はーちゃんのように45週を超えてから、大丈夫だった未熟児網膜症が急激に進行し、網膜剥離になった体験談を見つけることができませんでした。今後の誰かの参考にな
(続くと言ってから一ヶ月近く経過している…)さて。前を向いていいとお許しが出て喜んだのも束の間、まだまだ試練は続きます。上向いちゃだめって、どういうこと?「ガスが完全に消えるまでは上を向くのはだめです」そうか。そうだよね。せっかく押さえてた眼底に軽いガスがいっちゃったら、頑張った意味がない。気を取り直して、とにかくは前を向いて帰路につきます。あぁ風景が見えるっていいなぁ。おひさま、いいなぁ。風が気持ちいいなぁ。(もちろん、助手席です。後述しますが自分で運転する
今回は同意書に書いてある病名は裂孔原性網膜剥離手術名は硝子体手術でした。あれ?診察では穴が確認できないって言われてたけど…ちなみにこれは同意書に書かれていた内容で、同意書は外来に行った時にもらってるので外来の診察の時に付いた病名と手術名でした。後から気付いた事だけど…あれれ…?いよいよ手術です。前回と同じ流れ。大丈夫!私は2回目だからどんなことをするか知ってる。この前も大丈夫だったんだから今回も大丈夫と、自分に言い聞かせていました手術室に入ると教授とD先生、E先生がいるの
いよいよ後半戦…硝子体手術(網膜剥離)の手術になる私が手術の中で一番怖いと思っていた救後麻酔(局所麻酔)が今から始まる。T先生が言う「今から目を強く圧迫するような感じがしますからね」来たか、これか!!左目の端、目尻を何かで強く引っぱるようなそして目をじんわり「押す」のような圧が2度あったような気がします。時間にして10秒?ぐらいでしょうか。先に白内障手術で点眼麻酔をしていたせいか救後麻酔はびっくりするような痛みではなかったです。予想より痛くなかったです麻酔が終わると白目の部分に
今回から数回にかけて、1回目の退院から再発再入院までを振り返ります。〇ガスが抜けた!網膜を内側から押さえるためのガスは、約2週間で抜けていきます。1週間程度経過すると「減ってきたな~」というのが実感できます。正面を向くと、水中めがね越しに水中と水面の境目を見ているような感じです。日々、この水位が下がっていきます。リアルに表現すると、「逆さまの水位が上に下がっていく」になります。※追記2023.6.17ガスの水位の件、一年以上前のこと&その後に長期にわたりシリコン
麻美です〜〜💕フォロワーの皆さまいいね!やコメントを下さる皆さまお立ち寄り下さる皆さまいつも大変ありがとうございます〜〜☺️💕2023年も読者の皆さまに楽しんでいただけるような、そして何かのお役に立てるような内容を折り混ぜながら“麻美ワールド”をお送りして参りたいと思いますので、よろしくお願いいたします〜☺️✨✨✨ブログの更新がかなり開いてしまいました〜😓😓😓昨年の冬至の日以来お友達とはお出かけをして無くて、今年の前半はイザと言う時の災害対策のお話しと、麻美的な視点のいつものブラン
平成ももうすぐ終わりですね。…などと思うのは、半世紀以上の人生の中で起こったいろいろなことのうち比較的大きなことがらが全部平成だったなぁ、などと思っているからですが。結婚とか離婚とか転職とか身内を亡くすとか、そして今回の手術とか。(あと嵐ファンの立場としては休止の発表があったこととか)ということで、手術後約半年が経過しようとしています。改めてブログを読み返し、用語等間違いがあった箇所を直したり最初の記事にリンクを貼ったりしてみました。(シャワーキャップじゃなくてシャンプーハット
随分と久しぶりにPCを立ち上げました。2018年11月に手術を受けてから5年余りの近況など覚え書き程度に残しておきます。あれから(5年前って随分と昔のことを今更…)、眼内レンズを入れた左目にもコンタクトを使うようになりました。両目にコンタクトを入れた状態での視差はだいぶ軽減されました。しかしながら、PCやスマホや紙媒体の文字を読む際には老眼鏡が、車の運転時には近眼用の眼鏡が必要となり、外出時には両方の眼鏡を携えているのでやや面倒ではあります。2024年1月の大きな災害のあと、ネ
とりあえず手術は無事に終了したので帰宅しました。鈍いのか痛みに強いのか(そんなはずはない経験上)、眼の痛みはほぼ無かったので普通に食事をして着替え。今日は点眼もしないので(眼帯は明日の診察まで外さない)、顔の右半分だけ蒸しタオルで拭いたら、もうやることが無い。テレビの音は聞こえるけど、やっぱり画が見えないとつまらないなぁ。余談ですが、NHKニュースを聞いていて思ったのだけれど、アナウンサーの声はプロなので聞き取りやすいし理解も出来ますが、外国人が話している言葉は、字幕でしかサポートされ
きょうは東京は1週間ぶりの雨そう、一週間前私が退院してきた水曜日も雨だったっけね。でもきょうは先週よりも寒い!ところで私は軽い近眼だった。0.1とか0.2とかそのくらいのものだった。長い間ずっとコンタクトレンズをつかっていて50歳になるまえの2010年1月から、メニコンのメルスプランを使って遠近両用のコンタクトレンズにしたのだった。ただ私はハードコンタクトレンズを長い時間使用するのがつらくて家では眼鏡か、裸眼で過ごしていた。とくにパソコンに向かうときにはいつも裸眼。
昨日はF大学病院の診察でした。元々視野検査の予定だったので、眼圧測って視力検査の後、視野検査をしました。眼圧は右が15、左が19でした。1月にDクリニックに受診しましたが、その時このくらいの眼圧でした。このくらいで安定してきたようです。検査が終わってしばらく待って診察室に呼ばれました。右眼が時々痛むので伝えましたが問題ないようでした。視野検査の結果は前回から大きく変わらないと。そして先生から、次回は半年後にまた視野検査もしましょう、と。そして、そこで問題が無ければ一旦大学病院は
きょうは寒いです。寒波襲来。ようやくGoToキャンペーンも停止になったということですが、それだけで人の流れが止まるとは思えず、年末年始にかけての新型コロナの感染者の推移に怯えてしまいます。私は昨日からちょっとだけ心がドヨンとしています。両親から相続したマンションについて、空き家になっているのだったら売らないかというお手紙が不動産屋から来たのです。父が亡くなって3年と4ヶ月。まだまだ両親がいないことの現実から眼をそむけています。逃げているのです。両親の住まいだったマンションをそのまま
きょうは午前中は晴れでしたが午後からは曇りがちの天気になりました。私はきょうは銀行やら買い物やら用事を済ませてきました。ところで昨日の続きです。コンタクトレンズの交換のために行った視力検査に愕然として自分で原因を探るべく、ネット検索。その結果、アムスラーチャートの見え方に異常があるとわかって、私はもう、これはとりあえずもう一度眼科にいって診て貰う必要がある、と思いました。2020年2月27日、2ヶ月前に私の視力障害を、ドライアイと診断した眼科クリニックを再
なんだか寒くなってきました。来週は最低気温も0度くらいの日が続き、最高気温も10度くらいとか言っていますね。寒さでどんどんコロナ感染者も増えるのでしょうか。自分では絶対にかかりたくないと思っていますが、家族と生活している以上、家族の誰かが持ってくる可能性は否定できません。家族全員家にこもっていて欲しいなんて思いますが、実際上は仕事があって無理ですよね。昨日からの続きです。すみませんがまだまだ続きます。2020年2月、黄斑前膜の診断をしてくれた眼科クリニック医師に、わたし
きょうは12月12日。12日は父の月命日なんです。あと8日で母の祥月命日でもあるし、なんとなく心がざわつく日々です。それに日付がかわれば、交流のあるブロ姉さんのお父様の御命日でもあります。コロナ禍のなかでは、なおさら身近な人の死への憂いも、大きくなるような気もします。私がかかっていた眼科医。きちんとした紹介状を書いてくれなくて、名刺に宛名などをメモ書きしたものをわたしてきて、それで大丈夫だと主張するので、仕方なく私はそれをもって大きな病院に行くことにしました。
●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●今日は、「定期:受診」の為→「内科」に、行って来た(¯―¯٥)。●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●■内科:今回は・・・→「定期受診日」です。●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●前回同様、糖尿病に関しての経過観察です。HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)の変動が気になりますが、結果は・・・いつも通りでした(¯―¯٥)。●∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞~∞●●
いよいよ、手術のことを書こうと思います。【ご注意】痛みとか感覚、何が平気で何が苦手か、は、人により違いがあります。以下の内容はあくまで私個人の感覚となりますのでご理解のうえお読みいただけたら嬉しいです。※痛みや描写に弱い方向け・ざっくりとした感想※・所要時間は事前処置から終了まででだいたい3時間、手術自体は恐らく1時間程度でした。・麻酔注射は、あくまで個人の感想としては想像して(そしてびびって)いたより遥かに痛くなかったです。ずぅ~ん…あれ?終
とにもかくにも、手術が決まったからには準備をしなくては。一番の心配事はやはり「うつ伏せ維持」のこと。病院からは専用枕&胸当てパッドを貸していただけることになっているのだが、終日寝ているわけではないので、やはり予備の枕を用意しておいたほうがいいのではないだろうか。(看護師さんからも、終日のうつ伏せ寝は腰がかなりキツいので、昼間は座位をお勧めされていた)まずはネットで探してみる。おお、出てくる出てくる。が、う~~ん、高いなぁ。枕だけでも5000円ぐらいするし、胸パッド付きとなると一万円超え
皆様メリークリスマスです。私は今週から、スポーツジムと介護職に復帰しました。もっとも軽い運動しかしてはいけない身なので、大好きなマシーントレーニングはすることができず、ストレッチとかヨガとかが中心だし、介護職の仕事も見守りや軽介助の仕事に制限してもらうことにしました。でも家でじっとしていると鬱々としてしまうので、ジムや介護のパートに行くのは、私の心には良いことだと思っています。ところで。11月18日私は黄斑前膜の手術をしました。『黄斑前膜入院備忘録1』東京は朝
昨日今日と寒い日が続いています。新型コロナ患者も東京でとうとう800人をこえてしまいました。いつ罹患してもおかしくないですよね。新型コロナは重症の人と軽症者や無症状のひととの差がありすぎて不安です。軽症であっても後遺症がひどい人もいるし、味覚嗅覚の異常というのも、嫌です。私は母の命日が近いこともあるのか、気持ちはまた下降線です。人生の抱えている懸案事項も、心の底に封じ込めていればいいのですが、表面にでてくると、その事ばかり考え始めて気持ちは落ち込みます。そう、私のかかえているもの
きょうは晴れ硝子体&白内障手術後の静養中の私は、夫に車を出してもらいスーパーに買い出しにいっただけで、あとはおうちでのんびり。1日4回3種類の目薬が大事なおつとめ。眼内炎なんかになったら失明の恐れがあるからこわいもの。ほんとに自分がこんなふうに眼科疾患で手術なんて考えもしなかったのにね。1年前はね。昨年12月20日、眼科クリニックを受診。散瞳して眼底の写真をとりそれをみながらドクターは言いました。異常はないと。私は何度も確認しました。「緑内障とか
ということで。まずは、手術に至るまでの眼に関する経緯を。病名、症状に関して公的なリンク先がみつかりませんでしたので、詳細を調べたい方はご自身で検索等をおかけください。多くの眼科医さんのHPなどで詳しく紹介されています。小2で初めての眼鏡。社会人になって初めてのコンタクトレンズ。(この時既に度数は左10.5、右12.0でした)年季の入った強度近視のため、コンタクトレンズの処方箋をもらうという理由で三ヶ月に1回、地域の眼科に通院。20代後半で初めての網膜裂孔→レーザ
今日も東京は曇り。新型コロナの感染者は東京はとうとう602人ですって!どうなるのでしょう・・・こわいです・・・やはり寒くなってきたことと関係があるのでしょうか。昨日の続きです。私が、最初に黄斑前膜の診断をうけたクリニックの医師は、黄斑前膜の手術についてかなり否定的な考えをもっていました。もともと亡き父が黄斑前膜にかかっていて、ずっとJ医大病院に受診するのに付き添ってきた私も、視力がずっと低下してからでないと手術はすべきではないと聞いてきました。だから、その考えに一度
術後13日目から杖をついてリハビリに通っている行きは娘の車で送ってもらうが、帰りはタクシーで帰ってきている途中、札幌駅付近のヨドバシカメラや大丸デパートに立ち寄って買い物したりすることもあったなんだかみんな、、、店員さんや、タクシーの運転手さんが優しい優しい!杖をついて歩いたことは以前にもあった4年前、網膜剥離で硝子体手術をし2週間入院した身体も内臓も全然元気だったがトイレ以外はベットから降りないでと絶対安静を言い渡され入院期間中、一日中昼も夜もずっとうつ伏せ寝を
小田和正の音楽聴きながら先生は手術するんだーそんな事思いながら手術はどんどん進んでいく意識ははっきりしているけど痛くはないただ目の奥の方で何かが動いているようなそんな感覚があったと思う時々目の中で水が溢れるようなそんな不思議な感覚…1時間位経ったんだろうか『はい、終わりましたよ』『おつかれさん』と先生の声がして『ありがとうございました』それを言うのが精一杯で酷く緊張していたから終わってドッと疲れた会計して隣の薬局で沢山の目薬を貰い、Giと長女と帰宅した
ここから、今年(2023年)1月に手術した「黄斑円孔」について書きます。昨年9月頃から左眼の視力が急激に落ちて、黄斑前膜がひどくなったのかなと思い、臨時で眼科を受診しました。が、その時は前回(約1年前)の定期検査の時の画像とさほど変化が無いとのことでした。それにしても、運転も読譜もパソコン操作も不便なほどで、困り果てていました。ひたすら定期検査の予約してある12月を待ち、やっと主治医に診てもらうことができました。いつもの検査をひととおり終えて診察室に入ると、先生が、「大変、網膜に孔
きょうも寒い一日でした。きょうは私、硝子体&白内障の手術後2週間、退院して1週間後の診察に行ってまいりました。実は先週水曜日退院したものの、金曜日くらいから飛蚊症がひどくなり、視界をいろいろなものが舞うようになり不安になって、今週月曜日に臨時に一度病院を受診した私。その時検査してもらい特に異常はなく、むしろ視力も1.0まで回復してきていたし、眼の中も問題はおきていないような話でした。そうしてきょう、退院時決められた再診日。視力検査をしたら不安と喜びが
クリスマスも終わり今年もあと3日ほどになりました。新型コロナ感染者は毎日、その曜日の最高値を更新していて、恐ろしさが募ってきます。国会議員も感染して亡くなるくらいなのだから、国はもっと真剣に対策に取り組んでくれたらいいのに、と思います。経済活動を抑えることによるリスクを考えて、手も足も出なくなっているとしか思えません。強力なリーダーシップが、ないんですものね。さて自分のための備忘録の続きです。自分のためだけでなく、同じ病気にかかる誰かの参考にもなるといいと思って書いています。1