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札幌市の観光ボランティア大通公園担当3回目本日も早退し、いそいそと大通公園観光案内所へ今回ご一緒するのは81歳にして昨年北海道観光マスターに合格したHさんそして、かつて英語の教師をしており通訳ガイドの資格を持っている86歳のKさん人生のそしてボランティアの大先輩観光客も増えてきた事だしどんな人逹と出会えるのか楽しみ~東京2020五輪プレートふと気づくとKさんがいない・・と思っていたら外からひょっこり現れた
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」これは、石川啄木の書いた歌である。今から100年以上も前に詠んだ歌ではあるが、これは今の私達の姿ではないでしょうか?会社に勤めていれば、勝手に引かれている年金や健康保険料がある。市民税や都民税もあります。物を買えば、消費税も掛かります。多額の金額を取られている割には、メリットがあまり感じられません。「老後」も、年金だけでは生活ができなくなりつつあります。しかし、日本に
おはようございます朝起きた2時50分の気温が9.5度でしたきょうの予想最高気温は13度昨日より2度ほど低い数字ですきょうの函館新聞の見出し函館で桜満開過去2番目タイの早さ風が気になるところですな強風注意報が出ている昼から散歩は五稜郭公園の予定ですはてさてどうなることやらでおぢさんチャリンコぎこぎこ啄木小公園それはもう風が強くて強くて強くて強くて3時53分頃パシャリとなバカメラ遊び…それでも風に抵抗三脚縮めてISO感度上げて露出補正マイ
YouTube石川啄木と宮沢賢治休憩室母への愛憎YouTubeヒオキワールドちゃんねるの「日本近代文学特別講義」です。国語の教科書に載っている有名な作品や作家を論じていきます。今日は石川啄木と宮沢賢治の関係についてお話します。「石川啄木と宮沢賢治休憩室」として、公開しました。石川啄木の短歌は、よく教科書に載っていますね。たはむれに母を背負ひてそのあまり軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまずこんな3行書きの短歌が有名です。啄木がお母さん思
【兼題】啄木忌啄木忌(たくぼくき)晩春【解説】石川啄木の忌日で、四月十三日である。岩手県に明治十九年に生まれる。最初「明星」派の詩人として登場したが、やがて小説家を目指して職や住居を転々とした。明治四十三年に「一握の砂」を出した。明治四十五年、二十六歳で没した。啄木忌『惜別の歌』目に涙詠まれました。久し振りです。でも、なかなか水曜日以後にいかないです。ラジコのアプリダウンロードしている方、今日の3:30くらいから聞いてください。
ただしスケルトンリフォームが必要です!どうも訳あり不動産の佐藤です!昨日OPENHOUSEグループのノンバンクが営業に来たんですが・・・買取再販用の1年の期間限定の融資なんですね。使えるかなって思ったんですが・・・話を聞いていたら再建築不可は融資不可だって💦何しに来たんだって感じ(笑)しかも2000万円未満の融資はしていないとのこと💦弊社はまともな物件は取り扱っておりませんのでお役には立てそうにありませんね(笑)さて、本日のご紹介物件は・・・先日アップさせて
盛岡セミナーのあとは釜石へ。翌日、釜石の東山堂さまのお招きで「もっと知りたい!ピアノ教本〜歴史と特徴」のセミナーをして参りました。会場は津波で更地になっていた場所を復興で再建した建物が立ち並ぶエリアでにある釜石市民ホール。広々とした場所にプロジェクターも大きく映し。ピアノは新しいヤマハCF6。楽譜も大量にご用意いただき、普段なかなか見ない導入教本をたくさん手に取っていただきました。地元の釜石だけでなく大船渡など近くの街から先生方にお集まりいただきました。「導入期の教材選びはいつも頭を悩
幸せを感じるためのアレコレが書かれています是非こちらの記事を参考になさってください今朝のメッセージ無・邪気のススメ守護霊からのメッセージ運を呼ぶ愛される魔法幸せは邪気のない人に訪れます「無・邪気」ですあなたなりの幸せに辿り着きましょうゆっくりでいいですよ焦らなくていいですよランキングに参加していますぽちってくださるととても嬉しいです人気ブログランキングこちらにもお願い致しますにほんブログ村人の幸せそうな話を聞いて、素直になれな
実は一度も行ったことが無かったんです。立待岬。先週天気が良かったんで、散歩がてら行ってきました。市電・谷地頭駅から徒歩圏内ってことなんで・・・・と、遠いぞ。坂なんで通常の100mより3倍は遠い気がする。歩い歩いて・・・石川啄木一族の墓を通過し、到着!だいたい歩いて20分くらいですかね。海は天気がいい日に限りますな。ベンチに座ってしばらく眺めていました。帰り谷地頭駅着いたらちょうど電車が出てしまった…。待
薄幸の詩人・歌人石川啄木(1886~1912)の歌碑は宮城県内に3基あります。(石川啄木)石巻市の日和山公園(石巻市)にあるのは「砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋」の歌碑です。これは1902年(明治35)5月に中学5年生だった啄木が修学旅行で石巻市長浜を訪れた際に詠んだ短歌です。すでに4年生の時から文芸活動を始めていた彼が創作活動を楽しみ始めた頃の作品です。(石巻市日和山公園の啄木歌碑)牡鹿半島の石巻市荻浜の羽山姫神社参道脇にある歌碑は「港町とろろと
短歌というと、俵万智の、<「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日>のような爽やかな、そして少し甘いイメージのもの、あるいは、百人一首に出てくるような、恋や情景を歌ったようなものだと思っていた。一方で、悲しみや、恐れを抱くものとして、寺山修司の<マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや>に代表されるものや、斎藤茂吉の喉紅きつばくらめ〜といったものをイメージしていた。石川啄木に至っては、故郷の訛なつかし停車場の〜といった東北人らしい情景を描く詩人だと思っ
昨日の昼のブログで問題を出した岩手県の偉人クッキーの答え合わせです。第1問武将ですこれは簡単でしたね。答えは、「源義経」でした。第2問孫がクイズ番組に出ていますこれは難しかったと思います。私も分かりませんでした。ちなみにお孫さんは金田一秀穂さん。よくクイズ番組に出ていますよね。この方の父親が金田一春彦さん、そして祖父が「金田一京助」でした。第3問岩手県出身の詩人です髪型に特徴があります。岩手県出身の詩人と言えば、「石川啄木」でした。第4問お札になっていますこれも難
(萩原朔太郎<明治19年=1886年生~昭和17年=1942年没>)日本の現代詩で口語自由詩を始めた詩人として浮かんでくる詩人の第一人者は萩原朔太郎(明治19年=1886年生~昭和17年=1942年没)でしょう。「殺人事件」は第1詩集『月に吠える』(大正6年=1917年刊)のうちでも口語自由詩に着手した初期の1編ですが、すでに独自の発想とスタイルを持つ見事な作品です。殺人事件萩原朔太郎とほい空でぴすとるが鳴る。またぴすとるが鳴る。ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、こひびとの窓からし
石川啄木を覚えている?確か、あの歌ですね。働けど働けどなおわが暮らし楽にならざりじっと手をみる『一握の砂』確か、高校の教科書にありましたか?石川啄木は、お寺に生まれて〜そのあとは覚えていません(>_<)賢治さんを学んでいると気づいたのです。啄木さんは岩手県出身なんでした。啄木さんは賢治さんの10年先輩になるわけ
人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。石川啄木歌集「悲しき玩具」よりインフォデミック、同調圧力、それに対する無力感・・・このコロナ禍中にこの啄木の歌をよく思い出します。これ以上共感できる歌はない。。。石川啄木1886年(明治19年)-1912年(明治45年)は夭逝した明治後期のあまりにも有名な歌人・文筆家。はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見るふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく友
愛媛新聞の月々の購読料が400円値上がりする、確か数年前にも値上がりしている、材料費などが上がったのでその代償は購読者に転嫁するとは、単純な発想だな~公共性を持つ事業者が自社の利益のため、高齢の購読者、毎日を楽しみにしている購読者に一方的に通知した。我が家では物心ついたごろには食卓に新聞があった、子供心にマンガを読んだ記憶がある。スマホやパソコンなどネットから情報は入手できるが、目で文字を追う楽しみは、新聞紙の構成上からも新聞には新聞の楽しみがある、文章を読むと言う楽しみもあるし、活字離れ
まず、本日できた私の次の短歌を紹介します。高三の夏の終わりに風が吹き消えてしまった十七の朝私は高三の夏の終わり頃に、精神の病にかかってしまい、高校を休まなければならなかったことがありました。卒業はなんとかギリギリできたものの、このとき感じた悔しさは、何にも例えようがありません。そんな精神の病が私を襲った夏の終わり頃、私はまだ誕生日が来ていなかったので、十七歳でした。華の十七歳のまま十七歳を終わりたかったのに、苦しい十七歳で十七歳を終えてしまったこと。十七歳は、本来人生の始まりのはず、
今日はね!石川啄木公園暖かくて良かったからの〜実家の近くの漁港でした北の〜漁場はよ〜男の〜仕事場さ〜(笑)