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苦手に挑戦シリーズ:詩今回は、石川啄木です。そう言えば同じ岩手出身。それも割と近い花巻市。彼の詩の中から厳選されたものが、翻訳された詩の説明がついた本でした。この本のタイトルStrongintherainは雨にも負けず啄木紹介を読んで、知っているようで全然彼の事を知りませんでした。ちょっとユニークな人だったみたいですね。銀河鉄道カンパネラ注文の多い料理店など懐かしい響きが。詩の説明文を読んで理解できるものと、読んでも難しいもの。やはり奥深い。
こまつ座の舞台(井上ひさし氏関連作品のみ上演する制作集団)に生徒さんが出演されているので観劇へ。最近観る作品はパンチのある脚本が多めだったので、久しぶりの正統派?のお芝居。『泣き虫なまいき石川啄木』作井上ひさし演出鵜山仁井上ひさしさんの創造も入っているのか、そのままなのか、今度ゆっくり伺ってみたいと思いましたそれにしても、、横を向いても後ろを向いても寝転がっても安定した生徒さんの声は嬉しすぎ発声が安定すると表現も豊かになるので、声だけでなく
浄土真宗本願寺派真如山本行寺の御朱印(北海道釧路市弥生2丁目11−22)偶然公式サイトで見かけて行ってきました寺務所で拝受しましたお寺関係者の方が気さくで館内自由に観れました本堂・旧納骨堂有形文化財登録記念「文豪とアルケミスト」タイアップ企画「本行寺啄木資料館特別展」2025年8月1日(金)~12月29日(月)■開館時間:午前9時~午後4時30分■入館料:無料■会場:浄土真宗本願寺派真如山本行寺【特別記念】・文豪とアルケミスト石川啄木オリジナルスタンプ入りの御
☆2025年12月12日(金)マチネ紀伊國屋サザンシアター「頭痛肩こり樋口一葉」など、井上作品の評伝なので、見てみたくて行ってきました。キャストは石川一=啄木(西川大貴)・石川節子(北川理恵)・石川一偵=啄木の父(山西惇)・石川カツ=啄木の母(那須佐代子)・石川光子=啄木の姉(深沢)樹)・金田一京助(眞島秀和)。節子が亡き啄木の日記を読み始めるところから劇は始まり、啄木の晩年2年間の出来事が再現されていきます。仕事が長続きしない啄木、両親は別居し、母(姑)は同居
2025年10月18日(土)田沢湖観光を終えて盛岡へ戻った。盛岡駅へ戻った直後に、駅を出発する時に見つけて気になっていた珈琲ソフトクリームを買って食した。外は、午後から降り出した雨が変わらず本降りのままでいる。思えば、昨年3月の徳島遠征でも、11月の福岡遠征でも、どこかで雨に降られた。僅か4日間の遠征だけに傘不要の旅を望みたいが、3度とも望み通りにはならなかった。まだ時間も早いので、雨さえ降らなければ盛岡観光もできただけに、雨に流されたのは残念だった。盛岡は、2023年に米紙ニューヨ
片付けても片付けても、我が暮らし、スッキリとせず、じっと手を見る。思わず、石川啄木の名句になぞらえてしまう日々です。原因は明白。私のものぐささもさることながら、高校生の長女の「推し活グッズ」が、ここ最近、爆発的に増えたこと。さらに追い打ちをかけるように、「部屋の世界観と合わない」「コレクション棚を入れたら部屋が狭くなった」という理由で、娘の部屋から家具や寝具が、じわじわと廊下や共用部分へと進出してきます。廊下に定位置、決定ある朝起きると、以前、彼女の希望で購入した洋服用のハ
20251月23日歌曲色々2月10日Radioリスト愛の夢抜粋2月26日ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調Op.38Brahms,Johannes:SonatefürKlavierundVioloncelloNr.1e-mollOp.38ラフマニノフ:チェロ・ソナタト短調Op.19Rakhmaninov,SergeiVasil'evich:SonataforVioloncelloandPianog-mollOp.193月16
夜の部、国語詩海恋し潮の遠鳴りかぞへてはおとめとなりし父母の家海が恋しいなぁと潮の音を数えては少女時代を過ごした実家を思い出す。行ったらいいやん、寂しいんやったら。ふるさとの訛りなつかし停車場の人混みの中にそを聞きに行く。石川啄木あーこれ、40年前にテストで間違えたわ。何を聞きに行くのか?という問題、「そ」って答えて❌️だった。そはそれっ意味だから答えは訛り、またはふるさとの訛り。訛りって何か知っとるか?知ってるよ。溶けた鉄みたいなやつやろ?それは鉛や金属や。言葉がなまってる
亀のような歩みで進行中の井上ひさし全芝居舞台上演制覇プロジェクト。今年もここへ来て『泣き虫なまいき石川啄木』を初めて見ることができて、一歩前進しました。芝居は石川啄木の晩年の3年間の東京生活を描いたもので、登場人物は家族5人(本人、その妻、本人の父・母・妹)と金田一京助の6人。晩年といっても、啄木は1912年に26歳で結核で亡くなっています。26歳なんて、まだ人生始まったばかりなのに。芝居の中で起きる様々ないざこざ・事件は、そのほとんどが貧困により引き起こされるものです。啄木は、「自分は
世の中は忙しくせわしない新幹線に乗ればあっという間に目的地に到着だ柳田国男が言ふ『旅を或る一地に『到着する事業にしてしまうのは『馬鹿げた損だ旅の過程にこそ価値があり面白味がある。石川啄木が詠んでいる『雨に濡れし夜汽車の窓に映りたり『山間の町のともしびの色あそこにも人が暮らした喜怒哀楽がある。のんびりとあっちこっち気の向くままに旅をして回りたいが自分から逃れる旅はない。あるのは冥途までの一里塚の片
函館の十文字街の近くの文学館函館にゆかりのある文士の資料館入り口にある「石川啄木」像受付の方に資料室内部は撮影禁止なのでここで写真を撮ってくださいと言われましたそれで啄木先生と2ショット📷確かに中は、有名作家の方の自筆原稿なんかが展示してあってそれを📸すると著作権違反!!!文学館の前は郷土資料館・・・函館のことが勉強できます女装子蘭のお出かけ動画作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com
ありがたきお菓子いつもご覧くださる皆様、本当にありがとうございます。心から感謝致します。皆様にとって良い事がたくさんありますように!六花亭さんのチョコに「ありがとう」と言うお菓子があります。ふたをあけると石川啄木の短歌が書いてあります。ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな(故郷の山に向かいあってみると、言う事はない。故郷の山はありがたいなあ)歌集『一握の砂』の第二章「煙」より商品詳細www.ro
朝からドタバタといろいろやってから、函館市電に乗ってちょっと観光へ。目的地の最寄り駅で降りてテクテク歩いております。なんと両サイドは墓地🪦墓石🪦越しに海が見えます。おっ!石川啄木一族の墓が!石川啄木が函館に住んだのは数ヶ月だったようですが、ここに眠ってるんですね。あとちょっとで目的地。到着しました!立待岬。ここは津軽海峡に面した岬なんですよね。岬はこんな感じ。ここが先っぽ。フェンスにはイカ🦑が。函館と言えばイカですからね。目の前が津軽海峡で、奥に見えるのが本州の下北半
感謝です。『毎年恒例「大晦日までに大掃除!」→(間に合わず)「春節までに大掃除!」→「結局終わらず」のスタート(?)が始まった。』反歌「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る」by喜寿を越えてしまった。啄木の心境の、惚け老人
パスを使える最終日盛岡駅、大きな鉄瓶お天気に恵まれ、綺麗な青空向かうは九戸城跡(くのへじょう)(続日本100名城)九戸なので八戸の次で青森県かと思いきや、岩手県でした。住所も岩手県二戸市。岩手県の”戸”がつくのは、一戸、二戸、九戸。青森県では三戸、五戸、六戸、七戸、八戸。四戸はありませんでした、昔はあったのかな?ガイドハウスの中にスタンプがあり、大きなテレビでビデオも見せてもらいました。職員の方がとても親切で、おいしいお店を紹介してく
こんばんは。昨日は東京に観劇に出かけてきました。紀伊國屋サザンシアターでこまつ座公演「泣き虫なまいき石川啄木」を鑑賞してきました。こまつ座は井上ひさしを座付き作者とする劇団です。井上ひさしの死後も作品の上演を続けています。私は長きにわたりこまつ座の公演を観てきましたがこの作品は未見で、今回チケットを取ってみました。26歳で亡くなった啄木の短い生涯。その最後の二年間を描いた作品です。啄木の、というより家族の物語ですね。妻、両親、妹、それぞれの激しい
12月7日『泣き虫なまいき石川啄木』を観劇。主人の趣味のお付き合い。お付き合いするのは大丈夫なんだけれど、面白くないものは眠ってしまう私。井上ひさしさんの脚本は面白くて彼が何を言いたかったのかを考えるのが楽しい。啄木というと、天才歌人。同時に借金の天才でもある。明治37(1904)年から明治42(1909)年にかけて、約60人から総計1372円50銭現在のお金で総額2800万円である。有名な金田一京助さんが友人。お芝居ではこの友人も登場する。啄木は、26
行きました。宮澤賢治は、旧制盛岡中学(現在の盛岡一高)に親元を離れ入学しました。卒業後は、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)へ。現在は植物園(岩手大学敷地内)になっていて、多くの木々に囲まれています。←広々した植物園に賢治の大好きなドイツトウヒも(^^♪賢治が入っていた寮の跡地もありました。植物園には賢治もいます。旧盛岡高等農林学校本館内部は撮影禁止でした。建物内には、鳥類のはく製が、たくさんあり、「ヨタカ」もいましたよ「ヨタカさん、ふーむ、なるほど~お気持ち、わかります」のお姿です。
金田一京助は、日本の言語学者・国語学者です。特にアイヌ語研究の本格的な創始者として知られ、また親友である歌人・石川啄木の生涯にわたる支援者としても有名です。主な業績は以下の通りです。アイヌ語・ユーカラ研究:アイヌの叙事詩「ユーカラ」の言語学的研究の基礎を築き、『ユーカラの研究』などの著書を執筆しました。国語辞典の編集:国語辞典の編集にも携わり、日本の国語学の発展に貢献しました。石川啄木の研究と紹介:盛岡中学時代からの親友である石川啄木を生涯にわたり支援し、没後は彼の作品の紹介と普及に努め
家の近所の信号脇にもう一年以上も建築途中の家がある。お掘の内側のため、出入り口も両脇をガードレールに挟まれた狭い渡橋なので、資材搬入出もなかなか大変そうな場所である。次第に家の全体ができ始め、まだ人が住めるほど内側が調っていないだろう状態が今なのだが、この家の北面に窓が一切ついてないことに最近になって漸く気づいた。何となく風景のひとつとして観ているだけであれば、一風変わったこの建て方もまったく気にならないもので、“そういわれると”ぐらいあとになって気付くような気がする。─まった
みなさまおはようございます。今年の流行語大賞は働いて働いて働いて働いて働いて働いてまいりますだが1年後(国民に)働かせて働かせて働かせて働かせて働かせてまいりますになるんじゃないかと早くも不安になるHEY!金ちゃんです。まー今総理大臣が変わっても石川啄木の有名なフレーズはたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりのようにちっとも生活が楽ではないがそんな中でもにちなんACはやってます🥺さて、初雪が降るなかAコーチが急遽お休みで監督も遅
今年の流行語大賞は高市早苗首相の言った言葉が選ばれた「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」この言葉を聞いて浮かんだのは石川啄木の歌「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざりぢっと手をみる」誰かも言っていた働けど働けど焼け石に水他のノミネートで気になったのは古古古米二季
おはようございます朝起きた4時の気温が0.9度でしたきょうの予想の最高気温は4度昨日は9.0度でしたきょうは…きょうから寒い日になりそうですお天気マーク☁/⛄☁/⛄☁/⛄チャリンコそろそろおしまいかしら今朝の函館新聞の見出しです高丘で女子高生がひったくり被害男逃走黒いダウンジャケット黒いズボン黒い黒い手袋黒いマスクを着用腹も黒い男なんだべ本町の繁華街で火災市電、商業施設に影響年の瀬を目の前にして大変ですね早い復興を願います
10/11~13まで久々の家族旅行!函館に行ってきました。いよいよ函館から帰る時間が迫って来ました。最後にどこに行きたい?昔…行った立待岬に行きたいかな。左手は函館空港とか恵山の方向、この海を渡れば青森だな。12年ぶりの函館は思ったよりもめちゃくちゃ楽しかった。懐かしさと寂しさと、そしてこの空と海。やっぱり大好きな街です。あの先っぽが立待岬です。石川啄木一族が眠っている墓もあります。自殺の名所っていう話も…。立待岬に来たのは12年なんてもんじゃないぞ。1人で函館に来
今日も晴れて穏やかな一日だった。最高気温は20度。「2025T&D保険グループ新語・流行語大賞」にタカイチ君の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります/女性首相」が選ばれたという。新語・流行語なので、「単語」を選ぶところなのだが、なぜか「文」が選ばれている。これ以外の新語・流行語は、「エッホエッホ」「オールドメディア」「緊急銃猟/クマ被害」「国宝(観た)」「古古古米」「戦後80年/昭和100年」「トランプ関税」「二季」「ミャクミャク」というように大体
今日の館山は気温22℃、水温20℃超の暖かい日でした。ただ、風速は10メートル超で、館山湾は荒れ狂っていました。海に入りました。腰まで浸かると、荒波は容赦なく私の体を押し倒しました。私は波打ち際に倒されながらも波に抗い、波に向かうと、すかさず次の荒波が私の顔面を直撃し、私は2回転して浜辺に叩きつけられます。打ち砕け、打ち砕け、海の気の済むまで打ち砕け何度でも立ち上がって、全身全霊で抗ってやる私は幾度となく顔面に波の直撃を受けながら、10代の頃偶像崇拝していた石川啄木の詩を思い出していまし
一昨日のこと。大甕駅前の歯医者に歯石を取ってもらいに行きました。思っていたよりも早く終わったので「そうだ、しばらく日立灯台、見てないな」古房地公園にいってみます。展望台があったり公園の隣りに事業所建築中。あれ、三代何とかさんの銅像がない。移り変わりですね。そう言えば石川啄木の歌碑があったな。変わらずにおいてあります。でもこの短歌と日立市はなんの関係もないそうです。
「石川啄木」の詩に、「平井康三郎」が曲をつけて発表された「ふるさとの」です。使用オカリナ:オオサワオカリナアルトC管伴奏カラオケ:自作お聴きいただけると、大変うれしいです(^-^*)
石川啄木もとんでもない人物のようですね。(1885年~1912年)借金、浪費、女癖、・・・・・ま、それはさておき、いい短歌をいっぱい残したのは事実ですから、それはそれで。私が社会人になって一年経った昭和53年ごろ、たしか資生堂かどこかの化粧品のコマーシャルで啄木の短歌が流れていました。それがこれです。こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふこれが石川啄木の短歌だと知り、啄木をうらやましく思ったものです。そのころ私は、会社の仕事がいやでいやで
2回目のタクワン漬1度目のタクワン漬は(11月11日)塩漬けして、いりぬか、ザラメ、コブ、辛子などを入れて本漬けしました(11月25日)今日見ると糠がしっとりしていました。この大根は青首長大根であまり太くなりません今日もまずまず暖かい、水路で泥を落としました。大根を水路で洗っていると、いつも思い出す石川啄木の短歌があります。[真白なる大根の根の肥ゆる頃生まれてやがて死にし児のあり]誰の短歌かも知りませんでしたが、一休さんに探して頂きました