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啄木小公園すぐ目の前には津軽海峡が湯の川温泉と恵山方面函館山方面曇っていて青森県は見えませんでした😥
朝から雨、今日は一日中降るという予報。しかも、日中は気温が下がって行く・・?雨降りの中、艶羽楼文具さんに声をかけていただき「まっつぐ落語会」で、東武東上線の大山駅へ向かいます。前回も大山で下車しましたが、別のイベント・別の場所です。常磐線快速上野行きにの電車に乗車し上野駅に到着。驚いたことに、2階の9~12番ホームではなく、かつて北に向かう特急・急行が発着していたた、地上ホームの16番に到着しました。隣の15番ホームには、宇都宮線・高崎線の電車も停車していました。地上ホームの頭端部
最高気温が10℃をこえ、一日中プラスの暖かさ。道路の雪もほとんど消えて、「ランニングいけるんじゃない?」と、今年最初の大森浜ランに出かけました。低気圧のせいで海津軽海峡は荒れ模様だけど、濃いブルーはとても美しく。45分くらいゆっくり走って、啄木小公園に到着!石川啄木が愛した大森浜と函館山が美しく背後に広がります。「潮かほる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(ハマナス)よ今年も咲けるや」と啄木に読まれたハマナスは、葉っぱを落とし、赤々とした実が干しぶどう状態で残ってま
今日は、石川啄木記念館で館長さんが講話をする、という企画に参加してきました。啄木が18歳、19歳ごろに作った詩をもとに、啄木の詩作にかける気持ちとか、何を表現したかったのか、そのようなことを話されていました。お話は「啄木日記」にもとづいて構成されていました。私も「啄木日記」は、毎日数ページずつ読んでいます。丁度最近読んだところが、お話の中心だったので、グッドタイミングでした。別なところで「ドナルド・キーンと啄木」という企画展が開かれていて、そちらも見たのですが、キーンは「啄
石川啄木さん(1886年生~1912年満26歳没)歌人、詩人石川啄󠄁木(いしかわたくぼく)本名:石川一(いしかわはじめ)雅号:啄󠄁木1886年〈明治19年〉2月20日生まれ、1912年(明治45年〉4月13日、26歳没。岩手県南岩手郡日戸村(現在の盛岡市日戸)出身の日本の歌人、詩人。旧制盛岡中学校中退後、『明星』に寄稿する浪漫主義詩人として頭角を現し、満19歳で最初の詩集を刊行。しかし、経済的事情から代用教員や新聞記者として勤める傍ら小説家を志すも失敗、
2月20日の今日は、明治の歌人:石川啄木の誕生日だそうです。「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」歌集「一握の砂」にある代表歌の一つで、思わず胸がジーンとなる、大好きな歌です。こんな歌が詠めたらと思うこともありますね。(笑)
皆様、おはようございます!!朝の書道習慣。〜モーニングDE書〜感謝の筆タイム参ります今朝は、石川啄木のこの言葉を書きます。ふるさと岩手から夢を追って上京したのは春でした。この思いを胸に今日もがんばっぺし〜です『本日の書道』ですそして、今日は…天国の恩師浅香光代先生の誕生日。"家元の日"を懐かしく思います。皆さ〜ん今日も心つないで大切な命を守る合言葉は…「てんでんこ」で!!健康&安全に過ごしましょ次回のキャンペーン情報大沢桃子オフィシャルウェブサイト|
今日から特別国会が始まります。「働いて働いて参ります」と言って当選されたのだからしっかりと働いてもらいましょう。大体政治家がこういうことを言うのは普段は働いていないか、それとも働いている人が少ないからこういうことを言って強調するのです。常に働いている人はそんなこと言いません。政治家が働くとは国民の代表として、予算を決めたり行政の監視を行うことです。議員に選ばれたら働いて当然です。私らは「働けど働けどなお、わがくらし楽にならざり(啄木)」です。選挙の度に耳障りの良
こんばんは今日はただの愚痴先週のチーム定例でアイスブレイクの担当だった私ささっと2分くらいで終わらせたら周りから短すぎる的な反応がいやね、あなたたちが長すぎるのよ、アイスブレイクよ、アイスブレイク!みんな毎回10分くらい話しているけど、それがおかしいのよ!最長20分くらい話した人もいたからねみんなアイスブレイクで自分の存在をアピールしたがるという謎現象本題の案件進捗と成果報告でアピールしなよこの会社で良しとされることはよく分かりませんとはいえ、退
618)エンゲル係数/啄木エンゲル係数(消費支出に占める食費の割合)の理想は、一般的に20〜25%程度とされている。手取り収入に対する割合で見ると、15〜20%が目安となるケースも多い。現代では物価上昇の影響で25%を超える世帯も増えている。スーパーのコメ価格は、5kgで平均4204円。4千円代で2週連続上昇。食料価格が上昇し、エンゲル係数が28・6%まで上がっており、庶民はキツイ。石川啄木の代表的な短歌「はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手
君も雛罌粟われも雛罌粟俵万智さんのオノマトペ「うっふん」を変換したら「うっ糞」がでた。パソコンのキーボードでの話。思わず変換キーを押して思わず笑ったのだった。ところで、文語を用いることが主流の短歌ではオノマトペの使用は少ないに違いない。でも、すぐれた歌人たちは見事にオノマトペを使っている。次に引くのはボクが覚えているオノマトペのある歌。いのちなき砂のかなしさよ石川啄木さらさらと握れば指のあひだより落つああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟
皆さま、今晩は。元九州男児な旅するコピーライターのふじやんです。近所のスーパーで九州&沖縄フェアを開催してた。ふるさとの食を求めに。干物系もあった。牛深産いわしみりん干天草市は物心がついた地です。もちろん麺類も。熊本ラーメンの元祖的存在。味千拉麺昔は、東京にも店舗があったんだけどね。辛子蓮根と馬刺しも食べたいなあ。あと、一文字のぐるぐる。
そうか!今年で生誕130年なのか。‥まったくアタマになかった。振り返るきっかけをありがとう。その賢治は、小樽に2回立ち寄っている。1回目は、賢治が盛岡中学5年の時の修学旅行(1913年(大正2年)5月24日)で、コラムにある「広報おたる」に紹介された修学旅行の引率で立ち寄ったエピソードは、2回目にあたる。修学旅行復命書(宮澤賢治)修学旅行復命書(宮澤賢治)|北海道マガジン「カイ」によれば、旅行の一行は、流通拠点としての小樽を理解し、3時間半の滞在後、札幌に向かったそうだ
私が啄木講座に参加したり、地元大学に願書を出したりしているせいか、妻も「教養的」なものに参加するようになりました。朗読を聞きに行ったし、明日は御朱印の切り絵をしてくるそうです。私も妻も、誰に気兼ねすることもなく、やりたいことができるようになったからです。今月の23日には、また啄木講座があって、2人で参加します。
浮世絵に描かれている男性は、どういうわけか、やたらと男性器が大きい。あまりに立派なので、浮世絵を見た西洋人が「日本人男性はみんなあんなに巨大なのか」と誤解した、という笑い話まである。一方、西洋の絵画を見ると、事情はまったく逆だ。実物よりもずっと控えめに描かれているものが多く、葉っぱ一枚で隠れてしまう程度、という絵も珍しくない。そんな話を友人にしたところ、何ごとも適当に流さない彼は、真面目な顔でこう言った。そもそも浮世絵と西洋絵画を同列に比べるのはおかしい、と。浮世絵、特に
地元大科目履修生の願書を郵便で発送しました。願書を出したからといって、即合格になるわけではなく、選考があります。必要に応じて面接も行う、とあるので簡単に合格にはならないと思います。その選考結果が、いつ届くのか要項に明記されていません。さて、先月、石川啄木記念館で「入門講座」を受講してきました。そのときの、感想や今まで勉強してきたことなどを書いて、館長さんにお手紙を出しました。こういうことをしたのも初めてです。館長さんへのお礼という意味合いもありますが、学んだことを自
自転車の通勤通学の屋根ショップコロポックルコロポックル-トップページ-シニアカー対応可。傘のような屋根を自転車に取り付けて、快適にようこそ、いらっしゃいませバイク、シニアカー、自転車に屋根を想像するコロポックルです。今回は・・・なまり、方言のお話しをしてみましょう。まあ、地方から出てきた人は・・気にするようですが言うなれば・・・お国の手形のようなものアナウンサーになるのなら別だけど、関東や関西にも方言があるんですね方言
【鉱物言葉集】石川啄木『一握の砂』より石に関する言葉水晶の玉をよろこびもてあそぶわがこの心何の心ぞ石川啄木『一握の砂』より水晶の玉を手の中で転がす。ただそれだけでなんだか楽しくて嬉しい。この気持ちは何なのだろう。水晶玉を見つめる目は自分の心へ向けられる。その問いは問いのままそこに置かれている。手の中で転がる水晶玉は、ミクロコスモスのようでもあり、じっと見つめているとそこに迷いこんでいくような感覚になる。そして、自分に出会う。石を愛でる静かな時間と、自己へ
石川啄木で好きな歌をご紹介しますわが従兄いとこ野山の猟かりに飽あきし後のち酒のみ家いへ売り病やみて死にしかな序盤ではアウトドア系の悪くない趣味持ってたのにアルコールが参入してからの転落人生がテンポ良すぎ酒飲みの一生を遠景で見たらこんな感じだわな似た雰囲気のやつをもう一首田も畑はたも売りて酒のみほろびゆくふるさと人びとに心寄する日こっちはまだ死んでなくて「ほろびゆく」と進行形の酒飲みなのが怖い昔はサラ金とかないのでね飲むために
同僚(帰国子女)が有休消化に入り、火曜&水曜と休みだった火曜日が締め切りの案件未処理ですけどーーーっ!どうやら顧客からの情報待ち案件営業担当(パキスタン人)に確認Thecustomerwillinformmetoday.IwillupdateonceIgetanyresponse.これが火曜日働いて机上乱雑満月なり澁谷道水曜日の朝、返事はまだ来ない締め切りはすでに過ぎている外国人との仕事を通して学んだことがあるーー「締め切り
啄木の愛した函館みすゞの時代が息づく舞台にて石川啄木、金子みすゞ、共に26歳で亡くなった夭折の詩人に光を当てた『26』。本公演では彼らの詩をもととした歌曲集を取り上げ、短い人生の中においてその眼差しと心象風景より紡がれた名作の魅力、そして日本語の美しさを朗読と歌唱によりお届けいたします。歌唱に私、佐藤季敦。朗読に倉斗絢子さん、ピアノに辻喜久栄さんをお招きし、函館市公民館という時代の息吹を今なお感じる最高の舞台にて皆様のご来場を心よりお待ちしております。『佐藤季敦バリトンリサイタル2
「以下は、旧版『筋権党宣言草稿』に、その後発見された原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」→減酒断煙に失敗して筋力低下し醜態を晒す筋力劣者筋力劣者が器具に頼って自分を糊塗している気まぐれ再掲です。宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさらないで下さい。「はじめに以下は『天宝
はたらけどはたらけどなおわがくらしらくにならざりぢっと手をみる石川啄木の短歌は、父が好きで、ちょっとした時に、グッドタイミングで口に出ることがあったのです。この上の短歌も、父がよく口ずさんだ和歌である。別に貧しかったわけではないけれど、父が、ふと自分の手を見て呟くのであった。そのせいか、私も時々自分の手をじっと見るクセがついてしまった。最近、そんな自分の手を擦りながら思うこと、それは、(年取ったわ~)ってこと。すっかり、血管が浮き出て、力いっぱい手を広げると皺も目立つ
天気予報は雪だったのですが、晴れました。食べるところは念入りに予習したのですが、観光先はノーマークでした。とりあえず、「アイヌ」で検索して引っかかった北方資料館へ。元は銀行だった建物をリノベーションしたようです。かなり古い建物で蒸気式のヒーターが設置されていました。上に水が溜まっていて、加湿をしているようです。初めて見ました。寒冷地は空冷式のエアコンは役に立たないようですね。みんな洋服を着て、来夏に備えていました。アイヌ独特の衣服やストゥ(折檻棒)、細かい模様が彫
見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。見よ、今日も、かの蒼空に飛行機の高く飛べるを。(石川啄木)
『一握の砂・悲しき玩具』石川啄木歌集金田一京助編新潮社・・新潮文庫昭和44年(1969年)購入・・・前頁、文学少女には成れなかった1の続き読書とは読書感想は、あくまで一個のオリジナルな想いであって、普遍の想いなぞあり得ない。敢て云う。著者が何を言いたいかを読むのではなく、読みし者が、著者を通して如何に己オノが想いを読み取るかである。読書とは、斯くの如きもの、それでいい・・と、私はそう想う。昭和44年(1969年)中学三年生であった私が、国語の
『一握の砂・悲しき玩具』石川啄木歌集、金田一京助編世の中には途方も無い仁もあるものぢゃ、歌集の序を書けとぢゃ人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢゃああでも無い、かうでも無い・・・「あははははッ」・・友ガキ・舟木が、笑い出した。「どうした、何がおかしいんや」「さっきから、そこばっかり何べんも読んでる」「途方もない仁もあるものぢゃ・・と」「あるものぢゃ・・何べんも読んで覚えるんじゃ」彼は、昔の言葉遣いが面白かったようだ。「ああでも無い、かう
今日は、啄木と鴎外、それぞれゆかりの地を巡りました。◎啄木が住んでいた喜之床(床屋)◎啄木終焉の地正面が展示スペースになっています。プレートと歌碑だけあるのかと思っていたのですが、啄木を大切にしてもらってありがたいです。さすが文京区。◎歌碑◎鴎外記念館丸い石は、当時鴎外の家にあったもの。鴎外記念館には2時間近く滞在しました。家に戻ったら、鴎外を読まなければなりません。◎明治大学の学食17階にあります学食の後は、古書店街で啄木関連の本を2冊買いました。
「以下は、旧版『筋権党宣言草稿』に、その後発見された原稿や資料をもとに再編集したものである。特に前半には動画資料が追加された」→減酒断煙に失敗して筋力低下し醜態を晒す筋力劣者筋力劣者が器具に頼って自分を糊塗している気まぐれ再掲です。宜しければご覧下さい。くれぐれも過度なご期待はなさらないで下さい。「はじめに以下は『天宝5号事変』後の捜
大寒に洗濯物が突っ張って拳を上げて政治に抗議…©2026年の大寒は1月20日から2月3日です。暦通りに寒い日が続いています。大寒に選挙はじまり候補者はもうすぐ春がやって来ますと…©節分の次の日が立春なので、候補者の言うことにも一理あり‥‥‥「ぢっと手を見る」しかないのでしょうか。現在世界中で使われているグレゴリオ暦では、忠臣蔵の討入りの日は1703年1月30日でした。真冬の雪の日だったんですね。昔住んだことのある京都には、忠臣蔵に