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カーディアス・バウンテンウッデン「1日の楽しさの為に365日の我慢がある」『閃光のハサウェイキルケーの魔女』で一番共感してしまった台詞であり、今の私もまさにこの心境でした。この日が1年で最良の日とするために、構想1年、下準備に半年をかけて練ってきたプランがこちら。今回は東日本在住者の方の移動の軽減負担を兼ねて、関東を候補に…そして2026年ということで実はある記念の年でもありました。2016年丸会開催10周年記念思えば現在のかけがえのない友人達との交流はまさに10年前に開催された大河
岩櫃城が謎多き巨城であるという話は、前回の岩櫃城の項で記載した通りですが、岩櫃城の城域南端に接している(というより城域南端に含まれている?)のが古谷館です。古谷御殿とも言われるこの館は、天正10(1582)年にいよいよ武田家が滅びようとしていたその時、真田昌幸が武田勝頼を迎え入れるために突貫工事で築いた館と伝わります。「3日でこしらえた」との話もあるようですが、仮に3日が本当なのであればここには前身となるお寺なり何なりの建物があって、それを勝頼用の御殿とした、ということなのでしょう。考
【問題】真田昌幸が自らの岩櫃城へ武田勝頼を迎え入れるために築いた場所は、現在何と呼ばれるか?【選択肢】亀楽院獅放院潜龍院鳳候院【正解】潜龍院【解説】武田氏滅亡直前、真田昌幸は居城・岩櫃城の麓に石垣で固めた館を築き(古谷館)、勝頼を迎え入れようとしたが実現しなかった。同地は現在「潜龍院」と呼ばれる。
全国的に寒い日が続きますが、こちらは徐々に暖まって参りました!!合戦イベント「甲州征伐」の告知が続きます。今日は、両軍の部隊長と陣中見舞いが決定したのでお知らせいたします!織田軍は、当時信忠の直属であった森・河尻に、信長が付属させた織田有楽・滝川一益を加えた陣容です。さらに武田家から離反して甲州攻めの先鋒を果たした木曽義昌の姿も見えます。武田軍は、親類衆の信豊(勝頼従弟)、信廉(同叔父)、盛信(同弟)が馬を揃えます。また、当時勝頼を岩櫃城へ迎えようとしたともいわれる真田昌幸、