ブログ記事1,477件
真田歴史館・真田氏館跡・御屋敷公園から、次に行ったのは長谷寺(ちょうこくじ)。曹洞宗真田山種月院長谷寺天文16年(1547年)、真田幸隆が上州の長源寺から伝為晃運和尚を招いて創建。開基は真田幸隆。標高880mある山深い場所なので、桜が咲いていました。遠路はるばる来てくれたねと言っているかのように桜が綺麗に咲いていました。本堂真田幸隆戦国時代の武将。信濃國小県郡真田の領主、武田氏の家臣で武田二十四将の一人。真田家中興の祖。海野平の戦いに敗北で上野國へ逃亡。武田晴信の誘
こんにちは、めいですお元気ですか沼田城。真田信之公と小松姫様のもとへ参上しためい。参上は「目上の人の所に行くこと」の謙譲語です。真田犬めいは単に行ったつもりが・・めい、そなたに北の城壁の守りを任すすぐに父上の元へ参れ・・と信之公に命じられ、イヤとは言えず昌幸公が守る、北の城壁へめい見参見参は「参上して目上の人と対面すること」、「目上の人が目下の人に会うこと」
長野県上田市真田町にある長谷寺(ちょうこくじ)は、真田家ゆかりのお寺です。桜、特に門にかかる枝垂れ桜はとてもきれいです。雪国の遅い桜を楽しんでください。
最後に立ち寄ったのが日本の真中国土の大神万物に生命力を与える「生島大神」万物を満ち足らしめる「足島大神」を御祭神とする信濃屈指の古社と言われている『生島足島神社』いくしまたるしまじんじゃ⛩へ参拝してきました。御本社は神池に囲まれた神島に位置していて神池を海神島を日本列島にみたてていてご神体は大地そのものの土間だそうです。今まで参拝した仏閣は木の色を基調とした木造建築でしたが
名称:岩櫃城城郭:山城築城年:南北朝時代築城主:吾妻氏か改修者:真田氏主要城主:斉藤憲行、斉藤憲広、真田幸隆、真田昌幸、真田信之所在地:吾妻郡東吾妻町原町指定文化財:国史跡続日本100名城登城口中城二ノ丸へ二ノ丸土塁、横堀本丸
沼田城ミニサイズの完成#沼田城#真田#ジオラマ#鍬匠甲冑屋
一昨日の風雨で桜は散ってしまったと思っていた〝火打石〟ですが、昨日週一のウォーキングで大宮公園に出てみると、やれ嬉しや、満開の桜が出迎えてくれた…昼下がりの穏やかな陽射しの中、はらはらと散る花を目にすると、思い浮かぶのは紀友則の「久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」…百人一首で有名な和歌ですが、〝火打石〟はこの和歌が子供の頃から好きでした。桜は散る時がいちばん好きと子供心に思っていて、いまもそれは変わらない。散っていくものに心惹かれ
こんばんは🌃本日2回目です💦いつまで土曜日の事を書いてるの?と思い始めました💦😅勝沼ぶどう郷から、埼玉県秩父方面へ向かいます🚗塩山市の恵林寺が目の前に現れ、寄り道しちゃいました😅🌱武田信玄公の菩提寺です🌸門の左手にあるのは、銀杏の木秋の紅葉も楽しめるお寺です✨門を抜けると、🌸桜のピンク色の花が見えます🌸✨雰囲気のよい参道です参道を進むと赤色の門が現れます✨その先に、武田家臣24将ののぼり旗が見えています🏴🌸桜の花見頃でした✨武田家臣24将ののぼり旗知っている名前あるか
大河ドラマ『真田丸』、見終わりましたいや〜見応えがあって面白かったですその割に見終わるまでに時間がかかったのはTVerで『ガリレオ』見たりHuluで『十角館の殺人』見たり忙しかったのさ〜真田昌幸役の草刈正雄さんがダントツで素敵でしたな家康を追い詰めた武田信玄とその家臣だった真田信繁は確かに!戦国最強だったのだろうなオープンニングの赤備え軍団もなんかすごくカッコいいしささてと次は途中まで観てた『風林火山』をみよう内容忘れちゃったから最初から!
信州上田への旅。上田高校からはすぐ近くの、上田城跡公園へ。桜の季節なのに残念な工事中。右から北櫓、東虎口櫓、南櫓。ここの枝垂れ桜は満開。内堀は桜の谷。巨大な六文銭の兜。真田神社。本丸内の桜は蕾が多かった。
真田ミュージアムから歩いて数分。善名称院(真田庵)へやってきました。真田屋敷跡境内には六文銭の旗印真田昌幸、幸村親子が、関ヶ原の戦いの敗北のあと大坂の陣に参戦するまで謹慎していた屋敷跡。現在はお寺になっています。幸村が雷を取り押さえて。。。「かくれ住んで花に真田が謡かな」蕪村大安上人廟所霊屋・土砂堂。真田昌幸の墓。真田地主大権現。御朱印。真田庵由緒。退散します。九度山の交差点まで戻ってきました。真田庵方面。九度山駅。橋本行き。沿線マップ。南海高野線橋本駅。
長野県上田市に鎮座。上田城本丸跡の上田城跡公園内に上田城跡守護の神社とし合祀。歴代城主の真田氏、仙石氏、松平氏を御祭神として祀っている。『眞田神社』デジタル化で鈴を鳴らす♪御朱印いただきました~飴いただく🌸雨の日限定授与…クリアファイル
天正11年(1583年)真田昌幸によって築城された上田城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。現在は上田城跡公園として観光拠点となっている。『上田城跡』御城印いただきました~(公園内鎮座眞田神社社務所にて)
極楽橋駅から橋本駅行きの南海高野線に乗って、九度山駅で途中下車しました。九度山駅。六文銭九度山町のご案内。六文銭。そう、九度山と言えば〜真田幸村真田ミュージアムを目指します。徒歩8分和歌山県伊都郡九度山町九度山和歌山橋本線電柱に、真田十勇士かぁ〜到着。住宅街の中です。いざっ入り口扉に六文銭入って正面に、真田昌幸、幸村、大助展示室へ。真田三代の物語。真田昌幸は武田信玄の重臣だった。真田の所領。第一次上田合戦。真田VS徳川嫡男信幸は徳川家康の養女を正室に
【ウィキペディアより:青の洞門】青の洞門(あおのどうもん、‐とうもん)は、大分県中津市本耶馬渓町樋田にある洞門(隧道、トンネル)である。曹洞宗の僧禅海が豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋、青野渡が危険で、人馬のしばしば覆没することを知り、これを哀れみ、鑿道の誓願を発し、陸道の掘削を思いついた。1730年(享保15年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始めたが、その後周辺の村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、1763年(宝暦13年)に完成させた。高さ
酒蔵巡り後編の前に。早朝のお城散歩記事を送ります。<旅の行程>1日目:稲荷山→坂城→信濃国分寺→海野宿→小諸2日目:小諸→(酒蔵巡り)佐久〜上田3日目:(酒蔵巡り)上田〜松本2日目の宿泊は上田駅前のルートイン。6時に起きて、上田城散策です。◆上田城◆(国指定史跡・日本100名城)ご存知、真田氏の難攻不落の城です。天正11年(1583)、真田昌幸が築城。当時、四方が川や湿地帯に囲まれていました。舗装されている広場もかつては川でした。
No.0352022.4.3(日)真田の兵ども/佐々木功/角川春樹事務所/2021.12.18第1刷1700+10%非常に読ませるリズムと力を持った文章にワクワクしながら読み始め、止まらない止まらないと思っているとあっという間に物語世界に取り込まれ抜け出せない。一気に読了。このストーリー感は、奇想天外な自由発想の山田風太郎に繋がっていく「忍者物語」だろうか。ラストの「真田十勇士」が吠えるシーンでは、知らず知らずの内に込み上げる高笑いを抑えることが出来なかった。これも、作家の技
先日の旅行、中一日は本当は少し離れた所にある日帰り温泉に行くつもりでした。某映画でもロケ地になったと云う広い露天風呂が数カ所あるところで、湯浴み着を着て・・・と云う形式。ところが当日は雪予報。現地に行ってから考えようと思いましたら、10センチを軽く超える積雪。湯浴み着で露天風呂はギリギリOKでも、渡り歩くのは寒すぎるかもと断念。それならと、急遽作成したプランでの沼田見学になりました。戦国時代の真田信繁(幸村)の兄真田信之の居城沼田城。信之は本来、父の真田昌幸
あずみ2DeathorLove2005年3月12日公開刺客として戦い続けなければならない宿命を背負った少女剣士の生き様を描く時代活劇の続篇。あらすじ浅野長政、加藤清正の暗殺に成功した徳川軍の刺客・あずみとながらは、半蔵の部下として家康の側近・天海に仕える伊賀忍者衆のくノ一・こずえと共に、残る標的・真田昌幸を討つべく、彼が幽閉蟄居されている九度山に向けて旅を続けていた。だがその途中、あずみはかつて使命の為に自ら手にかけた初恋の相手・なちと瓜二つの野盗青年・銀角と出会う。彼の姿になちを重
酒場放浪記で有名な吉田類さんお酒はもちろんのこと俳句酒場詩人そして登山NHKに日本百低山というテレビ番組があり吉田類さんが全国の低山を登り山の自然や歴史、美しい景色を紹介下山後はやはりお酒🍶🍻今日、番組の中で紹介されついた岩櫃山(群馬県)真田昌幸が築城大河ドラマ「真田丸」のオープニングで出ていたので、見えるところまで行ってきた🤳実際に登ると結構大変そうだ~酒場放浪記では、各地の居酒屋を周り地元のお客さんとも✨🍻🎶美味しい肴も登場番組最後には一句類さんは
松代城ミニサイズの縄張り幅240×奥行240mmの範囲の中で、三日月堀を入れるにはキツイんですが、三日月堀は松代城の特徴なので、なんとか入れてみました。#松代城#真田
真田昌幸、信之、信繁(幸村)
善名称院(真田庵)和歌山県伊都郡九度山町九度山1413宗派は高野山真言宗。山号は伽羅陀山。本尊は延命子安地蔵菩薩。境内には真田昌幸・信繁の蟄居時代の草庵跡も。別称、真田庵。また牡丹の名所としても知られる。1741年、大安上人によって真田昌幸の庵跡とされる当地に地蔵菩薩を安置して創建。1600年、関ヶ原の戦いで西軍に属して敗れた真田昌幸・信繁父子は、女人禁制の高野山に配流の身となり真田氏ゆかりの蓮華定院に入った。昌幸の霊が度々出現し、大安は昌幸の霊を真田地主大権現として祀ったと
真田岩櫃城ミニサイズの完成#岩櫃城#真田丸#真田昌幸#ジオラマ#お城#鍬匠甲冑屋
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。前回の「お城紀行」では、4城目として「武田信玄」が攻城したものの落とすことができず撤退した戦いで「砥石崩れ」と言われた「砥石(といし)城」へ向かい登城を始めたものの、思わぬ雪中行軍となり途中で断念しましたことを報告しました。そこで時間ができた分、麓に「真田氏」が築いた「上田城」(長野県上田市)へ向かい、特に前回ジックリと見なかった「尼ケ淵」を中心に見学しました。「上田城」の歴史と城主ですが、1583年
※こちらの記事は、令和3年7月30日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第47弾として、「上田(うえだ)城の戦い」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】江古田原沼袋合戦権現山の戦い第一次国府台の合戦川越城の合戦志賀城の合戦郡山城の合戦厳島の合戦四万十川の合戦今山の合戦耳川の合戦金ヶ崎城の合戦一言坂の合戦三方ヶ原の合戦叡山焼
上州・沼田城ミニサイズの完成#真田#お城#ジオラマ#沼田城#鍬匠甲冑屋
九度山・真田ミュージアム和歌山県伊都郡九度山町九度山1452−4真田昌幸・幸村(信繁)・大助(親と子と孫)三代の人生を描いた施設。昌幸は、信濃国上田城(長野県上田市)の武将。幸村は上杉家や豊臣家で人質となるも上杉景勝の家老を務めた直江兼続や豊臣秀吉と出会う。大坂夏の陣では、徳川家康の本陣にまで斬り込み、家康をあと一歩のところまで追い詰めた「日本一の兵(つわもの)」。大助は九度山で生まれ、父と共に大坂の陣を戦い、主君・豊臣秀頼と運命を共にした。
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。昨日のブログでは、今回2城目で「真田氏発祥の郷」の中心的御屋敷「真田氏館」を紹介しましたが、3城目はいよいよ「真田氏」が戦国時代に入り本拠とした「真田氏本城」(長野県上田市)へ向かいました。事前情報では、お城手前はかなりの坂道であるとのことで、初めての積雪上走行経験でしたので非常に恐怖感がありましたが、ローでソロソロと上がっていきました。登り切った所は真っ白な雪が一面に拡がっていて、駐車場はタイヤ
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。昨日のブログで今回1城目、雪の中の「荒砥城」をご紹介しましたが、2城目はやはり雪の中での訪城となった「真田氏館」(長野県上田市)です。「上田市街地」から北に向かって車を走らせると、途中「砥石城」へ行く道の分岐点である「伊勢山」を通り越して、「下原」交差点の次の交差点を右折しますが、この場所に「真田氏発祥の郷」碑が立つ「真田氏記念公園」がありました。いよいよ「六文銭」の幟がはためく「真田の郷」へ入っ