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徳川大名となった「真田伊豆守信之」となります。伊豆守というのは「伊豆国(今の静岡県の一部)の受領(国司)」という、朝廷から任命される職務に対応した肩書です。しかしもちろん、真田信之は伊豆の国司でもないし伊豆に領地も持っていません。伊豆守は、実際の彼の仕事とは全く関係ない、つまり名目だけの肩書です。なぜ伊豆守という名前なのか、ですね。武士の名乗る「何とかの守(かみ)」は、多くの場合、本当の支配地や居住地とは関係ない地名になります。なんでか。これは室町、戦国時代あたりから本格的になった「
池袋のシネマロサで「長篠」を観てきました。「豊臣兄弟」が、ちょうど長篠合戦を一瞬やった(てゆうかスルーした?)直後ですので、あ、これ今観るべきだな、と急遽思い立って、池袋西口に。ここは「カメラを止めるな」や「侍タイムトリッパー」をヒットさせたカリスマ的ミニシアター、じゃないな、風情は「古き良き昭和」みたいな名画座です。柴田勝家(山口馬木也さん)は、ここから天下を取った、と言ってもいい。長篠、ってくらいだから、武田騎馬隊vs.織田鉄砲三段撃ちの壮絶な戦いが展開される、のではないです(そうい
矢沢陣屋(仙石氏館)のすぐ奥にある丘の上に矢沢城がありました。矢沢氏で最も有名なのは矢沢頼綱でしょうか。沼田城代として数多の攻撃から沼田城を守り続け、この粘りがいわゆる沼田問題を長期化・泥沼化させ、名胡桃城事件の遠因になったとすれば、矢沢頼綱も間違いなく日本史の一ページを形作った人物ということになります。この頼綱、矢沢氏に養子に入っていますが真田幸隆の実弟で、つまりは真田昌幸の叔父にあたる人物ということになります。昌幸にとってはまさに頼れるおじさんだったわけですね。頼綱の嫡男が矢沢頼康
全国的に寒い日が続きますが、こちらは徐々に暖まって参りました!!合戦イベント「甲州征伐」の告知が続きます。今日は、両軍の部隊長と陣中見舞いが決定したのでお知らせいたします!織田軍は、当時信忠の直属であった森・河尻に、信長が付属させた織田有楽・滝川一益を加えた陣容です。さらに武田家から離反して甲州攻めの先鋒を果たした木曽義昌の姿も見えます。武田軍は、親類衆の信豊(勝頼従弟)、信廉(同叔父)、盛信(同弟)が馬を揃えます。また、当時勝頼を岩櫃城へ迎えようとしたともいわれる真田昌幸、
カーディアス・バウンテンウッデン「1日の楽しさの為に365日の我慢がある」『閃光のハサウェイキルケーの魔女』で一番共感してしまった台詞であり、今の私もまさにこの心境でした。この日が1年で最良の日とするために、構想1年、下準備に半年をかけて練ってきたプランがこちら。今回は東日本在住者の方の移動の軽減負担を兼ねて、関東を候補に…そして2026年ということで実はある記念の年でもありました。2016年丸会開催10周年記念思えば現在のかけがえのない友人達との交流はまさに10年前に開催された大河
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