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🏠🏠⛪🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⛪②246号線分岐点のダブル凸型看板建築三軒茶屋駅から少し二子玉川寄りで国道246号線から矢倉沢往還(大山街道)の旧道が分岐している以前は、そこそこ賑やかな商店街でびっしりと店が並んでいて、夕方などは買い物客がけっこう歩いていた記憶があるしかしここでも例によって、後継者不足などの理由により廃業が相次ぎ店舗が並んだ町並みは次々と歯抜けになり、店舗は取り壊されて、跡地には面白味の欠片もないマンションなどが建
🏠🏠🏠🏠🏠上*やがて消えゆく本木新道八王子まつりの記事で、しばらく中断していたが、北千住から西新井まで歩いた記事を再開するここで今までの流れを説明しておくと……北千住で降りてそのまま千住柳町方面に向かい、荒川と隅田川にはさまれたかつて「お化け煙突」があったことで知られる桜木町から隅田川をわたり町屋へしかし、町屋の繁華街には向かわず、右折して都電荒川線の東尾久三丁目電停をかすめるように川の手通り商店街から、日暮里・舎人ライナ
****「はごろも」という、かわいい看板が目印の羽衣商店街は、西友とサミットがある広いメインストリートのほかは、寂れてひと気がなく、終わったような雰囲気が漂っていたメインストリートと直角に交わる裏道の商店街は、この薬局から先は、完全に住宅街に飲み込まれており、その先には南武線の踏切があるぐらいで、店などはなさそうだった住宅街の裏手には、なにかの工場があったが稼動しておらず、あたりは静まりかえっている裏道を
****町屋は「巨人の星」の舞台だとWikipediaに書いてあった。これは、泪橋が舞台だった「明日のジョー」と同じように、似たような環境である蒲田で育った、原作者の梶原一騎の成り上がり的な向上心の原点のようで興味深いこの手の戦後どさくさにありがちな、極貧のドヤ街から成り上がるといったドラマツルギーの古くささは置くとして、このような貧民窟と蔑まれた地域は、その猥雑で混沌とした雰囲気から、現在では“キッチュで素敵な町”という価値観に変化している
【長野県】赤線跡を歩く「西堀」(松本市)202105(長野県松本市大手二丁目)前回の項でも書いたように、松本には公許の遊廓「横田遊廓」の他に、私娼街からの赤線が存在していた。※「横田遊廓」については前回の記事を参照『【長野県】赤線跡を歩く「横田遊廓」(松本市)202105※日本塗りつぶし旅・長野県②』【長野県】赤線跡を歩く「横田遊廓」(松本市)202105(長野県松本市横田二丁目)1泊2日の信州旅、2日目は城下町「松本」を目一杯歩いた。現存中に天守の一つ…ameblo.jp
🏠🏠📖🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📖⑪用賀の廃墟と駒沢大学のブリキ店前回の記事で予告したとおり今回は東急東横線沿線から新玉川線の沿線に舞台を移すといってもこのシリーズは時系列に沿っているわけではなくタイトルにあるように「ランダム」なので、訪れたのはまったく別の日である。そして、このシリーズは出掛けたついでに撮影しているため地理的な順番もテキトーなことを最初に断っておく新玉川線は、かつてほぼ同じコースで運行されていた路面電車、玉電を地下鉄
****不思議なことに、目黒区には駅から離れた辺鄙な場所に、いくつかのレトロな商店街が存在している今回は、そんな商店街から「油面地蔵通り商店街」を紹介してみようところで油面と書いて「あぶらめん」と読むのだが、なんだか「油麺」というふうに聞こえてしまい「油そば」みたいだと、ひとりほくそ笑んでいたら、油面の商店街の外れに、油そばの専門店がありちょっと吹いた目黒通りと環七は柿の木坂陸橋で交差しているこの写真に
🏡🏡💰🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡💰⑦裏通りの驚き数寄屋風豪邸廃墟かつての日光御成道は、大々的な区画整理によって往時の風情がほぼ壊滅しており、わずかに残った洋風建築や土蔵造りの商家に、街道の名残がある程度であった現地に向かう車内でGoogleマップを精査したところ駅前通りの一本裏通り、日光御成道から直角に分かれている細い道が商店街になっていることが判明し、そちらがメインなのではないかと予想した裏道に曲がると最初に目についたのは「いわ
🏠🏠🌙🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌙⑫目黒区の辺境にある平和通り商店街今回のシリーズは《東急沿線界隈ランダム散策》というタイトルをつけたが、多角形の銅板葺き看板建築があった場所は、かつて駅名の由来になった学芸大学があった場所だしかし、学芸大学駅の由来になったといっても、肝心の学芸大学駅からは軽く徒歩20分は離れた遠隔地で、しかも駅は目黒区にあるのに大学の所在地は世田谷区であるこのように都心部から近い目黒区や世田谷区といえども交通インフラ
🏠🏠🚉🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚉③住宅街の戦前物件と茶沢通りの夜矢倉沢往還は、江戸時代に盛んだった大山詣でに利用された街道で、江戸庶民の行楽コースとして賑わいを見せていた時代が変わり神社仏閣への参詣がレジャー的な意味合いを失くしたあとも、三軒茶屋で津久井道が分岐していたため、相模と江戸を結ぶ交通の要衝であり続けるそれは鉄道の時代になっても続き、渋谷と溝の口を路面電車の玉電が結んでいて、三軒茶屋から分岐していた支線の高井戸線は、専用軌道だ
****小仙波界隈その③さて川越の遊郭建築の続きであるおそらくこの小仙波界隈の乙種料理店、つまり元遊郭の建物が固まった一角は、新築住宅、更地が目立つことから昔は、もっとたくさんの建物が残っていたものと考えられるそれでもまだ、こんなあからさまな遊郭建築が残っていることは、驚嘆すべきことであろう遊郭など、この手の都市のダークサイドに属する事柄というものは、ほとんどの自治体では“なかったこと”にしたいらしく、たいてい無
****明治通りの先、都電荒川線の梶原電停を越えると、そこから梶原の商店街がはじまっている都電荒川線の沿線には尾久銀座商店街など、現在もそこそこ賑わっている商店街がいくつかあるが、総じて衰退傾向にあることは間違いないというより都内にある商店街は、砂町銀座とか戸越銀座のような有名どころ以外は、だいたいそうだ前回の最後に紹介した古書店と電停の位置関係はこんな感じ。ホームの真後ろが古書店がある看板建築である
****今回は渋いよ~!京急蒲田駅から国道をわたった先にあるキネマ通り商店街を抜けると、その道はかつての呑川に突き当たる呑川だった緑道から先は、住宅街になっており、煙草屋を最後に商店街ではなくなり、町工場と住宅が続いているばかりであったが……(*写真は前回のものを再掲載)その先に、このようなバラックのような造りの看板建築が!この周囲は、ごく普通の住宅と少し町工場があるだけの、城南地区のどこにでもありそ
🛀🛀🌼🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🌼①最初は矢倉沢往還の旧道の町並みから《東急沿線界隈ランダム散策》もついに最終章の三軒茶屋編に入るが、これが最終章なので、散策する場所は三軒茶屋のみ、ということになるしたがってタイトルにある「ランダム」という単語とは矛盾してしまうためランダムではなく「三軒茶屋編」に変えたタイトルについての説明が終わったところで、三軒茶屋について軽く説明しておく。三軒茶屋は新玉川線で渋谷から2駅目、池尻大橋の次の駅になる
🛀🛀💈🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀💈⑪中原街道の旧道の物件と「ゆにしきゆ」予告のとおり今回は新玉川線の三軒茶屋の前に、東急目黒線の旗の台の商店街に残る戦前物件を紹介しよう……と、意気込んで現地に赴いたのだが、これが思いっきり肩透かしを喰らうことになった旗の台の駅の脇を通っている三間通りは「稲荷通り商店街」という賑やかな商店街になっているこの商店街のある通りは隣駅の荏原町を過ぎても続き途中、国道に分断されてしまうが、西大井の駅のすぐ脇を通
****昨日の記事であれほど苦言を呈したにも関わらず、アメブロが重いのがちっとも直っていない。しかも重いだけではなく、しょっちゅうエラーが出やがるいい加減サーバーなんとかしろよなファッキン!という前おきはともかく尾久銀座商店街から川の手もとまち商店街を抜けて、銅板葺き看板建築に感激しながら、いつの間にか町屋まで来てしまったとくに町屋を目指していたわけではなく、無意識の行動の結果ではあるが、せっかく町屋に来たのだから、以前の散策で感
👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕👕②昭和が凍結されたシャッター街春日部駅を降りて、そのまま日光街道にはゆかず左側に気になる商店街があったので曲がってみると、駅から徒歩2分もゆかないうちに出桁造り商家、魔改造された出桁造り(おそらく)ベースの看板建築を見つけて、早くも気分が高揚したその商店街は、あまり営業している店を見かけず、シャッター街化が進行しているように思えたその通りは、すぐに丁字に突き当たり、その先も商店街になっていたが…
****前回は、足立区にある綾瀬駅から川の手通りに出て歩いているうちに、いつの間にか堀切に入ったところまで書いた堀切といえば、おそらく首都圏近郊に住む者ならば、当然のように堀切菖蒲園を連想すると思うが、菖蒲の季節ではないので、もちろんスルーである足立区から葛飾区に入ったとたんに、ブリキの看板建築などが並ぶ魅力的な一角に出た。看板建築の元畳店の飲み屋と、その隣にある縞々の看板建築のあいだには……「吉野湯コイン
🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑🚑⑤地蔵通りの廃病院と謎のかりえん旧中山道と交差していた丁字路を曲がってみると、駅から1キロ近く離れているのにも関わらず、昔は栄えていたような商店街があった今では営業している店は、まばらに点在しているだけで、寂れた気配が漂うが、町並みを見ると、そこかしこに繁栄していた残滓が見てとれる、どこか寂しげな雰囲気の町であるしばらくゆくと、まだ営業している店が固まっている十字路があり、その角にある「食品
🍱🍱😺🍱🍱🍱🍱🍱🍱🍱🍱😺⑤暗渠のカッパ様と駅前付近の古民家すっかり区画整理されてしまった岩槻駅前通りから日光御成道に出ると、かつての宿場町の風情は欠片もなく、こちらも道路拡幅のおかげで空虚な大通りが続いていたしかし、何棟かの古い商家や元警察署などは拡幅工事を免れるか、あるいは曳き家などのセットバックにより残されていたそんな街道の雰囲気は、元警察署の郷土資料館の並びある重厚な雰囲気の商家のあたりで終わり、そこから先はあまり面
🏠🏠🥕🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🥕⑤蛇崩川の河岸段丘にあるバラック群中目黒のメインの商店街「目黒銀座」は中目黒駅のやや東側を、東横線の線路と平行するように続き、10分ほど歩くと丁字路を右に曲がった先にも続いているしかし、丁字路のすぐ先で東横線のガードを抜けると店舗の密度が下がり、それと比例するように通行人の数も激減して寂れた雰囲気に変わって、50メートルほど先の十字路で終わっていたこれがその十字路を撮影した
****小仙波界隈その②さて、前回の記事で予告したとおり、川越に残る遊郭の跡地を散策する。跡地といっても川越の場合、首都圏では稀なことに遊郭建築が、ほぼそのまま残されているということは、大都会でもない小さな城下町の川越には、弁天横町のほかにも遊郭跡があることになり、これは首都圏のみならず全国的にも稀な例だろう前回の記事に掲載した銅板葺き看板建築とは、喜多院の反対側喜多院の西側の裏手のひっそりと
****東急東横線の綱島駅と鶴見駅を結ぶ通り沿いは、綱島駅から鶴見川を渡った樽町あたりが、もっとも栄えており、ファミレスやショッピングモールなどの郊外型大型店が並んでいるその道は駒岡から三ツ池公園、上末吉にかけて、一旦、寂れた様相を呈するが、下末吉にさしかかると綱島付近の近代的なショッピングゾーンとは、真逆の昭和テイストな町並みが続くそして、このあたりは、首都圏では絶滅危惧種の片側アーケードになっているが、建て替えなどによって、今、まさに消滅
🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥番外編・散策の絞めは川越をぶらつく今回はいつものように夕方からではなく、日中から散策をはじめたので、まだ陽が高いうちに、すべて予定をこなしてしまったしかし志木の町には、とくに遊ぶような場所などないので、東武東上線ですぐの川越に立ち寄って、いつものように古着屋とかリサイクルショップを回り、ついでに町の風景を撮影することにしたといっても、川越に関しては、すでに50回以上は記事を上げており、今
****荒川区のイメージは、きわめて悪い。インターネットで検索してみると、頼まれても住みたくない、在日と同和部落、斎場と町工場……などなど、とにかくネガティブなページばかりがヒットするかくいう僕も日暮里に親戚が住んでいなければ、おそらく好んで出掛けることは決してない地域だったにちがいない。そもそも魅力的なスポットは皆無だし、買い物をしたくなるような古着屋や古書店もないわざわざ出掛けたのは、ずいぶん昔に、大田区にある「月ノ輪書林」という古書店
****前回の記事において記したリードカメラ荻原の子息・礼二(仮名)に絶大なる反響をいただいた。なかにはオレが礼二だと虚偽の告白まで飛び出す始末であるそこで、その後の礼二のことを記そう。ただし事実をそのまま書いてしまうと、多くの関係者に迷惑がかかるので、これは、あくまでも仮定の話だと思っていただきたい礼二がサンフランシスコに渡航したのは、紛れもない事実であるオーディエンスとして参加したウッドストックの野外フェスにおいて、礼二はトラブ
🏢🏢🏠🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏠⑧下末吉商和会と謎の樹木地帯世間は連休と浮かれているが、こちとら怒涛の連勤で、それどころではなく、コメントの返信すら滞っている始末であるなのでせっかく「いいね」をくださっても返している余裕は一切なく、それどころかいつもならあるはずの記事のストックさえ消えて、まるで締め切り前の作家のように、更新すらギリギリという状況になってしまったなので、いきなり更新が滞ってしまったら「ああ、仕事に追われているんだ
🌼🌼🌼🌼🌼②北千住崖っぷちバラック地帯🌼北千住の中心街から西に向かう。いつの間にか通りの名前が「いろは通り」から「ニコニコ商店街」にかわっていたこの商店街を横切る道を左に曲がると、以前の記事で紹介した柳町の赤線跡地に出るが、今回はそのまままっすぐにすすむ柳町には千住の果てのような印象があるが、その先には元町があり、荒川と隅田川にはさまれたやけに狭い千住桜木町は、さらにその果てにあるような町であるこの写真
🍶🍶🧣🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🧣⑩宝歴年間創業の造り酒屋とロザリーかつては繁華街のように店が並び繁栄していた山あいの宿場町、中野も現在は全盛期の半分どころか、4ぶんの3以上の店が廃業してしまったような感じの、どこか気だるい倦怠感が漂う寂れた雰囲気になっていたそれでも土蔵造り商家や出桁造り商家、平屋の看板建築などがわずかに往時の面影を伝えていたそんな気だるい町並みのなかに、250年も前から営業を続けている酒蔵が残っていたとは、散策する
🎽🎽💊🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽💊⑮かつての繁華街・潮田銀座商店街9月になり狂ったような今年の暑さもようやく一段落……しとらんやないけ。ボケゴルァ!夕べは帰宅後シャワーで汗を流してエアコンもつけずにゴロゴロしていた。が……蒸し暑さに我慢ができず、それでもエアコンは封印して扇風機の風を直接身体に当てるようにしてなんとかしのいだ。日本の四季は、いったいどこに消えたのだろうか?という、どうでもいい前おきはともかくタイトルに鶴見を深