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昨日の続きになりますが神田錦町を歩いた後、久しぶりに神保町へ出て来ました。ここをゆっくり歩くのは数年ぶりかも。なので、ここは楽しみながら気ままに歩いてみよう!ほとんどの店がまだ正月休みでしたが。神田すずらん通りも人影まばら。でも文房具の老舗、文房堂さんは開いていました。いつ見ても素敵なビルですね。ドアの上はニャンコでしたガードレール代わりのポールもスズラン
🏠🏠🍚🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍚そして辿り着いたのは廃墟の町・2菖蒲の散策はこの図(┻╈)の左側からはじまり、ついに(╈)の上側の(〡)細い縦線まで到達した菖蒲のメインストリートの十字路の反対側は、商店街としてはすでに終わった雰囲気が濃厚で、曲がるとすぐに2棟の廃業した商家、そして戦前の建造物だと思われる元は旅館らしき廃墟があった廃墟の斜め向かい側にも一目で廃墟だとわかる、前回の記事にチラリと端だけ見せて思わせ振りに終
🌆🌆🍵🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆🍵⑧東京23区内一等地のシャッター街前回の記事に書いたように僕が初めてこの町を訪れたのは、もう十数年前のことで、そのとき受けた印象は典型的な東京の下町の商店街といった感じの好ましいものであったその後ブログをはじめてからも取材に訪れたが、すでに鬱陶しい駅前のタワーマンションは着工中で、かつて、そのあたりにあった商店街は消滅していたそういえば線路沿いを北千住方面に向かう道にも戦後型だけど看板建築が何棟かあ
🏠🏠🌉🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌉①リノベーション物件が目立つ古い商店街ということで今回から前回の明大前からふたつ新宿寄りの駅である幡ヶ谷を散策する。逆方向から見ると新宿からわずか2駅の場所だといっても、都内およびその近郊にお住まいでない方には、何のことやらサッパリわからないと思うので比較的広域の地図で説明するともうすぐ隣は新宿駅と西口の副都心部であることがわかるだろう興味深いのは、このあたりは区境が錯綜
🎵🎼🎼🎼🎼🎼🎼🎼🎼🎼🎼🎵final中心街の外れで謎の洋館を発見そういえば、前回の記事の前おきを書いていたとき、ファッションというか洋服に目覚めたのはいつだろうか?--という疑問が思い浮かんだ。考えてみると……おそらくそれは、小学校高学年の頃、クラスメートが教室に持ち込んだそいつの兄貴が購入した「POPEYE」という雑誌を見たときからではないかと思われるその号は、たしかイラストレーターの穂積和夫氏描くところのアイビーボーイが表
🌃🌃🍝🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🍝①東中野・消えゆく昭和な風景かつて東京には、戦後の闇市の面影を残す場所がいくつも存在していた。猥雑で清潔とは言えないけれど、人びとを惹き付ける怪しい魅力のある町……新宿南口にあった円形の飲み屋街は、写真家のアラーキーを筆頭に写真により詳細に記録されている。渋谷の東急109の裏手と百軒店のあいだ、台湾料理屋の麗郷の向かい側には行き止まりの路地があり、そこにはバラックのインポートショップが2軒並んでいた
🎽🎽💈🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽⑩またしても巨大看板建築と廃墟千葉県ではきわめて珍しい銅板葺き看板建築の感動に浸りながら、さらにその先を目指す相変わらずマンションなどの大きな建物は、目に入らず昭和の頃から何も変わっていないような町並みが続いていると、思っていたら、またしても巨大な洋品店が目に入った何度も書いているが、歴史のある古い町にはなぜか洋品店が多い。とくに埼玉県の宿場町には、たいてい複数の洋品店があ
🎽🎽💊🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽🎽💊⑮かつての繁華街・潮田銀座商店街9月になり狂ったような今年の暑さもようやく一段落……しとらんやないけ。ボケゴルァ!夕べは帰宅後シャワーで汗を流してエアコンもつけずにゴロゴロしていた。が……蒸し暑さに我慢ができず、それでもエアコンは封印して扇風機の風を直接身体に当てるようにしてなんとかしのいだ。日本の四季は、いったいどこに消えたのだろうか?という、どうでもいい前おきはともかくタイトルに鶴見を深
🏠🏠🍚🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍚①まずは淵野辺の歴史的背景から説明する何故タイトルからいきなり靴の写真かというと、この散策のときはこのシルバノサセッティによるノルベジェーゼ製法のラルフローレン・パープルレーベルのセミブローグ「カレル」を履いていたからで、とくに深い意味はないところで今回の淵野辺の記事は、はクッション記事とも通常のものとも少しおもむきが異なる内容である。では、どう異なるのかまず説明しておこうまず、何故に淵野辺かというと、き
🍵🍵🌼🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🌼《年間ベストショット2024》6月・幡ヶ谷・板橋上宿駒込駒込はもっとも古いブロ友さんのひとりであるMちゃんと回ったしかし、駒込という場所の見所は古河庭園の他は「しもふり銀座商店街」ぐらいしかなく、したがって散策した場所は少し前に紹介しているため重複を避けるため割愛する幡ヶ谷この頃から東京がホームの僕に残された葛飾区、江戸川と並んで「死
🏢🏢🍜🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍜①小杉センターロードと拡幅される府中街道3月に「川崎市中部ランダム紀行」と題してマニアックな記事を連載したそのシリーズで書いたように、川崎市中部の町歩きのブログ記事を見かけないのは戦前物件が少なく、また絵になるような古い町並みなどは皆無なので、散策系ブロガーも記事にしにくいのがその理由であろうもっとも武蔵小杉と新丸子のグルメ記事的なものは、いくらでも出てくるが溝の口の矢倉沢往還の町並みはマンショ
🏢🏢📷🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢📷④梅沢写真会館と三ノ輪橋商店街ようやく都電荒川線の起点である三ノ輪橋に到着した三ノ輪橋は古くから栄えた町で、メインの商店街は「ジョイフル三ノ輪」というアーケードになっており、近所の人びとで常に賑わいを見せている僕のブログが取り上げるのは、たいてい“昔は栄えていた”という、いわば過去形の繁華街が大多数であるところがこのジョイフル三ノ輪は、レトロブームの後押しもあり一般観光客の需要もあって、現在も
🏡🏡🚉🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🚉千住間道の路地裏にある謎の洋館今回の散策で立てていた予定は……三ノ輪橋界隈のまだ見たことのない場所を回り、前回シリーズでは暗くて撮影出来なかったジョイフル三ノ輪の裏手を歩くその後は千住間道のあたりをテキトーに歩いて都電荒川線のテキトーな駅で都電に乗って終わるというものであったが、弁当惣菜の店「しまこう」に惹かれて、かつての東京スタジアム跡地の裏手あたりに足を踏み入れると、終わった雰囲気の商店街を発
🍜💈🍖🍘💊🍜💈🍖🍘💊🍜💈①中野区なのに下町のような風景東京の町で「情緒」といえば誰もが頭に浮かべる慣用句が「下町情緒」ではないだろうか?仮に「山手情緒」があったとしても、僕はあまり聞いたことがない。ましてやそれが山手線の外側になると、中央沿線がサブカルチャーと絡めて語られるのがせいぜいだそんな山手線のすぐ外側、新宿区の隣にある町が中野で、中野ブロードウェイのおかげでオタクの聖地と化してしまったちなみに、マニアックなひと以
石岡市(茨城県)にも何かありそうだとは感じていた。時節到来してその気になって調べてみたら、かなり面白そう。看板建築というちょっと耳慣れない建築スタイルに心惹かれて、石岡の街を訪ねてみました。中町商店街には電柱・電線がなかった!詳しくはこちら。必見Webサイトです。中町商店街茨城県石岡市–茨城県石岡市にある『中町商店街』は、国の文化庁から登録有形文化財として認定された看板建築の建物が多く並ぶ古き良き商店街があるところ。nakamachi-shoutengai.comまず石
💈💈📪💈💈💈💈💈💈💈💈📪finalかつての繁華街はシャッター街「ほんちょう商店街」そして「仲通り勉強会」は、だいたい見終えたし目当ての物件も撮影したので、鶴見駅に戻って夕食にしようと考えていると右手の路地に土蔵の薬局が目に入ったなんとなくその路地の雰囲気が気になったので、鶴見駅とは方向が90°ズレているのに、なんとなく路地をすすんでいたら「潮田銀座」という看板を見つけ、その先の交差点を商店街が横切っていた
⛪⛪🐺⛪⛪⛪⛪⛪⛪⛪⛪🐺⑤きつね塚通り商店街の消えた町並み前回の記事の冒頭にも記したが、今回の散策のルートを簡単に説明すると王子駅を降りて北東方面にすすみ「八幡通り商店街」→「宮元商店街」→「御代の台仲通り商店街」→「旧中山道」→「滝野川市場通り商店街」ときて、登録有形文化財の銭湯「稲荷湯」も見たので再び「旧中山道」に戻るというのが現在いる場所であるこの場所には基本的に東から西の方向にすすむが、真っ直ぐではなく南北
🏠🏠✈️🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠✈️⑤塞がれてしまった防空壕と久本薬医門公園前回の記事にて紹介した闇市の匂いを色濃く残した「溝の口西口商店街」は線路沿いにあり、すぐ脇を矢倉沢往還(大山街道)が通っているので南武線の踏切がある踏切を越えると街道はかなり急な坂道になっていて、つまり二子溝口宿の町並みは、そこで終わっていたわけだその坂を以前、ママチャリで登ったことがあるが、おそらく僕のように人並み外れた脚力がないと、登りきることは出来ない
🏠🏠🚽🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚽⑨都内最後のトタンとブリキのバラック群和泉明店街は甲州街道からはじまり「めんそ~れ大都市場」の先、焼肉屋「金剛園」の前で右に直角に曲がり30メートルもゆくと、今度は「テトラ商会」という廃業した電気屋のところで左に直角に曲がっていたつまり城下町でもないのに、どういうわけなのか曲尺手状の構造になっているわけだ「テトラ商会」の前で左に曲がったあとも以前は商店街が続いていたが、過去のストリートビューを年代を追
****しばらく「府中くらやみ祭」関係の記事が続いたので、忘れているとは思うが、足立区散策の続きを……さて、前回このシリーズは、梅島駅に到着したところで終わっていたが、梅島から10分もかからないこのヨーロッパ風の駅に移動したこの単線のホームしかないくせに、大げさな駅は足立区にある古刹、西新井大師の駅だ。たったひと駅しかない路線である前回の最後の写真を再掲載やたらと大げさな駅だが、この駅が大混
****川崎市で最も高い場所は、町田市との市境に近い黒川の山のなかで、標高120メートル程度であるちなみに黒川は、小田急多摩線のマイナーな駅で町田市小野路の小島資料館に、布田道を行った記事を過去に掲載しているが、たしかにすごい山道だった横浜市は意外なことに、山頂ではなく鎌倉市との市境にある山の途中が最も高い。つまり美味しいところは、鎌倉市に持って行かれてしまっているわけだしかし、川崎市で最も高い場所にある商店街は、前回の横浜市港北区
****怪しい飲み屋街があった錦町の赤線跡地は、羽衣町のものとは異なり、わずかにその面影が残っていたしかし、開発の勢いが著しい立川の町は、この赤線跡地の直前まで押し寄せており、ところどころに飲み屋が残ってはいるが、いずれ近いうちに、完全に痕跡がなくなってしまうことは、まず間違いないだろう小料理「たぬき」の奥に写っているのは、立川駅方向から押し寄せているビル群である前回記したとおり、どうせついでだから、立川
****ダッシュで逃げた子猫を追っかけたら玄関前のガーデニングのなかに入ってしまった。たくさん並べられた植木鉢の奥には、陶器でできたカエルさんがいたので思わずパチリうーん、あの子は、このカエルさんを見せたかったのだろうかゆるやかな坂を下りたあたりには、昭和な雰囲気の建物が並んでいた「火気厳禁」の看板の横には謎の空間があった車庫や店舗にしては狭すぎ、かといって物置にしては扉すら備えられておらず、い
🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶④千葉県最後のバラック地帯を見るかつて首都圏には、海外のスラムに匹敵はしないまでも、それに迫る勢いの貧民窟とでも呼ぶべき町があった川崎の多摩川河川敷を第三国人が不法占拠していた河原町、板橋の傾斜地にあったバラック街の大谷口、そして千葉には船橋の運河にあった東南アジアのようなバラック街……そのいずれもバラックは取り払われ、大谷口などは痕跡すら消し去れて消滅してしまい、やがて人びとの記憶からも消え去り、そ
🏠🏠🚑🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚑⑧もじゃアパートと大正13年の平塚医院現在は中野区に所属している江古田は、かつての江古田村である。その村人が新田開発により拓いたのが練馬区に所属する江古田新田であったその新田に大正時代(大正13年/1924年)に西武池袋線が開通して駅が開設されることになり江古田駅が出来たが戦後になり江古田村は中野区に、江古田新田のあたりは練馬区になったこのあたりの経緯は複雑な上に不確定要素が多くシリーズ最初に記した西武が「え
🏢🏢💃🏮💃🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏮④田中屋、灰吹屋、稲毛屋、老舗の矜持・2前回の記事は、たった3つの物件を紹介しただけで終わってしまったが、今回も似たようなもので、タイトルにある「灰吹屋」「稲毛屋」「田中屋」の紹介だけで終わる予定だなんといっても、かつての矢倉沢往還(大山街道)の面影を残す建物は、もうこの3軒しか残っていないのだからところで「灰吹屋」の隣にある秤屋から茶舗になったほうの「田中屋」には、まったく触れていないが、こっちの「
****今回からしばらく荒川区の散策記事である荒川区といっても広いので、今回は荒川区でもわりと知られた商店街の「おぐぎんざ」とその周辺をうろうろした「おぐぎんざ」とは、もちろん尾久銀座のことであるが、商店街の看板はすべて「おぐぎんざ」という表記だったので、かわいいからそれにしたがったところで、この尾久銀座だが「おぐぎんざ」という名称のくせに、最寄り駅は尾久駅ではなく、田端駅のほうが近い。まあ、近いといってもそれは言葉の綾で、駅からかなり
🌿🌿🏡🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏡《年間ベストショット2024》9月・荻窪・代田橋荻窪9月はいつものような長期にわたる連載記事がない代わりに小ネタが多く、したがってあちこちの町を訪れているため、必然的に写真の数が多くなってしまったなので、解説はなるべく簡潔に、というより解説ではなくコメント、キャプション程度に抑える。でないと読み終えるのは一苦労だろうまず
🍡🍡🍅🍡🍡🍡🍡🍡🍡🍡🍡🍅⑦南千住仲通り商店街の衰退に驚く浅草の外れ泪橋の近くにあったのが、かの有名な小塚っ原の処刑場。その慰霊碑のある南千住駅前から三ノ輪橋方面に向かって伸びる細い通りが「南千住仲通り商店街」であるこの商店街を初めて訪れたのは、まだ駅前に邪魔っけなタワーマンションがぶっ建つ以前なので、かれこれ十数年も前のことだ訪れたのは夕方のことで、飲食店の明かりが灯り買い物をする主婦などで賑わっており、いかにも下町といっ
****2回台風が来たと思ったら、いきなり冬の到来にうんざりだ。いったい秋はどこに消えてしまったのだろうか?という前おきはともかく、前回の続きである南武沿線道路から、自転車1台がギリギリ通れる住宅街の細い隙間を抜けると、ほとんど通行人すら見かけない場所に、踏切があり、その周辺には、なぜか戦前に造られたものと思わしき古い建物が固まっていたご覧のように、車1台がやっとといった狭い道路で、写真の手前側に