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🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡⑨江戸時代から続く豪商・岩崎家住宅を見る気まぐれでこの散策をはじめたときは、古民家に関しては、さして期待していなかった。せいぜい戦後型の看板建築が並ぶ昭和中期の懐かしい雰囲気が残っていれば御の字……というのが正直な気持ちで、まあ、ブログ記事3回ぶんの撮れ高ぐらいの収穫であろう……と、高を括っていたところが、南長崎ニコニコ商店街に入ったとたんに出桁造り商家を見つけてしまい、僕の想定をはるかに越えた歴
🎧🎧👖🎧🎧🎧🎧🎧🎧🎧🎧👖⑲ついに伝説のレコードショップかわしまを見る「いいね」は押せるようになったが、かわりに出現したまったく似てないのに「あなたと似ているブログ」という、いらんページの内容が毎回同一人のブログがズラリと並ぶ意味不明のエラーは、いまだに改善される兆しがないあのページ正直、何の必然性があるのかまったく理解できないから今すぐやめるように。と、親切心から忠告しておこうという前おきはともかく……今回の散策は
🏡🏡☕🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡☕②路地裏に残る擬洋風建築「市川歯科医院」北千住の繁華街といえば駅ビルと丸井デパートがある西口側であろう。駅前通りは片側アーケードになっており、途中で交差している旧日光奥州街道を含む地区がそれに当てはまるその地区をメインストリートだとすると線路沿いに続く細い路地がバックストリートで、足立区では最大の飲み屋街になっている飲み屋街は規模としてはさほど大きくはないが、わずか200メートルほどの路地には隙間なく
****下丸子で目的の長屋門を見たので、隣駅の武蔵新田に移動して商店街をうろつくことにした。この駅の商店街には、色濃く昭和の雰囲気が残っている駅前に残っていた古い鰻屋と蕎麦屋は解体されてしまったが……まだ取り壊されていなければ、それ以外にも、かなりレベルの高い建物が残っているはずだ目蒲線、もとい多摩川線の踏切の脇に、特徴的な建物の八百屋があった東急の再編によって、目黒と蒲田を結ん
🏡🏡🍶🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🍶①駅前商店街すらない駅前に降り立つ相模原市の政令指定都市への野望は、近隣の町を強引に併合することにより成就し今や横浜市、川崎市に次ぐ神奈川県第三の政令指定都市になったそのおかげで古い町並みなど皆無だった市内に、旧甲州街道の宿場町、与瀬と津久井道の中野という、江戸時代から続くふたつの宿場町が相模原市所属の古い町並みになった相模中野は、Googleマップを見ていて何気なく発見したが、白紙撤回された
カスヤの森現代美術館で中沢研・平川恒太展を鑑賞後昼飯を食べに上町銀座の蕎麦屋「春日野」さんへこのお店、前から気になっていたんだよね!創業大正15年(1926年)、来年でちょうど百年ですね!風格のある佇まいだなあ入口の戸はアルミサッシだけど他は当時のままうーむ、蕎麦もいいけど丼物もいいなあ!ということで、カレー丼ともりそばのセットもりそばカレー丼は餡の色が濃いねえちょっと味が濃いけれど、普通に美味い!最後に蕎麦湯が出てきましたごちそうさま〜昼食後は周辺を散策しました琴
👕👕👘👕👕👕👕👕👕👕👕👘⑥大門通り会から手児奈通りへ前の記事で地図で示したとおり大門通り会商店街は、真っ直ぐ真間弘法寺まで続いているが、途中で右側に曲がったところにも続いており、よさげな和菓子屋などの老舗があったしかし、ここでも営業している店は少ない感じで、すでに屋号などは記されていない看板建築が目についたそんな終わった雰囲気の通りで、ひときわ目を惹いたのが前回の最後に思わせ振りに紹介
🍚🍚🌹🍚🍚🍚🍚🍚🍚🍚🍚🌹⑦滅びてしまった商店街⑶「塚越銀座商盛会」塚越銀座の商店街は分類上でいうとJR南武線の矢向駅に属することになるが、駅からは相当に離れた場所にある位置的には鹿島田駅と矢向駅の中間地点より矢向駅寄りの場所で、この商店街も何故このような不便な立地に成立したのか、その経緯がよくわからないいや、それは前提が逆で不便な立地だからこそ、このような場所に商店街が求められたのかもしれない
こんにちは。三連休もあっという間に終わりお天気ずーっといまいちで気が滅入るので美味しいものを買いに行ってきます!旅行記事の保存がうまく行かず、やる気が失せて止まっていましたが、奮起!タイトルの通りなのですが、上田には文化財に登録されるような近代建築もあるけれど、街を歩いていて「おっ!」と思わせる昭和な建築が沢山ごろごろしてました。最初の教会以外はお菓子やさん目的に歩いたのですが、出るわ出るわ素敵建築の数々。上田は近代建築のポテンシャル高い街なので、建築好きな方
****京急蒲田からキネマ通り商店街を抜けて、かつて呑川だった緑道の先で、バラックのような平屋建築を見つけて、気分は最高潮……だったのに、お気に入りだった看板建築が解体されてしまったのでプラスマイナス・ゼロになったがその先にある、産業道路のバラックに毛が生えたような素晴らしい現役の商店街を訪れたこの自転車屋は、軒先テントも自前で、そこに無造作にペンキで店名が記されていたこれで現役というのが、なんともいぶし銀の渋さであ
🛀🛀💈🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀💈⑧滅びてしまった商店街とタカラ湯、金の湯大門商店街からいったん荒川方向に向かい、川に出る直前で東のほうに曲がると日光奥州街道まで真っ直ぐ続く道に出るが、その通りが「ニコニコ商店街」だ。大正通りから先の国道の手前は「いろは通り」という名称に変わる北千住にある商店街は基本的に道沿いに続いているだけで、あまり横の拡がりがなく通りのすぐ裏手は、もう住宅街というのが基本的な構造になっている(もちろん、横道に少し続いている
🏡🏡💰🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡💰⑦裏通りの驚き数寄屋風豪邸廃墟かつての日光御成道は、大々的な区画整理によって往時の風情がほぼ壊滅しており、わずかに残った洋風建築や土蔵造りの商家に、街道の名残がある程度であった現地に向かう車内でGoogleマップを精査したところ駅前通りの一本裏通り、日光御成道から直角に分かれている細い道が商店街になっていることが判明し、そちらがメインなのではないかと予想した裏道に曲がると最初に目についたのは「いわ
2月23日(火)の天皇誕生日に、伊南房州通往還歩きの第四回として、前回ゴールの大原から勝浦までの区間を歩いてきた歩き旅の記事その5です。因みに今回は中盤過ぎまで御宿の街の建物特集みたいになってます。当日の歩行ルートは↓。歩いた距離は19km前後かと思います。その4では、昭和遺産的な古民家の宝庫のような御宿町の市街地に入り小躍りしつつ、かなり印象的な物件を見つけたところまでをご紹介しました(↓再掲)。こんな(↑)見え方をすると全体像が気になるので、まずは真っすぐ進んで信号を渡り、
🏢🏢📷🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢📷④梅沢写真会館と三ノ輪橋商店街ようやく都電荒川線の起点である三ノ輪橋に到着した三ノ輪橋は古くから栄えた町で、メインの商店街は「ジョイフル三ノ輪」というアーケードになっており、近所の人びとで常に賑わいを見せている僕のブログが取り上げるのは、たいてい“昔は栄えていた”という、いわば過去形の繁華街が大多数であるところがこのジョイフル三ノ輪は、レトロブームの後押しもあり一般観光客の需要もあって、現在も
🏭🏭🍶🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🍶②京急鶴見駅裏の三業地をゆく前回の鶴見散策とは駅の反対側のエリアには、旧東海道が通っている街道沿いには一応、名主の屋敷跡の史跡説明看板もあったりするが、日本の大動脈と言っても過言ではない街道の面影は皆無であるこれが宿場町だったりすると多少はそれなりの建造物が残っていたりするのだが、神奈川県内のほとんどは近代的に発展してしまったため、埼玉県や千葉県と比べると総じてツマラナイ町並みに変わっており、宿場町
🌃🌃🍝🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🌃🍝①東中野・消えゆく昭和な風景かつて東京には、戦後の闇市の面影を残す場所がいくつも存在していた。猥雑で清潔とは言えないけれど、人びとを惹き付ける怪しい魅力のある町……新宿南口にあった円形の飲み屋街は、写真家のアラーキーを筆頭に写真により詳細に記録されている。渋谷の東急109の裏手と百軒店のあいだ、台湾料理屋の麗郷の向かい側には行き止まりの路地があり、そこにはバラックのインポートショップが2軒並んでいた
🏢🏢🍜🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍜①小杉センターロードと拡幅される府中街道3月に「川崎市中部ランダム紀行」と題してマニアックな記事を連載したそのシリーズで書いたように、川崎市中部の町歩きのブログ記事を見かけないのは戦前物件が少なく、また絵になるような古い町並みなどは皆無なので、散策系ブロガーも記事にしにくいのがその理由であろうもっとも武蔵小杉と新丸子のグルメ記事的なものは、いくらでも出てくるが溝の口の矢倉沢往還の町並みはマンショ
町なかで商店街と思しき並びの中に、ひょいと何の看板も掲げられていない普通のお宅が紛れ込むことがありますね。江戸東京たてもの園でも、そうした自然な街並み再現への配慮なのでしょうか(?)、解説板にはただ「植村邸」とある建物がひとつ。何かしらの商売を営んでいたとかいう説明もありませんが、建物としては「看板建築」の典型でもあるようですので、普通の民家も看板建築に倣って建てるということがあったのでありましょうかね。看板建築の特徴のひとつに和洋折衷というのがありましたですが、銅板で覆われた
🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢①再開発された上大岡駅前に驚く今回は久しぶりに横浜ネタである。といっても、港町横浜のイメージとはほど遠い内陸部、上大岡から弘明寺を結ぶ鎌倉街道の旧道の部分を散策してみたこの鎌倉街道の旧道の部分は、以前、弘明寺を散策したついでに歩いたのだが、もう少しで上大岡というあたりで引き返してしまい、最後まで見ていないことが心残りであったそこで今回は、前回の散策とは反対側、上大岡駅から弘明寺を目指して歩くこ
****小仙波界隈その②さて、前回の記事で予告したとおり、川越に残る遊郭の跡地を散策する。跡地といっても川越の場合、首都圏では稀なことに遊郭建築が、ほぼそのまま残されているということは、大都会でもない小さな城下町の川越には、弁天横町のほかにも遊郭跡があることになり、これは首都圏のみならず全国的にも稀な例だろう前回の記事に掲載した銅板葺き看板建築とは、喜多院の反対側喜多院の西側の裏手のひっそりと
🏠🏠⛪🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⛪②終わっているDONDON商店街かつて南太田にあった日本最大のスラム街は、不良住宅地区改良法の施行により、その多くの部分が同潤会アパートなどに吸収されはしたが、根本的な解決にはならず、昭和30年代頃までは谷戸の斜面沿いに残っていたスラム街があった場所は両側に丘陵が迫る谷戸の地形であるため「乞食谷戸」と呼ばれていたそうだ現在も保土ヶ谷方面に続く谷戸の中心部が商店街を形成しており昭和初期から賑わいを見せて
今年の5月は雨が多い・・5月に関西へのロングツーリング予定でしたが行けずに終わってしまいます。古くからの街道の町であり、現役有名観光地。見所がたくさんあります。今回は昭和の風景と看板建築を見に行きました。ひとけが無いのはコロナ禍だから、今はもう観光客来てるとおもいます。大型観光ホテルができたからか、昭和中期の宿は閉業しているところが多い、純粋な宿だったのかは微妙ですが・・前回の記事の様に江戸以前から風俗花街が大変盛な場所です。人が集まりゃそういう事ですから。古い宿に
🐔🐔🐔🐔🐔埼玉県の宿場町3越谷宿①いきなり駅前廃墟に出合う3回クッションをはさんだが、埼玉県の宿場町シリーズを再開する今回散策したのは、日光道中(街道)の宿場町だった越谷である。日光道中は、宇都宮までは奥州街道と同じルートで、将軍が徳川の聖地である日光に参拝するために整備された往還だ日光に向かう街道は、その他にも日光御成道、八王子千人同心街道と呼ばれる千人同心が日光の守備に就く任務のために整備された日光脇往還があり、徳川幕
****怪しい飲み屋街があった錦町の赤線跡地は、羽衣町のものとは異なり、わずかにその面影が残っていたしかし、開発の勢いが著しい立川の町は、この赤線跡地の直前まで押し寄せており、ところどころに飲み屋が残ってはいるが、いずれ近いうちに、完全に痕跡がなくなってしまうことは、まず間違いないだろう小料理「たぬき」の奥に写っているのは、立川駅方向から押し寄せているビル群である前回記したとおり、どうせついでだから、立川
****さて今回からは、僕のブログにはほとんど出てこない東京都心にある町の散策である。それがどこかというと渋谷に関連したシリーズを、3回の予定ではじめる以前から何度も書いているが、僕は今の渋谷には(地形と暗渠以外)まったく興味がない。川崎に越すまでは東横沿線の世田谷区が地元だったので、中学生のころから遊んでいた馴染みの町であるにも関わらず、だ渋谷に無関心になったのは、ごく単純な理由である。少なくとも僕が高校生のころまでは、渋谷は繁華街ではあっ
🏠🏠🌃🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌃⑤昭和初期建造ピンクの洋館・横田診療所古い建物は次々と取り壊されてしまい、すっかり越谷宿の面影を失ってしまった旧日光街道であるが、前回の記事に写真を掲載した2棟の出桁造り商家が向かい合う場所では、わずかに宿場町の姿を偲ぶことが出来たしかし、出桁造り商家の周囲は更地ばかりが目立ち街並みとしては壊滅的な打撃を受けており、それだけではなく商店街としても成立しなくなってしまっていたこ
****このところ地元のコアな町に凝っている川崎市は人口150万人。神奈川県では横浜市に次ぐ大都市である。そのロケーションは、やけに南北に細長く、そのあたりは東京都といっしょだが、東京都より規模が小さいので、南北を貫く交通手段は、JR南武線しかない一方、東西方向は、特に資料も見ず思い付くまま、列記するだけで、JRが鶴見線、南武支線、東海道本線、京浜東北線、横須賀線、湘南新宿ライン。私鉄が京浜急行、東急東横線、田園都市線、小田急線、京王線……
🍶🍶🌼🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🌼④和泉仲通り商栄会商店街に残る謎の古民家和泉仲通り南商店街および商栄会を歩くと、昔は賑わいを見せていた雰囲気こそ感じられたが、まるで地方のシャッター街を想起させるような空虚な気配が漂っていた唯一、なんとなく賑わっていたのはスーパーマーケットだけで、あとはシャッターが閉ざされたままの看板建築が目立ち、現役で営業している店がポツリポツリと残っているだけのように見えたところが商店街の途中に異物のように存
🏢🏢👽🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢👽①ひと気のない雨の国道と千住大橋駅付近今回は《千住仲町あたり》の記事では時間切れのため見ることができなかった千住大橋駅付近を散策したあと、千住大橋を越えて南千住まで散策する……予定であったが散策した日は生憎の雨。全身ゴアテックスで防水対策はバッチリしてきたが、けっこうな降りで濡れなくても気持ちが折れそうな悪天候であったしかし、前回のシリーズで散策した「ミリオン通り商店街」あたりで小降りになったことで余
熱海赤線跡を引き続き歩きますよ〜こんな感じで建物はどれも同じ年代のものがリフォームもされずにずっと残ってる感じです。うむ。ここら辺一体は、全部こんな感じです。一二三寿司。いい味だしてる。つたや酒店の隣は、丸窓2連チャン。右の薄ピンクっぽい木で覆われてる建物も丸窓だったよ。永遠に時が止まってんな。いかしてるねぇ〜