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🏠🏠💰🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠💰⑬そして訪れた大正浪漫夢通りは暗かった川越街道を市役所の交差点まですすみ「百丈」で年越し蕎麦を食べたあとは、弁天横丁を見てから川越栗橋線に残る古民家をチェックした川越栗橋線を南下すれば札の辻交差点から400メートルほど蔵造りの町並みが続いているが、大晦日の日没後という撮影した条件が幸いして、通行人も車もいない一連の奇跡的な写真を撮影することができた蔵造りの町並みを撮影したあとは、もうひとつの観光スポットで
🏡🏡🚑🏡🏡🏡🏡🏡🏡👞🏡🚑④まさかの洋館と生まれ変わった旧・山田医院羽生の散策を終えたあと、みぽぽんさん(以下敬称略)が流星群が見たいと言い出したので、どうせ僕には大した予定もないことだし付き合うことにしたしかし今回の散策はけっこう時間がかかることを想定して早めにはじめていたので、流星群を見ることができる日没までは時間があり、それなら2駅先の新郷で酒蔵を見にゆこう……と、お酒大好きなみぽぽんが提案したこれは、まったく予定にはな
🏠🏠🌉🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌉②町を衰退させる再開発に蝕まれる商店街地下鉄丸ノ内線の東高円寺駅から地上に出ると目の前を青梅街道が横切っている。その青梅街道から中野方面に続く細い路地が東高円寺のメイン商店街「ニコニコロード」だ商店街の入り口は、とてもメインストリートとは思えない細い隙間だが、飲食店が並ぶ賑やかな通りで、僕が十年ぐらい通っている濃厚ベジポタ系つけ麺の元祖「麺屋えん寺」は、その商店街にある商店街の通りは桃園川が造り出し
🏠🏠🌃🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌃⑤昭和初期建造ピンクの洋館・横田診療所古い建物は次々と取り壊されてしまい、すっかり越谷宿の面影を失ってしまった旧日光街道であるが、前回の記事に写真を掲載した2棟の出桁造り商家が向かい合う場所では、わずかに宿場町の姿を偲ぶことが出来たしかし、出桁造り商家の周囲は更地ばかりが目立ち街並みとしては壊滅的な打撃を受けており、それだけではなく商店街としても成立しなくなってしまっていたこ
🏠🏠🌱🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌱⑫総銅板葺きの出桁造り商家と波板看板建築今回僕が散策した台東区東上野や台東あたりは戦災を逃れた場所が多く、都内でも筆頭の古民家密集地帯であったそんな古民家が並ぶ町並みは僕が学生の頃は、いちいち撮影しよう……などと思わないほど“そこにあって当たり前の風景”だったのだそれが、ここ最近になって代替わりや地上げなどによって、なし崩し的にその数を減らしている前回の記事で看板建築が並ぶ好ましい町並みが、ほとんど
🏢🏢💆🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢💆前熟女CLUBから熊谷、そして飲み屋街へ秩父鉄道の東行田駅からはじまり長々と続いた行田市の散策も、ようやく終わりを迎えた前回、みぽぽんさん(以下敬称略)とコラボした加須の散策は、駅前広場のすぐ脇に「美魔女倶楽部」があって笑ったが、驚いたことに行田市駅前にも「熟女CLUB」という店があり爆笑したそういえば上尾にも「BA・BARオバチャンホンポ」という熟女の店があったし、もしかしたら埼玉県
🏠🏠🍒🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍒final北越谷駅西口のT字型廃墟路地の来歴を探る前回の記事では北越谷駅の西口を出て徒歩2分程度の近場にある有名な飲み屋街の廃墟のアウトラインを紹介したので、今回は内部に侵入して、もう少し深掘りしてみたい言葉で説明するよりGoogleアースで飲み屋街を上から見た構図を見れば一目瞭然だ航空写真の右側に行けば北越谷の駅前ロータリーに出る。この物件のある道は越谷駅から道なりなのだが、画
🏠🏠🍶🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍶final提灯祭り通りと愛宕通りの出桁造り商家埼玉県の宿場町シリーズで羽生を散策したあと余った時間で、それとは知らず日光脇往還(千人同心街道)の新郷宿を散策した予定では羽生のあとに熊谷の古着屋でも回ろうかと思っていたのだが、今度は時間の余裕がなく乗り換え駅の久喜の駅前付近に残る古民家の夜景を撮影することにしたつまり今回は羽生、新郷、久喜と、1日で3箇所の町を回るという、後半はまったく予定になかった完
🛀🛀💏🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀💏①場末風俗店ほど屋号が楽しいのは何故?大宮駅の東口を出て線路に沿った繁華街を北方向にすすむこの線路沿いの道の東側を旧中山道も通っていて、そのあいだの区間は賑やかな繁華街として大宮の中心街となっている線路沿いの道の両側には商業ビルが隙間なく並び歩行者が、ひっきりなしに行き交っていたところが、その賑やかな道をしばらくゆくと「さいたま春日部線」という広い通りが横切っており、その道路は歩行者の利便性のた
🏠🏠⚓🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⚓③路地裏で発見した出桁造り商家に驚愕するかつての大宮の赤線地帯は現在はソープランドが軒を連ねる近代的な風俗店街になっている。しかし、ソープが並んでいるのは進行方向に向かって右側だけで、左側はほとんど更地にされてしまっていた不可解なのはネットで調べるとこの界隈は「北銀座」と記されているのに、そんな名称などどこにも見当たらず街灯に掲げられた看板には「平和通商店会」とあり、風俗店街を抜けてもそれは変わらなかった
🏢🏢🍛🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍛final大宮すずらん通りと一番街を散策してみる前回までの連載で大宮に残っている古い建物は、だいたい紹介したと思うので最終回は古民家ではなく、今まであまり紹介したことがない駅前にあるふたつのアーケード商店街を見てゆく前回の記事はソープ街の北銀座と対をなす飲み屋街の南銀座を紹介したが、南銀座を抜けると大宮駅前の広場に到着する埼玉県では最大の駅なのに、駅前にいきなり駐車場があるのは、コンビニにゆくの
🏠🏠⬜🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⬜⑨清洲橋通りの燃料店と廃業した木村豆腐店前回の記事で紹介した廃屋化した古い建物の並ぶ区画は、もっとも古い2010年のストリートビューの映像の段階で、すでに建物の解体がはじまっており、角地にある平入切妻物件が取り壊された場面が切り取られていたそして、この一角に残る古い建物のほとんどは、その段階ですでに廃業してしまっているような感じの佇まいであったこちらが現在の様子であるが、清
🚃🚃🍆🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🚃🍆①東町商店会と明治時代創業の横田青果店いよいよ次回を持って5回におよぶ探訪の末に完遂した、一連の北千住の散策も最後のステージを迎える前回の記事に記したように最後に訪れるのは、シリーズ中に何度もワードが出てきた「大踏切通り」の由来となった大踏切の向こう側にある踏切から先は、もはや日光奥州街道ではなく仲宿でもないためサブタイトルも《千住東町商店会》に変更したこちらが地図で
🏠🏠🏯🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏯⑦有形文化財の看板建築・百丈から弁天横丁へ川越街道は中山道板橋宿の平尾宿から分岐して下練馬を抜けて川越にいたる短い脇往還で、参勤交代に利用していたのは川越藩だけであった江戸から川越への交通は、むしろ新河岸川の舟運が主流で夕方、川越を出発して翌日、浅草花川戸に至る川越夜舟が知られている要するに川越藩のための街道なので、川越街道のたどり着く先は川越城だ。前回の記事で紹介した白い漆喰の土蔵造り商家の先は
🛀🛀🍱🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🍱②廃業した畳屋と銀座藪蕎麦千住支店を見る遊廓マニアの女性が造った擬カフェー建築の撮影に、またしても失敗したあとは国道6号線を越えて千住寿町に入ったこの通りはハッピーロードから続く商店街になっており、以前は戦後型看板建築を中心に、かなりの店舗が軒を連ねていたが……しかしここでもやはり廃業が相次ぎ、往時と比べると店舗数は激減し古い建物は取り壊されて、マンションなとに建て替えられている
🏠🏠🚧🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚧⑤波板の路地裏からジョイフル三ノ輪商店街三ノ輪の主要な商店街といえばやはりアーケード商店街の「ジョイフル三ノ輪」ということになるが、訪れたのが遅い時間帯だったためほとんどの店舗は営業を終えていたそこでそちらは後回しにして、平行するように通る路地裏を散策し目当ての傾いたバラック廃墟の無事を確認したので、そのすぐ先にある十字路を左に曲がりアーケードに戻ることにしたバラック廃墟の
🏠🏠🍵🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍵③歯抜けにされる町並みと銅板葺き看板建築川越のメイン商店街クレアモールを抜けて、ちょっと回り道をしながら直角に交わる県道15号線を喜多院に向かう僕が初めて川越を訪れた学生の頃は、この通りはもう少し商店街の体裁を為しており、片側アーケードになっていたが……今ではわずかに痕跡をとどめるだけになってしまった。画面の奥に見えている信号の交差点を右に曲がると蔵造り通りに出るが、そちら側に
昨日はリベンジした小泉八雲記念公園を見たあとすぐ近くなので新大久保商店街へ行ってみることにしました。最近は戸山公園内のスポーツセンターに通っているのでこの商店街も近いのですが、私など場違いな気がして足を踏み入れておりませぬ。体操仲間はキムチを買いに行くそうな。でも店の場所は知らないので、何も分かりません。完全にお上りさん状態ですわ。なのでひたすら目に飛び込んできたものを撮って歩きましたが看板や店構えなど多国籍な雰囲気がカラフルで楽しかったです。横道から
🧱🧱🍓🧱🧱🧱🧱🧱🧱🧱🧱🍓③路地裏住宅街に商店街らしき痕跡を見つける北千住駅の南側には高架線化、地下化が著しい東京近郊には今どき珍しい踏切がある踏切を通過しているのはJR常磐線、上野東京ライン、東武伊勢崎線、日比谷線、つくばエクスプレスなど多くの路線があるためやたらと幅が広く「大踏切」と呼ばれているその大踏切から荒川方面に続く広い並木道が「大踏切通り」だ大踏切通りを荒川方面に向かい、柳原商栄会
🍜🍜🐴🍜🍜🍜🍜🍜🍜🍜🍜🐴①サンロード宿場町通り商店街に残る江戸の名残千住の赤線の名残である大門商店街を抜けて消滅寸前のニコニコ商店街から中居堀通りに出て、この地域に向かうときに使ったサンロード商店街の続きの道に戻ったということで、今回からシリーズ最終回までの2回は今までサブタイトルにしていた大門商店街とは、何の関係もなくなるのでサブタイトルを「大門商店街」から「旧日光奥州街道」に変えるサンロードは北千住のメイン商店街の旧日光
🏠🏠🍚🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍚⑩廃業してしまった食品のうるしばら、望月米店清洲橋通りから「鳥越おかず横丁」に入ってすぐのあたりは、廃業した店舗や移転してしまった店舗、かつての店舗の部分が空っぽにされてしまった銅板葺き看板建築など、いわゆる「廃」な物件が目についたしかし商店街も、なかほどになると現役で営業している店や、新たに開店した店舗など商店街に復活の兆しが見えたとはいえ、やはり衰退傾向から上向きに転じたかというと微妙なところで、
🪸🪸💈🪸🪸🪸🪸🪸🪸🪸🪸💈⑪ホスト募集とパブレストラン・サンゴの謎前回の記事の最後に掲載した北越谷駅西口にあるディープスポットは、ごく健全な日本全国どこにでもありそうな郊外の私鉄沿線の駅前商店街に入って徒歩2分といった場所にあるしかも、ちょっとわかりにくい路地裏にあったり、飲み屋街の一角にひっそりとあるわけではなく、駅から斜め方向にある商店街の外れに唐突に姿をあらわすのだ最初にギョッとさせられるのは前回の記
🍺🍺🐺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🐺《年間ベストショット2024》7月・大山・板橋本町大山さて前月の中山道の仲宿の入り口を横切っている王子新道を、南方に10分程度歩くと東武東上線・大山駅の東口商店街「遊座大山商店街」にぶつかる「遊座大山商店街」は、ほとんどの店が飲食店のような印象の町で、昔懐かしい雰囲気の中華料理屋、居酒屋がある一方、駅前付近は全国チェーンの飲食店が目につく
ご訪問ありがとうございます。記事は憶測で書いてますので内容に誤りがありましたらコメント等でご指摘頂けると助かります。全国のJR駅が見たい時はこちら→☆第三セクター・私鉄駅が見たい時はこちら→☆皆さま、こんにちは!月刊誌の「鉄道ジャーナル」が本年の6月号をもって休刊になるとか…自分が幼少の頃(今から40年以上前の話です)、「鉄道ジャーナル」は鉄道旅の指南書のようなものでして、リアリティーを求めた乗車記は今読んでもドキドキさせられてました。創刊号から揃えている「鉄道ファ
前回の最後、都心には珍しい出桁造りの建物を取り上げたが、これをも少し。樋口一葉が菊坂に住まっていたとき、貧苦のなか、しばしば通った質屋が、ここ伊勢屋質店だ。ひととおりの関係ではなかったと見えて、一葉夭折の折り、伊勢屋主人は香典を供えて葬儀に連なったという。裏に回ったところ。伊勢屋は跡見学園が取得して、保存に努めているそうだ。さて、伊勢屋のある菊坂が本郷通りにぶつかると、そこは東大農学部の前。右手に向かうと赤門だ。この農学部から赤門に至る道は、看板建築が立ち並ぶが、ほとんどが廃屋だ。こ
🏠🏠👞🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠👞②駅前の再開発地区はリーガルとニッピ工場雨天に決行した散策は「北千住」→「千住大橋」→「南千住」という予定であったが、雨の勢いは、「本降り」→「傘もいらない程度」→「本降り」と変化したこの日はオイルド・キャンバス生地のフィルソンのキャップ、カナダ製のゴアテックスパーカー、オーストリア軍のゴアテックスパンツ、世界初のゴアテックス搭載のアウトドアブーツのダナー・ライトⅡーーと、物理的には、ほぼ完全に雨漏り
🏠🏠🍜🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍜①家系ラーメンひじり家から散策スタート前のシリーズは連載10回を越える長編だったので、今回は中編のシリーズを連載するというのは、今回も房総往還と同様に突発的な「散策」であることに変わりはないけれど、そういった大きな広がりを持つ場所が対象ではなく小田急線の経堂駅にあるラーメン屋に立ち寄ったついでの散策だからだ経堂駅の商店街は小田急線の線路と「X」字に交差している小田急線の線路が「X」の「/」だとす
🍸🍸🐌🍸🍸🍸🍸🍸🍸🍸🍸🐌①地下通路のフィボナッチ数列から飲み屋街へタイトルを前回までの《千住柳原をゆく》から《北千住一丁目&宮元町》に変える。というのも前回の記事の最後に説明したとおり、今まで散策していた北千住駅の東口側から西口に移動するからであるところで今回の取材は、一度に行ったのではなく都合4回にわたり実施しているため、時系列がバラバラになっていて、いずれにも共通しているのは、夜間に行ったということぐらいだここで、これか
📖📖🐧📖📖📖📖📖📖📖📖🐧⑦チャイルドイシドウと池畔ショッピングロード前回、旧綱島街道を散策したのは2014年にブログを開設した翌年の10月頃のことであったその頃は、まだブログの方向性も定まっておらず散策記事もざっとしたもので、ブックレビューを書いたり、当時ハマっていたロックバンドのライブリポートと内容が多岐にわたっていたそのような状況なため旧綱島街道の散策も雑なもので、白楽から菊名という同じ距離を移動しているのに、ほんの数回
🍶🍶💊🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶💊③民泊になった老舗蕎麦屋とフィボナッチ数列東部伊勢崎線の堀切駅から隅田川と荒川を繋ぐ水路を越えたあと、鐘ケ淵駅方面に向かう細い路地に入った路地に入ると右手に千年の歴史を持つ多聞寺があり、門前には立派な出桁造り商家が残っていた通りは、かつては多聞寺の門前町の商店街だったようで、その他にも惜しくも銅板葺きのファサードを取り外してしまった出桁造り商家があり、少し先で通りは変形十字路になっていた十字