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🏠🏠🍶🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍶final提灯祭り通りと愛宕通りの出桁造り商家埼玉県の宿場町シリーズで羽生を散策したあと余った時間で、それとは知らず日光脇往還(千人同心街道)の新郷宿を散策した予定では羽生のあとに熊谷の古着屋でも回ろうかと思っていたのだが、今度は時間の余裕がなく乗り換え駅の久喜の駅前付近に残る古民家の夜景を撮影することにしたつまり今回は羽生、新郷、久喜と、1日で3箇所の町を回るという、後半はまったく予定になかった完
🏠🏠👘🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠👘②次々と取り壊されてゆく往時の商家たち前回の記事では埼玉県久喜市を代表する人物、土蔵造りの榎本善兵衛家とその向かい側に残っている分家のものと思われる出桁造り商家を紹介した2棟の立派な建物が向かい合っていることから愛宕通りは、直角に交差している提灯祭り通りと共にかつての久喜の目抜き通りであったことは明らかであるしかし造り酒屋の寒梅酒造は、跡形もなく取り壊されてマンションに建て替えられ、2棟の並びは更地だ
🏡🏡🍶🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🍶①久喜・愛宕通りの榎本善兵衛家住宅と分家「ぎょうざの満州」で夕食を食べたあと、みぽぽんさんは温泉に、そして僕は久喜の駅付近に残る古い建物の夜景を撮影するため駅前から菖蒲方面に向かう「提灯祭り通り」と直角に交わる「愛宕通り」を左に曲がった久喜市内には日光街道の栗橋宿、江戸時代から参詣客で賑わいを見せた鷲宮、近年になって合併した水運で栄えた菖蒲町など、他にも古民家が残る町があり開発されてしまった久喜駅前より、よほど
🌙🌙🚃🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙🌙🚃final見られなかった流星群と新郷駅の待合室いつもより早い時間から散策をはじめたため羽生駅の周辺をだいたい見終えたあともまだ陽が高く、みぽぽんさん(以下敬称略)が流星群が見たいと言い出したので、どうせ暇だし付き合うことにした流星群は日没直後ぐらいに西の地平線近くを横切るという話であるしかし日没までは、まだかなり時間的な余裕があったので、こちらもみぽぽんの思いつきで、秩父鉄道で羽生駅から2駅先の新郷
🏡🏡🚑🏡🏡🏡🏡🏡🏡👞🏡🚑④まさかの洋館と生まれ変わった旧・山田医院羽生の散策を終えたあと、みぽぽんさん(以下敬称略)が流星群が見たいと言い出したので、どうせ僕には大した予定もないことだし付き合うことにしたしかし今回の散策はけっこう時間がかかることを想定して早めにはじめていたので、流星群を見ることができる日没までは時間があり、それなら2駅先の新郷で酒蔵を見にゆこう……と、お酒大好きなみぽぽんが提案したこれは、まったく予定にはな
🍜🍜🍞🍜🍜🍜🍜🍜🍜🍜🍜🍞③総合衣料大高洋品店と新郷の錆王の白い花羽生駅から移動したローカル線の風情にあふれた秩父鉄道の無人駅・新郷では、駅の付近に1軒の店も見当たらず、かつての商店街は駅脇を通る県道に出てしばらく歩いた信号のところからはじまっていたそこにはドラッグストア、コンビニ、床屋の他にも、うどん屋、以前は店舗だったような看板建築が見られた。また、現在はコンビニになっている場所に以前は看板建築の渋い酒屋があり、隣にはガソリンスタンドが
🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🌵🍶🍶🌵②大人気の花陽浴と捨てられたHONDAタクト秩父鉄道の羽生駅の散策を終えたあと古着屋でも回ろうと思っていたら、今回の案内人みぽぽんさん(以下敬称略)が流星群が見たいというので、どうせ時間はあるし付き合うことにした。が……早い時間から散策をはじめていたため、まだ夕暮れまでには余裕があり、2駅先の新郷駅まで移動して酒蔵を見物しにゆくことにした。もちろんこれはお酒大好きのみぽぽんの提案であるしかし、この気ま
🏡🏡🚃🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🚃①左官の親方の古民家とハーフ長屋門を見るさて、クッション記事を入れたあとは、埼玉県の宿場町シリーズの羽生編の続きに戻るところで羽生駅から西羽生、新郷とわずか2駅移動しただけなのに、タイトルが《埼玉県の宿場町28新郷》と、別のシリーズになっているーーという件に関して怪訝に思う向きも多いかと思われるが、この件に関しては連載の後半で詳しく説明するとして……前述したように
秋田県北部の港湾都市能代市。原木、材木の集積地として江戸時代から栄え、秋田県北部を東西に流れる米代川を利用した筏流し。鉄道開通後は網の目のように広がる森林鉄道と繋がれた奥羽本線、花輪線、阿仁合線を利用した鉄道輸送により材木のみならず人や物資の集積地としても発展しました。2018年の撮影です。戦後すぐの建物と思われる美容院。近くには歓楽街も有り、木材で財を成した男性や船乗りの相手をする女性達で賑わった事でしょう。大火後区画整理された住宅街に建つ銭湯「巴湯」。近年残念ながら閉業しました。魅力
皆さんおはようございます。Buenosdias加油!!は中国語で頑張れだっけ?KATUは?空が広い一日になりそうです。今朝は高齢者が多いので結構抜かしていったけど調子こくとまた後半バテるので意識してゆっくり歩こうと思います。「どれだけ早く宿に着くか?そんなことよりしっかり歩けそして何かを残せ」四国の教えを守ります。乾いた大地を潤す灌漑施設の井戸かな。左手に給水塔。どこの国でも結局同じような路上観察をしています。四角くてシンプルな電柱と用水路Azofra村下水道(蓋)設置は
👖👖🍜👖👖👖👖👖👖👖👖🍜リサイクルショップ巡りのついでに、つつじヶ丘富士見街を撮るもはや説明するまでもないが古着屋およびリサイクルショップ巡りは、僕のライフワークとなっているもっとも頻繁に訪れているのが下北沢と高円寺、次が中目黒→祐天寺→学芸大学コース、ついで渋谷→原宿コースあたりだしかし、それ以外にも月に一度ぐらいは訪れるようにしているのは埼玉県の大宮、越谷、そして千葉県の千葉、柏。あとは横浜と地元付近といった感じであるが
2025年11月1日(土)仁川は、韓国最大の国際空港がある黄海に面した港町。韓国唯一のチャイナタウンに隣接した松月洞は、童話をテーマとして街の活性化を図り再生した。松月洞童話村の入口付近。写真中央の門は中華街“韓中門“という門。住宅街が高齢化で老朽化したり空き家になったりしたが、活性化のための壁画プロジェクトだったが、壁画だけでなく家全体を童話の城ようにしたりオブジェを置いたりして、街が童話のテーマパークのようになっている。街なので入場料は要らない。小さな路地もカラフル。CAFE等の
🌇🌇🐯🌇🌇🌇🌇🌇🌇🌇🌇🐯final気まぐれに移動した新郷駅で夕陽を見る羽生の旧市街をほとんど見終わったあと駅前にあった昭和な喫茶店「コーヒータイム」で一休みして、散策を終える……というのが、僕がなんとなく決めていた予定であったその後は秩父鉄道で久喜か熊谷に移動して夕食を食べ時間が余れば古着屋でも回ろうーーと、考えていたが、みぽぽんさん(以下敬称略)の「今日は日没後に、○○流星群が見られるのよ」という言葉をきっかけに
🏠🏠☕🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠☕⑪入山新道の消えてしまった土蔵と古民家かつての羽生の中心街だった松原通りから路地に入ると、そこにも出桁造りなどの古い商家が残っていたその路地をしばらくゆくと散策を開始した当初に通った「羽生中央公民館」のある十字路に出る。交差している道もかつては商店街で公民館の向かい側には戦前型看板建築がズラリと並んでいたが、取り壊されて現在は更地になっていた公民館からプラザ通りに向かうと右側に2階の格子窓が美しい出桁造り
🏠🏠🥜🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🥜⑩終わってしまった路地裏の商店街をゆく僕と案内人のみぽぽんさん(以下敬称略)は、駅前通り、キンカ堂通りから無名の商店街を抜けて、プラザ通りを横切って葛西用水の橋からはじまる無名の商店街その2を経て、旭町大通りから土辺通りを通り再びプラザ通りを横切って松原通りに入った松原通りは、かつての羽生の中心街だった賑やかな商店街であったが、廃業が相次ぎ古い建物は取り壊され更地が目立つ寂しい雰囲気に変わっていたひと
🌿🌿🏡🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏡⑨食べ逃したあま太郎ともじゃ出桁造り商家「旭町大通り」から「土辺通り」に曲がり「プラザ通り」を越えると道の名称が「松原通り」に変わる。かつての羽生の目抜き通りと言ってもよい商店街だところが廃業が相次ぎ古い建物は次々と取り壊されてしまい、現在は更地だらけの空虚な雰囲気の町並みになってしまっていた通りをしばらくゆくと広めの通りと交差していて、かつてその交差点の脇にあった一度この
🏠🏠🍜🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍜⑧消されてしまった町並みと残った戦前物件現在の羽生駅周辺における目抜き通りといえば、それは「プラザ通り」であるかつてはジャスコがあり、その隣には現在も大正6年創業の「和田百貨店」があり、今まで見てきた多くの店舗は廃業し更地ばかりになり住宅街に侵食されつつある「駅前通り」や「キンカ堂通り」とは比較にならないぐらい現役の店舗が並んでいたでは、栄えているのか?と、問われたら「否」と答えるしかないような雰囲
先日予告記事を投下した和歌山旅行(11/20~11/22)の本編その1です。11月20日(木)夜10時前に和歌山到着し、翌朝ホテルで朝食を摂ったらさっそく出発します。最初の目的地は紀三井寺というお寺。紀三井寺はおよそ1250年ほど前の奈良時代の宝亀元年(770)、唐の僧侶、為光上人が開基したお寺で、お寺の号は護国院といいますが、通常は紀三井寺と呼ばれています。実は当初の予定では、この日一日かけて高野山に行こうかと思っていましたが、念のため「高野山クマ出没」と検索するとかなりの数で
🏠🏠🐻🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🐻⑦プラザ通りから荒廃してしまった松原通りへ前回の記事では「旭町大通り」を散策して寄棟屋根の廃業した商家のある交差点から「土辺通り」に入って羽生駅方面に曲がり、向かい合う2棟の出桁造り商家などを見つつ、現在の羽生駅周辺の目抜き通り「プラザ通り」に出た……というところまで書いた。「プラザ通り」は、その通り沿いに羽生市民プラザがあるから名付けられたのだろう「プラザ通り」は近年にな
沼田駅前トイレにクマ!って・・ええ?!いや、そんな田舎じゃないよ、全然町だよ。ふつーに夜は居酒屋で大騒ぎしてる声が響いてるし、夜営業の大型スーパーもある便利なトコ。私も10月に夜散歩して写真撮ってたけど猫臭すらしなかった本当に熊なのかな?前、熊情報で黒猫だった事もあるし、放し飼いの犬、アライグマとか・・江津市(ごうつ)なにがあるわけでもない普通の町、ここを宿泊先に選んだのはスーパーホテルがあったからだけでした。でも結果、今日一番の楽しい旅時間を過ごせました!おそら
🏢🏢🍅🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍅⑥土辺通りに残る錆びた土蔵と和田百貨店ところで、これまでの散策の経緯を記すと……羽生駅を降りて駅前通り商店街からキンカ堂通りを経て、右折してプラザ通りを横切って葛西用水に突き当たり、名無しの橋からプラザ通りに戻る道にある残る古民家を見たあと、いったん名無しの橋まで戻り別の方角に続いている「旭町大通り」を散策した←長いよ「旭町大通り」は、羽生駅前から真っ直ぐ延びる大通りと交差しているが、その手前に
🏠🏠📪🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📪⑤旭町大通りと土辺通りの交差点付近の建物羽生の散策を決めたあと自宅でGoogleマップを見ていたら発見したのが「旭町大通り」であるこのあたりは羽生駅の商業圏から外れているため、かつて羽生在住だったみぽぽんさん(以下敬称略)ですら、ほとんど足を踏み入れたことのない羽生の場末町となっていたしかし、それはあくまでも現在の話で残されている立派な商家などを見ると、繊維業界が隆盛を極め河岸があった頃は、おそらく羽
10月22日はニャッコールクラブの撮影会に初参加しかし土砂降りとまではいかないがしっかり本降りすぐ屋根の下に入りたくなっちゃう程度の本降りです三崎港の街はうらりに行ったり船に乗ったり等したことはあるけど街歩きは初めてですレトロ感半端なし看板建築だ〜〜昔鎌倉にもあったけどほぼ絶滅雨にめげずに撮ってたけどでもやっぱりめげてるのよただ撮っただけの写真ばっかこんなに降ってるんだもん・・・
石見銀山ってすごく有名なので、石見っていう地名があるかと思ってました。石見の国にあった「戦国時代から江戸前期に活躍した銀の露頭鉱山」ですって!露頭鉱山ってアンタ・・めっちゃ規模小さ!うっすー!なんか知名度よりも実働の規模が小さかった、、銀は早々に枯渇して銅山としての方が長い。鉱山名も「大森銀山」「佐摩銀山」が呼ばれていた名称、、ふーん。じゃあ有名な「石見銀山ネズミ取り🎵」ってなんなん?調べましたら130kmも離れてる津和野の鉱山で取れたヒ素を「石見で取れた殺鼠剤(ヒ素
🏠🏠📺🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📺④旭町大通りの解体された古民家と擬洋風建築利根川から取水した葛西用水にあった河岸から続いていたものと思われる「旭町大通り」には、出桁造り商家や前回の記事にて紹介した2棟の擬洋風建築などが残っていることから、明治から昭和初期頃にかけて羽生の中心街的な場所だったものと思われるしかし、商家は廃業して次々と解体されて建て売り住宅や虚しく更地のまま放置されているのが現状であったそういった古い建物が取り壊されてい
💐💐🍞💐💐💐💐💐💐💐💐🍞③期待どおり怒涛の古民家ラッシュがはじまるところで一昨日、7月以来久しぶりに……当ブログが「風景写真」部門3位にランクインしたまあ、といってもアフィリエイトをしているわけではないので、とくに金が入るわけでもなく、また「だからどうした」と、言われれば「ただそれだけ」のことなのだが……しかし、このようなニッチでマニアックな内容のブログが3位にランクインするなんて、これもひ
🏠🏠🐝🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🐝②廃商店街の廃墟の商家からキイロスズメバチ久しぶりの埼玉県の宿場町シリーズだが比較的東京から行きやすい埼玉県の宿場町は、ほぼ網羅してしまっているため、あとは秩父方面と群馬県に隣接する地域を残すのみになってしまった同じ埼玉県民でも所沢や川越に住む者のほとんどは、行田とか熊谷とか今回の羽生には縁がないのが普通だが、それが神奈川県民の僕は尚更そうで、ブログの取材以外にはこの地域は過去に熊谷を2回訪れたことがあるぐらい
🏠🏠🏭🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏭①木造の大型被服工場から旭町大通りへ向かう3回ほど「間」を空けたので忘れているかもしれないが、埼玉県の宿場町シリーズ羽生の続きである僕と同行者というか案内人のみぽぽんさん(以下敬称略)は、羽生駅を出て駅前通り商店街からキンカ堂通り商店街を散策したあとプラザ通りを横切って、葛西用水のところまで歩き、そこで滅びかけている商店街を見つけた町並みを見ると出桁造り商家など残された建物から、少なくとも昭和初期頃に
🏢🏢🍜🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍜ついに完全に封鎖されてしまった「北沢ビル」を振り返る以前の記事でお伝えしたように、ある意味、下北沢のランドマークと言っても過言ではないRC構造三階建ての昭和なビル「北沢ビル」の解体がはじまろうとしているこのビルに関しては、1階の角地に入居していた「ナンステーション」というインドカレー屋に数回入ったり、2階に入居していた古着屋が顔見知りな程度で、ほとんど縁はないのだが、風景としては下北沢にはなくてはならない強烈な
🍵🍵💻🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵💻⑫更地化により滅びかけた町に衝撃を受ける羽生駅を降りて、かつての中心街である羽生駅前通り商店街からキンカ堂通り商店街を抜けて、現在の中心街プラザ通りを横切って葛西用水までやって来た羽生市立羽生北小学校の横を流れる葛西用水のひとつ下流に架かる橋の両岸は、往時は河岸があったのか、戦前の古い建物が複数残っていて、そこから商店街が二筋続いていたひとつは最初から目的地に設定していた「旭町大通り」で、もうひとつは