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🏡🏡🌼🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🌼《年間ベストショット2024》11月・行田市①今回から2024年度、最長の連載「行田市」編がはじまる。この土地は僕にとって完全にアウェイのため、以前この近所に住んでいた元地元民であるブロ友みぽぽんさん(以下敬称略)に、ガイドをお願いしたなお行田市に関しては撮影枚数が700カットを越える渾身の取材のため、写真点数が異様に多いため1回の記事では収まらず、11月は前後編でお届けする行田市は小説や映画にな
昨日の続きになりますが神田錦町を歩いた後、久しぶりに神保町へ出て来ました。ここをゆっくり歩くのは数年ぶりかも。なので、ここは楽しみながら気ままに歩いてみよう!ほとんどの店がまだ正月休みでしたが。神田すずらん通りも人影まばら。でも文房具の老舗、文房堂さんは開いていました。いつ見ても素敵なビルですね。ドアの上はニャンコでしたガードレール代わりのポールもスズラン
🌿🌿🏡🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏡《年間ベストショット2024》9月・荻窪・代田橋荻窪9月はいつものような長期にわたる連載記事がない代わりに小ネタが多く、したがってあちこちの町を訪れているため、必然的に写真の数が多くなってしまったなので、解説はなるべく簡潔に、というより解説ではなくコメント、キャプション程度に抑える。でないと読み終えるのは一苦労だろうまず
💃💃🐘💃💃💃💃💃💃💃💃🐘《年間ベストショット2024》8月・西荻窪・八王子西荻窪8月の頭は中央線沿線のディープな町、西荻窪からはじめた。こちらもブロ友Mちゃんと回ったが、単なるデートではなく古書店巡りというテーマを設けた西荻窪は僕が学生の頃から馴染みの町で、当然、その頃から目当ては古書店であった現在もかなり古書店は残っているが、当時よく本を買っていた自然科学に強かった「花鳥風月」は、いつの間にか閉店してしまって
🍺🍺🐺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🍺🐺《年間ベストショット2024》7月・大山・板橋本町大山さて前月の中山道の仲宿の入り口を横切っている王子新道を、南方に10分程度歩くと東武東上線・大山駅の東口商店街「遊座大山商店街」にぶつかる「遊座大山商店街」は、ほとんどの店が飲食店のような印象の町で、昔懐かしい雰囲気の中華料理屋、居酒屋がある一方、駅前付近は全国チェーンの飲食店が目につく
みなさま!新年あけましておめでとうございます。旧年中はたいへんお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます(≧∇≦)!という新年のご挨拶もそのままに鎌倉街道中道(なかつみち)歩き第4回のその4に入ります。歩いたのは11月3日(日)=文化の日で、歩行ルートや立ち寄りポイントは以下地図の通り。歩いた距離は全部併せて16kmをちょっと超えるくらい。その3では、鎌倉街道中道が延々と世田谷区/目黒区の区境になっていることや、その区境に残る廃アパートとみられるシブい物件をしげしげ
🍵🍵🌼🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🍵🌼《年間ベストショット2024》6月・幡ヶ谷・板橋上宿駒込駒込はもっとも古いブロ友さんのひとりであるMちゃんと回ったしかし、駒込という場所の見所は古河庭園の他は「しもふり銀座商店街」ぐらいしかなく、したがって散策した場所は少し前に紹介しているため重複を避けるため割愛する幡ヶ谷この頃から東京がホームの僕に残された葛飾区、江戸川と並んで「死
今年もよろしくお願いいたします
日本の看板建築について調べられる本を紹介します。『看板建築図鑑』(別タイトル:Japanesesignboardarchitectureillustrated)著者は、宮下潤也氏です。出版社HP:看板建築図鑑昭和初期に建てられたものを中心に全国の看板建築の立面図に詳細な解説を加えた、看板建築のイラスト図鑑。読み物も充実。大判の本でご堪能ください。daifukushorin.com日本全国の看板建築を描いたイラスト作品集です。各建築について、成立年代や場所、特徴などを知る
🏡🏡🍞🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🍞《年間ベストショット2024》2月・溝の口・材木座溝の口2月は武蔵小杉と並ぶ地元川崎の中部の中心街である溝の口からはじめる溝の口は矢倉沢往還(大山街道)と八王子道(府中街道)が交差する宿場町で、古い町が東海道・川崎宿、中原往還・丸子宿(小杉村)、津久井道・登戸宿の3つしかなかった川崎市域では珍しく古い建物が残っていたしかし、多摩川をわたれば東京都世田谷区の二子玉川という絶好のロケーシ
🏠🏠🍊🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍊《年間ベストショット2024》1月・鎌倉・谷根千今年はちょっと遅れ気味にはじめる毎年恒例の《年間ベストショット》だが、この時期はFUJIのXQ-1のレンズのコーティングが剥がれてしまい、ただでさえ古いカメラより、さらに古いファインピクスEXRF200を使用しているFUJIの写真はブルーががった絵に設定されているのか、ここ最近のRICOHGRとは画面の雰囲気がちょっと異なっているまず最初は2023年
🏠🏠🌃🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌃⑤昭和初期建造ピンクの洋館・横田診療所古い建物は次々と取り壊されてしまい、すっかり越谷宿の面影を失ってしまった旧日光街道であるが、前回の記事に写真を掲載した2棟の出桁造り商家が向かい合う場所では、わずかに宿場町の姿を偲ぶことが出来たしかし、出桁造り商家の周囲は更地ばかりが目立ち街並みとしては壊滅的な打撃を受けており、それだけではなく商店街としても成立しなくなってしまっていたこ
🏠🏠🍘🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍘③すでに存在しない日光街道越谷宿の風景東武線と平行している旧日光街道をいったん外れ、街道以外に残っていた古民家の無事をたしかめるため横道に逸れたその横道も以前は商店街だったようで、廃業してしまっているようにしか見えない鮮魚店があった。ちなみにGoogleマップには現役として記されていたので、とりあえず安堵するしかし、マップと現実のあいだには、かなりタイムラグがあることは常識で……
🚲🚲🎎🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🚲🎎②次第に減りつつある旧日光街道の古民家たち越谷駅の東を東武伊勢崎線と平行するように旧日光街道が通っている。旧道の部分は越谷駅のやや南方で県道52号線から分岐して北越谷駅付近まで、かなりの距離が残っているしかし、ここでも例によって建物の建て替えが進行しており、古民家はところどころに点在しているだけで、街並みとしては残ってはいないだたし、大宮や浦和のような大都会に発展しているわけではないため、場所によって
🏠🏠🐌🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🐌①あまり見所のない東口から旧日光街道へ当ブログの看板企画である《埼玉県の宿場町》シリーズだが、すでに埼玉県のほとんどの宿場町を網羅してしまったとりあえず大物としては秩父、熊谷、羽生が、小物としては妻沼、騎西、児玉、寄井あたりが残るぐらいで埼玉県内にある宿場町は、だいたい訪れていることになる騎西に関しては計画まで立ててルートを調べたりしている最中に、目当てだった銅板葺き看板建築が解体されてしまい、腹
🏢🏢🍜🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🍜武蔵小山の西口商店街を見て学芸大学で担々麺武蔵小杉に続いては武蔵小山のネタであるまた武蔵かよ……なんて言葉が聞こえてきそうだが、首都圏の西から北にかけては武蔵国だったため、駅名に武蔵がつく駅は21駅もあるので、とくに珍しいことではないさて、そんな武蔵小山は全長800メートルもある東京でいちばん長いアーケード商店街があることで知られているしかし、アーケードから出てしまうと西、南、北の3方向は、すぐ
鎌倉街道中道(なかつみち)歩きの第四回として、上野毛から新宿御苑までの区間を歩いた旅日記のその2です。歩行ルートや見て回った街道遺構などはこちら↓。寄り道も含めると歩いた距離は16kmちょっとくらいだと思います。その1では、天祖神社にお参りした後、鎌倉街道中道に左後ろから道が合流して来るY字路で後ろを振り返ると庚申塔やお地蔵さんが並んでいたのを発見したところまでをご紹介しました(↓再掲)。ほどなくこれまで歩いてきた上野毛通りの鎌倉街道中道は、目黒通りに合流します。合流した地点
🏢🏢🚃🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🚃タワマン銀座の武蔵小杉から市ノ坪短絡線橋台跡へ武蔵小杉にはタワーマンションが林立し住みたい町の上位に確実にランクインしている地方から上京する者が都会的でお洒落なイメージを抱く、そんな武蔵小杉だが、高度経済成長期以前は、駅から10分も歩けば田圃や畑が拡がるような場末の町であった賑やかだったのはむしろ隣の新丸子駅のほうで、東京からの粋人が遊興しにくる三業地として昭和初期頃から栄えていた一方、武蔵小杉
🏡🏡🍺🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🍺日吉駅と綱島駅の真ん中、箕輪町の廃業した富士屋長々と埼玉県ネタが続いたので、地元の横浜、川崎のネタをいくつかお届けする予定で、まず最初は東急東横線の日吉に絡んだ話をしようと思う東横線の日吉駅といえば駅の真ん前にある慶應義塾大学が知られている他は、とくに名物と呼べるようなもののない平凡な駅である。慶応がある台地には、かつての日本軍の地下要塞もあるけれど公開されていない東急東横線が開通する以前は、鶴見川の
🏢🏢😹🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢😹後中山道の裏道で白い猫をなでなでし損ねる熊谷駅の繁華街の外れ、怪しげな飲み屋街を抜けて広い通りをわたったところに、3軒めの古着屋があったその店は錆び錆び波板モルタル物件を居抜きで借りたような店で、典型的なアメリカ古着の店だった直球な品揃えはあまり僕の好みではなかったが、それは店のせいではなく僕の嗜好が若干ゲテモノ寄りだからで、その店になんら落ち度はない次の店を目指そうとGoogleマップを開く
🏢🏢💆🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢💆前熟女CLUBから熊谷、そして飲み屋街へ秩父鉄道の東行田駅からはじまり長々と続いた行田市の散策も、ようやく終わりを迎えた前回、みぽぽんさん(以下敬称略)とコラボした加須の散策は、駅前広場のすぐ脇に「美魔女倶楽部」があって笑ったが、驚いたことに行田市駅前にも「熟女CLUB」という店があり爆笑したそういえば上尾にも「BA・BARオバチャンホンポ」という熟女の店があったし、もしかしたら埼玉県
🌇🌇✈️🌇🌇🌇🌇🌇🌇🌇🌇✈️final振り出しに戻って見上げた空に飛行機雲好奇心から路地裏に入ったおかげで見逃す寸前だった写真館の北側の肖像写真の撮影用に設えられた窓を発見できたのは僥倖であった……といっても、これは僕の勘が冴えたと解釈できないこともない八幡通りをあと数十メートルも行けば先ほど散策した千人同心街道に出るので、これで行田市の主要な場所は、ほとんど網羅したことになるのだが……帰宅後に撮影した建物の位置関係を把握
📷📷👔📷📷📷📷📷📷📷📷👔⑮見逃した写真館の裏側の秘密に偶然辿り着く路地裏にあるとは思えない大正時代の素晴らしい洋館の「長井写真館」を見たあと本来ならば、その側面や後方を確認するのがセオリーだが、このときの僕は医院の隣にある……画面の右端に見えている青い波板の建物に目を奪われてしまい、その確認を怠ってしまった画面の左端には、狙ったわけでもないのに、みぽぽんさんがポカンと口を開けている姿が写りこんでしまっ
鶴の形をした群馬県の、頭の部分に館林市がある。主要な街道筋からも外れているし、まだ行ったことがない。というわけで佐野の町並みを歩いた翌日は、渡良瀬川をまたいで館林の町並みを歩いていきます。【2024年12月5日】館林市役所の東にある尾曳公園駐車場に停めて、7:50スタート。まず駐車場の隣りの尾曳稲荷神社へ。ピリッと寒い。参道の渋い狛犬。朝の光線が強すぎたり逆光になったりするので、なかなかいいアングルが狙えません。社殿の裏には池と弁天堂がある。そこだけ紅葉が見事だった。館
🏠🏠📷🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📷⑭廃屋長屋に咲くハゼランと洋館の長井写真館窓のなかに僕が写っているのはご愛嬌ところで行田市のメインストリートが千人同心街道とすると、直角に交差している古墳通りと八幡通りはサブストリートという立ち位置になるだろうか千人同心街道、古墳通りはすでに散策したので最後に残った八幡通りを散策しつつ、その路地裏に入るとふたつのサブストリートに挟まれた細長い地帯にも古民家が残っていた完全
🏡🏡💐🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡💐⑬路地裏のもじゃハウスと広大な更地の長屋行田市にやって来た最大の動機である「イサミコーポレーションスクール工場」を見る……という目的を果たしてしまったので、あとはセ・リーグ優勝が決まった後の消化試合みたいなものだと、そう考えるのが自然な流れであろう。しかし、ここでリサーチを最小限にとどめた散策のある意味アドバンテージが発揮される。すなわち予期せぬアクシデントだアクシデントといっても何らかのトラブルが
🏠🏠__🏠🏠🏠_🏠🏠_🏠🏠⑫廃業と更地化がすすむ寂れた町を憂慮する行田市駅付近にあるメインストリートは3つに大別できる。まず江戸時代から宿場町を形成していた千人同心街道(日光脇往還)。街道から「π」の字のように、南に伸びる2本の道……古墳通りと八幡通りの3つである千人同心街道と行田市駅から真っ直ぐ伸びる古墳通りは紹介した。そして最後に残った八幡通りに到達したわけである八幡通りは道幅が拡げられてしまった前二者とは違って、比較的
🏭🏭🍔🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🏭🍔⑪戦前のまま残る木造建築イサミスクール工場「いいね」が押せないファッキンなエラーは、ようやく終息を迎えたようで、例の画面を見ることがなくなったーーが、ブログを書いて予約投稿をすると出てくる「あなたと似たような記事を書いているブログ」という、まったく必然性のないページに表示されるブログが毎回同じというエラーは一向に解消する気配がないたしかこのページがはじまった頃は、「同じワード」をAIが感知して内
🏠🏠🏭🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏭⑩更地だらけの町並みと鉄モルタル鉄骨物件イサミ・コーポレーションの本社工場から路地裏に入ってなかばジャングル化した廃屋を見て沈んだ気分は、偶然出会ったツンデレな三毛猫に癒された廃屋のあった路地から交差している横の路地に入ると、目に入ってきたのはノコギリ屋根の工場で、それが今回の散策で是非とも見ておきたかった学生服を製造しているイサミ・コーポレーションのスクール工場であったこの工場が池井戸潤原作のドラマ
🏡🏡😾🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡😾⑨路地裏の三毛猫と逃したスクラッチタイルみぽぽんさん(以下敬称略)の案内で忍城の北側にある知られざる古民家ゾーンを見たあとは、行田市駅方面に戻ることにしたが……町の中心地から離れたイサミ・コーポレーションの工場の先で路地裏に入ると、植物に蹂躙され尽くされようとしている廃屋を発見して、なんとなくしんみりとした気分になってしまったしかし、その廃屋の脇の細い路地に視線を転じると……路上にだらしなく寝そべった