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レトロな商店街をみつけました。天井のアケードボロボロ。このお店は廃業されてるみたいやけど、窓が丸い。なんのお店やったんかなぁレトロやわ。これは、看板建築だろうか?建物に詳しいプロ友さんが見たらすぐにわかるやろうね。他にも看板建築?みたいなの見たけど、新しく塗り直されてたので、写真は撮りませんでした。高砂って古民家が多いけれど阪神大震災はここらは、どうやったんやろ。これだけ古い建物が残ってるから、被害はなかったんだろうか。高砂、穴場でしたね。行く価値ありますよ。できたら
🚉🚉🍧🚉🚉🚉🚉🚉🚉🚉🚉🍧⑥都電荒川線を越えて庚申塚商栄会へ「地蔵通り商店街」は高台寺の門前町であるが旧中山道でもあり、巣鴨のメイン商店街なので一種の観光地と言えるだろうしかし高台寺を過ぎてしばらく行くと観光地の常として、あまり遠くまで足を伸ばす観光客はいないため、次第に地元民のための普通の商店街の雰囲気に変化するそして前回の記事の最後のほうで紹介したビルの解体現場あたりまで来ると、もはや観光地
■番外・豊岡市役所(兵庫県豊岡市中央町)1927年竣工。設計は大蔵省営繕出身?の建築家・原科準平。見れば見るほど、謎めいている洋館だ。壁面装飾はアールデコながらもクラシカルな芯は残した「お役所的な建物」。なのに、壁の塗りは、なぜか「民家風」のスパニッシュ。コーニスの上に3階が展開し、その上に瓦屋根。だいたい、この屋根は何だ。左右は寄棟屋根なのに、中央部は一段高くなった切り妻屋根だ。という、あまり見ない感じの建物になったのも訳がある。
🏢🏢👒🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢👒⑤戦後型看板建築の町並みの解体現場巣鴨にやって来たのはこれで何度目だろう?と、記憶を辿るがまったく見当がつかないというのは、まだ記憶がたしかではない子どもの頃、祖父に連れられて来ていたり、学生時代に何かの用事がなくてもなんとなく訪れたり、最近ではブログの取材の帰りに通ったりと、あまり意識せず訪れているからだろうしかし、学生時代に何故こんな用事のない巣鴨などに来たのか、その理由はまったく思い当たらず、
🌆🌆💈🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆💈④高台寺前の古着屋と巣鴨名物赤パンツ巣鴨地蔵通り商店街は実際には「地蔵通商店街」という表記で「通り」の「り」が省略されているこれは商店街でたまに見かける表記法で日本語としては間違っているが、読み方は「じぞうどおり」で、平仮名の「り」を入れてしまうと商店街のアーチなどがデザイン的に間抜けになってしまうための処置だと思われるこれはシリーズの1回目を書いている途中で気がついたことだが……まあ、そのような些事
小金井公園内東京たてもの園に展示されている都電7514形ゴールデンウィーク前半に小金井公園にある東京たてもの園に行ってみました。特に目的を持って行ったわけではなく、時間調整的な感じだったのですが、思いのほか楽しめました。東京に残っていた古い建物を移築・保存しているのですが、よくこんなに保存していたな、と思う建物ばかりで料金も良心的でした。そんな中に都電が1両保存されていました。7514号で青山車庫で活躍した車両とのこと。運行系統は6番、新橋と渋谷を六本木を経由して結ぶ路線だ
亀戸散策上明治通り・庄や・中央通商店街・日キ亀戸教会・亀戸梅屋敷・看板建築2024.4.29江東区の北部に位置する亀戸。この地はもともと海に浮かぶ島で、その形が亀に似ていたことから亀島と呼ばれていたといわれています。今でも駅周辺には賑やかな繁華街が残っていて、大通りからのびる小道をちょっと覗くだけでも、古い街だけに商店街も充実しており、昔ながらの八百屋に魚屋、味噌屋、豆腐屋などの個人商店が多く、物価が比較的安いのもやはり下町ならでは。江戸庶民も好んだ下町情緒をたっぷ
🏢🏢🔨🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🔨③内容とは関係なく定休日を引く男巣鴨地蔵通りは、東京およびその近郊に育った者ならば一度ぐらいは行ったことのあるメジャーな場所で、僕も幼い頃、祖父に連れられて行ったり、その後も何度も行ったことがあるそのさい高台寺は、駅からけっこう歩いたような記憶が残っていたが、どうやらそれは地蔵通りだけではなく、駅からそこまでゆく過程も含めての記憶だったようだというのも巣鴨のメインストリートである「地蔵通り商店街」に入
東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅からJR総武線の高円寺駅をつなぐ商店街を歩く。何年ぶりかという時間が経ってしまった。高円寺の街とは20年くらいの付き合いがあったのに。ベトナム料理店。ここはまだ商店街には入っていない。ルック商店街に入ってすぐ。ここは今日、初めて知った。個人住宅だと思うが、セセッション様式の影響があるのかも。高円寺名所のひとつ、喫茶店の七つ森。宮沢賢治由来だったかな。ここは古いが、現役バリバリ。しかし、今まで上を見たことがなかったので、今回、初めて見て驚いた。上は石造り
⛅⛅👖⛅⛅⛅⛅⛅⛅⛅⛅👖②昭和テイスト全開な飲み屋街と商店街巣鴨駅に到着して、すぐにメインである旧中山道の「地蔵通り商店街」に向かうつもりが、商店街とは反対側の北側にある路地裏の飲み屋街が気になって寄り道すると……ダイレクトに僕の好みのモルタル外壁の長屋がありテンションが上がった。巣鴨は何度となく来ていたのに、いつもすぐに地蔵通りに向かっていたため、こちらの路地裏の存在を初めて知った体たらくを恥じたいモルタル長屋の端にはブロ
🏢🏢🐻🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🐻①遺跡のようなSEIYU、もんじゃみぽぽ今回から新しいシリーズをはじめるが、このシリーズは少し前に連載した「しもふり銀座」から滝野川を経て王子駅まで、続いて王子駅を降りて滝野川全域を散策して板橋駅まで……という一連の流れの続編である。今までの散策は旧中山道をメインにして、その周辺を巡ってきたわけだが、国道17号線から旧中山道が分岐している部分の「中程」を散策したつまり、旧中山道の最初の部分と最後の部分
🏠🏠👁️🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠👁️幅狭モルタル物件と「見てる!!」廃墟長々と続いた東急沿線界隈の散策も今回でfinalを迎えるところで何故ラストに桜新町を持ってきたのかというと、じつに単純な理由で、僕は現在川崎市に住んでいるが近所に用事があるときは、基本的にママチャリで移動しているたとえばちょっとした日常的な用事を済ませるために、溝の口まで行けば二子玉川までは徒歩でも行ける程度の距離しかなく、三軒茶屋ぐらいまでは僕にとってはママチ
👽👽🍦👽👽👽👽👽👽👽👽🍦final2つのアーケード商店街とインベーダーということで、今回で一応《東急沿線界隈散策・三軒茶屋》はファイナルを迎えるわけだが、“final”は三軒茶屋編だけで《東急沿線界隈ランダム散策》のシリーズは、あともう1回続く前回、前々回と三軒茶屋の最大の見所である「三軒茶屋三角地帯」のカオスな町並みを紹介したが、三角地帯が国道246号線と接する「辺」には、ゆうらく街、三茶3番街という飲み屋街があったその
✂️✂️🍦✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️🍦⑥デイジィとゆうらく街、三茶3番街三軒茶屋の町で、もっとも特徴的な場所はといえば、それは矢倉沢往還と津久井道に挟まれた三角地帯と言えるだろう三角地帯は元々が闇市だったものが発展したものと思われ細い路地が錯綜し、それが新しく建てられたビルの通路などと繋がって迷宮のような様相を呈しているそれを地図で示すとこんな感じ。とくに三角形の真ん中あたりがもっと
🏢🏢🎥🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🎥⑤闇市の名残の飲み屋街と三軒茶屋シネマ前回は津久井道沿いに奇跡的に残った銅板葺き看板建築を紹介したが、三軒茶屋の町の最大の見所といえば、やはり矢倉沢往還と津久井道の分岐点の三角地帯と言えるだろうこれは銅板葺き看板建築の裏側から三角地帯の終わる方向を撮影した写真でとくに意味はない前回まで紹介してきた矢倉沢往還の旧道や茶沢通りは、通り沿いに店舗が展開しているが、それはあくまでも道に
🍤🍤☕🍤🍤🍤🍤🍤🍤🍤🍤☕④津久井道三角地帯の銅板葺き看板建築茶沢通りは栄通り商店街と並び三軒茶屋のメイン商店街と言ってよいだろうもちろん矢倉沢往還や津久井道も賑やかな商店街ではあるが、道幅が広いため、多くの店舗が並んでいるが商店街というのとは、少しニュアンスが違うような気がするたとえるなら、渋谷や新宿にも店はたくさん並んでいるが、それを商店街と呼ぶ者はいないのとニュアンスは似ているこの道が敷設さ
🏠🏠🚉🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🚉③住宅街の戦前物件と茶沢通りの夜矢倉沢往還は、江戸時代に盛んだった大山詣でに利用された街道で、江戸庶民の行楽コースとして賑わいを見せていた時代が変わり神社仏閣への参詣がレジャー的な意味合いを失くしたあとも、三軒茶屋で津久井道が分岐していたため、相模と江戸を結ぶ交通の要衝であり続けるそれは鉄道の時代になっても続き、渋谷と溝の口を路面電車の玉電が結んでいて、三軒茶屋から分岐していた支線の高井戸線は、専用軌道だ
🏠🏠⛪🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠⛪②246号線分岐点のダブル凸型看板建築三軒茶屋駅から少し二子玉川寄りで国道246号線から矢倉沢往還(大山街道)の旧道が分岐している以前は、そこそこ賑やかな商店街でびっしりと店が並んでいて、夕方などは買い物客がけっこう歩いていた記憶があるしかしここでも例によって、後継者不足などの理由により廃業が相次ぎ店舗が並んだ町並みは次々と歯抜けになり、店舗は取り壊されて、跡地には面白味の欠片もないマンションなどが建
🛀🛀🌼🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🌼①最初は矢倉沢往還の旧道の町並みから《東急沿線界隈ランダム散策》もついに最終章の三軒茶屋編に入るが、これが最終章なので、散策する場所は三軒茶屋のみ、ということになるしたがってタイトルにある「ランダム」という単語とは矛盾してしまうためランダムではなく「三軒茶屋編」に変えたタイトルについての説明が終わったところで、三軒茶屋について軽く説明しておく。三軒茶屋は新玉川線で渋谷から2駅目、池尻大橋の次の駅になる
🏠🏠🌙🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🌙⑫目黒区の辺境にある平和通り商店街今回のシリーズは《東急沿線界隈ランダム散策》というタイトルをつけたが、多角形の銅板葺き看板建築があった場所は、かつて駅名の由来になった学芸大学があった場所だしかし、学芸大学駅の由来になったといっても、肝心の学芸大学駅からは軽く徒歩20分は離れた遠隔地で、しかも駅は目黒区にあるのに大学の所在地は世田谷区であるこのように都心部から近い目黒区や世田谷区といえども交通インフラ
🛀🛀💈🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀🛀💈⑪中原街道の旧道の物件と「ゆにしきゆ」予告のとおり今回は新玉川線の三軒茶屋の前に、東急目黒線の旗の台の商店街に残る戦前物件を紹介しよう……と、意気込んで現地に赴いたのだが、これが思いっきり肩透かしを喰らうことになった旗の台の駅の脇を通っている三間通りは「稲荷通り商店街」という賑やかな商店街になっているこの商店街のある通りは隣駅の荏原町を過ぎても続き途中、国道に分断されてしまうが、西大井の駅のすぐ脇を通
紙兎ロペ背景撮影場所ロケ地現場訪問5655令和6年3月31日。給水塔ツアーin取手・柏その11。前回。#UR豊四季台団地#切られた木#柏駅以上でこの日の給水塔ツアーはおしまいです。今少し柏駅周辺をうろつきます。#看板建築#樹#もつやき#鳥平#いい配線#網#すだれ#タオル2まいめ#お知らせ#エアコン配管#ダクト#街の灯#装テン#エアコン配管#隠したガール#いい配線#植物のふりした妖怪#装テン#注意看板#飛び出し注意#家はガムテープで直せる
🏠🏠📖🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📖⑪用賀の廃墟と駒沢大学のブリキ店前回の記事で予告したとおり今回は東急東横線沿線から新玉川線の沿線に舞台を移すといってもこのシリーズは時系列に沿っているわけではなくタイトルにあるように「ランダム」なので、訪れたのはまったく別の日である。そして、このシリーズは出掛けたついでに撮影しているため地理的な順番もテキトーなことを最初に断っておく新玉川線は、かつてほぼ同じコースで運行されていた路面電車、玉電を地下鉄
🏠🏠🍧🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🍧⑨世田谷観音通りの厨子二階建ての酒屋さて、前回の記事の続きで今回も世田谷区の住宅街に残っている銅板葺き看板建築を紹介するこの物件が現役ならば、普通はここまで執拗に紹介したりしないのだが(いや、してるか)、交差点を挟んで隣にあった銅板葺きのファサードを持つ「きそば光月」という蕎麦屋の建物が解体されて、くっそクダラナイどうでもいいマンションに建て替えられる……ということは、残念ながら無住になってしまった
🌿🌿🍚🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🍚⑧駅から徒歩2分と陸の孤島の看板建築さて今回の《東急沿線界隈ランダム散策》であるが、前回までは中目黒から祐天寺→学芸大学と東横線を中目黒から横浜の方角にすすんで来たわけだが、今回は広義では「東急沿線」と言えるが、正確には沿線から少し離れた場所に突入するーーが、その前に、ここで東京都およびその近郊にお住まいでない方には、駅名だけ言っても何のことやらサッパリわからないと思うので、東急東横線について軽く説明しておく。
🌿🌿🏠🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏠⑦祐天寺・学芸大学/駒沢通りの古民家ところで驚いたのが一昨日のブログランキングである。今までの最高アクセス数は、たしか3700ぐらいだったという記憶が残っているが、そのときの「風景写真」カテゴリ・ランキングは9位であったその何年か後、アクセス数が2300ぐらいのとき再び9位にランクインした。あとは11~19という数字はたまに出るのだが、一桁の順位はしばらく出ていなかった。ところがなんと一昨日のランキングは……
🏠🏠🏳️🌈🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏳️🌈⑥駒沢通りの古民家とヒプノシスな風景中目黒のメイン商店街「目黒銀座」をしばらくすすむと、その通りは蛇崩川が造り出した緩やかな河岸段丘のところで丁字路にぶつかり、右に曲がって東横線のガードをくぐって西に続いているそして曲がったあとは少し寂れたような雰囲気に変わり、百メートルも行かないうちに終わるが、祐天寺駅に向かう坂道の途中にバラックじみた平屋の建物が3棟残っていたタイトルバック写真は、
🏠🏠🥕🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🥕⑤蛇崩川の河岸段丘にあるバラック群中目黒のメインの商店街「目黒銀座」は中目黒駅のやや東側を、東横線の線路と平行するように続き、10分ほど歩くと丁字路を右に曲がった先にも続いているしかし、丁字路のすぐ先で東横線のガードを抜けると店舗の密度が下がり、それと比例するように通行人の数も激減して寂れた雰囲気に変わって、50メートルほど先の十字路で終わっていたこれがその十字路を撮影した
🏠🏠📺🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠🏠📺④取り残されたバラックと丁字路から先中目黒駅を降りるとすぐに、高層ビルを中心として再開発された複合施設の無味乾燥とした風景が目前に迫る。が、通りを挟んだその向かい側には、ほとんど戦前ままの姿を保つ出桁造り商家が残っていたそんな町をワンブロック丸々潰して複合施設にした場所の次のブロックから、実質的な「目黒銀座商店街」がはじまる商店街の入り口付近は、コジャレた店と昔ながらの商家が混在しビルが目につく、わり
🌿🌿🏢🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🏢③看板建築の町並みと、もじゃマンションあちこち寄り道したのでブログ記事2回ぶんを費やして、駅から徒歩2分の「中目黒銀座商店街」にすら入っていないのだから、いかに僕のブログの進行速度が遅いか露呈してしまっているが、これは何か発見すると「おやっ」とか、「あれっ」とか思ってフラフラそちらに気を取られてしまうからだろうしかし、実際はけっこうな速さで歩いているので、これは武術の達人が敵の攻撃がスローモーションに見えて