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🏢🏢👒🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢👒⑤戦後型看板建築の町並みの解体現場巣鴨にやって来たのはこれで何度目だろう?と、記憶を辿るがまったく見当がつかないというのは、まだ記憶がたしかではない子どもの頃、祖父に連れられて来ていたり、学生時代に何かの用事がなくてもなんとなく訪れたり、最近ではブログの取材の帰りに通ったりと、あまり意識せず訪れているからだろうしかし、学生時代に何故こんな用事のない巣鴨などに来たのか、その理由はまったく思い当たらず、
🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥🍥番外編・散策の絞めは川越をぶらつく今回はいつものように夕方からではなく、日中から散策をはじめたので、まだ陽が高いうちに、すべて予定をこなしてしまったしかし志木の町には、とくに遊ぶような場所などないので、東武東上線ですぐの川越に立ち寄って、いつものように古着屋とかリサイクルショップを回り、ついでに町の風景を撮影することにしたといっても、川越に関しては、すでに50回以上は記事を上げており、今
✂️✂️🍦✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️✂️🍦⑥デイジィとゆうらく街、三茶3番街三軒茶屋の町で、もっとも特徴的な場所はといえば、それは矢倉沢往還と津久井道に挟まれた三角地帯と言えるだろう三角地帯は元々が闇市だったものが発展したものと思われ細い路地が錯綜し、それが新しく建てられたビルの通路などと繋がって迷宮のような様相を呈しているそれを地図で示すとこんな感じ。とくに三角形の真ん中あたりがもっと
🌆🌆💈🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆🌆💈④高台寺前の古着屋と巣鴨名物赤パンツ巣鴨地蔵通り商店街は実際には「地蔵通商店街」という表記で「通り」の「り」が省略されているこれは商店街でたまに見かける表記法で日本語としては間違っているが、読み方は「じぞうどおり」で、平仮名の「り」を入れてしまうと商店街のアーチなどがデザイン的に間抜けになってしまうための処置だと思われるこれはシリーズの1回目を書いている途中で気がついたことだが……まあ、そのような些事
****年末からしばらく東京下町方面の記事が思いっきり続いたので、今回から世田谷区の三軒茶屋界隈をぶらぶらした記事を……その三軒茶屋の前に、同じ新玉川線沿線のことをチラッと矢倉沢往還(旧大山街道)の用賀駅に近い場所に唯一残っていた戦前型の商家が解体されてしまった……という虚しい出来事を以前記したが「サザエさん」の長谷川町子が住んでいたことで知られる新玉川線のひとつ渋谷寄りの駅、桜新町にもこのような出桁造りの精
🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶④千葉県最後のバラック地帯を見るかつて首都圏には、海外のスラムに匹敵はしないまでも、それに迫る勢いの貧民窟とでも呼ぶべき町があった川崎の多摩川河川敷を第三国人が不法占拠していた河原町、板橋の傾斜地にあったバラック街の大谷口、そして千葉には船橋の運河にあった東南アジアのようなバラック街……そのいずれもバラックは取り払われ、大谷口などは痕跡すら消し去れて消滅してしまい、やがて人びとの記憶からも消え去り、そ
****中目黒のメイン商店街「目黒銀座」は、まっすぐゆくと山手通りに突き当たる。その左側にあるのが東急東横線の中目黒駅である昔は山手通り沿いと、この目黒銀座がメインの商業エリアであったが、現在は、目黒川付近が注目され、こちらの目黒銀座は以前と比べて、だいぶ寂れてしまった僕がよく中目黒を訪れていたころは、もっと賑やかな商店街だったが、その賑やかさと入れ替わるように、洒落た店が増えたしかし、好ましいのは、隣の祐天
****「はごろも」という、かわいい看板が目印の羽衣商店街は、西友とサミットがある広いメインストリートのほかは、寂れてひと気がなく、終わったような雰囲気が漂っていたメインストリートと直角に交わる裏道の商店街は、この薬局から先は、完全に住宅街に飲み込まれており、その先には南武線の踏切があるぐらいで、店などはなさそうだった住宅街の裏手には、なにかの工場があったが稼動しておらず、あたりは静まりかえっている裏道を
****相変わらずダメブロはダメサーバーでおじゃるな。麿があれほど口を酸っぱく諫言しておるのに、なんという体たらくじゃ。昨夜も「いいね」から他人のブログに飛ぶと何度もフリーズしおって。ウツケ者めが。麿は立腹じゃ!早ようなんとかせぬか!という前おきはともかく。最初に断っとくけど、今回は濃いよ~鶴見駅に降り立って、散策をはじめるとすぐに豊岡の商店街の外れで、横浜ではコレしか見た記憶がない銅板葺き看板建築を発見したその後、佃野のアー
****今回から数回にわけて国分寺を散策した記事を書く。いつもの流れだと散策が主で、目的が従という比率だが、今回は散策は従で、目的が主にあたるさて、その目的だが2年ほど前に、国分寺を流れる多摩川の支流、野川の源流のひとつである「お鷹の道」の真ん前にある本多家の長屋門を取材に行ったら、修復工事のため解体されて骨組みだけになっていて、取材をあきらめたことがあったしかし、その修復も今春には終了して、以前の状態よりオリジナルに近い姿に復元されたという
🏢☁🏢☁🏢☁🏢🏢☁⑤たどり着いたら廃墟と更地の町高崎の町は城下町と宿場町の性格を合わせ持っているかつては各地からの物流の集散地として、いくつもの市が立ち中山道で4番目に大きな町となり、お江戸見たけりゃ高崎田町。と、言われるほど繁栄していた。そして近代以降も東北、北陸への交通網の分岐点として、群馬県でも屈指の大都会になった――という話は、もはや過ぎ去った過去のことで、現在は深刻な空洞化にさらされ、中心街は閑古鳥が鳴いており、そんな大都会だ
****まだ9月の写真が残っているというのに、今回の記事は大晦日に取材したものだ。しかも昼ごろ出掛けて散策を終えたのは夜の8時……なんと7時間もうろついていたわけだが、それでも予定の3ぶんの2しか消化していない。というか、あまりにも優良物件が多すぎて、7時間ぐらいでは、それしか回れなかったのだ今回散策したのは、以前かなり細かく見て回った台東区台東三丁目、小島二丁目に隣接した東上野五丁目、三丁目、元浅草界隈を回り、そのあと台東三丁目から鳥越おか
🏢🏢☕🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢☕⑥中野療養所跡地の病院と古い住宅街中野区江古田にある江古田商栄会商店街は、おそらくかつての江古田(えごた)村の中心地だったのだろう。僕がそう思う根拠は……この場所が駅や街道とは関係ない陸の孤島じみたロケーションにあること、商店街の中心部と思われる場所に郵便局、神社仏閣(東福寺、氷川神社)があること、そして戦前物件が残っていたことであるそのような場所だからこそ街道の宿場町や市
****横浜の中心部にほど近い「横浜橋商店街」のアーケード商店街、そして、そのアーケードの脇道である今回のメインターゲット「横浜食料品市場」を見終えたので、いつものように、その周辺も散策してみることにしたこの一見無駄なように思える周辺の散策は、思わぬ物件の発見につながることが多く、したがって、たとえ無駄でもおろそかにするわけにはいかない横浜橋商店街のアーケードには、ところどころに細い路地、というか隙間がある路地と
🌿🌿🐸🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿🌿⑦鳥越おかず横丁の蛙大明神ようやく今回のメインの目的地である鳥越おかず横丁に到着した前回の記事にて紹介したこの素晴らしい看板建築を、御徒町駅方面(写真撮影位置)から右に十数メートルもゆくと、そこが鳥越おかず横丁である鳥越の隣の町は小島で、その昔、小島には友人が住んでいたので、おかず横丁には、当時何度も訪れたことがあるこちらの横丁は、とくに駅などはない場所にあるが、その昔
このところ雨天がずいぶんと続いていたこともあり、「雨でも歩けるプチ街道!」シリーズというのを考えてみました。以前Googleマップ上の旧道名記載と、アプリ「古道散歩」を元に松戸から、印旛沼の西=印西に続く印西道を歩いた要領ですね。今回歩いたのは、偶然Googleマップであちこち面白そうな道を物色していた時に見つけた(暇人っぽい言い草ですね)、「志茂旧道」という全長わずか2km程度の古道です。志茂エリアと、日光御成道(岩槻街道)の岩淵宿までを結ぶ短い古道だったようです。ここを歩いたのは
****荒川区のイメージは、きわめて悪い。インターネットで検索してみると、頼まれても住みたくない、在日と同和部落、斎場と町工場……などなど、とにかくネガティブなページばかりがヒットするかくいう僕も日暮里に親戚が住んでいなければ、おそらく好んで出掛けることは決してない地域だったにちがいない。そもそも魅力的なスポットは皆無だし、買い物をしたくなるような古着屋や古書店もないわざわざ出掛けたのは、ずいぶん昔に、大田区にある「月ノ輪書林」という古書店
****以前、都電荒川線の記事をたくさんアップしたが、そのとき妙に印象に残ったマイナーな場所があった。もちろん三ノ輪や町屋、王子も印象深かったけれど、それらはわりと知られた場所である僕のお眼鏡にかなうからには、そんな「有名どころ」ではないことは、言うまでもないだろうでは、それがどこかと言うと……都電荒川線と京浜東北線が交わる場所は王子である。その王子のすぐ隣から板橋までのあいだの武蔵野台地の北西の際が、あまり知られていない滝野川という地
****今回は渋いよ~!京急蒲田駅から国道をわたった先にあるキネマ通り商店街を抜けると、その道はかつての呑川に突き当たる呑川だった緑道から先は、住宅街になっており、煙草屋を最後に商店街ではなくなり、町工場と住宅が続いているばかりであったが……(*写真は前回のものを再掲載)その先に、このようなバラックのような造りの看板建築が!この周囲は、ごく普通の住宅と少し町工場があるだけの、城南地区のどこにでもありそ
****石原町~弁天横町さて、今回からサブタイトルが、ちょっとかわる。というのも主役が洋館、看板建築から廃墟にかわるからだ川越の洋館、看板建築に関しては、まだ紹介しきれていないが、それはシリーズ後半の記事で、再び取り上げる予定である前回の記事の最後で掲載したこの写真。画面を横切る通りを、右にしばらくゆくと札の辻交差点、つまり蔵造りの町に出る写真の右上の樹木の下を新河岸川(赤間川)が流れている
****怪しい飲み屋街があった錦町の赤線跡地は、羽衣町のものとは異なり、わずかにその面影が残っていたしかし、開発の勢いが著しい立川の町は、この赤線跡地の直前まで押し寄せており、ところどころに飲み屋が残ってはいるが、いずれ近いうちに、完全に痕跡がなくなってしまうことは、まず間違いないだろう小料理「たぬき」の奥に写っているのは、立川駅方向から押し寄せているビル群である前回記したとおり、どうせついでだから、立川
****不思議なことに、目黒区には駅から離れた辺鄙な場所に、いくつかのレトロな商店街が存在している今回は、そんな商店街から「油面地蔵通り商店街」を紹介してみようところで油面と書いて「あぶらめん」と読むのだが、なんだか「油麺」というふうに聞こえてしまい「油そば」みたいだと、ひとりほくそ笑んでいたら、油面の商店街の外れに、油そばの専門店がありちょっと吹いた目黒通りと環七は柿の木坂陸橋で交差しているこの写真に
🐑🐑🐑🐑🐑③看板建築群と家系・聖地巡礼取り壊されてしまった出桁造りの建物に、哀悼の意を表しながら次の目的地へ向かうといっても、たかだか徒歩で5、6分の近場である。取り壊された出桁造りの商家は、鍋屋横丁のメインストリートから外れた路地裏にあったが、目的の建物もやはり路地裏にあるこうした古い建物が路地裏に残っている理由は……都心に近い中野は、開発の勢いが激しいため、表通りの建物はみんなピルになってしまい、開発から取り残された
****横須賀線の田浦駅からトンネルを抜けて、最初の路地に入ったら、そこには昭和の時代から、なにもかわっていないような、川沿いの町並みが続いていたその通りから、すがれた雰囲気の八百屋が角にある細い脇道に入ると、もう1本の川が流れていて、その川のほとりには出桁造りの商家があった向かいの角には、もう1棟出桁造りの商家があって、その角から先ほどの商店街と平行するかたちで、またしても商店街があった先ほどの川沿
🌼🌼🌼🌼🌼②北千住崖っぷちバラック地帯🌼北千住の中心街から西に向かう。いつの間にか通りの名前が「いろは通り」から「ニコニコ商店街」にかわっていたこの商店街を横切る道を左に曲がると、以前の記事で紹介した柳町の赤線跡地に出るが、今回はそのまままっすぐにすすむ柳町には千住の果てのような印象があるが、その先には元町があり、荒川と隅田川にはさまれたやけに狭い千住桜木町は、さらにその果てにあるような町であるこの写真
🏡🏡💰🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡🏡💰⑦裏通りの驚き数寄屋風豪邸廃墟かつての日光御成道は、大々的な区画整理によって往時の風情がほぼ壊滅しており、わずかに残った洋風建築や土蔵造りの商家に、街道の名残がある程度であった現地に向かう車内でGoogleマップを精査したところ駅前通りの一本裏通り、日光御成道から直角に分かれている細い道が商店街になっていることが判明し、そちらがメインなのではないかと予想した裏道に曲がると最初に目についたのは「いわ
🐻🐻🐻🐻🐻下墨東の銀座・八広新中り墨田区八広にあるのに、なぜか都立日本橋高校という名前のままの、かつて日本橋にあった高校の周りを一周して八広中央通り(四ツ目通り)に戻ったまるで階段箪笥のような、あるいは凸の記号を重ねたような奇っ怪なビルがあった。屋上に「肉の山平や」とあるので、精肉店の建物のようだが、廃ビルのような雰囲気である不可解に思っていたら、少し北側に店舗があったので、どうやら倉庫のよ
****高円寺から早稲田通りに出て、阿佐ヶ谷方面に向かう「すぎなみ道草のすすめ」が終わったのは、陽が傾きだしたころだったので、ずいぶんあたりが暗くなってきた目的の長屋門は、早稲田通りではなく、少しひっこんだ住宅街のなかにあるので、またしても取材が失敗するのではないかと、一抹の不安がよぎるでもまあ、どうせ行き当たりばったりの成り行きまかせなので、とりあえず中杉通りとの交差点を目指した途中で古道のような道が
東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅からJR総武線の高円寺駅をつなぐ商店街を歩く。何年ぶりかという時間が経ってしまった。高円寺の街とは20年くらいの付き合いがあったのに。ベトナム料理店。ここはまだ商店街には入っていない。ルック商店街に入ってすぐ。ここは今日、初めて知った。個人住宅だと思うが、セセッション様式の影響があるのかも。高円寺名所のひとつ、喫茶店の七つ森。宮沢賢治由来だったかな。ここは古いが、現役バリバリ。しかし、今まで上を見たことがなかったので、今回、初めて見て驚いた。上は石造り
🍶🍶🐱🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🐱①激変した渋江商店街に失望する今回から再び葛飾区の散策記事を連載するが……のっけから、いきなりトラブルが降りかかり先行きが怪しくなってしまったというのも、川崎駅から京浜東北線に乗って北千住まで出て、そこから堀切菖蒲園まで移動して、四ツ木駅まで歩こう--と、脳内シミュレーションをしていたのだが、川崎駅に到着すると何か様子がおかしい。駅の構内がやけにざわついているのだ物凄くイヤな予感を抱きつつ、ア