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【問題】天文23年、武田軍が伊那郡に侵攻した際、下条信氏は次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】小県郡へ逃亡した降伏した和睦して仏門に入った徹底抗戦の末討死した【正解】降伏した【解説】信濃国伊那郡の国衆であった下条信氏は、天文23年(1554)に武田信玄が伊那へ侵攻した際に、その麾下に加わった。以後は信濃先方衆として、信玄の作戦に従った。
【問題】宇陀松山城が廃城となったのは、次のうちどのタイミングか?【選択肢】松永久秀が自害した際小牧・長久手の戦い直前福島高晴が改易された際島原の乱鎮圧の1年後【正解】福島高晴が改易された際【解説】宇陀松山城(奈良県宇陀市)は、関ヶ原の戦いの後、福島高晴が入っていたが、高晴が大坂夏の陣での豊臣方への内通疑惑で改易されると、破却され廃城となった。
【問題】信濃国に土着した薩摩島津氏の分家の組み合わせとして正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】飯田家・臼田家藤沢家・田沢家長沼家・赤沼家辰野家・茅野家【正解】長沼家・赤沼家【解説】薩摩島津氏の分家が信濃国太田荘に土着し信濃島津氏となった。長沼家と赤沼家が知られ、一時武田・上杉の抗争に翻弄されながらも、最後は上杉氏の会津移封に従った。
【問題】小山評定で山内一豊が徳川家康に提案した、自らの居城を東軍に提供する案は、元は誰が発案したものだったとされるか?【選択肢】浅野幸長加藤嘉明堀尾忠氏寺沢広高【正解】堀尾忠氏【解説】自らの居城を東軍に提供する案は、元は堀尾忠氏の発案だったとされるが、忠氏の発言を事前に聞いた一豊が、小山評定で最初に提案したという逸話が残る。
【問題】本堂忠親とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】豊前国三河国伯耆国出羽国【正解】出羽国【解説】本堂氏は出羽国山本郡(現在の仙北郡)に勢力を持った国衆で、忠親の代に豊臣秀吉に臣従、本領を安堵された。朝鮮出兵では軍を率いて肥前名護屋に在陣した。
【問題】稲葉典通の父親は次のうち誰か?【選択肢】稲葉一鉄稲葉正勝稲葉正成稲葉貞通【正解】稲葉貞通【解説】稲葉典通(のりみち)は、貞通の嫡男で母は斎藤道三の娘である。織田信長の死後、羽柴秀吉に仕えた。大坂の陣に徳川方として参戦し、豊後臼杵藩2代藩主となった。
【問題】琉球の英祖王や尚寧王の陵墓とされるのは、次のうちどれか?【選択肢】池城墓浦添ようどれ玉陵漲水御嶽【正解】浦添ようどれ【解説】琉球の英祖王(1229?〜1299)や尚寧王(1564〜1620)は、浦添城跡にある「浦添ようどれ」に葬られている。沖縄戦で破壊されたが平成17年(2005)に復元されている。
【問題】徳川家康の家臣・酒井重忠は、関ヶ原の戦い後、次のうちどの地を与えられたか?【選択肢】上野国厩橋肥後国水俣播磨国龍野信濃国小諸【正解】上野国厩橋【解説】酒井重忠は若年期から家康に仕え、多くの合戦に参加した。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの論功行賞により上野国厩橋城主となり、3万3千石を領した。
【問題】木下利房が大坂の陣の戦功により与えられたのは、次のうちどの地か?【選択肢】備中足守信濃高遠安房館山摂津茨木【正解】備中足守【解説】木下利房は関ヶ原の戦いで西軍に属して所領を没収されていたが、大坂の陣での功績が認められ、備中足守2万5千石を与えられ、足守藩2代藩主となった。
【問題】織田信長の家臣・猪子一時の、本能寺の変後の説明として正しいものはどれか?【選択肢】摂津国で帰農した岐阜城で切腹した京で僧侶となった羽柴秀吉に仕えた【正解】羽柴秀吉に仕えた【解説】猪子一時(いのこかずとき)は、信長に仕えて赤母衣衆に抜擢された武将で、本能寺の変後は秀吉に属した。一時の弟・兵助は本能寺の変で討死している。
【問題】福島正則の養子である福島正之の実父は、次のうち誰か?【選択肢】香宗我部親泰別所重宗稲富祐直小早川秀包【正解】別所重宗【解説】福島正之は播磨の別所重宗(重棟)の子として生まれた。母が福島正則の姉であった縁から、嗣子が夭折していた正則の養子となり、福島正之を名乗った。
【問題】かつては現在の棚倉城(福島県棚倉町)の地に所在し、同城築城の際に遷座された神社は、次のうちどれか?【選択肢】五龍地神社佐波波地祇神社保土原神社都々古別神社【正解】都々古別神社【解説】棚倉に移封された丹羽長重は、幕府の命により寛永元年(1624)、都々古別神社(つつこわけじんじゃ)を馬場の地に遷し、翌年、その跡地に棚倉城を築いた。
【問題】≪難問≫淡路各地に城を築いて割拠した安宅氏の一族を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】橘廿一旗淡州十七要害安宅八家衆瀬戸内三家【正解】安宅八家衆【解説】戦国時代、淡路島では安宅(あたぎ)氏が頭角を現し、洲本や岩屋など島内各地に城を築いて割拠した。これら主だった者たちは「安宅八家衆」と呼ばれた。
【問題】天文23年、大友義鎮(宗麟)が足利義輝に献上した書は次のうちどれか?【選択肢】『鉄放薬方并調合次第』『朝鮮日々記』『九州治乱記』『八代日記』【正解】『鉄放薬方并調合次第』【解説】天文23年(1554)、大友義鎮は幕府との関係強化を目的として時の将軍・足利義輝に、鉄砲や火薬調合の秘伝書である『鉄放薬方并調合次第』を献上している。
【問題】能島城(愛媛県今治市)の出丸があったとされる、能島の属島の名前は次のうちどれか?【選択肢】中渡島鯛崎島大突間島肥島【正解】鯛崎島【解説】能島城は島全体を城塞化した城で、能島の南に位置する属島・鯛崎島には、能島城の出丸として鯛崎出丸があった。現在同出丸には弁財天が奉られている。
【問題】次のうち、花房職秀の通称として知られるものはどれか?【選択肢】助兵衛武辺日本兵乙丙【正解】助兵衛【解説】花房職秀(もとひで)は宇喜多氏の家臣で、通称を助兵衛といった。傾奇者としても知られ、豊臣秀吉に無礼を働いて処刑されそうになった逸話などが残る。
【問題】上杉氏の家臣・本庄秀綱は、御館の乱でどちら側の勢力に与したか?【選択肢】上杉景勝方上杉景虎方【正解】上杉景虎方【解説】本庄秀綱は上杉謙信に仕え、主に関東方面での活動が多く見られる。謙信死後の御館の乱では上杉景虎方に付き、景虎の死後も抵抗を続けたが、最後は会津に逃れた。
【問題】伊達房実とは、次のうち誰の家臣か?【選択肢】九戸政実志村光安太田氏房本庄繁長和田昭為関口氏純【正解】太田氏房【解説】伊達房実は太田氏房の家臣である。小田原の役では、氏房が小田原城に籠城していたため、房実が約2,000の兵とともに岩槻城(埼玉県さいたま市)を守備した。
【問題】柴屋軒とも称した宗長とは、次のうちどのような職業の人物だったか?【選択肢】連歌師杣師彫金師塗師【正解】連歌師【解説】宗長(そうちょう)は、室町時代後期の連歌師である。柴屋軒(さいおくけん)とも号した。今川氏に仕えた後に上洛し、宗祇(そうぎ)に師事して連歌を学んだ。
【問題】≪難問≫「目丸棒踊り」とは、次のうちどこに伝わるものか?【選択肢】鳥取県三朝町兵庫県新温泉町徳島県つるぎ町熊本県山都町【正解】熊本県山都町【解説】肥後の阿蘇氏が島津氏の侵攻から逃れて目丸(山都町)に逃れた際、これを守るために村人らが教わった棒術が、現在、「目丸棒踊り」として同地に伝承されている。
【問題】織田信長の側室・お鍋の方は、初め次のうちどの家に嫁いでいたか?【選択肢】後藤家三雲家永田家小倉家【正解】小倉家【解説】信長の側室・興雲院(通称・お鍋の方)は、初め六角家臣の小倉賢治の妻であった。しかし賢治が六角氏と対立して自刃したため、お鍋が信長に嫁いでその庇護を受けた。
【問題】≪難問≫享禄4年、上杉憲政に関東管領職を譲った上杉憲寛は、次のうちどこへ退去したか?【選択肢】上総国宮原越後国新発田甲斐国勝沼武蔵国牛込【正解】上総国宮原【解説】享禄4年(1531)、関東享禄の内乱の結果、憲政に山内上杉家の家督と関東管領職を譲った憲寛は、晴直と改名し、上総国宮原(千葉県市原市)に移った。
【問題】蠣崎舜広は若くして亡くなったが、次のうちどのような最期だったとされるか?【選択肢】家臣に誤射された姉に毒殺された嵐で船が転覆した秀吉に処刑された【正解】姉に毒殺された【解説】蠣崎舜広(かきざきとしひろ)は、蝦夷の戦国大名・蠣崎季広の嫡男として生まれた。一説に、22歳の時、重臣・南条広継に嫁いだ長姉により毒殺されたという。
【問題】六角氏の家臣であった後藤高治は、永禄11年、織田信長が六角領に侵攻した際、次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】織田信長に降伏した居城で討死を遂げた主と共に甲賀へ逃れた延暦寺に入り出家した【正解】織田信長に降伏した【解説】後藤高治は六角氏の家臣であったが、永禄6年(1563)、父を六角義治に殺害されていた。それらが原因で、同11年に信長が六角領に侵攻すると、織田軍の軍門に降った。
【問題】鹿児島県湧水町にある勝栗神社に伝わる由緒は、次のうちどれか?【選択肢】フランシスコ・ザビエルが聖書を奉納した社殿の奥に宇喜多秀家が潜伏していた島津義弘が朝鮮出兵に際して立ち寄った関ヶ原の戦いの後に立花宗茂が立て籠った【正解】島津義弘が朝鮮出兵に際して立ち寄った【解説】勝栗(かちぐり)神社は、和銅年間に建立された歴史ある神社で、島津義弘は文禄の役に際して同社に参詣し、和歌を詠んだという。社名はその和歌に由来する。
【問題】島津忠恒が、家臣の伊集院忠棟を殺害した後に蟄居したのは、次のうちどこか?【選択肢】天王山瓜生山鞍馬山高雄山【正解】高雄山【解説】島津忠恒は、慶長4年(1599)家臣の伊集院忠棟を京・伏見において殺害した。これにより、忠恒は高雄山麓の神護寺(京都市右京区)に蟄居・謹慎することとなった。
【問題】松平康忠の妻の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】徳川家康の妹である伊達政宗の娘である島津義弘の姉である北条氏康の孫である【正解】徳川家康の妹である【解説】家康に仕えた松平康忠は、松平広忠の娘で家康の異母妹である矢田姫を妻として迎えていた。康忠は家康からの信頼が厚く、松平信康付の家老に抜擢されたこともある。
【問題】騎西城(埼玉県加須市)の古表記として正しいものは次のうちどれか?【選択肢】私市城季歳城癸哉城枳井城【正解】私市城【解説】騎西城は、かつては私市城と表記していた。他に崎西城、埼西城などの表記も見られ、いずれも読みは“きさい”である。根古屋城、山根城の別称も持つ。
【問題】信長や秀吉が宿営したことでも知られる成菩提院とは、次のうちどこにあるか?【選択肢】大阪府寝屋川市滋賀県米原市兵庫県西宮市京都府和束町【正解】滋賀県米原市【解説】成菩提院(じょうぼだいいん)は、滋賀県米原市にある古刹である。信長や秀吉が度々宿泊した記録が残り、石田三成の掟書など多くの文化財を所蔵する。
【問題】池田輝政の子・池田忠継は、大坂冬の陣では幕府方と豊臣方、どちらに属して戦ったか?【選択肢】幕府方豊臣方【正解】幕府方【解説】池田忠継は輝政の子として、慶長4年(1599)に生まれた。十代の時に訪れた大坂冬の陣に幕府方として参戦したが帰国後に発病し、翌年死去した。享年17。