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【問題】≪難問≫宮城県や岩手県に多く残る、葛西氏に関する伝説とは次のうちどれか?【選択肢】モチノキ伝説ヤマボウシ伝説トウカエデ伝説サイカチ伝説【正解】サイカチ伝説【解説】葛西・大崎一揆で没落した葛西氏の旧臣らが「葛西勝」を合言葉に再興を誓い、各々門前にサイカチの木を植えたと伝わる。現在も宮城・岩手両県にその伝説を持つ木が残る。
【問題】毛利輝元が出家後に称した号は、次のうちどれか?【選択肢】宗心謙信龍伯日新幻庵宗瑞道八有楽【正解】幻庵宗瑞【解説】慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったために周防・長門2ヶ国へと大幅に減封された毛利輝元は、剃髪して入道し「幻庵宗瑞」と号した。
【問題】慶長5年の岐阜城の戦いにおいて、織田秀信配下の38人が自害した際の血天井が残るのは、次のうちどの寺院か?【選択肢】法勝寺敬念寺崇福寺妙圓寺【正解】崇福寺【解説】岐阜県岐阜市の崇福寺(そうふくじ)には、関ヶ原の前哨戦となった岐阜城の戦いで秀信配下の38人の将が自害した際の岐阜城の床板が、血天井として残されている。
【問題】「空角の経始」という逸話を残す縄張りを持つのは、次のうちどの城か?【選択肢】棚倉城宇和島城兵庫城佐賀城【正解】宇和島城【解説】宇和島城は藤堂高虎による縄張りで、外郭が「空角の経始(あきかくのなわ)」と呼ばれる五角形を成しており、幕府隠密はこれを見誤って四角形と報告したという。
【問題】伊勢松坂藩主・古田重治が元和5年に移封された先は、次のうちどこか?【選択肢】大和郡山筑前名島石見浜田伊予大洲【正解】石見浜田【解説】古田重治は、家督を継いだ兄が死去した際にその子が幼かったため伊勢松坂藩を継いでいた。元和5年(1619)石見国浜田へ移封され、浜田城を築いた。
【問題】永禄9年に得度した筒井順慶は、次のうち何と称したか?【選択肢】陽舜房一任斎智楽院徳栄軒【正解】陽舜房【解説】永禄9年(1566)9月、筒井順慶(当時は藤政を称す)は興福寺成身院において得度し、「陽舜房順慶」と称した。順慶と名乗るのはこの時からである。
【問題】立河原の戦いとは、次のうちどの勢力同士の戦いか?【選択肢】龍造寺軍vs.大村軍長宗我部軍vs.三好軍山内上杉軍vs.扇谷上杉軍朝倉軍vs.一向一揆軍【正解】山内上杉軍vs.扇谷上杉軍【解説】立河原の戦いは、山内上杉方の軍と扇谷上杉方の軍が武蔵国立河原(東京都立川市)で激突した戦いである。扇谷上杉方が勝利したが、後に扇谷は山内氏に屈している。
【問題】徳川忠長の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】徳川秀忠の三男である松平定勝の長男である松平信康の次男である水野信元の四男である【正解】徳川秀忠の三男である【解説】徳川忠長は秀忠の三男として生まれた。家康の孫にあたる。幼少より容姿端麗で才能にも恵まれていたことから、将来将軍を継承するのではと噂されるほどであったという。
【問題】豊臣家臣・戸田勝成が豊臣家以前に仕えていたのは、次のうちどの家か?【選択肢】今川家丹羽家宇喜多家足利家【正解】丹羽家【解説】戸田勝成(重政)は、はじめ丹羽長秀・長重に仕えた武将である。天正13年(1585)頃に羽柴秀吉に仕え、越前国安居城(福井県福井市)主として1万石を領した。
【問題】里見義康は関ヶ原の戦いの論功行賞で常陸国内に所領を得たが、それは次のうちどの郡内であったか?【選択肢】鹿島郡筑波郡茨城郡久慈郡【正解】鹿島郡【解説】関ヶ原の戦いでは里見義康は東軍に与して宇都宮城で上杉氏へ備えた。戦後の論功行賞で常陸国鹿島郡内に3万石を加増され、安房国9万石と合わせ12万石余を領した。
【問題】武田信虎が築いたという湯村山城は、次のうち現在のどこにあった城郭か?【選択肢】大月市甲府市南部町北杜市【正解】甲府市【解説】湯村山城は、山梨県甲府市湯村の湯村山に所在する山城である。大永3年(1523)武田信虎が府中防衛のために築き、狼煙台などが設置されていたという。
【問題】朝倉景鏡が討死したのは、次のうちどこか?【選択肢】平泉寺沖島国吉城伊吹山【正解】平泉寺【解説】朝倉景鏡は主家滅亡後に織田信長に仕えていたが、天正2年(1574)に一向一揆に襲撃されて平泉寺(福井県勝山市)に籠もり、同地において討ち取られた。
【問題】堀秀村の城で、織田・浅井の攻防戦の舞台となったのは次のうちどこか?【選択肢】打下城鎌刃城村雨城宇佐山城【正解】鎌刃城【解説】堀秀村は鎌刃城(滋賀県米原市)に拠った国衆である。鎌刃城は織田・浅井領国の境目にあり、堀氏は初め浅井氏に従っていたが、後に織田氏に内通した。
【問題】東京都新宿区の信濃町の由来として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】信濃国から運んだ林檎の樹があったため科野大宮社の末社が置かれていたため永井信濃守尚政の屋敷があったため品濃一里塚から百里の位置にあたるため【正解】永井信濃守尚政の屋敷があったため【解説】永井直勝の長男として尚政は、父と同じく徳川家に仕え、慶長10年(1605)、信濃守に叙任された。東京都新宿区の信濃町は、尚政の屋敷があった場所とされる。
【問題】上杉家臣・岩井信能は、次のうちどの国の出身か?【選択肢】信濃国佐渡国出羽国遠江国【正解】信濃国【解説】岩井氏はもと信濃国高井郡の領主であったが、武田信玄に逐われ上杉謙信を頼った。信能(のぶよし)は謙信・景勝の二代に仕え、多方面で功績を残した。
【問題】山形藩の2代藩主・最上家親は、次のうち何をしている最中に急死したとされるか?【選択肢】温泉に入っている最中猿楽を見ている最中読経をしている最中鷹狩へ向かう最中【正解】猿楽を見ている最中【解説】山形藩2代藩主・最上家親は、36歳という若さで急死した。『徳川実紀』には、“在府して猿楽を見ながら頓死す、人みなこれを怪しむ”と記録されている。
【問題】駿河国の国衆・葛山氏元は、次のうちどのように誅殺されたと伝わるか?【選択肢】善光寺で暗殺された筑波山で磔にされた三宅島に放置された諏訪湖に沈められた【正解】諏訪湖に沈められた【解説】葛山氏元は駿河国駿東郡に地盤を持つ国衆で、北条・今川・武田の間を生き抜いた。しかし、武田麾下にあった際に北条への内通が露見し、諏訪湖に沈められたという。
【問題】佐和山城(滋賀県彦根市)の本丸南西にある井戸の名称は、次のうちどれか?【選択肢】五文井千貫井百両井万石井【正解】千貫井【解説】山城である佐和山城の水源は、本丸の南西に位置する千貫井と呼ばれる井戸が利用された。その存在が千貫にも値するという由来からその名が付いたという。
【問題】関ヶ原の戦いの前哨戦・伏見城の戦いで、途中で寝返って攻城方を引き入れたとされるのは次のうちどの一派か?【選択肢】武田旧臣穴太衆甲賀武士藤堂勢【正解】甲賀武士【解説】伏見城の戦いでは籠城兵の中に甲賀武士も含まれていた。甲賀に近い水口を領する長束正家がその妻子を捕らえ寝返りを促すと、甲賀武士らは攻城方を引き入れたという。
【問題】≪難問≫三好実休が細川氏之(持隆)を謀殺した事件を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】勝瑞騒動眉山事変撫養争乱鮎喰崩れ【正解】勝瑞騒動【解説】天文22年(1553)、将軍家の後継をめぐり家臣の三好実休と対立した阿波守護・細川氏之は、実休殺害を計画するが先手を打たれ、見性寺(徳島県藍住町)で実休に誘殺された(勝瑞騒動・勝瑞事件)。
【問題】沼田顕泰の号として知られるものは、次のうちどれか?【選択肢】一雲斎源与斎万鬼斎浄閑斎【正解】万鬼斎【解説】沼田顕泰は万鬼斎(ばんきさい)の号で知られる。天文元年(1532)に沼田城(群馬県沼田市)を築いたが、顕泰は同城をめぐる上杉・北条による争奪戦に翻弄された。
【問題】武田家臣・小幡信真(信貞)は主家滅亡時、次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】居城に籠もって討死した越後国へ逃亡した織田家に臣従した天目山で勝頼に殉じた【正解】織田家に臣従した【解説】小幡信真は上野国を所領としており、天正10年(1582)に甲斐国で勝頼が織田信長によって滅ぼされると織田家に降伏し、滝川一益の与力に付された。
【問題】豊薩合戦で、大友家臣・志賀親次が島津軍を迎え撃つために拠った居城は、次のうちどこか?【選択肢】安岐城岡城真玉城佐伯城【正解】岡城【解説】豊薩合戦では、島津軍の勢いの前に多くの大友家臣が離反したが、志賀親次は居城である岡城(大分県竹田市)に拠って抵抗し、ついには島津軍を退けている。
【問題】池田光政の正室・勝姫は、次のうち誰の子か?【選択肢】築山殿千姫京極マリア仙桃院【正解】千姫【解説】勝姫(円盛院)は、本多忠刻と千姫の間に生まれた子である。忠刻の死後、母子は江戸で暮らしていたが、勝姫は寛永5年(1628)に池田光政のもとへ嫁いだ。
【問題】≪難問≫津久井城(神奈川県相模原市)の水の手として残るものは、次のうちどれか?【選択肢】北ノ井宝ヶ池蛇ヵ水二ッ泉【正解】宝ヶ池【解説】津久井城の飯縄曲輪の東下には「宝ヶ池」と呼ばれる溜井が残っている。これは山城である同城の水の手の一つで、今でも枯れることなく水をたたえている。