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【問題】石黒成綱とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】筑後国因幡国越中国伊賀国【正解】越中国【解説】石黒成綱は越中・木舟城(富山県高岡市)に拠った国衆である。越中に侵攻した上杉氏、ついで織田氏に臣従したが、最期は謀反を疑われて織田の手勢に討たれたという。
【問題】現在の八芳園(東京都港区)の地は、元は次のうちどのような場所であったか?【選択肢】後北条氏時代の鍛冶場太田道灌が整備した港江戸幕府の材木保管所大久保彦左衛門の屋敷【正解】大久保彦左衛門の屋敷【解説】現在八芳園が建つ地には、徳川家臣・大久保彦左衛門忠教の屋敷があった。彦左衛門の没後、薩摩藩の屋敷地を経て、明治の末に実業家・渋沢喜作の手に渡った。
【問題】伊予国南部に勢力を持った西園寺実充は、次のうち何と呼ばれたか?【選択肢】黒瀬殿米津殿三滝殿曽根殿【正解】黒瀬殿【解説】西園寺実充(実光、さねみつ)は、はじめ伊予国の松葉城(愛媛県西予市)を居城とし、後に黒瀬城(同市)へと居城を移した。「黒瀬殿」と尊称された。
【問題】猿啄城(岐阜県坂祝町)は、織田軍によって攻略された後、次のうち何と改名されたか?【選択肢】山田城勝山城大野城松尾城【正解】勝山城【解説】猿啄(さるばみ)城は、永禄8年(1565)織田信長の美濃攻めによって攻略され、河尻秀隆が城代として置かれた。その際に、城名が勝山城に改められた。
【問題】今川家臣・小原鎮実と同一人物と考えられているのは、次のうち誰か?【選択肢】福原家敏埴原植安大原資良永原重康【正解】大原資良【解説】今川家臣・小原鎮実の名は後の徳川方の資料に見られるもので、同時代の資料に登場する、三河・吉田城や駿河・花沢城を守った大原資良と同一人物と見られている。
【問題】後瀬山城(福井県小浜市)を築城したのは、次のうち誰か?【選択肢】細川晴元武田元光一色義清朝倉景健【正解】武田元光【解説】後瀬山城(のちせやまじょう)は、大永2年(1522)に若狭国守護であった武田元光によって、現在の小浜市街地の南に位置する後瀬山に築城された。
【問題】黒野城主・加藤貞泰が築いた堤は、次のうち何と呼ばれるか?【選択肢】尉殿堤作様堤貞君堤光公堤【正解】尉殿堤【解説】加藤貞泰は黒野城(岐阜県岐阜市)主時代、長良川の洪水を防ぐための堤を築いた。堤は貞泰の官名「左衛門尉」にちなんで「尉殿堤(じょうどのつつみ)」と名付けられた。
【問題】勝沼信元という武将は、次のうち誰に対して謀反を起こそうとしたか?【選択肢】伊達晴宗武田信玄佐竹義重朝倉義景【正解】武田信玄【解説】勝沼信元は、武田信虎の弟・勝沼信友の子として生まれた。永禄3年(1560)に上杉謙信の調略により謀反を起こそうとして失敗し、信玄に誅殺された。
【問題】宝積寺(京都府大山崎町)に残る豊臣秀吉ゆかりのものとは、次のうちどれか?【選択肢】勝負井先着杉勝鬨湯出世石【正解】出世石【解説】山崎の戦いの際、秀吉は天王山中腹の宝積寺(ほうしゃくじ)に本陣を据えた。同寺の本堂脇には、秀吉が腰掛けて天下統一について考えたと伝わる出世石がある。
【問題】名古屋城二之丸庭園の北端に築かれた特徴的な塀とは、次のうちどれか?【選択肢】礫岩一枚塀珊瑚塀赤色岩塩塀南蛮練塀【正解】南蛮練塀【解説】名古屋城二之丸北面には、小石や砂利、灰や油などを混ぜて固める「南蛮たたき」という製法で築かれた「南蛮練塀」と呼ばれる塀が残る。この塀には狭間も穿たれている。
【問題】伊勢松坂藩主・古田重治が元和5年に移封された先は、次のうちどこか?【選択肢】大和郡山筑前名島石見浜田伊予大洲【正解】石見浜田【解説】古田重治は、家督を継いだ兄が死去した際にその子が幼かったため伊勢松坂藩を継いでいた。元和5年(1619)石見国浜田へ移封され、浜田城を築いた。
【問題】滝川一益の家臣・滝川忠征は、一益が所領を失った後、次のうち誰に仕えたか?【選択肢】島津義久長宗我部元親豊臣秀吉伊達政宗【正解】豊臣秀吉【解説】滝川忠征は滝川一益に仕えて頭角を著した武将で、一益の戦いのほとんどに従軍した。小牧・長久手の戦い後、豊臣秀吉に登用され、最後は徳川家に仕えた。
【問題】賤ヶ岳の戦いにおいて、羽柴秀長が陣を構えたのは次のうちどこか?【選択肢】別所山砦田上山砦橡谷山砦岩崎山砦【正解】田上山砦【解説】田上山砦(城)は賤ヶ岳の戦いで羽柴軍が築いた城のひとつで、羽柴秀長が在陣した。陣城でありながら複雑な縄張を有し、現在も土塁や堀切等の遺構が確認できる。
【問題】栗田永寿とは、次のうちどの寺院の別当を務めた人物か?【選択肢】根来寺善光寺東寺寛永寺【正解】善光寺【解説】栗田永寿は善光寺(長野県長野市)の初代別当(寺務を統轄した長官)である。同寺は武田・上杉の境目に位置し、永寿は武田氏と争った後、その傘下に入り軍役を負担した。
【問題】東京都新宿区の信濃町の由来として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】信濃国から運んだ林檎の樹があったため科野大宮社の末社が置かれていたため永井信濃守尚政の屋敷があったため品濃一里塚から百里の位置にあたるため【正解】永井信濃守尚政の屋敷があったため【解説】永井直勝の長男として尚政は、父と同じく徳川家に仕え、慶長10年(1605)、信濃守に叙任された。東京都新宿区の信濃町は、尚政の屋敷があった場所とされる。
【問題】≪難問≫近江国出身ながら、毛利元就の家臣となったのは次のうち誰か?【選択肢】諫早清直諏訪盛家日野景幸烏田武通柿並幸慶小倉元悦【正解】小倉元悦【解説】小倉元悦(もとよし)は、近江国蒲生郡の出身である。もと六角氏の家臣だったが生家が没落したために厳島神主家を頼り、その後毛利元就に見出されて側近となった。
【問題】≪難問≫元は千原氏を名乗っていた玉井氏とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】越中国備後国上総国和泉国【正解】和泉国【解説】和泉国の国衆・玉井氏は、千原(大阪府泉大津市千原町)が本拠で元は千原氏を称していた。同地で大きな勢力を誇ったが、天文12年(1543)堺に攻め込んで大敗し没落した。
【問題】立河原の戦いとは、次のうちどの勢力同士の戦いか?【選択肢】龍造寺軍vs.大村軍長宗我部軍vs.三好軍山内上杉軍vs.扇谷上杉軍朝倉軍vs.一向一揆軍【正解】山内上杉軍vs.扇谷上杉軍【解説】立河原の戦いは、山内上杉方の軍と扇谷上杉方の軍が武蔵国立河原(東京都立川市)で激突した戦いである。扇谷上杉方が勝利したが、後に扇谷は山内氏に屈している。
【問題】林羅山は徳川家康の命で僧形となった際、次のうち何と号したか?【選択肢】迎円尊庵鼎克道春【正解】道春【解説】林羅山は江戸時代初期の儒学者で、若い頃からその才能を周囲に認められていた。20代で家康の側に置かれ、家康の意向で剃髪して僧形となり「道春」と号した。
【問題】宇都宮氏の家臣・今泉高光が芳賀高武に討たれた原因は、次のうちどれか?【選択肢】高光が自身の娘を北条氏照に嫁がせようとしたため高光が高武が招聘した猿楽師の演技を酷評したため高光が材木を密かに伊達政宗に横流ししていたため高光が主家の継嗣を浅野家から迎えようとしたため【正解】高光が主家の継嗣を浅野家から迎えようとしたため【解説】今泉高光は主の宇都宮国綱に後継がいなかったことから、豊臣五奉行の浅野長政から養子を迎えようとした。しかしこれに激怒した国綱の弟・芳賀高武の夜襲を受け
【問題】武田家臣・小幡信真(信貞)は主家滅亡時、次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】居城に籠もって討死した越後国へ逃亡した織田家に臣従した天目山で勝頼に殉じた【正解】織田家に臣従した【解説】小幡信真は上野国を所領としており、天正10年(1582)に甲斐国で勝頼が織田信長によって滅ぼされると織田家に降伏し、滝川一益の与力に付された。
【問題】斎藤龍興が稲葉山城を織田信長に攻略された際、次のうちどのような方法で城から脱出したか?【選択肢】女性に扮して搦手から出た大樽に入り運び出された舟を使って川を下った山麓に出る抜け穴を使った【正解】舟を使って川を下った【解説】永禄10年(1567)、織田軍に居城・稲葉山城(岐阜県岐阜市)を攻められた龍興は持ち堪えることができず、城を放棄して舟で長良川を下り、伊勢長島へと脱出した。
【問題】「空角の経始」という逸話を残す縄張りを持つのは、次のうちどの城か?【選択肢】棚倉城宇和島城兵庫城佐賀城【正解】宇和島城【解説】宇和島城は藤堂高虎による縄張りで、外郭が「空角の経始(あきかくのなわ)」と呼ばれる五角形を成しており、幕府隠密はこれを見誤って四角形と報告したという。
【問題】下石頼重とは、次のうち誰の家臣か?【選択肢】織田信長長宗我部元親北条氏康龍造寺隆信【正解】織田信長【解説】下石(おろし)頼重は、織田信長の馬廻りを務めた武将である。信長に近侍する一方で、北陸に派遣されて目付や奉行を務めるなど、多方面に活躍した。
【問題】次のうち、小野寺景道の初名として正しいものはどれか?【選択肢】輝道頼道英道嗣道【正解】輝道【解説】小野寺景道は、初め輝道と名乗り後に景道へと改めた。景道は出羽国雄勝郡をはじめ平鹿郡、由利郡、河辺郡などへ勢力を広げ、小野寺氏の最盛期を築いた。
【問題】森長可が武蔵守を名乗るようになった由来として知られるのは、次のうちどれか?【選択肢】先祖の土地がある武蔵国への進出を夢とした闇雲に人を殺めないよう“無刺し”を誓った武蔵坊弁慶にあやかり名乗るよう命じられた人間“無”骨の槍を常に背中に“差”していた【正解】武蔵坊弁慶にあやかり名乗るよう命じられた【解説】長可は瀬田の橋で関守に下馬を促されて逆上し、これを殺害した。この話を聞いた主の信長は咎めることなく、五条大橋で人を斬った武蔵坊弁慶にあやかり武蔵守を名乗るよう命じたという