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【問題】本阿弥光悦は晩年に光悦村と呼ばれる芸術村を営んだが、それは次のうちどこにあったか?【選択肢】常陸国伊豆国隠岐国山城国【正解】山城国【解説】多彩な芸術分野で功績を残した本阿弥光悦は、元和元年(1615)徳川家康から洛北鷹峯の地を拝領した。光悦は多くの文化人や芸術家、職人らを集め、光悦村と呼ばれる芸術村を営んだ。
【問題】猿山合戦とは、次のうちどの勢力同士の戦いか?【選択肢】河野氏vs.西園寺氏宇都宮氏vs.結城氏逸見氏vs.浅井氏浅利氏vs.津軽氏【正解】宇都宮氏vs.結城氏【解説】宇都宮忠綱と結城政朝は所領を巡って争っており、政朝の侵攻によって大永3年(1523、異説あり)猿山合戦が起こった。結果、忠綱は家臣にも見放され宇都宮を逐われた。
本日、甲州征伐が閉幕しました☝️織田軍が逆転勝利✌️織田軍の皆様、おめでとうございます😊
【問題】稲葉良通(一鉄)は六男にも関わらず家督を継いでいるが、その理由として正しいものは次のうちどれか?【選択肢】信長に家督継承を命じられたため5人それぞれが他家を継いだため兄全員を合戦で一度に失ったため父が溺愛し長幼の序を飛ばしたため【正解】兄全員を合戦で一度に失ったため【解説】稲葉良通は稲葉通則の六男として生まれた。大永5年(1525)の牧田合戦で父と兄5人が戦死したため、祖父・通貞と叔父・忠通の後見で還俗し家督を継承した。
【問題】吉田貞重とは、次のうちどの大名の家臣か?【選択肢】龍造寺氏安東氏相馬氏長宗我部氏【正解】長宗我部氏【解説】吉田貞重は孝頼の子で、父と同じく長宗我部氏に仕えた。永禄12年(1569年)長宗我部元親と安芸国虎が戦った際には、左目を突かれるもその敵を倒すという活躍を見せた。
【問題】「近江の正倉院」と称されることもある寺院は、次のうちどこか?【選択肢】大通寺錦織寺聖衆来迎寺瑞龍寺【正解】聖衆来迎寺【解説】聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ、滋賀県大津市)は国宝含む多くの文化財を有することから「近江の正倉院」とも称される。坂本城の城門も移築され残されている。
【問題】武田家臣・河窪信俊は、主家滅亡後、次のうち誰に召し抱えられたか?【選択肢】北条氏政徳川家康上杉景勝木曽義昌【正解】徳川家康【解説】河窪信俊は武田信玄の弟・信実の子で、本能寺の変後に甲斐へ入った徳川家康に召し出された。武田家が家康と敵対していなかった頃に鷹を贈ったことが縁であったという。
【問題】石川数正の次男・石川康勝が戦死したのは、次のうちどの合戦でのことか?【選択肢】大坂夏の陣九戸政実の乱天正壬午の乱三方ヶ原の戦い【正解】大坂夏の陣【解説】石川康勝は数正の次男で、数正が徳川家を出奔し豊臣家臣となった後、自身もこれに倣った。大坂冬の陣が起こると豊臣方に与し、続く夏の陣で戦死したされる。
【問題】肥後堀、薩摩堀、長州堀などの堀の名を残す城郭は、次のうちどれか?【選択肢】都於郡城唐津城志布志城姉川城【正解】唐津城【解説】唐津城(佐賀県唐津市)は、九州各地の大名の助力を得て築かれており、肥後堀、薩摩堀、長州堀、佐賀堀など協力した大名の領地名が堀の名に残されている。
【問題】織田信清の通称として知られるものは、次のうちどれか?【選択肢】岩倉安斎末森久斎鳴海仁斎犬山鉄斎【正解】犬山鉄斎【解説】織田信清は信長の叔父・信康の子である。最後は信長と対立して逐われることとなるが犬山城を居城とし、鉄斎と号したことから犬山鉄斎の名で知られる。
【問題】池田光政の正室・勝姫は、次のうち誰の子か?【選択肢】築山殿千姫京極マリア仙桃院【正解】千姫【解説】勝姫(円盛院)は、本多忠刻と千姫の間に生まれた子である。忠刻の死後、母子は江戸で暮らしていたが、勝姫は寛永5年(1628)に池田光政のもとへ嫁いだ。
【問題】徳川家臣・内藤信成が殿(しんがり)を務めて功を上げた合戦は、次のうちどれか?【選択肢】桶狭間の戦い金ヶ崎の退き口三方ヶ原の戦い天王寺口の戦い【正解】三方ヶ原の戦い【解説】内藤信成は幼少期より徳川家康に仕えた武将である。元亀3年(1572)武田軍が侵攻した際には、一言坂や三方ヶ原の戦いで殿を務め、家康の逃走を助けた。
【問題】豊臣家臣・神子田正治が改易された原因として伝わるものは、次のうちどれか?【選択肢】秀吉と口論した上で罵ったため愛馬を守るため戦場離脱したため領民を思い年貢を免除したため居城に無断で金箔瓦を使ったため【正解】秀吉と口論した上で罵ったため【解説】神子田(みこだ)正治は、小牧・長久手の戦いで首を獲ったことを秀吉に賞された際、この程度の手柄で喜んでは敵に勝てないと意見して口論に発展し、改易の上追放された。
【問題】寛永9年に堀尾忠晴が犯してしまった間違いとは、次のうちどれか?【選択肢】同名の違う人質を磔刑にしてしまった同名の違う日本刀を鋳潰してしまった同名の違う城の天守を解体してしまった同名の違う茶器を大金で買ってしまった【正解】同名の違う城の天守を解体してしまった【解説】堀尾忠晴は寛永9年(1632)に幕府から、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられるが、間違って伊勢亀山城の天守を取り壊してしまうという失態を犯した。
【問題】現在の高知県仁淀川町に逃れ、大崎玄蕃という変名を用いて生き延びていたという伝説があるのは、次のうち誰か?【選択肢】今川義元朝倉義景武田勝頼斎藤龍興【正解】武田勝頼【解説】高知県仁淀川町大崎には、甲斐から逃れた武田勝頼が落ち延び、大崎玄蕃と名を変えて慶長14年(1609)まで生きたという伝説が残る。同地には勝頼の墓所も残る。
【問題】≪難問≫秀紀を攻めてこれを逐い高郷が宗家を乗っ取ったのは、次のうちどの家での出来事か?【選択肢】蒲生家宗像家三村家温井家【正解】蒲生家【解説】六角家臣・蒲生高郷は、大永2年(1522)主である六角定頼と結託して蒲生宗家の秀紀を攻めてこれを逐い、自らの子・定秀に継承させて宗家を乗っ取った。
【問題】戦国時代にも活躍した主に刀傷の治療を専門とする外科医を、次のうち何と呼んだか?【選択肢】冶適医金創医順鋳医鉄通医【正解】金創医【解説】刀や槍など金属製武器による傷を治療する外科医を金創医といった。南北朝期に現れたとされ、需要の増した戦国期には大名お抱え医師も増え、多くの流派が生まれた。
【問題】≪難問≫滝川一益の孫・一積は、ある家との関係が非常に深かったが、それは次のうちどの家か?【選択肢】立花家上杉家島津家真田家【正解】真田家【解説】滝川一積(かずあつ)は江戸初期まで常に徳川方として行動するも、真田昌幸の五女を妻とし真田信繁の娘を養育するなど、子の代になっても真田家の女性を丁重に迎えた。
【問題】真壁氏幹はその武勇から、次のうち何という異名をとったか?【選択肢】常陸の猛牛麒麟真壁鬼真壁関東大魔王【正解】鬼真壁【解説】真壁氏幹(うじもと)は、常陸国の佐竹氏に従って各地に転戦した武将である。塚原卜伝に剣術を学んだとされる武勇は近隣に響き渡り、「鬼真壁」の異名をとった。
【問題】≪難問≫慶長出羽合戦の際、最上義康は次のうちどのような任務を帯びていたか?【選択肢】戸沢氏の動向を疑って陣城を構築していた上杉軍の動きを家康に報告しに行っていた結城秀康に乞うてその旗本に参加していた伊達氏のもとへ援軍を要請しに行っていた【正解】伊達氏のもとへ援軍を要請しに行っていた【解説】慶長出羽合戦の際、最上義光の嫡男・義康は父の命により伊達氏のもとへ赴き、援軍を要請していた。上杉軍撤退の際には、援軍とともに追撃戦に参加している。
【問題】天正14年に上杉氏家臣・上条政繁が起こした事とは、次のうちどれか?【選択肢】亡き謙信に殉死した佐渡の金を横領した関東管領を自称した上杉家から出奔した【正解】上杉家から出奔した【解説】上条政繁は上杉家の一門として家中で重きをなしたが、天正14年(1586)7月に出奔した。原因は景勝との対立や、景勝側近の直江兼続との対立などが指摘される。
【問題】≪難問≫三好実休が細川氏之(持隆)を謀殺した事件を、次のうち何と呼ぶか?【選択肢】勝瑞騒動眉山事変撫養争乱鮎喰崩れ【正解】勝瑞騒動【解説】天文22年(1553)、将軍家の後継をめぐり家臣の三好実休と対立した阿波守護・細川氏之は、実休殺害を計画するが先手を打たれ、見性寺(徳島県藍住町)で実休に誘殺された(勝瑞騒動・勝瑞事件)。
【問題】日本で唯一、天守と本丸御殿が両方現存するのは、次のうちどの城か?【選択肢】掛川城犬山城高知城川越城【正解】高知城【解説】高知城は、天守と本丸御殿の両方が現存する日本で唯一の城である。他に多聞櫓や門など、本丸の建造物がほぼ完全に残されており、多くが国の重要文化財に指定されている。
【問題】加藤弥三郎という武将が戦死したのは、次のうちどの戦いか?【選択肢】姉川の戦い賤ヶ岳の戦い山崎の戦い三方ヶ原の戦い【正解】三方ヶ原の戦い【解説】加藤弥三郎はもと織田信長の小姓を務めた人物で、後に信長の勘気を蒙って徳川家康の下に身を寄せた。三方ヶ原の戦いでは徳川方で参戦したが、敗戦の中で討死した。
【問題】豊臣家臣・青木一矩は、関ヶ原の戦いの頃、次のうちどの城に在城していたか?【選択肢】小田原城北ノ庄城洲本城佐土原城【正解】北ノ庄城【解説】豊臣家臣・青木一矩(かずのり、秀以、重吉とも)は、関ヶ原の戦いが起こった頃には越前北ノ庄城(福井県福井市)にあった。当時一矩自身は病床にあったとされる。
【問題】寺島職定とは、次のうちどの大名の家臣か?【選択肢】結城氏大宝寺氏十河氏神保氏【正解】神保氏【解説】寺島職定(もとさだ)は越中の神保長職の家臣である。家中でも大きな力を持ち、後に甲斐武田氏に通じるなど主君と対立し、神保家を二分する内紛を起こした。
【問題】武田家臣・小幡信真(信貞)は主家滅亡時、次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】居城に籠もって討死した越後国へ逃亡した織田家に臣従した天目山で勝頼に殉じた【正解】織田家に臣従した【解説】小幡信真は上野国を所領としており、天正10年(1582)に甲斐国で勝頼が織田信長によって滅ぼされると織田家に降伏し、滝川一益の与力に付された。
【問題】豊薩合戦で、大友家臣・志賀親次が島津軍を迎え撃つために拠った居城は、次のうちどこか?【選択肢】安岐城岡城真玉城佐伯城【正解】岡城【解説】豊薩合戦では、島津軍の勢いの前に多くの大友家臣が離反したが、志賀親次は居城である岡城(大分県竹田市)に拠って抵抗し、ついには島津軍を退けている。
【問題】進士賢光という人物が実行したこととして知られるのは、次のうちどれか?【選択肢】樺太へ出兵し自領にしようとした武田家の家宝を盗み出そうとした宴席で三好長慶を殺害しようとした江戸に地下都市を構築しようとした【正解】宴席で三好長慶を殺害しようとした【解説】進士賢光は室町幕府の奉公衆で、京の伊勢貞孝邸での宴席で三好長慶を殺害しようと斬り付けたが果たせず、その場で自害した。足利義輝の指示だったともいわれる。
【問題】島津家臣・山田有栄の関ヶ原の戦い時の行動として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】本戦に参戦し島津義弘とともに戦った小西勢の援軍として宇土城に籠った大友勢の援軍として石垣原で戦った四国へ渡り加藤嘉明軍を牽制していた【正解】本戦に参戦し島津義弘とともに戦った【解説】山田有栄(ありなが)は関ヶ原の戦いでは島津義弘に従って戦い、敵中突破の末に義弘とともに薩摩への帰国を果たしている。戦後、その功績を高く評価された。