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【問題】≪難問≫連合して島津氏に対抗していた大隅国の伊地知・肝付・禰寝氏が、島津氏に降伏した順番として正しいものは次のうちどれか?【選択肢】肝付氏→禰寝氏→伊地知氏伊地知氏→禰寝氏→肝付氏禰寝氏→伊地知氏→肝付氏伊地知氏→肝付氏→禰寝氏【正解】禰寝氏→伊地知氏→肝付氏【解説】大隅国衆の肝付・禰寝・伊地知の三氏は永禄年間、連合して島津氏と戦った。しかし、天正元年(1573)禰寝氏が降伏、翌年には伊地知氏が降伏し、孤立した肝付氏も降伏を余儀なくされた。
【問題】織田秀雄は、織田信長から見て次のうちどのような関係となるか?【選択肢】従兄弟孫兄庶子【正解】孫【解説】織田秀雄は、信長の次男である信雄の子として生まれた。信長から見ると孫にあたる。関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易され、江戸の浅草に閑居したという。
【問題】高櫓や板塀などが復元されている足助城(愛知県豊田市)は、次のうち何という山にあるか?【選択肢】戸田山真弓山大木山笹生山【正解】真弓山【解説】足助城(あすけじょう)は真弓山山頂を本丸とし、四方の尾根を利用した連郭式山城である。真弓山城と呼ばれる。平成期に高櫓や板塀など中世山城を再現する整備が行われた。
【問題】吉江景資が自害したのは、次のうちどの城でのことか?【選択肢】七尾城二曲城城端城魚津城【正解】魚津城【解説】吉江景資は上杉謙信の家臣である。謙信の死後、景勝の家臣となり越中方面を担当した。魚津城(富山県魚津市)が織田軍に攻略された際、他の城将とともに自害して果てた。
【問題】次のうち、船舶に対して課せられた通行税はどれか?【選択肢】漕回銭帆別銭泳着銭竜掛銭【正解】帆別銭【解説】帆別銭とは、室町時代から戦国時代にかけて、港湾に出入りする船舶の帆を単位として課せられた津料のひとつである。帆役、船役などとも呼ばれることがある。
【問題】座光寺貞房という武将は、次のうち誰とともに処刑されたか?【選択肢】小西行長佐久間盛政秋山虎繁九戸政実【正解】秋山虎繁【解説】座光寺貞房は武田家臣・秋山虎繁とともに岩村城に籠城し織田軍と戦った。同城の開城後、虎繁と共に岐阜へ挨拶へ出向いたところを捕縛され、長良川畔で磔刑に処された。
【問題】蟹江合戦とは、次のうちどの戦役の中で起こった戦いか?【選択肢】小牧・長久手の戦い豊薩合戦関ヶ原の戦い大坂冬の陣【正解】小牧・長久手の戦い【解説】蟹江合戦は小牧・長久手の戦いの中での合戦で、蟹江城(愛知県蟹江町)の滝川一益を、織田信雄・徳川家康が攻めた戦いである。約2週間の籠城の末、一益は開城した。
【問題】香西佳清は天正10年に長宗我部氏に攻められた際、次のうちどのように対応したか?【選択肢】降伏した京へ逃亡した城を枕に討死した居城を秀吉に譲渡した【正解】降伏した【解説】天正10年(1582)、香川親和を将とする長宗我部軍が讃岐に侵攻してきた際、香西佳清(こうざいよしきよ)は当初抗戦したが、香川之景の仲介により降伏した。
【問題】文禄3年に津軽為信が大浦城から居城を移した先は、次のうちどこか?【選択肢】大光寺城浪岡城飯詰城堀越城【正解】堀越城【解説】早くから豊臣氏に通じて津軽3郡の領有を認められた津軽為信は、文禄3年(1594)に大浦城(青森県弘前市)から堀越城(同)へ居城を移し、領国経営の基礎を固めた。
【問題】松永貞徳の職業として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】歌人陰陽師陶工医者【正解】歌人【解説】松永貞徳は、和歌を細川幽斎に、連歌を里村紹巴に学んだ歌人である。歌の修錬のために俳句も吟じ、晩年には俳諧の指導者となった。その俳諧は貞門俳諧と称される。
【問題】≪難問≫「かぶと掛の岩」・「姿見の池」の逸話と関連が深い出来事とは、次のうちどれか?【選択肢】奥州仕置大寧寺の変安土宗論中富川の戦い【正解】大寧寺の変【解説】陶隆房に逐われた大内義隆が大寧寺へ避難した際、岩に兜を掛け側の池に顔を映した。しかし水面に自分の姿が映らなかったことで運命を悟り、潔く自刃した。「かぶと掛の岩・姿見の池」が同寺に残る。
【問題】天正8年、別所氏の三木城が落城した後、三木通秋の守る城も落城したが、その城とは次のうちどれか?【選択肢】英賀城志方城龍野城感状山城【正解】英賀城【解説】三木合戦では三木城の別所氏を支援していた三木通秋だったが、天正8年(1580)1月に三木城が落城すると通秋の守る英賀城(兵庫県姫路市)も攻められ落城した。
【問題】公家の近衛尚通の残した記述がその言葉の由来とされるものは、次のうちどれか?【選択肢】戦国時代打ち首薩摩隼人鉄砲【正解】戦国時代【解説】永正5年(1508)、近衛尚通は当時の世情を中国の春秋戦国時代に例え「戦国の世の時の如し」と書き残しており、これが“戦国時代”の呼称の由来ともされる。
【問題】川中島の戦いで、山県昌景は鬼小島弥太郎のことを次のうちどのように評したといわれるか?【選択肢】見掛け倒しの弱将花も実もある勇士日ノ本一の偉丈夫功を誇示する佞人【正解】花も実もある勇士【解説】川中島の戦いで昌景が弥太郎に、武田義信の救援を急ぐため勝負を預けたいと申し出たところ弥太郎が快諾したため、昌景が「花も実もある勇士」と称賛したという逸話が残る。
【問題】唐沢山城が北条軍により包囲された際の、後詰に来た上杉謙信にまつわる伝説とは、次のうちどれか?【選択肢】謙信が一喝すると暴風雨が起こり北条軍を襲った下野国中の酒が無くなるまで連日酒宴を催した北条軍に対して相撲で決着を付けるよう要求したわずか数十騎で北条軍の前を通過し城に入った【正解】わずか数十騎で北条軍の前を通過し城に入った【解説】唐沢山城(栃木県佐野市)が北条軍により包囲された際、謙信は後詰に駆けつけ、自ら甲冑も着けずわずか数十騎で北条軍の目前を悠々過ぎ、唐沢山城に入
【問題】岡部親綱とは、次のうちどの大名の家臣か?【選択肢】島津家六角家尼子家佐竹家今川家【正解】今川家【解説】岡部親綱は今川家の家臣である。天文5年(1536)の花倉の乱では義元方として戦って勝利に貢献し、小柳津(おやいづ、静岡県焼津市)などの地を与えられた。
【問題】徳川家臣・成瀬正成が率いた部隊として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】津金衆根来組児玉党豊州家【正解】根来組【解説】成瀬正成の下には、豊臣秀吉の侵攻により故地を追われた根来衆50名が家康より配属された。これが後に根来組といわれる百人組の部隊となり、江戸時代へと続いた。
【問題】王直という人物の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】大内義隆の侍医室町幕府の吏僚後期倭寇の頭目狩野永徳の師匠【正解】後期倭寇の頭目【解説】王直は明の商人で、次第に密貿易に手を染めるようになり祖国を追われた。その後、日本の平戸に渡って同地を根拠地に、後期倭寇の代表的な頭目となった。
【問題】豊臣秀吉の生母・大政所の再婚相手といわれる人物は、次のうち誰か?【選択肢】竹阿弥庄阿弥禅阿弥丹阿弥【正解】竹阿弥【解説】竹阿弥(筑阿弥)は秀吉の母・大政所(仲)と再婚した秀吉の継父であるとされるが、秀吉の実父説などもあり、その素性についてはよくわかっていない。
【問題】今治城の別名として知られるものは、次のうちどれか?【選択肢】舟埋城島遠城集魚城吹揚城【正解】吹揚城【解説】今治城(愛媛県今治市)は、別名・吹揚城(ふきあげじょう、吹上城)と呼ばれる。海の砂が吹き揚げられる海辺に築かれていることからこの名が付いたという。
【問題】≪難問≫徳川家臣・松平信一は、ある戦いで織田軍への援軍として徳川軍を率いて参じたが、それは次のうちどれか?【選択肢】稲生の戦い箕作城の戦い月岡野の戦い高遠城の戦い【正解】箕作城の戦い【解説】松平信一は徳川家の家臣である。永禄11年(1568)の信長の上洛戦には徳川軍を率いて参陣し、箕作城の戦いで一番乗りを果たし、信長から賞されている。
【問題】少弐冬尚は、次のうちどの勢力に攻められて自害したか?【選択肢】島津氏毛利氏伊東氏龍造寺氏【正解】龍造寺氏【解説】少弐冬尚は肥前の戦国大名で少弐氏最後の当主である。冬尚は家臣であった龍造寺家兼と対立し、永禄2年(1559)家兼の曾孫・隆信らに攻められ、自害して果てた。
【問題】「須江山の惨劇」と呼ばれる事変の説明として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】長連龍が留守中に一族の多くを殺害された事変荒木村重の出した人質が大量に焼殺された事変葛西一揆の首謀者らを伊達政宗が謀殺した事変蒲池鎮漣一行を龍造寺隆信が騙し討にした事変【正解】葛西一揆の首謀者らを伊達政宗が謀殺した事変【解説】葛西大崎一揆への関与を疑われた伊達政宗は、同一揆の討伐を命じられ、天正19年(1591)に一揆の主な首謀者を集め、須江・糠塚(宮城県石巻市)で謀殺した。
【問題】朝倉景鏡が討死したのは、次のうちどこか?【選択肢】平泉寺沖島国吉城伊吹山【正解】平泉寺【解説】朝倉景鏡は主家滅亡後に織田信長に仕えていたが、天正2年(1574)に一向一揆に襲撃されて平泉寺(福井県勝山市)に籠もり、同地において討ち取られた。
【問題】「新田肩衝」とは、次のうち何の名称か?【選択肢】脇差茶入薙刀大筒【正解】茶入【解説】肩衝(かたつき)とは、肩の部分が角ばっている形態の茶入のことをいう。「新田肩衝」は天下三肩衝の一つに数えられる名物で、名だたる戦国大名の間を転々とした。
【問題】一条兼定は大友宗麟の娘を妻に迎える前、次のうち誰を妻としていたか?【選択肢】長宗我部国親の妹宇都宮豊綱の娘大内義隆の孫小早川隆景の姉【正解】宇都宮豊綱の娘【解説】伊予の宇都宮豊綱は、同国内で対立する西園寺氏を挟撃するため、土佐の一条兼定へ娘を嫁がせていた。しかし後に兼定はこれを離縁し、大友宗麟の娘を娶っている。
【問題】石山城・今堅田城の戦いとは、次のうちどの勢力同士の戦いか?【選択肢】織田信秀vs.斎藤道三北条氏綱vs.上杉憲政大友宗麟vs.龍造寺隆信足利義昭vs.織田信長【正解】足利義昭vs.織田信長【解説】石山城・今堅田城の戦いとは、元亀4年(1573)に両城で挙兵した義昭方の軍を、信長が派遣した柴田勝家・明智光秀らが攻めた戦いである。両城が落城したことで決着した。
【問題】九鬼守隆は、大坂の陣で次のうちどちらに付いたか?【選択肢】大坂方幕府方【正解】幕府方【解説】鳥羽藩主・九鬼守隆は、大坂の陣が起こると幕府方として水軍を率いて参戦し、野田・福島方面での戦いなどで豊臣水軍を寄せ付けない強さで活躍した。
【問題】優れた藩政を讃える「政治は一●●、二▲▲」の言葉。伏せ字部分の組み合わせとして正しいものは次のうちどれか?【選択肢】加賀と土佐桑名と館林仙台と長州松江と佐賀【正解】加賀と土佐【解説】加賀藩の2代藩主・前田利常は、農政や治水事業等で優れた功績を残し加賀藩250年の礎を築いた。その治世は「政治は一加賀、二土佐」と讃えられる。
【問題】今日11月15日から2日間、岐阜県可児市において「山城に行こう!2025」が開催される。このイベントでは条件を満たすとある物に入った分だけのお米が持って帰れるが、ある物とは一体何か?【選択肢】一合枡みかん箱浴槽ダンプカー25mプール東京ドーム【正解】一合枡【解説】「山城に行こう!2025」では、所定の条件をクリアしてメイン会場の石高交換所で見せると、先着順で一合枡に入った分だけの米を持ち帰れる。米粒を延々と積み上げる技を磨いておけば、理論上東京ドーム1杯分も夢では