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【問題】【日本城郭検定準1級】駿府田中城に移築復元されている建物で、会津若松城の御三階や名古屋城二の丸石垣上にあった迎涼閣と同様、軍事よりも遊興的な性格が強いとされているのはどれか。【選択肢】月見櫓御亭時鐘櫓能舞台【正解】御亭【解説】田中城の本丸の南東隅の石垣に「御亭」と呼ばれる2階建ての建物が高さ9尺(約2.7m)の石垣の上に建っていた記録が残る。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定準1級】秀吉の信頼が厚かった中村一氏は各地の城主に任じられたが、次の城の中で城主でなかったのはどれか。【選択肢】大和郡山城駿府城水口岡山城岸和田城【正解】大和郡山城【解説】中村一氏は羽柴秀吉時代の家臣で、天正11年(1583)に岸和田城主、次いで水口岡山城主、駿府城主を歴任し、関ケ原の戦いを前に病没した。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定準1級】次の城の三重櫓で重要文化財に指定されていないのはどれか。【選択肢】名古屋城清州櫓福山城伏見櫓熊本城宇土櫓江戸城富士見櫓【正解】江戸城富士見櫓【解説】宮内庁所有・管轄の文化財は「文化財保護法」の域外にあたるため、富士見櫓のほか、伏見櫓等も重要文化財には指定されていない。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定2級】小牧山城の発掘調査は多くの成果を上げているが、令和3年(2021)に山頂主郭曲輪東側一段下の帯曲輪で確認できたのはどれか。【選択肢】連続杭柱穴遺構版築通路遺構礎石建物遺構玉石敷遺構【正解】玉石敷遺構【解説】確認された玉石は小牧山から取れるものではなく、一定の規格に合う石がわざわざ別の山から持ち込まれていた。敷設範囲内に立石と思われる大きな石や植栽痕があることなどから、庭園に伴う玉石敷遺構であると推定されている。問題・解説文提供:「日本城
【問題】【日本城郭検定2級】国内の古代山城で鞠智城だけでしか見られないものはどれか。【選択肢】貯水池礎石建物群八角形建物烽火施設【正解】八角形建物【解説】7世紀から10世紀まで存続したといわれる鞠智城。その象徴的建物と言えば八角形の鼓楼。復元だが、八角形の側柱の跡が遺構として残っている。復元された鼓楼は高さ15.8mの三層建て。なお、こういった八角形型建物は、他の古代山城では見られない。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定3級】伊東氏と島津氏が長年争った城で、昭和53年(1978)に大手門が再建された城はどれか。【選択肢】人吉城飫肥城佐土原城岡城【正解】飫肥城【解説】飫肥城は廃城令で存城処分になっていたが、明治6年(1873)に大手門を含め城内全ての建物は取り壊された。他の城の現存大手門を参考にして、昭和53年(1978)に柱と梁で全体を支える在来工法で大手門は再建された。樹齢100年の飫肥杉4本が用いられている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定3級】城名と別名の組み合わせで、間違いはどれか。【選択肢】岡山城—烏城犬山城—白帝城姫路城ー白鷺城広島城—霧城【正解】広島城—霧城【解説】天正17年(1589)に豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元が築いた広島城。別名は「鯉城(りじょう)」。広島城が建てられた一帯が「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれており、「己斐」の音が鯉に通じる事から鯉城と呼ばれるようになったと言われている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定3級】藤堂高虎は築城の名人といわれ、宇和島城をはじめ生涯多くの城と関わっているが、高虎と関わりの無い城はどれか。【選択肢】今治城大和郡山城徳島城伊賀上野城【正解】徳島城【解説】若き藤堂高虎は、大和郡山城主だった豊臣秀長に仕え、その城の改築に携わったと言われている。関ケ原の戦いでは徳川方につき、功績をあげ、今治の地を与えられた。高虎の城の特徴は層塔式天守、高石垣など。伊賀上野城は高石垣の特徴が最も表れており、約30mの高さがある。江戸城、駿府城、徳川
【問題】筑前岩屋城は、次のうち何という山に築かれているか?【選択肢】四王寺山馬見山六ヶ岳発心山【正解】四王寺山【解説】岩屋城(福岡県太宰府市)は、同市、及び大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる四王寺山の中腹に築かれている。土塁や堀切が残存し、本丸から太宰府の街並みを一望できる。
【問題】遊佐長教の最期の説明として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】刺客に暗殺された99歳で大往生を遂げた犬追物中に落馬した辰市合戦で戦死した【正解】刺客に暗殺された【解説】遊佐長教(ゆさながのり)は、三好長慶と結託して大きな力を持っていたが、刺客に襲われて落命した。暗殺された場所や黒幕については諸説あり判然としない。
【問題】万里集九の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】戦国期に書かれた忍術書鎌倉後期から続く年中行事室町中期から後期の詩僧江戸期に発達した養殖技術【正解】室町中期から後期の詩僧【解説】万里集九(ばんりしゅうく)は室町時代中期から後期に活動した歌人、禅僧である。太田道灌に招聘されて関東へ下向し、江戸城に滞在したことでも知られる。
【問題】≪難問≫浦辺衆(浦部衆)と呼ばれる武士団は、次のうち主にどの国を根拠地としていたか?【選択肢】美作国豊後国能登国三河国【正解】豊後国【解説】豊後国の国東半島(大分県)では、海岸線に沿った浦々を支配する浦辺衆(浦部衆)と呼ばれる在地土豪が割拠していた。戦国期には大友氏の水軍の一翼を担った。
【問題】『信長公記』に“昼夜、山も谷も動くばかり”と表現されたのは、次のうち何の様子か?【選択肢】天正の伊賀攻め鉄甲船の建造本能寺の変後の京安土城の普請【正解】安土城の普請【解説】安土城(滋賀県近江八幡市)の普請は、大量の人夫を動員して短期間で行われた。その様子は、『信長公記』に“昼夜、山も谷も動くばかり”と表現されている。
【問題】天文23年、武田軍が伊那郡に侵攻した際、下条信氏は次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】小県郡へ逃亡した降伏した和睦して仏門に入った徹底抗戦の末討死した【正解】降伏した【解説】信濃国伊那郡の国衆であった下条信氏は、天文23年(1554)に武田信玄が伊那へ侵攻した際に、その麾下に加わった。以後は信濃先方衆として、信玄の作戦に従った。
【問題】宇陀松山城が廃城となったのは、次のうちどのタイミングか?【選択肢】松永久秀が自害した際小牧・長久手の戦い直前福島高晴が改易された際島原の乱鎮圧の1年後【正解】福島高晴が改易された際【解説】宇陀松山城(奈良県宇陀市)は、関ヶ原の戦いの後、福島高晴が入っていたが、高晴が大坂夏の陣での豊臣方への内通疑惑で改易されると、破却され廃城となった。
【問題】本堂忠親とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】豊前国三河国伯耆国出羽国【正解】出羽国【解説】本堂氏は出羽国山本郡(現在の仙北郡)に勢力を持った国衆で、忠親の代に豊臣秀吉に臣従、本領を安堵された。朝鮮出兵では軍を率いて肥前名護屋に在陣した。
【問題】木下利房が大坂の陣の戦功により与えられたのは、次のうちどの地か?【選択肢】備中足守信濃高遠安房館山摂津茨木【正解】備中足守【解説】木下利房は関ヶ原の戦いで西軍に属して所領を没収されていたが、大坂の陣での功績が認められ、備中足守2万5千石を与えられ、足守藩2代藩主となった。
【問題】信長や秀吉が宿営したことでも知られる成菩提院とは、次のうちどこにあるか?【選択肢】大阪府寝屋川市滋賀県米原市兵庫県西宮市京都府和束町【正解】滋賀県米原市【解説】成菩提院(じょうぼだいいん)は、滋賀県米原市にある古刹である。信長や秀吉が度々宿泊した記録が残り、石田三成の掟書など多くの文化財を所蔵する。
【問題】島津忠恒が、家臣の伊集院忠棟を殺害した後に蟄居したのは、次のうちどこか?【選択肢】天王山瓜生山鞍馬山高雄山【正解】高雄山【解説】島津忠恒は、慶長4年(1599)家臣の伊集院忠棟を京・伏見において殺害した。これにより、忠恒は高雄山麓の神護寺(京都市右京区)に蟄居・謹慎することとなった。
【問題】琉球の英祖王や尚寧王の陵墓とされるのは、次のうちどれか?【選択肢】池城墓浦添ようどれ玉陵漲水御嶽【正解】浦添ようどれ【解説】琉球の英祖王(1229?〜1299)や尚寧王(1564〜1620)は、浦添城跡にある「浦添ようどれ」に葬られている。沖縄戦で破壊されたが平成17年(2005)に復元されている。
【問題】池田輝政の子・池田忠継は、大坂冬の陣では幕府方と豊臣方、どちらに属して戦ったか?【選択肢】幕府方豊臣方【正解】幕府方【解説】池田忠継は輝政の子として、慶長4年(1599)に生まれた。十代の時に訪れた大坂冬の陣に幕府方として参戦したが帰国後に発病し、翌年死去した。享年17。
【問題】≪難問≫享禄4年、上杉憲政に関東管領職を譲った上杉憲寛は、次のうちどこへ退去したか?【選択肢】上総国宮原越後国新発田甲斐国勝沼武蔵国牛込【正解】上総国宮原【解説】享禄4年(1531)、関東享禄の内乱の結果、憲政に山内上杉家の家督と関東管領職を譲った憲寛は、晴直と改名し、上総国宮原(千葉県市原市)に移った。
【問題】能島城(愛媛県今治市)の出丸があったとされる、能島の属島の名前は次のうちどれか?【選択肢】中渡島鯛崎島大突間島肥島【正解】鯛崎島【解説】能島城は島全体を城塞化した城で、能島の南に位置する属島・鯛崎島には、能島城の出丸として鯛崎出丸があった。現在同出丸には弁財天が奉られている。
【問題】松平康忠の妻の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】徳川家康の妹である伊達政宗の娘である島津義弘の姉である北条氏康の孫である【正解】徳川家康の妹である【解説】家康に仕えた松平康忠は、松平広忠の娘で家康の異母妹である矢田姫を妻として迎えていた。康忠は家康からの信頼が厚く、松平信康付の家老に抜擢されたこともある。
【問題】騎西城(埼玉県加須市)の古表記として正しいものは次のうちどれか?【選択肢】私市城季歳城癸哉城枳井城【正解】私市城【解説】騎西城は、かつては私市城と表記していた。他に崎西城、埼西城などの表記も見られ、いずれも読みは“きさい”である。根古屋城、山根城の別称も持つ。
【問題】柴屋軒とも称した宗長とは、次のうちどのような職業の人物だったか?【選択肢】連歌師杣師彫金師塗師【正解】連歌師【解説】宗長(そうちょう)は、室町時代後期の連歌師である。柴屋軒(さいおくけん)とも号した。今川氏に仕えた後に上洛し、宗祇(そうぎ)に師事して連歌を学んだ。
【問題】徳川家康の家臣・酒井重忠は、関ヶ原の戦い後、次のうちどの地を与えられたか?【選択肢】上野国厩橋肥後国水俣播磨国龍野信濃国小諸【正解】上野国厩橋【解説】酒井重忠は若年期から家康に仕え、多くの合戦に参加した。慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いの論功行賞により上野国厩橋城主となり、3万3千石を領した。
【問題】常楽寺(愛知県半田市)に寺宝として伝わるものは、次のうちどれか?【選択肢】徳川家康から拝領した鐙と鞍武田信玄を狙撃した際の火縄銃今川義元が投げ捨てた軍配織田信長から寄進された茶杓【正解】徳川家康から拝領した鐙と鞍【解説】常楽寺は家康の従兄弟が住職を務めていた時期があり、家康が桶狭間からの撤退時に同寺に立ち寄っている。その際に寄進した鐙(あぶみ)と鞍(くら)が寺宝として伝わる。
【問題】福島正則の養子である福島正之の実父は、次のうち誰か?【選択肢】香宗我部親泰別所重宗稲富祐直小早川秀包【正解】別所重宗【解説】福島正之は播磨の別所重宗(重棟)の子として生まれた。母が福島正則の姉であった縁から、嗣子が夭折していた正則の養子となり、福島正之を名乗った。
【問題】御代田合戦の説明として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】浅井氏vs.京極氏長宗我部氏vs.安芸氏佐竹氏vs.田村氏三木氏vs.内ヶ島氏【正解】佐竹氏vs.田村氏【解説】御代田(みよだ)合戦とは、陸奥・御代田城(福島県郡山市)をめぐって、佐竹義重をはじめ蘆名盛隆らによる連合軍と、田村清顕との間で起こった戦いである。