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【問題】高櫓や板塀などが復元されている足助城(愛知県豊田市)は、次のうち何という山にあるか?【選択肢】戸田山真弓山大木山笹生山【正解】真弓山【解説】足助城(あすけじょう)は真弓山山頂を本丸とし、四方の尾根を利用した連郭式山城である。真弓山城と呼ばれる。平成期に高櫓や板塀など中世山城を再現する整備が行われた。
【問題】吉江景資が自害したのは、次のうちどの城でのことか?【選択肢】七尾城二曲城城端城魚津城【正解】魚津城【解説】吉江景資は上杉謙信の家臣である。謙信の死後、景勝の家臣となり越中方面を担当した。魚津城(富山県魚津市)が織田軍に攻略された際、他の城将とともに自害して果てた。
【問題】次のうち、船舶に対して課せられた通行税はどれか?【選択肢】漕回銭帆別銭泳着銭竜掛銭【正解】帆別銭【解説】帆別銭とは、室町時代から戦国時代にかけて、港湾に出入りする船舶の帆を単位として課せられた津料のひとつである。帆役、船役などとも呼ばれることがある。
【問題】座光寺貞房という武将は、次のうち誰とともに処刑されたか?【選択肢】小西行長佐久間盛政秋山虎繁九戸政実【正解】秋山虎繁【解説】座光寺貞房は武田家臣・秋山虎繁とともに岩村城に籠城し織田軍と戦った。同城の開城後、虎繁と共に岐阜へ挨拶へ出向いたところを捕縛され、長良川畔で磔刑に処された。
【問題】蟹江合戦とは、次のうちどの戦役の中で起こった戦いか?【選択肢】小牧・長久手の戦い豊薩合戦関ヶ原の戦い大坂冬の陣【正解】小牧・長久手の戦い【解説】蟹江合戦は小牧・長久手の戦いの中での合戦で、蟹江城(愛知県蟹江町)の滝川一益を、織田信雄・徳川家康が攻めた戦いである。約2週間の籠城の末、一益は開城した。
【問題】≪難問≫徳川家臣・松平信一は、ある戦いで織田軍への援軍として徳川軍を率いて参じたが、それは次のうちどれか?【選択肢】稲生の戦い箕作城の戦い月岡野の戦い高遠城の戦い【正解】箕作城の戦い【解説】松平信一は徳川家の家臣である。永禄11年(1568)の信長の上洛戦には徳川軍を率いて参陣し、箕作城の戦いで一番乗りを果たし、信長から賞されている。
【問題】文禄3年に津軽為信が大浦城から居城を移した先は、次のうちどこか?【選択肢】大光寺城浪岡城飯詰城堀越城【正解】堀越城【解説】早くから豊臣氏に通じて津軽3郡の領有を認められた津軽為信は、文禄3年(1594)に大浦城(青森県弘前市)から堀越城(同)へ居城を移し、領国経営の基礎を固めた。
【問題】「軍役定書」の意味として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】合戦で討ち取った敵将の名を一覧したもの作戦遂行にあたり全員の血判を押したもの文官を徴兵する際その理由を説明するもの配下の参戦時の兵員や軍装を指示したもの【正解】配下の参戦時の兵員や軍装を指示したもの【解説】「軍役定書(ぐんやくさだめがき)」とは、配下の武将が合戦に参加する際に求められる、禄に応じた兵員や軍装を定めた書である。「着到定書」ともいわれる。
【問題】川中島の戦いで、山県昌景は鬼小島弥太郎のことを次のうちどのように評したといわれるか?【選択肢】見掛け倒しの弱将花も実もある勇士日ノ本一の偉丈夫功を誇示する佞人【正解】花も実もある勇士【解説】川中島の戦いで昌景が弥太郎に、武田義信の救援を急ぐため勝負を預けたいと申し出たところ弥太郎が快諾したため、昌景が「花も実もある勇士」と称賛したという逸話が残る。
【問題】香西佳清は天正10年に長宗我部氏に攻められた際、次のうちどのように対応したか?【選択肢】降伏した京へ逃亡した城を枕に討死した居城を秀吉に譲渡した【正解】降伏した【解説】天正10年(1582)、香川親和を将とする長宗我部軍が讃岐に侵攻してきた際、香西佳清(こうざいよしきよ)は当初抗戦したが、香川之景の仲介により降伏した。
【問題】岡部親綱とは、次のうちどの大名の家臣か?【選択肢】島津家六角家尼子家佐竹家今川家【正解】今川家【解説】岡部親綱は今川家の家臣である。天文5年(1536)の花倉の乱では義元方として戦って勝利に貢献し、小柳津(おやいづ、静岡県焼津市)などの地を与えられた。
【問題】『信長公記』において、織田信秀は次のうち何と呼ばれているか?【選択肢】器用の仁殺気の人非凡の祖比興の士【正解】器用の仁【解説】信長の父である織田信秀は、文武両道に通じ自らの代で大いに家を興隆させた。『信長公記』の中では「とりわけ器用の仁にて」(器量人の意か)と記されている。
【問題】伊勢松坂藩主・古田重治が元和5年に移封された先は、次のうちどこか?【選択肢】大和郡山筑前名島石見浜田伊予大洲【正解】石見浜田【解説】古田重治は、家督を継いだ兄が死去した際にその子が幼かったため伊勢松坂藩を継いでいた。元和5年(1619)石見国浜田へ移封され、浜田城を築いた。
【問題】国宝の日本刀・日光一文字は、次のうちどの家に伝わったか?【選択肢】佐竹家黒田家真田家山内家【正解】黒田家【解説】日光一文字は鎌倉期の作とされ、小田原の役後に北条氏直から黒田孝高へ贈呈された。以後、江戸期を通じて黒田家の家宝として伝来し、現在は福岡市の所有となっている。
【問題】国宝・松本城の天守の構造として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】3重4階4重5階5重6階6重7階【正解】5重6階【解説】松本城(長野県松本市)の天守は5重6階である。5重6階の天守の中では最古のものとされ、文禄2年(1593)から同3年にかけて築かれたとされる(同市の公式見解、諸説あり)。
【問題】真壁氏幹はその武勇から、次のうち何という異名をとったか?【選択肢】常陸の猛牛麒麟真壁鬼真壁関東大魔王【正解】鬼真壁【解説】真壁氏幹(うじもと)は、常陸国の佐竹氏に従って各地に転戦した武将である。塚原卜伝に剣術を学んだとされる武勇は近隣に響き渡り、「鬼真壁」の異名をとった。
【問題】≪難問≫慶長出羽合戦の際、最上義康は次のうちどのような任務を帯びていたか?【選択肢】戸沢氏の動向を疑って陣城を構築していた上杉軍の動きを家康に報告しに行っていた結城秀康に乞うてその旗本に参加していた伊達氏のもとへ援軍を要請しに行っていた【正解】伊達氏のもとへ援軍を要請しに行っていた【解説】慶長出羽合戦の際、最上義光の嫡男・義康は父の命により伊達氏のもとへ赴き、援軍を要請していた。上杉軍撤退の際には、援軍とともに追撃戦に参加している。
【問題】山名祐豊により本格的な採掘がなされたとされる鉱山は、次のうちどれか?【選択肢】黒川金山生野銀山吹屋銅山白根金山【正解】生野銀山【解説】生野銀山(兵庫県朝来市)は大同2年(807)に開かれたとされるが、天文11年(1542)頃から但馬守護・山名祐豊が銀石を掘り出したことが開坑の起源とされる。
【問題】斎藤利宗という武将の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】佐渡金山を発見した武田勝頼の遺児である春日局の兄にあたる戦国期の日本地図を描いた【正解】春日局の兄にあたる【解説】斎藤利宗は利三の子で春日局の兄にあたる。父とともに明智光秀に仕え、その滅亡後は加藤清正に仕えた。清正死後出奔し、春日局の縁で徳川家光に謁見し常陸真壁に所領を与えられた。
【問題】≪難問≫豊臣秀吉に仕えた古田重則という人物の死因として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】秀吉の放蕩を諌めて自刃した大坂城普請の際に転落した失言で秀吉に手討ちにされた三木合戦の最中に戦死した【正解】三木合戦の最中に戦死した【解説】古田重則は秀吉の家臣で、秀吉の三木合戦にも従軍した。しかし、その戦いの最中に別所軍の攻撃を受けて戦死した。家督は嫡男である重勝が継承している。
【問題】松永貞徳の職業として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】歌人陰陽師陶工医者【正解】歌人【解説】松永貞徳は、和歌を細川幽斎に、連歌を里村紹巴に学んだ歌人である。歌の修錬のために俳句も吟じ、晩年には俳諧の指導者となった。その俳諧は貞門俳諧と称される。
【問題】赤松政則を復権させた功績で別所則治が得た地位は、次のうちどれか?【選択肢】讃岐守護東播磨守護代和泉上守護京都守護職【正解】東播磨守護代【解説】播磨別所氏の別所則治は、それまで無名であったが、播磨守護・赤松政則を支えて復権させたことから、東播磨八郡守護代に任じられ同氏台頭の契機を作った。
【問題】≪難問≫佐々成政が前田家との縁談の裏で前田領への侵攻を企図していることを密告した茶坊主の名は、次のうちどれか?【選択肢】養頓干堂延甚鄒海【正解】養頓【解説】成政の茶坊主であった養頓(じょうとん)は、成政が前田家との縁談を進めながら加賀侵攻を企んでいると前田利家に密告した。養頓は利家の間者だったとされる。
【問題】信濃国の国衆である大嶋氏・片切氏・赤須氏らを総称して、次のうち何と呼んだか?【選択肢】武川衆春近衆九一色衆津金衆【正解】春近衆【解説】信濃国伊那郡の春近領という地に勢力を張った大嶋氏・片切氏・赤須氏・飯嶋氏・上穂氏らは春近衆や春近五人衆などと呼ばれる。後に武田氏に組み込まれた。
【問題】徳川家康が所用した「伊予札黒糸威胴丸具足」は、次のうち何という別名で呼ばれるか?【選択肢】歯朶具足大根具足百足具足山葵具足【正解】歯朶具足【解説】久能山東照宮(静岡県静岡市)には、徳川家康所用と伝わる「伊予札黒糸威胴丸具足」が所蔵されている。シダの葉の前立てが付くことから、「歯朶具足」と呼ばれる。
【問題】武田家臣・小幡信真(信貞)は主家滅亡時、次のうちどのような行動を取ったか?【選択肢】居城に籠もって討死した越後国へ逃亡した織田家に臣従した天目山で勝頼に殉じた【正解】織田家に臣従した【解説】小幡信真は上野国を所領としており、天正10年(1582)に甲斐国で勝頼が織田信長によって滅ぼされると織田家に降伏し、滝川一益の与力に付された。
【問題】キリシタン女性・内藤ジュリアの兄の名は、次のうちどれか?【選択肢】昌秀如安元盛信成【正解】如安【解説】内藤ジュリアは内藤如安の妹で、慶長元年(1596年)頃に洗礼を受け、ジュリアと名乗った。同11年、京に日本初の女子修道会である「ベアタス会」を創立した。
【問題】一条兼定は大友宗麟の娘を妻に迎える前、次のうち誰を妻としていたか?【選択肢】長宗我部国親の妹宇都宮豊綱の娘大内義隆の孫小早川隆景の姉【正解】宇都宮豊綱の娘【解説】伊予の宇都宮豊綱は、同国内で対立する西園寺氏を挟撃するため、土佐の一条兼定へ娘を嫁がせていた。しかし後に兼定はこれを離縁し、大友宗麟の娘を娶っている。
【問題】今治城の別名として知られるものは、次のうちどれか?【選択肢】舟埋城島遠城集魚城吹揚城【正解】吹揚城【解説】今治城(愛媛県今治市)は、別名・吹揚城(ふきあげじょう、吹上城)と呼ばれる。海の砂が吹き揚げられる海辺に築かれていることからこの名が付いたという。
【問題】豊薩合戦で、大友家臣・志賀親次が島津軍を迎え撃つために拠った居城は、次のうちどこか?【選択肢】安岐城岡城真玉城佐伯城【正解】岡城【解説】豊薩合戦では、島津軍の勢いの前に多くの大友家臣が離反したが、志賀親次は居城である岡城(大分県竹田市)に拠って抵抗し、ついには島津軍を退けている。