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【問題】【日本城郭検定準1級】次の城の三重櫓で重要文化財に指定されていないのはどれか。【選択肢】名古屋城清州櫓福山城伏見櫓熊本城宇土櫓江戸城富士見櫓【正解】江戸城富士見櫓【解説】宮内庁所有・管轄の文化財は「文化財保護法」の域外にあたるため、富士見櫓のほか、伏見櫓等も重要文化財には指定されていない。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】【日本城郭検定2級】小牧山城の発掘調査は多くの成果を上げているが、令和3年(2021)に山頂主郭曲輪東側一段下の帯曲輪で確認できたのはどれか。【選択肢】連続杭柱穴遺構版築通路遺構礎石建物遺構玉石敷遺構【正解】玉石敷遺構【解説】確認された玉石は小牧山から取れるものではなく、一定の規格に合う石がわざわざ別の山から持ち込まれていた。敷設範囲内に立石と思われる大きな石や植栽痕があることなどから、庭園に伴う玉石敷遺構であると推定されている。問題・解説文提供:「日本城
【問題】【日本城郭検定準1級】次の城の三重櫓で重要文化財に指定されていないのはどれか?【選択肢】名古屋城清須櫓福山城伏見櫓熊本城宇土櫓江戸城富士見櫓【正解】江戸城富士見櫓【解説】宮内庁所有・管轄の文化財は「文化財保護法」の域外にあたるため、伏見櫓等も重文指定は受けていない。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】常楽寺(愛知県半田市)に寺宝として伝わるものは、次のうちどれか?【選択肢】徳川家康から拝領した鐙と鞍武田信玄を狙撃した際の火縄銃今川義元が投げ捨てた軍配織田信長から寄進された茶杓【正解】徳川家康から拝領した鐙と鞍【解説】常楽寺は家康の従兄弟が住職を務めていた時期があり、家康が桶狭間からの撤退時に同寺に立ち寄っている。その際に寄進した鐙(あぶみ)と鞍(くら)が寺宝として伝わる。
【問題】慶長5年以降、15代にわたって臼杵城(大分県臼杵市)を治めたのは、次のうちどの大名か?【選択肢】太田氏福原氏稲葉氏大友氏【正解】稲葉氏【解説】臼杵城は大友宗麟の時代は丹生島城と呼ばれ、福原氏、太田氏を経て、慶長5年(1600)からは稲葉氏が入って、以降廃藩置県まで同氏15代の居城となった。
【問題】【日本城郭検定2級】国内の古代山城で鞠智城だけでしか見られないものはどれか。【選択肢】貯水池礎石建物群八角形建物烽火施設【正解】八角形建物【解説】7世紀から10世紀まで存続したといわれる鞠智城。その象徴的建物と言えば八角形の鼓楼。復元だが、八角形の側柱の跡が遺構として残っている。復元された鼓楼は高さ15.8mの三層建て。なお、こういった八角形型建物は、他の古代山城では見られない。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】本堂忠親とは、次のうちどの国の国衆か?【選択肢】豊前国三河国伯耆国出羽国【正解】出羽国【解説】本堂氏は出羽国山本郡(現在の仙北郡)に勢力を持った国衆で、忠親の代に豊臣秀吉に臣従、本領を安堵された。朝鮮出兵では軍を率いて肥前名護屋に在陣した。
【問題】寺沢広高は関ヶ原の戦いの前年に病死した。○か×か?【選択肢】○×【正解】×【解説】寺沢広高は豊臣家中で、主に奉行職として頭角を現したが、関ヶ原の戦いでは東軍に付くことを選択し、結果戦後の論功行賞で肥後天草4万石を加増されている。
【問題】【日本城郭検定3級】藤堂高虎は築城の名人といわれ、宇和島城をはじめ生涯多くの城と関わっているが、高虎と関わりの無い城はどれか。【選択肢】今治城大和郡山城徳島城伊賀上野城【正解】徳島城【解説】若き藤堂高虎は、大和郡山城主だった豊臣秀長に仕え、その城の改築に携わったと言われている。関ケ原の戦いでは徳川方につき、功績をあげ、今治の地を与えられた。高虎の城の特徴は層塔式天守、高石垣など。伊賀上野城は高石垣の特徴が最も表れており、約30mの高さがある。江戸城、駿府城、徳川
【問題】信濃国に土着した薩摩島津氏の分家の組み合わせとして正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】飯田家・臼田家藤沢家・田沢家長沼家・赤沼家辰野家・茅野家【正解】長沼家・赤沼家【解説】薩摩島津氏の分家が信濃国太田荘に土着し信濃島津氏となった。長沼家と赤沼家が知られ、一時武田・上杉の抗争に翻弄されながらも、最後は上杉氏の会津移封に従った。
【問題】関ヶ原の戦いに敗れた小西行長が捕らえられたのは、次のうちどこか?【選択肢】竹生島河内風穴水口岡山城伊吹山【正解】伊吹山【解説】関ヶ原の戦いで西軍の敗色が濃厚となると、小西行長は伊吹山中に逃れた。行長はキリシタンであったため自害できず、数日後に名乗り出て捕らえられた。
【問題】筑前岩屋城は、次のうち何という山に築かれているか?【選択肢】四王寺山馬見山六ヶ岳発心山【正解】四王寺山【解説】岩屋城(福岡県太宰府市)は、同市、及び大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる四王寺山の中腹に築かれている。土塁や堀切が残存し、本丸から太宰府の街並みを一望できる。
【問題】≪難問≫浦辺衆(浦部衆)と呼ばれる武士団は、次のうち主にどの国を根拠地としていたか?【選択肢】美作国豊後国能登国三河国【正解】豊後国【解説】豊後国の国東半島(大分県)では、海岸線に沿った浦々を支配する浦辺衆(浦部衆)と呼ばれる在地土豪が割拠していた。戦国期には大友氏の水軍の一翼を担った。
【問題】織田信長の家臣・猪子一時の、本能寺の変後の説明として正しいものはどれか?【選択肢】摂津国で帰農した岐阜城で切腹した京で僧侶となった羽柴秀吉に仕えた【正解】羽柴秀吉に仕えた【解説】猪子一時(いのこかずとき)は、信長に仕えて赤母衣衆に抜擢された武将で、本能寺の変後は秀吉に属した。一時の弟・兵助は本能寺の変で討死している。
【問題】徳川家康は真田昌幸のことを、次のうち何と評したとされるか?【選択肢】天下の総代官毘沙門天の化身稀代の横着者黒衣の宰相【正解】稀代の横着者【解説】家康は、なかなか自らの意のままにならない昌幸のことを、「稀代の横着者」と評している。昌幸の一筋縄ではいかない老獪さを表した言葉と理解される。
【問題】≪難問≫「目丸棒踊り」とは、次のうちどこに伝わるものか?【選択肢】鳥取県三朝町兵庫県新温泉町徳島県つるぎ町熊本県山都町【正解】熊本県山都町【解説】肥後の阿蘇氏が島津氏の侵攻から逃れて目丸(山都町)に逃れた際、これを守るために村人らが教わった棒術が、現在、「目丸棒踊り」として同地に伝承されている。
【問題】「長浜曳山まつり」とは、次のうちどのような慶事を起源とするものか?【選択肢】浅井長政が家督を継承したこと羽柴秀吉に男子が生まれたこと柴田勝豊が城主に就任したこと内藤信成が長浜藩を立てたこと【正解】羽柴秀吉に男子が生まれたこと【解説】長浜在城時代、秀吉は男子を授かったという。秀吉がその喜びを分かち合うため町衆へ配った金子を元に12両の曳山が作られ、それが今に続く「長浜曳山まつり」の起源になったとされる。
【問題】能島城(愛媛県今治市)の出丸があったとされる、能島の属島の名前は次のうちどれか?【選択肢】中渡島鯛崎島大突間島肥島【正解】鯛崎島【解説】能島城は島全体を城塞化した城で、能島の南に位置する属島・鯛崎島には、能島城の出丸として鯛崎出丸があった。現在同出丸には弁財天が奉られている。
【問題】【日本城郭検定3級】伊東氏と島津氏が長年争った城で、昭和53年(1978)に大手門が再建された城はどれか。【選択肢】人吉城飫肥城佐土原城岡城【正解】飫肥城【解説】飫肥城は廃城令で存城処分になっていたが、明治6年(1873)に大手門を含め城内全ての建物は取り壊された。他の城の現存大手門を参考にして、昭和53年(1978)に柱と梁で全体を支える在来工法で大手門は再建された。樹齢100年の飫肥杉4本が用いられている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】熊本城の本丸御殿の床下にあるものは、次のうちどれか?【選択肢】人質櫓闇り通路燻り窯銀杏並木【正解】闇り通路【解説】熊本城の本丸御殿の床下には、「闇(くらが)り通路」と呼ばれる珍しい地下通路がある。御殿が2つの石垣を跨ぐように建っているため、地下通路を有する構造となった。
【問題】関ヶ原の戦いで西軍に属した垣屋恒総が自害したのは、次のうちどこか?【選択肢】竹生島小倉城高野山白川郷【正解】高野山【解説】垣屋恒総(かきやつねふさ)は但馬国の武将で、豊臣秀吉に従って同国内に所領を得ていた。関ヶ原の戦いでは西軍に属して大津城などを攻め、戦後、高野山に逃亡して自害した。
【問題】黒田氏家臣の母里友信と野村祐勝の関係として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】祖父と孫兄と弟父と子伯父と甥【正解】兄と弟【解説】母里(もり)友信と野村祐勝は、兄と弟の関係である。曽我一信の子として播磨国に生まれた2人は、それぞれ母里家・野村家を継ぎ、ともに黒田家に仕えた。
【問題】【日本城郭検定3級】城名と別名の組み合わせで、間違いはどれか。【選択肢】岡山城—烏城犬山城—白帝城姫路城ー白鷺城広島城—霧城【正解】広島城—霧城【解説】天正17年(1589)に豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元が築いた広島城。別名は「鯉城(りじょう)」。広島城が建てられた一帯が「己斐浦(こいのうら)」と呼ばれており、「己斐」の音が鯉に通じる事から鯉城と呼ばれるようになったと言われている。問題・解説文提供:「日本城郭検定」
【問題】饗庭局(あえばのつぼね)とは次のうち誰の侍女として知られるか?【選択肢】濃姫小松姫淀殿春日局【正解】淀殿【解説】饗庭局とは、浅井氏に連なる両親の間に生まれ、茶々(後の淀殿)の乳母・侍女を務めた。大津城の戦いや方広寺鐘銘事件では使者としての任務も果たした。
【問題】蠣崎舜広は若くして亡くなったが、次のうちどのような最期だったとされるか?【選択肢】家臣に誤射された姉に毒殺された嵐で船が転覆した秀吉に処刑された【正解】姉に毒殺された【解説】蠣崎舜広(かきざきとしひろ)は、蝦夷の戦国大名・蠣崎季広の嫡男として生まれた。一説に、22歳の時、重臣・南条広継に嫁いだ長姉により毒殺されたという。
【問題】島津義久が豊臣秀吉に降伏した後、人質として京へ移った義久の娘は次のうち誰か?【選択肢】梅寿亀寿雲寿愛寿【正解】亀寿【解説】九州征伐は義久が秀吉に降伏したことによって終結した。義久の娘・亀寿(かめじゅ)は人質の一人として京に住み、後に鹿児島に戻って島津忠恒(家久)の正室となった。
【問題】堀内氏久という武将の事績として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】文禄の役で朝鮮の王子を生け捕りにした大坂落城時、千姫を徳川の陣へ送り届けた小田原の役の陣中で暴れ馬を素手で鎮めた荒木村重を無事に有岡城から脱出させた【正解】大坂落城時、千姫を徳川の陣へ送り届けた【解説】堀内氏久は氏善の子である。大坂の陣で大坂城に籠城するが、落城時に徳川秀忠の娘・千姫を護って徳川方の陣まで送り、戦後、その功で徳川家に仕えた。
【問題】≪難問≫越後上杉氏の家臣・吉江資堅は、次のうちどの国の出身とされるか?【選択肢】能登国石見国近江国駿河国【正解】近江国【解説】吉江資堅(すけかた、信景)は、もと近江国の出身で、上杉謙信に見出されて越後国へ来たという。吉江信清の養子となって、吉江氏の家督を相続した。
【問題】【日本城郭検定2級】「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と著書『常静子剣談』に記した江戸時代の大名・松浦静山の居城はどれか。【選択肢】大分府内城津山城平戸城小谷城【正解】平戸城【解説】平戸城は、慶長4年(1599)に松浦鎮信が三方を平戸瀬戸に囲まれた亀岡山に築城された。
【問題】万里集九の説明として正しいものは、次のうちどれか?【選択肢】戦国期に書かれた忍術書鎌倉後期から続く年中行事室町中期から後期の詩僧江戸期に発達した養殖技術【正解】室町中期から後期の詩僧【解説】万里集九(ばんりしゅうく)は室町時代中期から後期に活動した歌人、禅僧である。太田道灌に招聘されて関東へ下向し、江戸城に滞在したことでも知られる。