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初めて観劇したのはなんと!昭和61年の新橋演舞場1986年だから38年前のこと。当時20代だった私の心を鷲掴みでしたね。それから、澤瀉屋のファンになり、スーパー歌舞伎いっぱい観ましたねー今回のヤマトタケルは全く演出が変わって、相変わらず以上に楽しかった!以下ネタバレ注意38年前には、兄橘姫役の笑也さんの美しさにウットリ^^私と同じ年なのも親しみやすく、今で言う推しでした。今回は三幕だけの出演でしたが、懐かしかったです。私が覚えているのは、走り水で海に沈む弟橘姫役の市川春猿が鮮
独特の企画に、いつもわくわくの、北白川の春秋座。16年目の志の輔らくご。いつもの新作と古典の名演が、楽しみです。そうして、秋の恒例、澤瀉屋と藤間勘十郎による舞踊。今年は、團子が主役で見参。ヤマトタケルからちょっと離れて、基本の型を見てみたい。こうして、澤瀉屋の芸は引き継がれていく。
三回目。ヤマトタケル観劇は、これでおしまい。全体通して、あまり盛り上がらなかった。個人的には、若手の奮闘公演、、と認識して観ていた。そう、今までのスーパー歌舞伎とは違う。つまらないというのとは微妙に違う。歌舞伎として、芝居として、物足りない。個々に見ると面白い。場面を切り取って。役者個人を観て。ビジュアル、舞台美術。澤瀉屋重鎮の確かな演技。そういう粒度では確かに面白い。隼人くんも團子くんも奮闘していた。先人を追いかけるのに必死で
読売新聞の朝刊に半ページに渡り中車のインタビューが掲載されていた。読んでいて、怒りを覚えた。この人、なんでいつもデリカシーの無い言葉を選んで語るのだろう。襲名時に出した中車の本を読んだ時も感じたのだけど、澤瀉屋への執着が異常。その本に書かれていた事は、最後まで理解出来ずに処分した。猿翁に会いに行った話も売り物にしてるし。それを書かれた父親の気持ちを考えてみたのか?私は猿翁の取った行動は最もだ、と思う。猿之助事件の後、7月代役で主役をやった時もロビーに飾れていた団扇には「私は
今回の新月(5月20日前後)図を見て「獅子座うまれ」の人と「46歳前後」の人は最大限の警戒を!と言ったのはなぜかというと、1975年秋〜1978年夏うまれの人の「土星」が獅子座にあるからだ。そして今回のこの新月は、試練や困難を表す土星に対して、火星というトラブルを起こす星と、そのトラブルを爆発レベルにまで拡大する冥王星とともに、有無を言わせず容赦せず、突っ込んできているからだ。ひぃ〜〜昨日、テレビをつけていたら、歌舞伎界のスーパースター市川猿之助氏の自宅で
帝役の市川中車さんとヤマトタケルの前回の上演は12年前の澤瀉屋襲名その時には存在していなかった息子がワカタケル時の流れを感じずにはいられません#スーパー歌舞伎#三代猿之助四十八撰#ヤマトタケル#帝#市川中車#みやず姫#市川笑野#ワカタケル#澤瀉屋#kabuki
スーパー歌舞伎三代猿之助四十八撰の内ヤマトタケル市川團子の回。私は歌舞伎の歴史が短い。ゆえに、三代目猿之助(二代目猿翁)、四代目のヤマトタケルを知らない。(三代目は映像でのみ)今回、初めて生で観た。(厳密にはこないだの隼人くんの回で。)團子くんは顔を猿翁に似せている。血族ゆえだろう。さらに意識して似せたのかしら。当然ながら、声も発音も似せている。隼人くんの違いはこの”声”だと感じた。猿翁が築いたヤマトタケルの音。(隼人くんも意識してい
立川の公演も終わり、澤瀉屋の激動の年もあと2か月余り。新春1月から3月まで点々と道標も見えてきて、ただ端っこから見守っているに過ぎない婆狸ですら、なんとなく気持ちがざわつかなくなってきた。ぽんぽこぽん。それは文化の日、関係者の方やお弟子さんたちへのインタビューや「黒塚」「四の切」等の映像で綴った猿翁さんの追悼番組「天翔ける心それが私」から5日の「ヤマトタケル」映像と続き、猿翁さんの圧倒的な芸と出演者各位の言葉や涙に、彼らの魂を受け継ぐ未来への熱い思いが感じられたからでもある