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津賀田神社尾張国愛智郡愛知県名古屋市瑞穂区津賀田町3-4(*境内撮影禁止)(*外部者の参拝を受け付けていないと思われる)■旧社格郷社■祭神仁徳天皇[配祀]天照大神瑞穂台地の南端、南区「津賀田町」に鎮座する社。古代の濃尾平野はほとんどが海中にありました。瑞穂台地はかつての湾に突き出した岬、その先端辺りに当社が鎮座していたということになります。◎「津賀田」の地名、社名については諸説あります。一つは「塚」に由来するもの。今一つは「津潟」に由来するもの。◎創建年代、由緒ともに不
熱海パワースポット①來宮神社からの続き↓『熱海パワースポット①來宮神社・樹齢2000年超えの大楠』3月も残り数週間のある日仕事を少し早く切り上げて伊豆半島の玄関口🌊熱海へGO🚃もう疲れがピークに達して温泉に浸かりたかった♨JR熱海駅前商店街入口2025年3…ameblo.jp來宮神社から来宮駅へ移動したのですが電車・バス共に時間が合わず(來宮神社前のバス停に居ればよかった😅)待ってるなら歩いた方が早いとGoogle先生頼みで熱海駅へ戻る事に右手に海を見ながら道路を下ります
「源氏や平家の子孫は、今もいるのですか」という質問に答えるなら。「源氏」「平家」という用語を、どのように認識されているか、から確認が必要です。「平氏」というのは、桓武天皇の孫の「高望王」が、平の姓を賜って臣籍降下した、その子孫が全国に散らばった、そのすべてが「桓武平氏」の一族です。たとえば北条氏も三浦氏も畠山氏も、すべて「平氏」です。だから、子孫は山のようにいる、といえます。しかし「平家」と言った場合、これは「平清盛の家族」だけを差す用語です。当時(平安末期)の感覚では、「家」というのは
「平将門の乱は、藤原秀郷や平貞盛らが討伐した、とあるけど。俵藤太はともかく、平貞盛は従兄弟でしょ、何故、同じ平家どうしが争うの?」いくつかの先入観からくる誤解があります。まず、いつも言ってますが、平家ではありません、平氏です。さらに根本的な問題は、「親族というのは、団結して戦うものだ」という思い込みです。違います。争いごとは、赤の他人とではなく、まず、近い親族同士で起こるものなんです。何故って、人間社会の争いのほとんどが「財産争い」、もっと言えば「相続争い」なんですから
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。前回は、867年シナリオで平安貴族の一角・伴氏を復活させるチャレンジをしました。CK3律令制日本伴家の復活チャレンジ①|WNHシミュレーションゲームの部屋今回は、1178年シナリオ、鎌倉幕府で有名な源頼朝で、実際に幕府を開いてみたいと思います。挑戦する実績はこちら↓難易度カテゴリーは「普通」。バージョンは1.18.1.1(C
源頼朝三社詣を叶えた神社ワンコ!三嶋大社(みしまたいしゃ)2025.4.18(金)最終日の朝も三嶋大社へもちろんちびハロちん♪も一緒だよ~なお悦び乃盃の影も廻るや朝日影伊豆の三嶋乃神風も吹き治むべき代の始め幾久しさとも限らじや嘉辰令月とは此時をいふぞめでたきいきなりですが、三島は謡蹟の地でもあり、ここ三島大社が、春栄の舞台でもありました実は先日訪れた時に、謡蹟「春栄」小謡の一節を、今回も読むつもりで、メモして持参していた
2026年1月4日三が日は普段は御朱印をいただけない少し困難な神社さん中心にお参りしました。4日は地元で買い物ついでに参拝へ杉並区の井草八幡宮さんへ参拝⛩️干支のイラストの書き置き御朱印と馬のおみくじを拝受こちらは源頼朝お手植えの松(二代目)があります。
≪長くて広い参道!入り口から三つ目の鳥居まで大分ある!碑文谷八幡宮!≫碑文谷八幡宮にやって来ました。御祭神:誉田別尊鎌倉時代の武将で源頼朝に仕えていた畠山重忠の守護人を、二俣川にて北条義時の軍に射たれた後、その巨棒沢六郎が交付し宮野佐近これを奉祀したと言われている。住所:東京都目黒区碑文谷3丁目7-3目黒区緑の散歩道碑文谷八幡宮すすめのお宿緑地公園二つ目の⛩鳥居⛩を潜りましょう、長い参道です。三つ目の⛩鳥居⛩!!
2025年9月5日|はまるとん・NewsPrime🗨️58🌝☹️🌚私たちが日常的に使う「氏名」の「氏」。現代では「名字」とほぼ同じ意味で使われているが、もともとはどのように誕生したのだろうか。■古墳時代に始まった「氏」歴史をさかのぼると、「氏」が登場するのは**古墳時代(4〜5世紀ごろ)**とされる。当時の日本列島には有力な豪族が存在し、それぞれが血縁や共同体を基盤にまとまっていた。このまとまりが「氏」と呼ばれた。例えば「蘇我氏」「物部氏」「大伴氏」などが代表的である。彼らは共通の
「鎌倉殿の13人」でも登場する伊豆山神社頼朝と政子の逢瀬の場所だと言われています。どこから上ってきたのかわかりませんが当時の草鞋のような履物で整備されてない道を上がってくるのは大変だったと思いますが身体も生活の中で鍛えられていたんでしょうね。同時にまた激しい情熱だと思います。日本人って控えめで大人しいのかな、というイメージをある時点まで私も持っていたのですが田辺聖子さんや岡本太郎さんが著書の中で言及されていたとおり(私の記憶が確かなら笑)、万葉集や平安時代のに読まれた歌をみると恋愛に対してか
鶴岡八幡宮の源平池は、源頼朝の命により造営された放生池。参道を挟んで東側が「源氏池」、西側が「平家池」。源氏池には三つの島が築かれていますが、北条政子が源氏の繁栄を祈願して配したともいわれています。源氏池の畔には桜が植えられ、春には桜の池に。咲き誇る桜が水面に映る「逆さ桜」は、鎌倉の春の定番スポット。桜の下には春ぼたん。桜とボタンの競演は必見!☆☆☆☆☆
鎌倉には外部から鎌倉に入るための主要な切通しが七つあり、「朝夷奈(あさいな)切通」はそのひとつ。鎌倉駅東口の4番線バス乗り場から金沢八景駅行きで約15分、「十二所神社(じゅうにそうじんじゃ)」停留所で下車。お蕎麦屋さんがあるのでここで腹ごしらえしてから行く手もあり。まずは普通の山道で始まります。「(梶原景時の)大刀洗水」上総介広常に謀反の疑いありと源頼朝が梶原景時に命じ上総介広常を誅殺。その時の太刀を洗った場所。梶原景時は鎌倉権五郎景政の直系の子孫であり、頼朝が石橋山で挙兵し敗れ、洞窟