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天の配剤というべきか。梶原景時は、敗亡寸前の頼朝を死の淵から救い、また、東国武士団最大の兵力を持つ上総介広常の誅殺を実行して、頼朝から絶大な信頼を得た。その直後、さらに頼朝を感心させる出来事が起きる。1184(元暦元)年正月、頼朝を頂点とした東国武士団は覇権争いに動き出した。木曽義仲に圧勝した東国武士団のおもだった武将たちは、争って頼朝のもとに勝利の報告の早馬を飛ばした。源範頼、源義経、安田義定、甲斐源氏の一条忠頼らの飛脚が次々と鎌倉に参着。彼らはみな一様に、去る二十日
昨日の続き日本刀は蕨手刀が発展したものではなく「方頭大刀」という刀が変形したものであるという学説が2010年に出て、現在はこちらの方が有力になっているようだ、、、というのが前回の話。方頭大刀には2種類ある。木製の柄を取り付けるタイプ(木柄刀)と、柄と刀身が一体構造の共鉄柄タイプ(共鉄柄方頭大刀)木柄刀の方が日本刀になり、共鉄柄タイプが毛抜形太刀になった。↑木柄タイプの方頭大刀(木柄刀):刀身はいわゆる上古刀これに反りがついて日本刀になったhttps://t
第254話こんばんは菊水千鳳ですㅤ9月の上旬、スピリチュアル好きな友達4人で京都参拝ツアーに行ってきました。旅行行程や参拝場所の候補選びを綿密に計画し始めたのが、8月の中旬でした。ㅤ先ずはピンと来た【鞍馬寺】について調べ始めました。初めて知る情報が満載で子供のように(笑)ワクワクしながら部屋で調べていました。スピ友さん達とラインで、鞍馬寺についてどう思うかをやり取りしていました。夕飯の時間になり、一旦ラインを止めようとした瞬間、白装束を着た一柱の天狗さんの後ろ姿が見
静岡県三島市大宮町にある三嶋大社にバスツアーで行きました2018年4月の蔵出し写真です三嶋大社は伊豆国一の宮、伊豆国総社です源頼朝が源氏再興を祈願した神社として有名~ご祭神は大山祇命と事代主神の二神で総じて三嶋大明神と称します枝垂桜や三嶋桜、染井吉野、大島桜、八重桜など15種200本余の桜の名所です大鳥居左右を旧東海道南へ旧下田街道(起点)参道しだれ桜は葉桜神門参道葉桜手水舎神馬舎舞殿拝殿拝殿の彫刻拝殿の中で結婚式授与所芸能殿鹿苑結婚式の花嫁と
東京十社めぐり品川神社先日、所用があり、品川方面へ。早めに家を出て、午前中、品川神社さんへ伺いました。源頼朝公、徳川家康公ゆかりの神社さん。京浜急行、新馬場駅からすぐ。時間がある時は、品川駅からも歩けそう。鳥居前でご挨拶をして、階段をのぼります。車道も、右側にあります。東京十社のひとつ品川神社さま天比理乃咩命さま(あめのひりのめのみこと)宇賀之売命さま(うがのめのみこと)素戔嗚尊さま
伴大納言絵詞は、平安時代末期に制作された絵巻物で、応天門の変を題材にしている。現在、国宝に指定されている。この絵巻は、応天門の変が起きてから約300年後、後白河法皇が常盤光長に描かせたという。作成年は不明だが、平清盛、源頼朝、源義経が生きていた頃に描かれたようだ。時代は下り江戸時代に入ると、山形の大名・最上義光が一時所有した事があった。その後、若狭の大名・酒井家へと渡った。1982年、酒井家は、出光美術館へ譲渡した。その時の代価は、30億
2012年大河ドラマ「平清盛」が今から楽しみだ。主役・清盛を演じるのが、松山ケンイチさん、ってのも大きい。そして更に気になるのが、美形ぞろいと言われる平家一門を、誰が演じるのか?という事。タッキーが主役を演じた「義経」でも平家一門は、滝沢君に負けじ、と美男美女の俳優さんたちがこぞって華を競い合っていた。そんな美貌の公達についての史実を、かなりミーハー的に書いてみよう。資料を読んでいても、まるで少女マンガの如く、煌びやかで優美である。まずは、個人的に大好きな、牡丹の花の武将・平重衡を
(画像お借りしています)数週間前に人生初!の江ノ島に行ってきました。観光で「鎌倉」までは何度も行っていますが「江ノ島」は今まで観光のイメージがなくサーファーが楽しむ場所かな?と思ってたので行きそびれていましたが実は江ノ島って観光スポットが色々あるんですよね。(画像お借りしています)江ノ電に乗るのも何十年ぶりでした。江ノ電の車窓から見えてくる江ノ島に興奮。「あ、江ノ島が見える!」江ノ島駅で下車。江ノ島駅から真っすぐに
さてさて…………………【まるか食堂】にて、至福のランチタイムをとって元気モリモリのココロは、次の目的地へと向かって歩いた…………………【開田城跡の土塁】歩いていると、史跡に出会う【八条ヶ池】この【八条ヶ池】の向こうに【長岡天満宮】が鎮座する。『天下分け目の天王山⑪〜長岡天満宮〜』さてさて…………天下分け目の【天王山】を出発した我々は、次の目的地に到着した…………到着したのは…………【長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)】京都府長岡京市天…ameblo.jp【長岡天満宮】のココロ過去
第269話こんにちは菊水千鳳ですㅤ不思議体験日記第254話と第255話にわたって源頼朝さんと義経さんの涙涙の和解のストーリーをお届けしました。少し合間が開きましたが、連載日記を再開いたします。ㅤ今回は、牛若丸としても有名な義経さんの生涯について、少しだけ軽く触れておこうかと思います。《河内源氏の源義朝(みなもとのよしとも)の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。[平治の乱]で父が敗死したことにより、京都の鞍馬寺に預けられるが、その後に奥
すごい動画を見つけました。真剣をぶつけ合って居合の稽古的な実験をしています。藤安将平刀匠が「気に入らないから廃棄する」という刀同士で打ち合っています。この動画の町井勲氏は昔テレビ番組で鉄パイプ斬ったり早斬りギネスの挑戦をしていた人です。刀好きなら知っている人も多いかと思います。そして、その鉄パイプ斬りの刀を作ったのが藤安将平刀匠。すごいですね。火花が散っています。でも、火花が散るのは上手く技が出来ていないという事のようです。そして、刀の方。
第271話こんばんは菊水千鳳ですㅤ源頼朝さんと源義経さんとの間に生じていた溝が埋まり、ようやく兄弟仲良くなることが叶って、【ひと役終えたなー】と、安堵していた矢先のことです。朝方、石清水八幡宮の夢を見ました。京都参拝ツアーを計画してた最中でしたので、【まさか、はっちゃん(八幡神)からのお誘いか?】と目が覚めました。案の定そのようでした。ㅤ朝のトイレに入ったら、はっちゃんと宗像三神の市杵島姫命(イチキシマヒメ)さんが、そしてほんの少し時間を空けて神功皇后(じんぐう
つい先ほど気づいたアプリからの「重要なお知らせ」によると5周年となる今年の8月で新規イベ・キャンペーン・本編更新休止!まさかの…想像もしていなかったニュース…常々記事で書いてきたようにマダムにとっての源氏伝は他アプリと比べると熱量は低めです。ですが。他と一線を画す独特の空気感も…美麗なイラストも…地に足をつけて生きる薬師の主人公のことも…好ましく思っており欠かさずログインしていました。そして最近このblogで取り上げなければ!と考えていたのが第二部の素晴らしさ♡で
第603話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(八坂神社体験7)の続きです。続編ですので、八坂神社(京都)体験1234567をご参照になってからの方がよろしいかと思います。🌙*゜夢の中で、円山公園から来た鬼👹なのか?はたまた別のとこから来たのか?なんと毛玉妖怪の仲間他数体の妖怪が現れ、鬼【(ソイツを)返せ~返せ~!!返してくれ〜】と叫んでいました。どうやら、仲間を救おうと、取り戻そうと応援に駆けつけてきたようです。鬼
エトセトラ・ジャパン様記事引用失礼します。只一言、びっくり、口をあんぐり状態です。ここにもA宮が関わって・・・、軽い神輿は担ぐの楽なんだってね。私達が地域の神社(神社庁に所属している)に初詣に参拝して賽銭を納めるとですね、参拝者数によって「神社本庁」へ分担金を納めていたという。どおりで金が唸っている場所といわれる訳だ。政府と皇室に強い繋がりを持ち、旧統一教会の文字まで出てくる神社庁の記事をじっくりと読んで頂きたい。鶴岡八幡宮も離脱の宗教法人「神社本庁」万世一系
ワタクシが院政期から鎌倉時代にかけてを漁り始めた頃。よく、こんな風に思うことがありました。「この一条さんって、どの一条家なん??」この時代。源頼朝にからんで「一条家」がチラホラ出てくるんですが、実は全然違う家だったりして、だとすると関係図も出てくる意味合いもまるで変わってきて、なんだかややこしいんですね…。で、最近。記憶力が落ちて来たのか、時々戸惑ったりして(笑)今日は自分用の整理の意味も込めて、それぞれの一条家についてまとめてみようかと。そんな試みです。とはいえ
【東京】【牛天神北野神社限定御朱印帳】令和5年限定宮司さま考案の「亀甲紋様」オリジナルデザイン※転売防止のため御朱印帳に名前と電話番号を記入します【牛天神北野神社御朱印】干支記念御朱印境内社【高城神社御朱印】境内社【太田神社御朱印】兼務社【諏訪神社御朱印】【国家安寧記念御朱印】毎週土・日限定授与兼務社【出世稲荷神社御朱印】月替わり・土・日限定など豊富な種類の御朱印がありま
全力でサポートします!やりたいことを見つけて今の自分を変えたい。イキイキと自分らしく生きたい。でも、周りの人には相談しづらい。そんな方は、一度話をしてみませんか?5月のお試し無料セッション限定2名様募集!⇒こちらからお申込み下さい!●お客様の声←今すぐクリック!★☆★☆★☆★☆★☆★☆お立ち寄り頂き、嬉しく思います。本当の想いと力を引き出してあなたらしい生き方を実現するライフキャリアカウ
第243話おはようございます菊水千鳳ですご覧いただいている【崇徳天皇怨霊から守護神へ】の連載を一先ず終わりにし、【日本武尊(ヤマトタケル)さん】関連の連載を書きます。今回から、【源頼朝さん義経さんの愛と涙と感動の再会物語】(仮)の連載を予定しておりましたが、源頼朝さんからの暗黙の了承を得まして、ヤマトタケルさんの特集を先にお届けする運びとなりました。ㅤヤマトタケルノミコト、俺はヤマトタケルさんまたは、タケルさんと呼ばせていただいています。生前のヤマトタケルさんは
第1378話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳とレンジャーチームメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(10数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければと
小国町を出たあと黒川温泉を通り過ぎて気が付けば大分県に入ってました昼ごはんを食べに行く途中赤川温泉の看板がこれは寄るしかないと思い引き返して赤川荘に向かいましたきれいな滝の近くにある温泉施設ここの温泉が珍しくて川の上流から湧出した源泉を導湯しています源泉は21・7度と低い温度だから内風呂も露天風呂も加温されています基本は冷鉱泉ですが硫黄成分を含んだ珍しい泉質源頼朝時代に発見された歴史のある温泉との事ですこちらが内湯で加温された岩風呂湯口からは加温された温泉がド
画像多めでございます。一昨年のNHK大河【鎌倉殿の13人】を皆様ご覧になっていらっしゃったでしょうか。鎌倉殿の13人-Wikipediaja.wikipedia.org私は決して歴女ではないんですが歴史小説や時代劇が大好きでしてその上、小栗も好きでしてwいつかは鎌倉に行ってみたいと思っていたんです。で、行ってきました鎌倉。うちのアレクサに「アレクサ、3/4の鎌倉の天気は?」と聞きましたらね『雲の多い一日でウンタラカンタラ…』と言ったんです
建久八(一一九七)年の年末時点での鎌倉幕府の継承は理論上の話であったが、それよりはるかに大きな継承、すなわち、皇位継承は現実味を帯びてきていた。かなりの可能性で、後鳥羽天皇は退位して上皇となり、院政を敷くという未来が見えてきたのである。建久七年の政変時、後鳥羽院政は可能性の一つとして考えられはしたものの、現実味を帯びた話ではなかった。それが一年近くの時間経過で現実味を帯びるようになってきた。源頼朝は情報の重要性を強く認識していた人であるから例外に近いが、源頼家が従五位上右近衛権少将に任命さ
建久九(一一九八)年一月五日、権大納言土御門通親が後院別当に就任することが発表された。後院別当とは、字義だけを捉えれば天皇の退位後の住まいの管理人であるが、そのような字義で捉える者などいない。院政という概念が誕生した後の後院別当とは間もなく始まる院政のキーパーソンに任命されたことを意味する。土御門通親の後院別当就任により、間もなく後鳥羽天皇が退位すること、退位して後鳥羽院政が始まること、後鳥羽院政において土御門通親が重用されることが決まったのだ。そして、次期天皇が事実上公表された。建久
同日、後鳥羽天皇が退位して為仁親王に帝位を譲ったのである。土御門天皇の治世のスタートであり、後鳥羽院の院政のスタートの瞬間でもあった。土御門天皇はまだ三歳であるため、天皇としての政務を執ることは期待できず摂政が必要となる。土御門天皇の治世のスタートに合わせて関白近衛基通は関白を一旦辞任し、改めて土御門天皇の摂政に任命された。摂政にしろ、関白にしろ、自動的に就任できる役職ではなく天皇によってその都度任命される役職であるという建前は変わることない。そして注意すべきは、摂政近衛基通が土御門天
第1456話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければ
第330話おはようございます菊水千鳳ですㅤ現在、京都大阪の神社仏閣巡りの日記を連載中なのですが、ちょっと一息入れまして、先月に行った鎌倉参拝の模様を何話か投稿いたします。《鎌倉参拝日記1》は、不思議体験日記(第326話)で先にご紹介させていただきました。今回はその続きとなります。この日の朝、出発の準備をしていたら、源頼朝さんが一瞬、部屋の中を横切りました。とは言うものの、風のように直ぐに去っていかれました。とそこへ、北条政子さんがいらっしゃいました。政子さんは何や
後鳥羽天皇の即位の状況はこの時代の人であれば誰もが知っている。ゆえに、帝位に就く資格を有しながら弟に追い抜かれた守貞親王と惟明親王のことは、この時代の人であれば誰もが知っている。これは平家物語の延慶本の伝えるところであるが、どうやら源頼朝は守貞親王を後鳥羽天皇の次の天皇と目論んでいたようなのである。ただし、源頼朝が守貞親王をわかりやすい形で推していたのではなく、文覚を通じて守貞親王の即位の後援をしていたというのが平家物語の記載だ。ただ、これは平家物語の過剰反応とも言える。守貞親王と文覚
ここは、東条般若寺地籍であり、おびただしい数の苔むす大小の五輪塔が建つ一郭で、東条氏累代の廟所である。廟所の周囲には、東条氏の遺言により、尼厳七騎の内斎藤氏の墓所が並んでいるが、斎藤氏は毎年廟所の除草や清掃などをし、また盆には燈籠を灯して先祖を救い、廟所を大切にしている。(省略)場所は般若寺公会堂に入る道の先にある民家をすぎるとあります。源頼朝の側室「御安御前」はこの廟所のそばに葬られています。
和田塚にお参りが済み、後は実朝さんの御首塚(みしるしづか)に行くだけなのですが、その首塚は、鎌倉からだいぶ離れた秦野というところにあります。鎌倉からどれくらい離れているかというと、電車とバスを乗り継いで2時間かかります。もうすっかり夕方です。実朝さんの胴体は、第一回でお参りした鎌倉の寿福寺に葬られましたが、なぜ首から上だけこんな遠い場所に葬られたのか。ご存じの通り、実朝さんは鶴岡八幡宮で公暁(こうぎょう)に暗殺されました。その後実朝さんは羽林の首を持ったまま三浦義村を頼った