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冨士川(ふじかは)水鳥(みづとり)左兵衛佐殿(さひやうゑのすけどの)む本(ほ)んのよしありて平家(へいけ)の大軍(たいぐん)冨士川(ふじかは)まで押(おし)よせ来(きた)りける所(ところ)耳(に)ある夜(よ)冨士沼(ふじぬま)尓(に)あま多(た)なる水鳥(みづとり)の何(なに)可(か)ハ驚(おどろ)起(き)一度(いちど)尓(に)者(は)つと立(たち)ける羽音(はおと)雷(いかづち)大風(たいふう)の様(やう)尓(に)聞(きこ)へけ連(れ)バ平家(へいけ)の兵(つはもの)ども源氏(げんじ)の大軍
2025年8月10日観音様の功徳日…四万六千日です鎌倉の長谷寺安養院杉本寺は時間制限有りますが朝詣り出来で、拝観料が無料になります今年も、鎌倉発江ノ電の始発に間に合う様に家を4時過ぎに出発🏃🏃🚃鎌倉長谷寺の山門5時40分前に到着人が写らない写メが出来るのはこの日くらいです😅四万六千日大功徳日🥰メジャーなお寺なので縁起などの詳細は省略、ベタ貼りでごめんなさい😂🙏山門前の地蔵菩薩と十一面観音妙智池の蓮の花🪷卍池水掛け地蔵と千体地蔵地蔵堂おんかかかびさんまえい
「源氏や平家の子孫は、今もいるのですか」という質問に答えるなら。「源氏」「平家」という用語を、どのように認識されているか、から確認が必要です。「平氏」というのは、桓武天皇の孫の「高望王」が、平の姓を賜って臣籍降下した、その子孫が全国に散らばった、そのすべてが「桓武平氏」の一族です。たとえば北条氏も三浦氏も畠山氏も、すべて「平氏」です。だから、子孫は山のようにいる、といえます。しかし「平家」と言った場合、これは「平清盛の家族」だけを差す用語です。当時(平安末期)の感覚では、「家」というのは
「平将門の乱は、藤原秀郷や平貞盛らが討伐した、とあるけど。俵藤太はともかく、平貞盛は従兄弟でしょ、何故、同じ平家どうしが争うの?」いくつかの先入観からくる誤解があります。まず、いつも言ってますが、平家ではありません、平氏です。さらに根本的な問題は、「親族というのは、団結して戦うものだ」という思い込みです。違います。争いごとは、赤の他人とではなく、まず、近い親族同士で起こるものなんです。何故って、人間社会の争いのほとんどが「財産争い」、もっと言えば「相続争い」なんですから
こんにちは!Scoti-manです。2025年10月29日午前2時頃にリリースされたCK3の最新DLC「AllUnderHeaven」。前回は、867年シナリオで平安貴族の一角・伴氏を復活させるチャレンジをしました。CK3律令制日本伴家の復活チャレンジ①|WNHシミュレーションゲームの部屋今回は、1178年シナリオ、鎌倉幕府で有名な源頼朝で、実際に幕府を開いてみたいと思います。挑戦する実績はこちら↓難易度カテゴリーは「普通」。バージョンは1.18.1.1(C
津賀田神社尾張国愛智郡愛知県名古屋市瑞穂区津賀田町3-4(*境内撮影禁止)(*外部者の参拝を受け付けていないと思われる)■旧社格郷社■祭神仁徳天皇[配祀]天照大神瑞穂台地の南端、南区「津賀田町」に鎮座する社。古代の濃尾平野はほとんどが海中にありました。瑞穂台地はかつての湾に突き出した岬、その先端辺りに当社が鎮座していたということになります。◎「津賀田」の地名、社名については諸説あります。一つは「塚」に由来するもの。今一つは「津潟」に由来するもの。◎創建年代、由緒ともに不
源頼朝久安3年4月8日グレゴリオ暦換算1147年5月9日年丁卯月乙巳日辛丑時◯◯←戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、癸巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥、庚子のどれか4甲辰、14癸卯、24壬寅、34辛丑、44庚子、54己亥64戊戌、74丁酉・辛、丑、庚が良く、辰、子が悪そう・年運でみると、乙卯、丁巳、戊午が悪そう・効用を考えると、時柱は丙申、丁酉あたりか大運年運出来事◯◯丁卯1147年誕生甲辰乙卯1159年平治の乱で父親の義朝敗北癸卯庚辰1160年平
義経記小学館新編日本古典文学全集62小・中学校休みがちで恩恵で入学させてもらったものなのだろう高校の勉強も遥か彼方の記憶(一応その当時のその学校のトップ入学だったらしいけど信じてない。本当ならそういうのはどんどん本人に伝えてくれてたらよかったと思うんだよ保護者よと思うこの頃😅姉たちと比べて良くない良くないばかり聞いてきたんですけどって些かの溜息。もう過ぎたことだけどね)それはそれ過去のこと。基礎学力どこへ消えたな私だけど(小学校入学のIQも飛び抜けて高くて先生方は小躍りしていたらしい
源頼朝三社詣を叶えた神社ワンコ!三嶋大社(みしまたいしゃ)2025.4.18(金)最終日の朝も三嶋大社へもちろんちびハロちん♪も一緒だよ~なお悦び乃盃の影も廻るや朝日影伊豆の三嶋乃神風も吹き治むべき代の始め幾久しさとも限らじや嘉辰令月とは此時をいふぞめでたきいきなりですが、三島は謡蹟の地でもあり、ここ三島大社が、春栄の舞台でもありました実は先日訪れた時に、謡蹟「春栄」小謡の一節を、今回も読むつもりで、メモして持参していた
石坂浩二さん、白髪眉毛が凄いなあ!この松平武元(まつだいらたけちか)、堂々と葵の紋を付けています。つまり徳川一族、れっきとした「親藩」です。越智松平家三代目、水戸の分家からの養子ながら、六代将軍家宣の弟・松平清武の家を継いでいる人です。私、ことあるごとに「親藩は、幕府の職につけない」(だから賢丸くんも田安のままでは政治能力を発揮できない)と書いてきましたので、このドラマで石坂浩二さんの葵の紋を見て「あれっ?」と思ったんですけど。どうもね、德川幕府の親藩と譜代の境界線は、絶対ではなく、ときど
熱海で、ケアタクシー(介護タクシー)に従事しています「熱海・伊豆おはなナースドライバー介護ナース河瀬愛美(あいみぃ)」です。熱海市伊豆山土石流災害から、4年5ヶ月目。そして今年最後の伊豆山(123)の日、12月3日。仕事帰りに、伊豆山神社を参拝しました。源頼朝と北条政子のねぶたが、満月間近のお月様の光で、光り輝いていました。今年も残り少なくなりましたが、引き続き地域の社会福祉向上に貢献していく事を、頼朝さま政子さまに誓いました。〜河瀬愛美からのお知らせ〜2025年7月17日、
私が、絶大な、信頼をしている鎌倉佐助稲荷神社ここぞ!という時は、必ず来るけど、それよりも、会いたくなる神様。あ!佐助稲荷さんに行こう、と思っちゃう。帰りたくないーーーて、強く思う神社。なじむ、て表現が、1番しっくり来るかなー。この日は、修学旅行の小学生、参道の工事、で、あまり写真ないけどー、雰囲気みてー素敵だから♡奥宮。数年前の台風で、奥宮のお社と、下の拝殿は、崩れてしまいました。拝殿は、新しいものが建ってます✨今の奥宮は、なんか神様が、近くにいらっ
伊豆で2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の聖地巡礼をしてきました!まずは新幹線の停車駅・三島駅にもほど近い三嶋大社(みしまたいしゃ)。伊豆に流された源頼朝は平家を倒すため挙兵した際、ここ三嶋大社で源氏再興を祈りました。さすが伊豆の一の宮、広大で立派ですねー。ちなみにこの辺りはクドカンのドラマ「ごめんね青春!」(2014年)の舞台でもあります。参道は緑豊か。参道から横に伸びる橋の向こうには境内社の厳島神社。北条政子が深く信仰したとか。総門。神
どもはまるとんです✨️今日は源平合戦のヒーロー(?)、ちょっと破天荒な武将木曽義仲について紹介します。平家物語や大河ドラマでも登場する人物ですが、「頼朝のいとこにして、義経の兄弟分」…というだけでは終わらない、とてもユニークなキャラなんです。山奥で育ったサラブレッド義仲は源氏の血を引く武将ですが、父(源義賢)が早くに討たれたため、信濃・木曽谷の山奥で成長しました。そのため「木曽冠者(きそかじゃ)」と呼ばれ、貴族的な教養よりも山育ちのワイルドさ全開。現代で言えば「都会のエリート親
熱海パワースポット①來宮神社からの続き↓『熱海パワースポット①來宮神社・樹齢2000年超えの大楠』3月も残り数週間のある日仕事を少し早く切り上げて伊豆半島の玄関口🌊熱海へGO🚃もう疲れがピークに達して温泉に浸かりたかった♨JR熱海駅前商店街入口2025年3…ameblo.jp來宮神社から来宮駅へ移動したのですが電車・バス共に時間が合わず(來宮神社前のバス停に居ればよかった😅)待ってるなら歩いた方が早いとGoogle先生頼みで熱海駅へ戻る事に右手に海を見ながら道路を下ります
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきます歴史上の人物の系図を追っていく歴史系図トリビアです。はい(´Д`)。本日は源義経の正妻・河越重頼女の系図を見ていきたいと思います。呼び名が無いと不便なので、伝承の郷御前を使わせていただきました。郷御前は前述のように河越重頼の娘で、源頼朝の計らいで、その異母弟である源義経と婚姻しました。義経が謀叛人になると、奥州下向に同行し、奥州平泉で義経に殉じて亡くなりました。では郷御前の系図を見て
さて、平安時代に起きた合戦や戦争を一通り見てきた。ここで再び合戦のルールと武士のフェアプレイ精神について論じたいと思う。最初に私の結論から言おう。原則として平安時代の武士が行う合戦にルールはない。平安時代の武士道たる兵の道(つわものの道)にもフェアプレイ精神といった精神性はない。なぜそう言えるのかと言えば、ルールには罰則が必要である。罰則のないルールなど守られるはずがないし、仮に罰則があったとしても、それを強制し行わせる強力な権力が平安時代にない。唯一、天皇や朝廷が公的権力として存
移動時間の有効活用。そんな時は無駄な知識を糧に、本日は完全無欠な無駄な知識シリーズの展開最近は調べものもAIを活用して短時間で出来る為、少ない時間で濃い無駄な知識を纏めることが可能になりました何を取り上げようかと色々迷いましたが。つい最近、滅亡したと思い込んでいた鎌倉幕府北条得宗家が存続している可能性があることを知りました。そこをヒントにして、本日のお話を始めます。時は12世紀の日本。源平合戦の騒乱は全国規模で起こり、多くの英雄を生み出しました。国民的な知名度を誇るのは、源義経や武