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第1378話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳とレンジャーチームメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(10数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければと
ワタクシが院政期から鎌倉時代にかけてを漁り始めた頃。よく、こんな風に思うことがありました。「この一条さんって、どの一条家なん??」この時代。源頼朝にからんで「一条家」がチラホラ出てくるんですが、実は全然違う家だったりして、だとすると関係図も出てくる意味合いもまるで変わってきて、なんだかややこしいんですね…。で、最近。記憶力が落ちて来たのか、時々戸惑ったりして(笑)今日は自分用の整理の意味も込めて、それぞれの一条家についてまとめてみようかと。そんな試みです。とはいえ
6日頃通り掛かった三嶋大社の池に挟まれた参道の桜です。この手前右側には源頼朝が願掛け参りをしていた時に腰掛けたと言われている石が有ります西側の池の向こう側に咲いてる桜です中門を潜った先の参道の様子ですこの左側に本部の建物が有りますまた右側には宝物館が有りその奥には神鹿園が有り昔奈良の春日大社から贈られた鹿達の子孫が多数暮らしてますもうちょっと奥から撮りましたこの先にもう一つ門があり中には舞殿が有りその奥に本殿が有りますこの両側に咲いてるのは市内にある遺伝学研究所で交配して出来た「三島
(画像お借りしています)数週間前に人生初!の江ノ島に行ってきました。観光で「鎌倉」までは何度も行っていますが「江ノ島」は今まで観光のイメージがなくサーファーが楽しむ場所かな?と思ってたので行きそびれていましたが実は江ノ島って観光スポットが色々あるんですよね。(画像お借りしています)江ノ電に乗るのも何十年ぶりでした。江ノ電の車窓から見えてくる江ノ島に興奮。「あ、江ノ島が見える!」江ノ島駅で下車。江ノ島駅から真っすぐに
第333話おはようございます菊水千鳳です前回の日記の《鎌倉参拝日記4》の続きです。少し早めのランチタイムとなりました。(ダイエット効果ある海藻アカモクと江の島名物のシラス丼)昼の開店したばかりのお店に入り、ランチを堪能していたら、頼朝さんが隣で言葉を発してくれました。源頼朝さん【(鶴岡八幡宮に寄せられている)氣の素晴らしさを充分ㅤ堪能してくれたようだの横に(横方面からの?)隙を与えないようになしたのもある】この《隙》とは、実際に敵の軍勢に攻められた時に対する
第315話こんにちは菊水千鳳ですㅤ前回の日記(金王八幡宮(渋谷)の神々がいらしたその2)の続きです。ㅤ3月31日の金王丸木像御開帳の祭祀に、仕事の予定が急に変更になり、奇跡的に参拝することが叶いました。今回の参拝で一番!感激したことがありました。ㅤそれは、金王丸さんと義経さんがついに和解したことです。ㅤ金王丸さんの御開帳の儀式に神主さんたちの席の傍らに列席された義経さんは、御堂から一番近い場所に座っていました。何せ、金王丸さんを殺めた張本人ですから。弔いや和解の意味も
さて、大磯をあとにし、小田原へ向かった僕。着きそうでなかなか着かない。でも道のりはスムーズ。ついに「静岡」の文字が!でもあと101km。。そして海を見ました。サザンオールスターズの「真夏の果実」を独り黄昏て唄いました。そして小田原駅に到着!!ドン・キホーテさん上のダイソーさんで自転車の油差しと、ライト用の電池を購入。小田原駅前で路上歌いを決行します。そしたらニコニコ動画に歌を挙げている方や、ちょっと酔いの回ったおじさま、外国人観光客の方が聴いてくれました!感謝!ちなみに酔
第243話おはようございます菊水千鳳ですご覧いただいている【崇徳天皇怨霊から守護神へ】の連載を一先ず終わりにし、【日本武尊(ヤマトタケル)さん】関連の連載を書きます。今回から、【源頼朝さん義経さんの愛と涙と感動の再会物語】(仮)の連載を予定しておりましたが、源頼朝さんからの暗黙の了承を得まして、ヤマトタケルさんの特集を先にお届けする運びとなりました。ㅤヤマトタケルノミコト、俺はヤマトタケルさんまたは、タケルさんと呼ばせていただいています。生前のヤマトタケルさんは
第334話おはようございます菊水千鳳です前回の日記(鎌倉参拝日記5)の続きです。ㅤ源氏の池を後にし、続いて《白旗神社》の前に立ちました。立て看板には「源頼朝さんと、源実朝さんが祀られている」と書かれていました。柏手を打ちました。息子の源実朝さんが現れました。25歳くらいの若さに視えました。頼朝さんはこの場所におられるとは限りません。先程は本宮にいらっしゃっていましたし、源平池では俺のそばに政子さんと一緒でしたし、ここ《白旗神社》には常駐していませんね。源実
おはようございます。以前伊豆の源頼家・源範頼の墓参りに訪れた時の記事を出したかと思います。あれからお二人とも家に居座っている状態が続いているのですが、頼家さんが「実朝と比企に会いに行け」と言うので今回鎌倉を訪れた時の話をしようと思います(全4部構成)。ちなみにこの日は体調激悪だったので写真は少なめです。まずは源実朝(以下「実朝さん」)と北条政子(以下「政子さん」)の墓を訪ねます。鎌倉駅に到着した後、西口から線路沿いの道をひたすら北上していきます。GoogleMapに頼りき
エトセトラ・ジャパン様記事引用失礼します。只一言、びっくり、口をあんぐり状態です。ここにもA宮が関わって・・・、軽い神輿は担ぐの楽なんだってね。私達が地域の神社(神社庁に所属している)に初詣に参拝して賽銭を納めるとですね、参拝者数によって「神社本庁」へ分担金を納めていたという。どおりで金が唸っている場所といわれる訳だ。政府と皇室に強い繋がりを持ち、旧統一教会の文字まで出てくる神社庁の記事をじっくりと読んで頂きたい。鶴岡八幡宮も離脱の宗教法人「神社本庁」万世一系
第603話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(八坂神社体験7)の続きです。続編ですので、八坂神社(京都)体験1234567をご参照になってからの方がよろしいかと思います。🌙*゜夢の中で、円山公園から来た鬼👹なのか?はたまた別のとこから来たのか?なんと毛玉妖怪の仲間他数体の妖怪が現れ、鬼【(ソイツを)返せ~返せ~!!返してくれ〜】と叫んでいました。どうやら、仲間を救おうと、取り戻そうと応援に駆けつけてきたようです。鬼
【神奈川】神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮【鶴岡八幡宮御朱印】令和4年の御朱印は紙朱印のみ※お正月期間中は鶴岡八幡宮旗上弁財天社白旗神社3社1組の正月特別朱印がいただけました【鎌倉殿武将印】ドラマ館SHOPで入手できます※通販の武将印ではありません大河ドラマ【鎌倉殿の13人御朱印帳】(大判サイズ)※中も金紙ですNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の大河ドラマ館が令和4年3月1日
つい先ほど気づいたアプリからの「重要なお知らせ」によると5周年となる今年の8月で新規イベ・キャンペーン・本編更新休止!まさかの…想像もしていなかったニュース…常々記事で書いてきたようにマダムにとっての源氏伝は他アプリと比べると熱量は低めです。ですが。他と一線を画す独特の空気感も…美麗なイラストも…地に足をつけて生きる薬師の主人公のことも…好ましく思っており欠かさずログインしていました。そして最近このblogで取り上げなければ!と考えていたのが第二部の素晴らしさ♡で
第316話こんばんは菊水千鳳です3話にわたって、渋谷区の金王八幡宮での出来事、並びに源頼朝さん、義朝さん(父)、金王丸さんそして義経さんの当日の様子などをお届けしてきました。前回の日記を投稿して数時間が経った頃でした。部屋にいたら、頼朝さんと義経さんが突然目の前に現れ、こんなことを言いました。【ワシらは墓に入ってはおらぬ武芸を磨きつつ日々心身共に磨いておる】と…。今も金王八幡宮や鶴岡八幡宮や源氏さんのゆかりの地で、源氏の皆さんは生きていらっしゃる
建久八(一一九七)年の年末時点での鎌倉幕府の継承は理論上の話であったが、それよりはるかに大きな継承、すなわち、皇位継承は現実味を帯びてきていた。かなりの可能性で、後鳥羽天皇は退位して上皇となり、院政を敷くという未来が見えてきたのである。建久七年の政変時、後鳥羽院政は可能性の一つとして考えられはしたものの、現実味を帯びた話ではなかった。それが一年近くの時間経過で現実味を帯びるようになってきた。源頼朝は情報の重要性を強く認識していた人であるから例外に近いが、源頼家が従五位上右近衛権少将に任命さ
第1456話神仏の声を聴いて皆様にお届けしています菊水千鳳と祇器社(しきしゃ)のメンバーですプロフィールはこちらkikusuisenhouさんのプロフィールページkikusuisenhou菊水千鳳と申しますご覧くださってありがとうございます子供の頃、物心ついた頃から不思議な体験をしてきました。ある日(十数年前)を境に、段々と神仏の声が聴こえるように、また視えるようになってきました。神仏との交流も回を重ねる毎に我々人間達へのメッセージとなってきました。神仏のメッセージを広めなければ
画像多めでございます。一昨年のNHK大河【鎌倉殿の13人】を皆様ご覧になっていらっしゃったでしょうか。鎌倉殿の13人-Wikipediaja.wikipedia.org私は決して歴女ではないんですが歴史小説や時代劇が大好きでしてその上、小栗も好きでしてwいつかは鎌倉に行ってみたいと思っていたんです。で、行ってきました鎌倉。うちのアレクサに「アレクサ、3/4の鎌倉の天気は?」と聞きましたらね『雲の多い一日でウンタラカンタラ…』と言ったんです
第339話こんにちは菊水千鳳です鎌倉参拝日記⛩続いて、銭洗弁財天宇賀福神社からほど近い《佐助稲荷神社》に向かいました。ㅤ世に稲荷神社は沢山ありますが、佐助稲荷神社の建立に関する特異なエピソードがありました。〔伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝さんが、病に臥せっていた際「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家を倒すようにと挙兵を促したようです。お告げ通りに平家を倒し、幕府を開いた頼朝さんは、かくれ里に祠を探し当て、稲荷神社を建てたと言われています。〕歴史的快挙を成
吾妻鏡の欠落のために、昔から議論の起こる話がある。源頼家はいつから源頼家と名乗るようになったのかという話である。源頼家の幼名が万寿であることは誰も異論がなく、元服時に源頼家と名乗るようになったことも意見の一致を見ている。問題は、どのタイミングで元服を迎えたのかという点だ?建久四(一一九三)年の巻狩のときか?建久六(一一九五)年の上洛のときか?吾妻鏡が源頼家を詳しく書き記している場面を読んでも、また、同時代史料における源頼家の扱いを見ても、建久六(一一九五)年の上洛までの
源氏伝…去年に引き続き電光石火✨総選挙終了の翌日に結果発表とは…凄っ!《独占欲宣言》と銘打ったストーリーはあからさまに奪い合うというものではなく男たちがその場に不在の私に思いを馳せつつ最も理解し喜ばせる事が出来るのは自分だと笑いを含ませつつ牽制し合う…少しオシャレな仕様になっていました♡さてでは、その結果を見て参りましょうか!ぶっちぎりは変わらず義経さま、連覇おめでとうございます🎊陛下ー♡顕仁さまー♡混戦から2位に躍り出ました!そうか…好きになったのはマダムだけじ
全力でサポートします!やりたいことを見つけて今の自分を変えたい。イキイキと自分らしく生きたい。でも、周りの人には相談しづらい。そんな方は、一度話をしてみませんか?5月のお試し無料セッション限定2名様募集!⇒こちらからお申込み下さい!●お客様の声←今すぐクリック!★☆★☆★☆★☆★☆★☆お立ち寄り頂き、嬉しく思います。本当の想いと力を引き出してあなたらしい生き方を実現するライフキャリアカウ
小笠原家発祥地、南アルプス市の教育委員会と長清公顕彰会からのご依頼により、先代の頃より現在に至るまで続いている小笠原流礼法講座の一環で、毎年3月は和食または洋食の作法について、お食事をしながらご指導しています。新型コロナウィルスの影響でしばらく開催できず、過日は久しぶりに皆様とお食事をご一緒しながらの講座となりました。毎回、門下の方々が甲府駅にお迎えにいらしてくださるのですが、今回は会場に向かう途中、加賀美遠光公廟所見学に連れて行っていただきました。
昨日の続き日本刀は蕨手刀が発展したものではなく「方頭大刀」という刀が変形したものであるという学説が2010年に出て、現在はこちらの方が有力になっているようだ、、、というのが前回の話。方頭大刀には2種類ある。木製の柄を取り付けるタイプ(木柄刀)と、柄と刀身が一体構造の共鉄柄タイプ(共鉄柄方頭大刀)木柄刀の方が日本刀になり、共鉄柄タイプが毛抜形太刀になった。↑木柄タイプの方頭大刀(木柄刀):刀身はいわゆる上古刀これに反りがついて日本刀になったhttps://t
第330話おはようございます菊水千鳳ですㅤ現在、京都大阪の神社仏閣巡りの日記を連載中なのですが、ちょっと一息入れまして、先月に行った鎌倉参拝の模様を何話か投稿いたします。《鎌倉参拝日記1》は、不思議体験日記(第326話)で先にご紹介させていただきました。今回はその続きとなります。この日の朝、出発の準備をしていたら、源頼朝さんが一瞬、部屋の中を横切りました。とは言うものの、風のように直ぐに去っていかれました。とそこへ、北条政子さんがいらっしゃいました。政子さんは何や
姉埼神社日本武尊が東征のおり、海路の安全を祈って志那闘弁命シナトベノミコト(風神)を祀ったのがはじまりなそうな縁起には平将門や源頼朝の名も出てくる由緒のある神社です入り口脇に盛り上がりがあるけど、これは古墳ではないのかなその脇を通って更に山奥にしかし、あまりの茂みに引き返すことになりました裏に回ってこの右手の脇道を行く事にする釈迦山古墳でしょ4世紀前葉の全長86mの前方後円墳高さ前方部6mと後円部10mで高低差が4mくびれ部上に横切るように歩道が
和田塚にお参りが済み、後は実朝さんの御首塚(みしるしづか)に行くだけなのですが、その首塚は、鎌倉からだいぶ離れた秦野というところにあります。鎌倉からどれくらい離れているかというと、電車とバスを乗り継いで2時間かかります。もうすっかり夕方です。実朝さんの胴体は、第一回でお参りした鎌倉の寿福寺に葬られましたが、なぜ首から上だけこんな遠い場所に葬られたのか。ご存じの通り、実朝さんは鶴岡八幡宮で公暁(こうぎょう)に暗殺されました。その後実朝さんは羽林の首を持ったまま三浦義村を頼った
今年もあと1日になりました。毎週みていたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も昨日、総集編が終わりました。『鎌倉殿の13人』は夫も楽しみにみていてあるとき「一度、鶴岡八幡宮に行ってみたい」と言うようになりました。あの夫が、です。そして実は先日、夫と次男(中1)と3人で鎌倉へ行ってきました。よかったら今日はそのときの参拝の写真を見ながら鶴岡八幡宮を一緒に参拝している気分になってくださいね。
安西館『別名』なし『所在地』千葉県安房郡鋸南町下佐久間633付近『城主』安西氏『遺構』なし『城郭形態』館『駐車場』あり(大乗院)『歴史』安西館は安西景益だと言われています。安西景益は治承4(1180)に源頼朝と平氏・大庭景親の間で起きた石橋山の戦いで大敗し真鶴岬から小船で脱出し房総へと逃れて来た源頼朝を護る為に招き入れたと言われています。安西館は源頼朝の再起の地とも伝えられています。大乗院源頼朝上陸地近くには源頼朝上陸地もあります。源頼朝上
すでに「速報」でお届けしていますように、8/2(火)~4(木)の二泊三日で、「夏好例のお城巡り一人旅」に出かけました。今夏は、「日本100名城」ながらも最後に残っていて訪城できていなかった「多賀城」、かなり以前に訪城したものの写真をあまり撮れていなかった「二本松城」「白河小峰城」、そして赤瓦に葺き替えてから訪城していなかった「会津若松城」を中心に、これらのエリア内にある戦国時代の山城ファンには知られている「岩切城」「桑折西山城」「向羽黒山城」、そして「会津若松城」の支城であった「猪苗代城」