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楽しみながら中受対策!親の腕のみせどころこんにちは。お受験ワーママのいおりです。GWは、次女とふたりで、二泊三日で四国上陸してきました。子の興味を引くため旅のテーマは「さぬきうどん旅」ということになっていますが、実はコロナのあおりで長女より格段に旅行経験が少ない次女の勉強のため、私が企画しました。(就活で旅行会社も志望してたくらいの旅行好きなので、その辺は得意分野)それなりの費用と時間(貴重な年休!)をかけていく家族旅行、うちでは、「歴史や地理の実体験させる貴重な
おはようございます、沙久良です今日は昨年7月の関門海峡不思議ネタです淡々と参拝記録としてまとめようかと思いましたが、それもネタがテーマ別にバラバラになって分かりにくいかなと思い、簡単にネタとしてまとめてみる事にしましたイズクエほどしっかりは書きませんが、またお楽しみくださいませ~◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆下関と北九州の間にある関門海峡ここで一番有名な歴史的出来事と言えば、最後の源平合戦最初は優勢だった平氏だったが、正午過ぎの潮の流れが変わっ
下関市は明治初年の市制開始時は赤間関市であったが、その由来が気になった。穴門国から長門国の時代、その由来から長門関とよばれた。また、同時に古くから赤間関とよばれていたらしい。では、いつから後者の赤間関が主流になったのか?やはり、源平合戦における平家の旗印の赤色にちなんだのであろか!また、名前の由来になった説の一つの紅石山が赤かったのは一帯が赤色の地質であり、赤間石も産出した赤い地域であり記憶に残りやすい名前であった為であろう。参考1長門関■世界大百科事典第2版の解説下関の古名で,
多太神社石川県小松市上本折町72源平合戦で源氏方の木曽義仲が戦勝を祈願したといわれており、義仲の若き頃に恩を受けた斎藤実盛を供養、甲冑を奉納したと言われます。斎藤実盛と木曽義仲斉藤実盛は、源義平と源義賢の戦いで、討ち取られた義賢の子(後の木曽義仲)を助け保護したといわれます。後の源平合戦(篠原の戦い今の加賀市)では、幼い頃助けた木曽義仲と戦い、味方が落ちていく中、最後まで奮戦しますが、最後には義仲軍に討ち取られてしまいます。「この戦いは最後の戦い、最後
2022せとうち周遊旅㉓の続きです。沖松島駅から琴電屋島駅に到着しました。琴電屋島駅からは屋島山上までシャトルバスが出ています。琴電屋島駅到着が13:57、シャトルバス発車が14:01。4分しかありません。シャトルバスはそんなに本数がなく、予定の便に乗れないと、次は1時間以上後。いざとなったらタクシーで行ってもいい距離ではありますが、バス代は100円ですからね電車からも一番に降り、急ぎ乗り場を探すと、すぐ目の前でした。琴電屋島駅は小さいので迷うこ
金太郎、熊、兜のシャトレーゼの和菓子3点せットで一服①今年もシャトレーゼから端午の節句の和菓子が出ていました。②エゴノキと昼咲月見草(琉球月見草)花三島の茶碗で濃茶③箱根空木、別名源平空木の花の色、白からピンクの濃淡のグラデーションを見せたくて。今週末の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は源平合戦、最後の戦い「壇ノ浦」。源氏の白旗、平家の紅旗が翻るシーンがみられるか。菖蒲の茶碗で薄茶お菓子は昨日出かけた深大寺土産の蕎麦饅頭。④源平合戦図屏風
砺波山倶利伽羅峠は山頂付近に倶利伽羅不動明王をまつった「倶利伽羅不動寺」があるので、この名で呼ばれます。倶利伽羅不動尊は燃え盛る炎炎に包まれた剣に黒いヘビがまきついている強烈な姿をした、不動明王の化身です。作戦会議の中、義仲は言います。「数でまさる平家軍と平地でぶつかりあえば数と数の勝負になり不利である。何としても砺波山の山中でケリをつけたい」巴、言います。「同意です。さらに言えば平家方はみな都育ち。この山道はこたえましょう。対して我ら木曽武者には、山はわが庭のようなも
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。晴れたかと思えば雲が行き交い、雨のお天気に変わります。梅雨だから仕方がないのだけれど、天気予報があてにならない季節です。さて、バラのお話が続いてしまったので、次は違う内容にしたいのですが、今回は道路です。いやあ、道路なんかに興味がある人が果たしているのだろうか、と書きながら思うのですが、この道はつい最近まで歩くことは出来なかった道なので、もし屋島や人が歩いたり、自転車で
今回は以仁王の乱に参加した寺法師の方々をご紹介したいと思いますと、その前に。寺法師とはなんぞやということなんですが、寺法師とは園城寺(三井寺)僧兵のことを指します。僧兵というのは武装した僧侶のことで、この治承・寿永の乱では義経配下の武蔵坊弁慶が最も有名です。彼らは現代のお坊さんからは想像し難いですが、自らの利権を守るために戦うことを煽動したり、武器を取って実際に戦闘へ加わったりするような坊さんたちなのです(“僧兵”という言葉自体は江戸時代以降に使われた言葉で、当時は悪僧と呼ばれていたそう
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に便乗して、源氏と平家の最終決戦の舞台となった関門海峡の「壇之浦」を訪ねた。関門橋の手前の橋脚の右あたりが現在の「壇之浦町」だが、実際に船合戦が行われたのは写真の左側の海域だとされている。このあたりは関門海峡の一番狭い部分で、対岸まではわずか650m程しかない。源平の古戦場に臨む海岸は、「みもすそ川公園」として整備されている。下関育ちの私には、「御裳川(みもすそ川)」というゆかしい響きの地名は馴染み深いものだ。船合戦に敗れた平家側で
安徳天皇御陵墓西市御陵墓(参考地・宮内庁)(にしいちごりょうぼ)第81代安徳天皇(あんとく)所在地:山口県下関市豊田町詳しくは安徳天皇で検索~本当はここ、安徳天皇の御陵墓に行く予定は全く無かったのです。(存在すら知らなかった)前に紹介した元乃隅神社に向かっている途中に助手席から、何気に左側をボーと見ていたら”安徳・・陵・・”みたいのが見えたような・・??でも”下関の赤間神社のところのはず・?あの、耳なし芳一の~”と思いながらも瞬時に脳
今朝は曇天で、気温11度と寒い午前でした。3年ぶりにアメブロに帰ってきました。よろしくお願いします。【よそ様の花】川越市幸町を歩いていたら、珍しい花に出会いました。拡大するとバラの源平咲(幸町)拡大するとピンクがきれいですね。源平合戦の平家の旗幟は赤、源氏は白でしたね。ピンクでは源平咲と言えないかも知れまさんが、同じ木に2色咲くのは不思議ですねえ。
佐々木小次郎を追って岩国への遠征を終えまして、次は宮本武蔵の熊本に行こうかな~とか思っていますが、遠征はお金もかかりますので、基本は地元北九州での武術探訪をしていきます。で、次は【門司城】を調べていきたいと思います。テーマ・目標としては『門司城をバズらせる!』。ここがポイントで、私が自分で調べて自分で納得!ではなく、バズらせることも一つの目標にします。私が好きでやっているyoutubeの武術探訪シリーズですが、10~20再生とかで、自分だけが再生したカウントなんじゃないだろうか?というく
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。暖かくなったと思うと、また寒くなり、また暖かくの繰り返し。高松の桜が開花したそうなので、いよいよ春がきたというかがわです。いつかはそこを訪れたことをまとめて書いてたいと思っている場所があるのですが、今回はその一つです。しかしながら、驚いたことに今回の高松平家物語歴史館は、この記事を書いている時点で閉館してしまっています。弊館こと、来る平成31年3月24日を以って諸般の
初めての方に。※日記の説明。令和2年生まれの僕。※年中さん令和5年生まれの妹ちゃん。と自分の感性を信じて我が道を行くパパのてきとーな日記です。鎌倉子ども源平合戦祭ゴールデンウィーク終わりましたー全国のパパさん。ママさん。お疲れ様でしたーさてさて、ゴールデンウィークのこどもの日僕たち一行は、パパのお友達が主催する鎌倉のチャンバラごっこに参加しました。ルールは、簡単。スポーツチャンバラの刀で相手の左腕につけたボールを落とせば勝ち🏅負けた方は、討死となります。人数は、400
2018年3月18日屋島観光を続けます。かわら投げをした「獅子の霊巌」から時計回りに歩きます。屋島城跡と書かれた立て札がありました。屋嶋城は、香川県高松市の屋島に築かれた日本の古代山城です。南北嶺の山上全域が城跡とされていいて、山上の外周7キロメートルのほとんどが断崖で、南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に城壁が築かれていました。最近再現されたらしいので、ここもウォッチしてきましたよ。(その様子は後日ご紹介します)新屋島水族館もありました。新屋島水族
またまた能登の観察会でのお話……あるお宅のお庭に植えられていたクマガイソウ(上)とアツモリソウ(下)ですクマガイソウもアツモリソウも石川県では絶滅が危惧されているランの仲間ですアツモリソウは去年、ある場所で自生しているものを見ましたクマガイソウもとある場所には自生しているようです(絶滅危惧種なので場所は書けれません……ごめんなさい)アツモリソウという名前を聞いたとき「もしかして平敦盛からかな?」とは思ったのですがそのあところっと忘れていて今回クマガイソウというのもあることを
平安時代末の元暦元年(1185)に行われた備前国児島郡藤戸(現・倉敷市藤戸)での「藤戸の戦い」の跡を訪れました。写真①、倉敷川を上流から見る、現・倉敷川は倉敷市街地から児島湖に向かってゆったりと流れているが、当時は東側の岡山市の瀬戸内海の児島湾から西側の水島灘に向かって幅500mほどの海峡だった。平家物語巻十の「藤戸」によれば、平家追討の総大将源範頼率いる3万余騎と平家方の総大将平行盛率いる500余艘の兵船との戦いの場所です。(左の本土側が源氏、右の児島側が平氏の陣営)
地元の緩い武者行列でもUWFのテーマをかけるとカッコよくなる説。youtube.com動画。別件で門司港に行っていたのですが、門司港レトロで武者行列をやっていたので見に行きました。そして、撮影会にも参加。こんな歴史上の強者と写真が撮れるとは、武術好きには堪らないイベント。不満を言えば、知名度的に那須与一も見たかったかなと。ただ、あの那須与一が扇を撃ち抜く話は、檀ノ浦ではないですからね、仕方がない。よい記念になりました。