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こんばんは~。このブログでも何回も書いていますが平家の血筋で、前世にも平家があるガチ平家な私。なので、ことごとく源氏系の神社には拒否られてます。行ってもしら~っとしているので歓迎されてないな・・・なんで?と思って調べたら、大体源氏系だったりします。こんな嫌われ者の私でも(笑)歓迎とかではないですが大丈夫だった源氏系の神社があった事を思い出しました!伊東にある音無神社。(伊東マリンタウンのHPから写真お借りしてます)ここはね、拒否られなかったんです。というか、一緒に
おはようございます😃寝苦しくて深夜に起きたら、3時22分。あと3分で満月が極まるということで、堪能しておりました😅強い圧迫感で、月の潮汐力は体感できるのですが、今回はスーパームーンなので、けっこうしんどいですね💦さて、わたしはお盆に徳島を訪れたのですが、讃岐の屋島にも登ってきました。ここは源平合戦「屋島の戦い」があった舞台であり、頂上には四国八十八か所84番札所、屋島寺が建っています。ここにいるのが、日本三大たぬきのひとつ、四国のたぬきの総大将「太三郎狸(たさぶろうたぬき
こんばんは~。治承・寿永の乱、3回目になります。前回にもお話ししましたが、以仁王(もちひと-おう)は平家への不満を募らせ、ついには謀叛を企てるに至ります。以仁王の令旨治承4年(1180年)4月。以仁王は摂津源氏は(せっつ-げんじ)の源頼政(みなもと-の-よりまさ)、仲綱(なかつな)父子やその配下である渡辺党(嵯峨源氏[さが-げんじ])を味方につけて、いよいよ平家追討の戦力を秘密裏に整えはじめます。そして、平家追討の令旨(りょうじ)を東海道(三重・愛知・静岡、南関東・茨城
楽しみながら中受対策!親の腕のみせどころこんにちは。お受験ワーママのいおりです。GWは、次女とふたりで、二泊三日で四国上陸してきました。子の興味を引くため旅のテーマは「さぬきうどん旅」ということになっていますが、実はコロナのあおりで長女より格段に旅行経験が少ない次女の勉強のため、私が企画しました。(就活で旅行会社も志望してたくらいの旅行好きなので、その辺は得意分野)それなりの費用と時間(貴重な年休!)をかけていく家族旅行、うちでは、「歴史や地理の実体験させる貴重な
毎日疲れすぎて、全然ブログが書けない前回の続きです。8月14日の話。祈りの回廊を出て、須磨寺に向かおう。(祈りの回廊も須磨寺の一部だけど)あちこちに建物があって、結構規模の大きいお寺みたい。龍華橋を渡って、仁王門へ。須磨寺のHPを見ると、『須磨寺は源平最後の合戦地に近い古寺であり、四季の花々やオモロイものもたくさんございます。』だって。住職さんの「オモロイ寺にしたい」って希望で、色々なものが置かれているらしい。おもろいもんめぐり|大本山須磨寺神
はーい、こんばんはめっちゃ、こんばんは三日月がきれいですね。月といえばこんな貝が売ってました!月日貝(ツキヒガイ)という名前。黒っぽい紫色の面が表で白い方が裏面です。きれいな貝ですね。表面が夕陽のような赤褐色で裏面がお月様のような薄黄色だから月日貝なんだって!ネットからお借りした写真は、まさにそんな感じね。ホタテっぽい身で美味しかったです。何より安い、4枚で344円。そして金子みすゞさんの詩にこんなのありました。『月日貝』西のお空はあかね色、あかいお日さ
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。晴れたかと思えば雲が行き交い、雨のお天気に変わります。梅雨だから仕方がないのだけれど、天気予報があてにならない季節です。さて、バラのお話が続いてしまったので、次は違う内容にしたいのですが、今回は道路です。いやあ、道路なんかに興味がある人が果たしているのだろうか、と書きながら思うのですが、この道はつい最近まで歩くことは出来なかった道なので、もし屋島や人が歩いたり、自転車で
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に便乗して、源氏と平家の最終決戦の舞台となった関門海峡の「壇之浦」を訪ねた。関門橋の手前の橋脚の右あたりが現在の「壇之浦町」だが、実際に船合戦が行われたのは写真の左側の海域だとされている。このあたりは関門海峡の一番狭い部分で、対岸まではわずか650m程しかない。源平の古戦場に臨む海岸は、「みもすそ川公園」として整備されている。下関育ちの私には、「御裳川(みもすそ川)」というゆかしい響きの地名は馴染み深いものだ。船合戦に敗れた平家側で
建礼門院とは高倉天皇の中宮・平徳子(平清盛の娘)のこと。平徳子に使えた女房である右京大夫の私家集が『建礼門院右京大夫集』です。寿永:西暦1182~84年に使われた元号。元暦:西暦1184~85年に使われた元号。源平の争乱の時期の元号です。内容は読む前から想像できますが、いってみましょう。寿永、元暦のころの世の動乱は、夢だとも幻だとも、またあわれだ何だとも、言葉にできるようなものでは決してなかったので、万事どうであったかなどとはっきり分からず、それどころか、かえって思い出す
日本の歴史シリーズを作るとなるとどうしても中国の漢の時代とかの甲冑のフィギュアがあった方が良いので入手した。日本も奈良時代と平安時代では甲冑が変わるので、俗に言う戦国甲冑のフィギュアは源平合戦ぐらいから江戸初期ぐらいしか使えないんです。奈良時代の軍団作ろう!江戸時代も幕末になるとまた雰囲気が全然変わりますので、鳥羽伏見や戊辰戦争用に作るとなると結構探さないと無いんです。
【兵庫】神戸市中央区下山手通の生田神社子ども服のファミリアと生田神社がコラボしたステキな【御朱印帳】令和4年4月15日よりいただけます【生田神社コラボ御朱印帳】(大判サイズ)【生田神社コラボ御朱印帳】(大判サイズ)表面はクマの親子が心静かに願いを込めて手を合わせ生田神社に参拝している姿がデザインされ裏面はファミリアを象徴するチェック柄があしらわれていますミニバックもありました
<以下、9月30日追加分>一昨日だっけな??2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「平清盛役」で出演された「松平健さん」の手形が、みもすそ川公園に登場したとのTVニュースをみたので、早速見に行ってきました!!笑暇なので~笑実はミーハーなので~笑ほかの4人の手形にくらべて新しいのできれいなのはもちろんだけど、サイズがひと回り大きくなってる~笑良かったら新しいうちに見に行ってみてくださ~い。笑<以下、9月10日追加分>「壇ノ浦古戦場跡」には「源義経像」「
治承・寿永の乱、第40弾になります。これまでの話はこちらから。今回は第38弾で、ちょこっとお話しした千葉成胤(ちば-なりたね)と藤原親政(ふじわら-の-ちかまさ)が戦った結城浜の戦いの時の様子を『源平闘諍録(げんぺい-とうじょう-ろく)』を参考にお話しします。ところで、この『源平闘諍録』とはなんぞや?ということなんですが、これも実は『平家物語』の一つとされていて、坂東武士に関する記述が豊富なことから「坂東で生まれた平家物語」なんて形容されることもあります。また、この本
壇ノ浦の合戦で敗れ幼くして入水した安徳天皇を祀る赤間神宮竜宮城・・・をイメージして建立された水天門太鼓楼安徳天皇阿弥陀寺陵天皇
治承・寿永の乱、第50弾ですこれまでの話はこちらから。今回は日本史上でも有名な戦いである富士川の戦いについてです。まずはよく知られている『平家物語』の記述に基づいてお話ししようと思います(『平家物語』は「延慶本」を中心に「長門本」「源平盛衰記」を参考にしました。あとこれは直訳ではありませんのでご了承ください)。東国追討使(平家軍)は30000騎の官軍を率いて、道中の国々、宿々に宣旨を読んでは日にちをかけて味方を募っていましたが、兵衛佐(頼朝)の威勢を怖れて味方につく者はいません
2018年3月18日屋島観光を続けます。かわら投げをした「獅子の霊巌」から時計回りに歩きます。屋島城跡と書かれた立て札がありました。屋嶋城は、香川県高松市の屋島に築かれた日本の古代山城です。南北嶺の山上全域が城跡とされていいて、山上の外周7キロメートルのほとんどが断崖で、南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に城壁が築かれていました。最近再現されたらしいので、ここもウォッチしてきましたよ。(その様子は後日ご紹介します)新屋島水族館もありました。新屋島水族
平安時代末の元暦元年(1185)に行われた備前国児島郡藤戸(現・倉敷市藤戸)での「藤戸の戦い」の跡を訪れました。写真①、倉敷川を上流から見る、現・倉敷川は倉敷市街地から児島湖に向かってゆったりと流れているが、当時は東側の岡山市の瀬戸内海の児島湾から西側の水島灘に向かって幅500mほどの海峡だった。平家物語巻十の「藤戸」によれば、平家追討の総大将源範頼率いる3万余騎と平家方の総大将平行盛率いる500余艘の兵船との戦いの場所です。(左の本土側が源氏、右の児島側が平氏の陣営)
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。暖かくなったと思うと、また寒くなり、また暖かくの繰り返し。高松の桜が開花したそうなので、いよいよ春がきたというかがわです。いつかはそこを訪れたことをまとめて書いてたいと思っている場所があるのですが、今回はその一つです。しかしながら、驚いたことに今回の高松平家物語歴史館は、この記事を書いている時点で閉館してしまっています。弊館こと、来る平成31年3月24日を以って諸般の
昨日の記事の続きですが、あれからまた調べました。いつもの事ですが、本当のことは分かりません。オリオン星人とプレアデス星人は、昔から地球に来ていて世界一にその末裔が存在し、お互いにネットワークを作り密かにコンタクトしているとも言われています。平家がプレアデスの末裔、源氏がオリオンの末裔。スターウォーズのオリオン大戦のようですね。日本でも、プレアデス星人とのコンタクティが多いのもそのせいかも知れません。どうやら、最初に日本に降り立ったのはシリウス星人で青森県を中心に、下北半島