ブログ記事1,572件
今日職場で、鎧岩について教えてもらったこと。くりんのブログを見ている方が「鎧岩行ったんですね〜」「行ってきたよ〜ブログ見てくれたんだ」『海苔田ノ鼻の「鎧岩」は美しい!』流れる季節の真ん中でふと日の長さを感じます…今日は「3月9日」この歌を口遊んでしまいます。隠岐諸島にある有人4島のうち、1番大きく丸い島の北側、隠岐の島町元屋…ameblo.jp「胸の前で合掌しているお坊さんは見ました?」「はっ?なになに?」「鎧岩を見上げるようにお坊さんがいるんです」「へ〜っ、知らなかった…、どこ
楽しみながら中受対策!親の腕のみせどころこんにちは。お受験ワーママのいおりです。GWは、次女とふたりで、二泊三日で四国上陸してきました。子の興味を引くため旅のテーマは「さぬきうどん旅」ということになっていますが、実はコロナのあおりで長女より格段に旅行経験が少ない次女の勉強のため、私が企画しました。(就活で旅行会社も志望してたくらいの旅行好きなので、その辺は得意分野)それなりの費用と時間(貴重な年休!)をかけていく家族旅行、うちでは、「歴史や地理の実体験させる貴重な
須磨海岸へ久しぶりに須磨海岸を散歩。海の散歩は気持ちいい〜散歩をしていると、JRの須磨駅前の海に見た事の無い物体がなんだアレは…近くに説明がありました。これは「須磨ビーチヘキサゴン〜海に浮かぶ6枚屏風〜」のプロジェクト名で、「一の谷の戦い」をモチーフにした六角形アートバルーンだそうです。昨年10月に設置されたそうです遠いのでよく見えないけど…(正直な感想)最後に鉢伏山をバックにあの麓に敦盛塚があります。この辺りで一の谷の戦いがあったんだなぁ…。1月2日の出来事でし
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。晴れたかと思えば雲が行き交い、雨のお天気に変わります。梅雨だから仕方がないのだけれど、天気予報があてにならない季節です。さて、バラのお話が続いてしまったので、次は違う内容にしたいのですが、今回は道路です。いやあ、道路なんかに興味がある人が果たしているのだろうか、と書きながら思うのですが、この道はつい最近まで歩くことは出来なかった道なので、もし屋島や人が歩いたり、自転車で
色々と寄り道をしましたが、平安末期の平安京と、平安京近くの豪華施設について場所と経緯を説明してきました。源平合戦の時代はよくドラマで見ましたが、舞台が京都ってことはわかっても、どこでどう人が動いたのかがわからないまま見ていたので地理感覚がよくわからなかったんですよね。自分で地図を作るのは手間がかかるけど、昔の出来事が肌感覚で実感出来ていいなと思っています。さて、今回は「保元の乱」を見ていきます。かの有名な、院政期の重要人物たちが絡ん
【追記】はじめに書かせて頂きます、コメント欄で心霊系の視える方が身内にいらっしゃる笑里さんという方から「感じる力のある方は弁財天様の所以外には近づかない方がいい」ということを教えて頂きましたということで、「幽霊」や「怨霊」とかそっち系の良くないモノを感じてしまうという方は、弁財天様の所以外は行かないほうがよさそうです貴重な情報をありがとうございますこんばんはぴよぴよ侍です今回は、国の名勝にも指定されている、和歌山県の三段壁洞窟に鎮座されます日本最大の弁財天様『牟婁大弁財天』様についてご紹
下関市は明治初年の市制開始時は赤間関市であったが、その由来が気になった。穴門国から長門国の時代、その由来から長門関とよばれた。また、同時に古くから赤間関とよばれていたらしい。では、いつから後者の赤間関が主流になったのか?やはり、源平合戦における平家の旗印の赤色にちなんだのであろか!また、名前の由来になった説の一つの紅石山が赤かったのは一帯が赤色の地質であり、赤間石も産出した赤い地域であり記憶に残りやすい名前であった為であろう。参考1長門関■世界大百科事典第2版の解説下関の古名で,
イの国探検隊ファンの皆様こんにちは今回は、「長尾」が鳥の尾🦆か狐の尾🦊なのか狸の尾なのか石清尾なのか気になります。が、静御前です。なんでや!毘沙門天様関係の探検は終わったんかい!歴史は不勉強だが、とにかく静御前の讃岐での痕跡を探検してみます。香川県さぬき市長尾地区は、静御前の活動した鎌倉時代には東讃岐の中心地で、賑わっていた。義経が未知の地で勝利できたのは、屋島へ向かう途中の静御前の母、磯禅師の出身地である丹生が、情報収集拠点になっていたのではないかと
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。さて、瀬戸芸から少し離れて、今回は源平の古戦場を巡ったお話です。3月に閉館した高松平家物語歴史館に行った際に、いつかは行ってみたいな、なんて思っていましたが、やっぱり「いつか」とか「ゆくゆくは」なんて思っているうちは行けないものです。もちろん車などで行ってもよいのだけれど、歩いて行くと実際に夏は暑いし、冬は寒いので、春や秋に行くことになりますが、なかなか地味な場所なので、さて
さて、平安時代に起きた合戦や戦争を一通り見てきた。ここで再び合戦のルールと武士のフェアプレイ精神について論じたいと思う。最初に私の結論から言おう。原則として平安時代の武士が行う合戦にルールはない。平安時代の武士道たる兵の道(つわものの道)にもフェアプレイ精神といった精神性はない。なぜそう言えるのかと言えば、ルールには罰則が必要である。罰則のないルールなど守られるはずがないし、仮に罰則があったとしても、それを強制し行わせる強力な権力が平安時代にない。唯一、天皇や朝廷が公的権力として存
おはようございます😃寝苦しくて深夜に起きたら、3時22分。あと3分で満月が極まるということで、堪能しておりました😅強い圧迫感で、月の潮汐力は体感できるのですが、今回はスーパームーンなので、けっこうしんどいですね💦さて、わたしはお盆に徳島を訪れたのですが、讃岐の屋島にも登ってきました。ここは源平合戦「屋島の戦い」があった舞台であり、頂上には四国八十八か所84番札所、屋島寺が建っています。ここにいるのが、日本三大たぬきのひとつ、四国のたぬきの総大将「太三郎狸(たさぶろうたぬき
和歌山県・白浜町の三段壁洞窟内には水の神とも言われている牟婁大辯才天(むろだいべんざいてん)が祀られ日本最大級の青銅でできた牟婁大辯才天はパワースポットとしても有名です大黒天、毘沙門天に十六童子を従えどのような願いも叶えると言われてる日本一大きい青銅製の弁天様(水の神)高さ3m、横幅2m、重さ3トン洞窟内でお参り出来るなんてビックリ参拝の作法1.鈴をならす2.合掌して三礼(手を合わせて3回おじぎをする)英語でも書いてあります熊野水軍の船隠し
揚羽蝶に誘われて優雅に舞っていますね5月の夕焼けです。綺麗でした。龍神さんが写っているみたいな気がして、嬉しいです。昇龍に見えませんか。走る車の中から撮りました。平家物語に魅了されて……揚羽蝶に掴まった女とでも言いましょうか。私は揚羽蝶の家紋の平家の虜になってしまいました。追々そんな話もしていくと思います。本日は、右京大夫から少し離れて、平家とは、平氏とは、源氏とはのお話をしたいと思います。源平藤橘天皇の臣籍降下で源平藤橘の氏を与えられます。現代ではこれら
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろしLINE@始めました・*:.。おみくじ、占い感覚でどうぞ執筆、講義のご依頼はお気軽に・*:.。→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*ことにおなじゆかりは、思ひとるかたの強かりける。憂きことはさなれども、この三位中将、清経の中将と、心とかくなりぬるなど、さまざま人のいひ扱ふにも、「残りていかに心弱くや、いとどおぼゆらむ」など、さまざま思へど、かねていひしことにてや、またなにとか思ふらむ、便り
最初にご連絡です。最近、SNSのミクシィ2とBlueskyに参加しました。こちらでもサークル情報や近況を流していきますので、チェックよろしくです♪。幕末ヤ撃団(@yagekidan.bsky.social)日本史・幕末史の歴史研究考察サークル。武士道・士道や江戸時代の学問や軍学などに重点を置いています。日本史全般を扱いますが、専門は幕末史。新選組を中心に尊王佐幕を問わず歴史に関係するものを調べるのが好きです。bsky.app↓では本題の方をどうぞ!↑平治の乱の舞台と
またまた能登の観察会でのお話……あるお宅のお庭に植えられていたクマガイソウ(上)とアツモリソウ(下)ですクマガイソウもアツモリソウも石川県では絶滅が危惧されているランの仲間ですアツモリソウは去年、ある場所で自生しているものを見ましたクマガイソウもとある場所には自生しているようです(絶滅危惧種なので場所は書けれません……ごめんなさい)アツモリソウという名前を聞いたとき「もしかして平敦盛からかな?」とは思ったのですがそのあところっと忘れていて今回クマガイソウというのもあることを
こんばんはA.Sです日本の国旗の歴史について書いていきたいと思います太陽を象(かたど)った旗が用いられるようになったのは大化の改新(645年)以降といわれており、文献に初めて登場したのは797年の「続日本紀(しょくにほんぎ)」なのだそうです「続日本紀」では、文武天皇(もんむてんのう・在位697年~707年)が701年の朝賀の儀で儀式会場の飾りつけに「日像」の旗を掲げたとありますが、白地に赤丸ではなかったようです歴史的にみると、世界中で太陽を赤く描くことは少なく、一般的には黄色や金色で太
光栄(現:コーエーテクモゲームズ)で1994年にPC9801シリーズで発売されたゲームですが、当時パソコンなんぞ高価で購入できず、やっとの思いで購入したのは98バリュースターシリーズのWin95のパソコン。基本ベースがPC9801シリーズでしか発売されなかったので、やってみたい憧れのゲームだった。2004年コーエー25周年記念パック、2005年Win定番でリメイクされるも当時の思いは消えうせ、何故か購入もしなかったし、あまり見かけない気もした。ここ最近になってやってみたい感が
こんにちは。ハイ・パイン・サンキュー!です。いつもとなりのかがわさんをお読みくださり、ありがとうございます。暖かくなったと思うと、また寒くなり、また暖かくの繰り返し。高松の桜が開花したそうなので、いよいよ春がきたというかがわです。いつかはそこを訪れたことをまとめて書いてたいと思っている場所があるのですが、今回はその一つです。しかしながら、驚いたことに今回の高松平家物語歴史館は、この記事を書いている時点で閉館してしまっています。弊館こと、来る平成31年3月24日を以って諸般の
〜本日のお品書き〜まるで大河ドラマであるかのように現在、大阪で上演中の仮名手本忠臣蔵。史実の赤穂浪士討ち入り事件では、切腹したのは浅野内匠頭あさのたくみのかみ敵は吉良上野介きらこうずけのすけ赤穂浪士リーダーが大石内蔵助おおいしくらのすけ次いで、息子の大石主税おおいしりきやその他、原惣右衛門はらそうえもん間十次郎はざまじゅうじろう寺坂吉右衛門てらさかきちえもん萱野三平かやのさんぺいなどとなっております。https://amzn.to/32qAIQSねこづく
9月24日(火)11:25快晴、一年中こんなだったらいいのに!?「岩瀬若者一同」の曳山で外題『源平合戦屋島の戦い』広目屋作人物「源義経」「平宗盛」「源平合戦」の一つである屋島を舞台とした戦い。栄華を極めた平家を率いるのは総大将の平宗盛。対する源氏軍を率いるのは戦の天才、源義経。一ノ谷の戦いから、平家追討を念頭に義経は平家の背後から奇襲を仕掛ける。これに驚いた平家は応戦をしながらも次々に海へと逃げていく。約三〇〇〇騎の平家に対し、義経は退くこと無く、ただひた
2018年3月18日屋島観光を続けます。かわら投げをした「獅子の霊巌」から時計回りに歩きます。屋島城跡と書かれた立て札がありました。屋嶋城は、香川県高松市の屋島に築かれた日本の古代山城です。南北嶺の山上全域が城跡とされていいて、山上の外周7キロメートルのほとんどが断崖で、南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に城壁が築かれていました。最近再現されたらしいので、ここもウォッチしてきましたよ。(その様子は後日ご紹介します)新屋島水族館もありました。新屋島水族