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昨日の土曜日、再び旗振山(須磨浦山上)へ登ってきました。二日前の木曜日に登ったばかりですが...ハイキング気分でお気軽に登れるのが魅力で、またルートが多くあることを知り、前回はロープウェイで登ったので、今回は最初から登ります。前回は須磨浦公園からだったので、今回はJR塩屋駅から登るルートです。塩屋から登るにはルートが2コースあります。JR塩屋駅から北上して「塩屋毘沙門」を経由するルートではなく、今回は国道2号線横にある「旧グッゲンハイム邸」横から登るルー
(恣意)戦国時代は源平合戦の延長だった!!一問題提起:源平は壇ノ浦で終わったのか平氏と源氏――日本の武士の歴史を語る際に、必ずと言っていいほど対になる二つの家系。だが、実は「源平の戦い」は壇ノ浦で終わったのではない。その後も、日本の武士社会には“源平の遺伝子”が思想・権威・統治の作法として受け継がれ、戦国の覇権争いを内側から規定していた――本稿の主張はここにある。二武家政権の大づかみ(時代表)時代支配的家系系統備考鎌倉源頼朝~北条源氏(河内源氏)初の武家政権室
阪神電車岩屋駅から三宮に戻り、生田神社に向かいます。相変わらずすごい参拝者です賑わっていて外国人の方も多い楼門。何年か前に初詣に来て以来だなぁ….明治時代の鳥居前の古写真変な顔の狛犬。顔小さ!…ブヒ!っ安政の大地震で倒壊した鳥居⛩️さて、本日の目的的生田の森につきました🤨土日だけ公開しています。生田神社は元々は新神戸駅付近の砂山(いさご山)という山中に鎮座してたけど生田川の氾濫とかで現在地に移動して来た。そして生田川(新神戸駅から伸びるフラワーロードが旧河道です)の周りは楠の巨
源平合戦の幕開け、源頼朝にとって屈辱的なデビュー戦となった**「石橋山の戦い」**について、動画の内容をもとに熱く解説していきます!この戦いは、頼朝の「革命戦争」が、**「完敗」**から始まったことを物語る、非常にドラマチックな一戦です。【今回の動画】完敗から始まる源頼朝の革命戦争【石橋山の戦い】世界の戦術戦略を解説『源平合戦1』YouTube動画URL目次絶頂の平家と、伊豆に流された源氏の御曹司10倍の敵と、焦りが招いた敗北命を繋いだ奇跡の脱出劇絶頂の平
源平合戦の古戦場で、展望台から瀬戸内海の素晴らしい絶景が眺められます2025年05月19日2019年04月21日フィルム時代
兵庫県の須磨寺(すまでら)2025年10月の代理参拝です!大本山『須磨寺』正式名:上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)に代理参拝をいたします。只今から開始いたします!募集終了致しましたm(__)mたくさんのご応募ありがとうございましたm(__)m先着5名様5名に達しましたら締め切りとさせていただきます。最終締切日10/29まで『須磨寺』正式名:上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)本尊聖観世音菩薩源平ゆかりの古寺として有名源平合戦、一ノ谷の戦いの舞台
8/6(水)今日は奈良県の生駒山上遊園地に行こうと思っていたのですが、往復時間や奈良に行くなら明日香村とか行きたいところいっぱいあるしと、須磨浦山上遊園に行くことにしました。去年も行っているのですが、娘たちが「パパとも行きたい!!」とのこと。夫は初!!12時到着源平合戦ゆかりの地、一ノ谷合戦場。歴史の中で一番源平合戦が好きなのと、やっぱり神戸は平家、清盛贔屓!!日本の首都だった、神戸福原。誇りを持っている神戸人は多い中学の教科書で読んだ平家物語の敦盛の最期は涙涙その舞台がここで
10月17日の歴史堀川夜討ち1185年10月17日堀川夜討ち源頼朝の密命で土佐坊昌俊が京都・堀河館の義経を襲った事件(源氏六条堀川邸跡)土佐坊は弟の三上弥六家季ら83騎の軍勢で鎌倉を出発17日に京の義経の館である六条室町を襲撃した義経側は手薄であったが義経自ら佐藤忠信らと共に討って出て応戦途中源行家の軍勢も義経に加わり土佐坊を討ち破る!!敗れた土佐坊は敗走するが義経の郎党に捕らえられ26日六条河原で梟首された義経は襲撃翌日の18日に後白河法皇から頼朝追討
今日の午前中、国立博物館で開催されている「平安武士の鬼退治-酒呑童子のものがたりー」を見学してきました。戦闘専門として成長してきたのが武士という存在でしたが、中央の朝廷では魔物も退治できる存在として認識されていました。これは単純に、人知を越えるようなバケモノと戦えるとすれば、戦いの専門家たる武士しかいないだろという考え方から派生したものだったろうと思います。現代に大怪獣ゴジラが現れれば、我々日本国民は「自衛隊を出せー!」と叫ぶのに似ていて、要は戦える存在がさしあたってコレしか思い浮かばないと
平クソ明「令和に壇ノ浦は必要ないのだよ!!私は生き残ぉる」いやさすがに人としてどうよ?超ビジュアル!源平合戦人物大事典Amazon(アマゾン)源平の争乱(戦争の日本史6)Amazon(アマゾン)源平合戦の虚像を剥ぐ治承・寿永内乱史研究(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)
「泣く泣く首をぞかいてんげる」中学の時、国語の授業で古文を学んでいたら、掲題の、泣く泣く首をぞかいてんげる、と言う言葉が面白くて、そこだけ暗記していた。改めて今調べてみると。敦盛の最期だったのか。能や幸若舞の「敦盛」で、織田信長の好きだったのと繋がっていたとは面白い。(^ν^)https://youtu.be/0I67fdId6QY?si=jJxg1tIuX2mbr0Vs
広宣流布の勝敗の鍵は、己心に巣くう臆病との闘いにある!創価学会初の海外指導が行われた昭和35年も終わり、いよいよ恩師戸田先生の遺言である東洋広布を開始する昭和36年が幕開けしました。山本伸一は、学会本部において新年の行事を済ませ、本山に移動しました。その登山会には、全国から幹部が集まって来ました。そこでは、理事会が開かれ、御書講義や、青年部の指導会も開催されました。青年部の指導・育成は、学会のマンネリを打ち破るために、新しき息吹を組織に吹き込むためでした。そんな懇談の折、水戸の女子部
お遍路ツーリングの続き⸜(*˙꒳˙*)⸝この先、ミステリーゾーン?前方注意200m先⸜(*˙꒳˙*)⸝下りなのか上りなのか錯覚で分からなくなるミステリーゾーン(*゚∀゚)ニョ!「水曜どうでしょう」でも何度か取り上げられた場所です。変な感じです。屋島到着(*`・ω・)ゞ屋島案内看板(*॑꒳॑*)自販機のウエルカムボード(˶'꒳'˵)源平合戦の紹介(*゚∀゚)ニョ!主要人物です⸜(*˙꒳˙*)⸝あんまり詳しくないですが、知ってるのは義経、那須与一、景清くらいかな
【9/143日目③】平賀源内観光を済ませたら…山を登って源平合戦へ!ということで、車を走らせると源平合戦展望台地「談古嶺」を発見。こりゃ~寄るしかないでしょ~思えば、幕末、戦国時代の史跡は数を見たけれど、源平時代の史跡はそうは見られないからね。平氏が軍船500隻を隠して待機させた「舟隠し」那須与一の「扇の的」の現場義経が海に馬を乗り入れて弓を落としてしまった「義経の弓流し」などが見渡せます。こんな感じ!なかなか高いところまで登ってきた。そ
天気に恵まれお通り始まりました。
例年では一番早い山車完成です。明日、最終チェックがありますが、補修がないことを祈って今夜は寝ます!
初めて2日前に太鼓ものせました。明日、最後の細かい仕上げをして完成です!
見返しはライト調整すれば終わりです。見返しは過去1番の出来栄えです!
ご訪問ありがとうございます癒しの空間光へようこそスピリチュアルなセラピスト光奏音(ひかりかなで)です私自身を癒し、励ましてくれた様々な方法が今度はきっとあなたのお役に立ちますよ心のモヤモヤ、話してみませんか?詳しくはホームページを↑リンクを貼っていますおかげさまでモニター募集は終了しましたメニュー更新中です公式LINEの登録はこちら登録だけも大歓迎ブログ見たよ、とメッセージをパソコンの方は直接スマホでコチラを
「なぁ、運命って信じるか?」何度目かの逢瀬を重ね、行為の後ベッドでくつろぎながら長瀬慶太は尋ねる。「なに、どうしたの?」長瀬の恋人である大地雅美は笑顔でそう尋ね返す。「俺たちの記憶の奥底には、先祖が押し込めた無念の思いだったり、恐怖といった感情がある気がしてならない。」「フロイトは精神分析学で、夢は抑圧された自我の表出と言っている。」「最近、夢でよくそういう記憶を見るんだよ。」長瀬はそう語り出す。「また難しいこと言ってんね。私分かんないよ。」
沓掛館山の白花彼岸花が咲き始めました。これは数年前に横浜の会員にいただいたものです。館山には頼朝伝説があり、その源氏は白旗で平家は赤旗ですので、隣に赤い彼岸花を植えて、源平競演を愉しんでいますが、赤い方は咲くのが少し遅いようです。
見返しのパタンコです初チャレンジで横にも人形
平清盛永久6年1月18日グレゴリオ暦換算1118年2月17日戊戌甲寅戊申〇〇←壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥、甲子のどれか空亡:辰巳、寅卯5乙卯、15丙辰、25丁巳、35戊午、45己未、55庚申、65辛酉、75壬戌、85癸亥、95甲子・効用を考えると時柱は丙辰、丁巳、癸丑あたりか・後白河法皇の日柱が年柱に現れている大運年運出来事乙卯己酉1129年従五位下・左兵衛佐乙卯己酉1129年石清水臨時祭の舞人に選出丙辰辛亥11
浴衣一式(浴衣・下駄など)もキャリーケースにいれ、そのキャリーケースは宅急便往復で依頼しているのでフロントに預けて、バッグと吸入器携帯ケースを持ってホテルをチェック・アウト。目的地は生田神社と生田の森。生田神社鳥居日傘を閉じ⛩️一の鳥居は向かって右側で一礼したので、右足から入りました。⛩️二の鳥居も右側で一礼して右足から入りました。二の鳥居を越えると一変して空気が変わりました。山門向かって左にお守り授与所があります。拝殿参拝してから撮影させていただきました。市杵神社(い
・「耳なし芳一」これは私がはじめて自分から読んだ本のタイトルです小学校の何年生だったか、テレビもまだ家になくて、楽しみといえば、本を読むこと小学館発行の「小学〇年生」という月間雑誌を、本屋さんが毎月届けてくれて、その中に載っていたお話盲目だった琵琶法師の芳一が、耳まで取られたって、ぞくぞくしながら、一気に読んだことを思い出したのは、今秋からはじまる、朝ドラ「ばけばけ」を知ったからでした今日のハイビスカス最近は大河
元々の日本の国旗のルーツは源氏の旗印だった。日の丸は太陽だと仮定すると・・太陽を赤丸で描くのは日本人だけ・・・。各国の太陽は黄色か金色のイメージだ・・・赤丸で描くのは日本だけ・・・実は日本でも昔は(平安時代)太陽は金色で月は銀色だった。もしかして・・源平合戦で平家が勝利していたら・・国旗は赤字に黄色だったかもね・・。現代の日本人がイメージする太陽は赤色・・・他国の人の太陽は黄色や金色・・・。安政の開国の時に国旗は必要になり・・・白地に赤い旗を国旗にした。その時赤丸は日本の国旗で太陽
今回の鎌倉巡礼は源平合戦の歴史上の痛みを癒す旅そんなミッションがやってきて源頼朝北条政子源義経などの御霊の鎮魂のためのエネルギーつなぎをしてきましたそんなタイミングで…こちらのYouTubeをご覧くださいね