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こんばんは~。このブログでも何回も書いていますが平家の血筋で、前世にも平家があるガチ平家な私。なので、ことごとく源氏系の神社には拒否られてます。行ってもしら~っとしているので歓迎されてないな・・・なんで?と思って調べたら、大体源氏系だったりします。こんな嫌われ者の私でも(笑)歓迎とかではないですが大丈夫だった源氏系の神社があった事を思い出しました!伊東にある音無神社。(伊東マリンタウンのHPから写真お借りしてます)ここはね、拒否られなかったんです。というか、一緒に
壇ノ浦の合戦で敗れ幼くして入水した安徳天皇を祀る赤間神宮竜宮城・・・をイメージして建立された水天門太鼓楼安徳天皇阿弥陀寺陵天皇
はーい、こんばんはめっちゃ、こんばんは三日月がきれいですね。月といえばこんな貝が売ってました!月日貝(ツキヒガイ)という名前。黒っぽい紫色の面が表で白い方が裏面です。きれいな貝ですね。表面が夕陽のような赤褐色で裏面がお月様のような薄黄色だから月日貝なんだって!ネットからお借りした写真は、まさにそんな感じね。ホタテっぽい身で美味しかったです。何より安い、4枚で344円。そして金子みすゞさんの詩にこんなのありました。『月日貝』西のお空はあかね色、あかいお日さ
南京町をブラブラした後、最後に生田神社へ立ち寄りました。暑いけどせっかく来たので、お参りに。いつも横から入るので、正面から来たのは超久しぶりかも。狛犬さんも立派です。繁華街のど真ん中にこんなに広い神社があるのは驚きます。手水舎は新しいです。楼門手前に井戸があります。かちはらの井(梶原の井)です。約800年ほど前、源平生田の森の合戦の折、梶原景季がこの井戸の水を汲み、生田の神に武運を祈ったと伝えられています。楼門
2024.09.05色々面白いんで観てる審神者の表博耀さんのYouTubeチャンネルに、安徳天皇の子孫と言う方が出演されてましたよ。安徳天皇と言えば、通説は壇ノ浦の源平合戦で没せられたとなってるよね。一応、日本の歴史教科書にもそう書いてあるよね。でもね、現実的には高知県や香川県にも青年になられた安徳天皇の形跡があるんよね。以前ワシが確認に行った高知県仁淀川町の皇八幡宮も安徳天皇の武運を祈って建立されてるんよね。とりあえず、21歳位までは四国に居られた形跡はあるみたいなんや
「周防国合戦」は屋島の戦いと壇ノ浦の戦いの間に、周防の国であった源平の戦いのこと。池の浦の合戦平家塚平家神社矢櫃神社山口県熊毛郡上関町室津参考「周防国合戦」は屋島の戦いと壇ノ浦の戦いの間に、周防の国であった源平の戦いのこと。「吾妻鏡」元暦2年(文治元年)4月21日の梶原影時が鎌倉に送った書状の中に、西海での合戦の次第が報告されており、「屋島」「長門国合戦」「周防国合戦」の記述が見られる。「防長風土注進案」の上関宰判・伊保庄の箇所に、「平家大明神に伝わる話」や「古戦場・池ノ浦」の地域
こんにちは、マッサ17です今日(8/7)は、第八回百人一首かるた源平合戦をやりました。もちろん相手は宿敵saちゃん。読み手はYouTube。ジャジャ〜〜〜‼️遂についに、僅差でsaちゃんに勝つ事が出来ました‼️僅か2札(笑)百人一首かるた源平合戦は、相手の陣地の札をとると、自陣の札を相手に一札あげて、早く自陣の札を無くした方が勝ちというゲームなのです。これで通算1勝6敗1引き分け(引き分けなどは無いのですが、大人の事情で1引き分けとなりました)現在68首覚えましたが、な
武将の逸話を由来とされるが、その武将は誰か?平安末期、備前国児島(岡山・倉敷)で展開された源平合戦「藤戸の戦い」の逸話に因む武将は源氏の「佐々木盛綱」である。藤戸の海峡で対峙していた平家軍に浅瀬を馬で渡って攻め入ったが、盛綱は引き潮で浅瀬になる場所を聞き出した漁師を殺して先陣の功を手にした。その浅瀬に在ったとされるのが「藤戸石」で、室町期に次々と武将の手に渡るが、最終的に秀吉が醍醐寺三宝院庭園に据えた。
毎日疲れすぎて、全然ブログが書けない前回の続きです。8月14日の話。祈りの回廊を出て、須磨寺に向かおう。(祈りの回廊も須磨寺の一部だけど)あちこちに建物があって、結構規模の大きいお寺みたい。龍華橋を渡って、仁王門へ。須磨寺のHPを見ると、『須磨寺は源平最後の合戦地に近い古寺であり、四季の花々やオモロイものもたくさんございます。』だって。住職さんの「オモロイ寺にしたい」って希望で、色々なものが置かれているらしい。おもろいもんめぐり|大本山須磨寺神
下記は私が書いた小説です。電子書籍は試し読みが可能です。空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)楽天ブックスでも販売中!【POD】空と海のキャンバス[秋月友希]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}動画も作成しています。和布刈(めかり)神社へ向かいます。場所は門司港より、もっと北。関門橋の下に和布刈神社がある。涼しくなったら人が集まるのだろうか。関門海峡沿いの小道を歩いていきます。向こう側は山口県。赤いのは安徳天皇が眠る赤間神宮で
倶利伽羅古戦場石川県河北郡津幡町字倶利伽羅古戦場のある砺波山は、古くから北陸方面への交通の要所として知られており、北陸道を制する上では重要な場所でした。1183年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。源平盛衰記に記された木曽義仲による「火牛の計」は有名です。火牛の計源氏の木曽義仲が行なった作戦です。義仲が夜明けとともに、約500頭の牛の角に松明(たいまつ)を付け平家の陣に突入させました。暴れ狂う牛達の突然の襲
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。過去記事で1980年代のアメリカ歩兵師団(実質機械化歩兵師団)の1日補給量が攻勢時で3300トン、防御時で4000トンという膨大な物資を消費することを書きました。現代ではもっと機械化が進み補給量は鰻上りでしょう。機械化されていなかった大戦以前の日本歩兵師団だと1日補給所要量は200トンとかなり少なくなっていま
「私は世界が辛いことだけじゃないって思うの。だから私は、許して、許して、許すの」これは平家物語に登場する平清盛の娘徳子が放った言葉です。徳子の生涯は辛く、苦しいものでした。清盛の娘として生まれ高倉天皇と結婚したものの6年もの間子供ができず苦しみました。21でどうにか、高倉天皇との間に後の安徳天皇がお生まれになると国母となりましたが夫である高倉天皇は他の女性の事を愛しておられました。その後の源平合戦ではたった5歳、我
おはようございます😃寝苦しくて深夜に起きたら、3時22分。あと3分で満月が極まるということで、堪能しておりました😅強い圧迫感で、月の潮汐力は体感できるのですが、今回はスーパームーンなので、けっこうしんどいですね💦さて、わたしはお盆に徳島を訪れたのですが、讃岐の屋島にも登ってきました。ここは源平合戦「屋島の戦い」があった舞台であり、頂上には四国八十八か所84番札所、屋島寺が建っています。ここにいるのが、日本三大たぬきのひとつ、四国のたぬきの総大将「太三郎狸(たさぶろうたぬき
あと数日ですよ奥さん毎年のことながら【給食の有難み】を感じながら始まった夏休みも残すところあと10日くらい早くない受験生じゃない夏休みなのに、こんなにあっという間に過ぎ去っていく受験生のお父さんお母さん、例年に比べての体感はどうでしたか?我が家は、義父の危篤からの葬儀での里帰りで旅行を延期。(その後、飛行機満席で旅行先も変更)来年の受験生の夏に向けて行っておきたかったけど、仕方ないね。部活も先輩が引退して、練習のウェイトがのしかかってくる。(娘の部活は、数少ない人数しか試合メン
当時、高知から小学校🎒の修学旅行は「琴平、屋島、栗林公園」でした~✨それ以来の「屋島」です台形の形をした屋島(全景写真なし😥)「屋島」といえば「源平合戦」ですか😅歴史は、苦手😅それさえも何ですか😥の世界ですので、ここまで頂上には84番札所「屋島寺」「新屋島水族館」等あり何より、私の目的は絶景を見る事❣️😂感性のみで生きてますので🤣高松市内が一望出来ます✨高松港にクルーズ船が停泊「飛鳥II」のようですお天気良くて最高✨瀬戸内海の島々から、行き交う船、絶景が見れました✌️
こんにちはまたまたご無沙汰していて申し訳ありませんでした猛暑が続いておりますが、皆様体調は大丈夫でしょうか。記事更新の間隔が空いてしまっているにもかかわらず、不思議なことにアクセス数が伸びていて、一時は一ヶ月のアクセス数がついに900を超えて、ものすごく嬉しかったです今は800台に落ち着きましたが、ブログを始めた当初に比べると、格段に多いアクセス数に、皆様への感謝の気持ちでいっぱいです本当にありがとうございます。これからも間隔は空くかも知れませんが頑張って更新していく予定ですので、引
北九州市門司区生まれの人間として、関門海峡で散った平知盛のコスプレで、源平合戦ネタの動画を撮れればと思い、段ボールで鎧を作ってます。本物かレプリカの大鎧が欲しいですが、とりあえずは段ボールで。ちなみに、私が0から手作りしているわけでなく、こういうキット『KAMIYOROI』が販売されてますのでそちらを利用しています。どうなるかわからないですが、上手いことネタや衣裳のクオリティが確保できたなら、地元のお祭りのなんかにも参戦していきたい。以下、平知盛の絵や像。これらを参考にしています。
平家がに源平合戦にまつわる伝説はたくさんあります。これもその一つ。壇の浦の漁師たちは、魚を釣るとき、かならず船板に正座して釣糸をたれます。いつのころから、誰がはじめたのかわかりません。漁師たちは、正座しているほうが、釣りの勘がよくはたらくといいます。また、こうしていれば、なんとなく心も落ち着くといいます。もう一つは、平家の落人がこの壇の浦に住み着いて漁師をはじめましたが、以前宮中に住んでいたころの作法が身について、正座するようになったともいいます。この海峡では、平家がにがとれます。中型のカ
こんにちは、マッサ17です大河ドラマ「光る君へ」凄く面白いですね❗️平安時代の大河ドラマは、さぞ退屈だろうと思っていましたが、初回からハマっています♪さすがに「源氏物語」を読む気になれないので、思いたったのが、今年は百人一首を覚えてみよう❗️でした(笑)それで買った本がこちら💁半年程かかりましたが、54首覚えましたよ。そしたらsaちゃんが、中古の百人一首かるたを買ってくれて、今日(7/11)届きました♪さあ、第一回百人一首かるた源平合戦の始まりです♪saちゃんは、小、中学校の
こんにちは最近は少なくなりましたが、戦前の新聞には怪異に関する記事がたくさんありました。民俗学者の湯本豪一氏が編集した『怪異妖怪記事資料集成』四巻(国書刊行会)が決定版とでもいうべき大著なので、そこから拾ったものをご紹介します。なお、読みやすくするため、意訳したものになります。◇◇◇◇◇怨霊土に潜む富岡女学校前の佃塚(後)大正11年6月24日/徳島日日新報その後この塚の田を整理すべく土を取
(一部抜粋)2024年7月27日~北九州市和布刈神社にて(7/20)~源平合戦壇ノ浦の戦いの合戦場お主達の光を頂き、この社も光輝く処となったこと、まずは感謝いたす。ここは源平合戦の戦いの場、多勢の者達が生命を落とした。無念であり、悔しさが、悲しみが、憎しみが残り渦を巻、いまだに海底に沈む者達の海の墓場であった。そなた達の光の柱によって長い間眠っておった者達がようやく天上界に戻れる道筋ができたことに礼を申す。どれだけ悲しい思い、悔し
2024年7月27日~北九州市和布刈神社にて(7/20)~源平合戦壇ノ浦の戦いの合戦場お主達の光を頂き、この社も光輝く処となったこと、まずは感謝いたす。ここは源平合戦の戦いの場、多勢の者達が生命を落とした。無念であり、悔しさが、悲しみが、憎しみが残り渦を巻、いまだに海底に沈む者達の海の墓場であった。そなた達の光の柱によって長い間眠っておった者達がようやく天上界に戻れる道筋ができたことに礼を申す。どれだけ悲しい思い、悔しい思いをしていた
【日本の城】源平水島合戦城趾岡山県倉敷市玉島浅口西国霊場常照院境内(第253世天台座主探題大僧正恵諦書)今を去る800年の昔、寿永2年(1183年)閏10月1日、木曽義仲の客将矢田判官代義清、信濃国住人海野弥平四郎行廣率いる源氏軍と、新中納言知盛、能登守教経率いる平家軍が、?条として風荒らぶ水島が途に凄絶なる海上戦を展開、世にいう水島合戦である。名にしおう味方の水軍に??に者共、いくさをはゆるに仕?そ、北国のやつばらに生け捕られむをば心憂しとは思わずやらと、絶叫叱咤する教経宿命
年中の時に歴史好きになった長男きっかけはMOVE日本の歴史でした『年長の長男を歴史LOVEにした図鑑!』現在、親の歴史の知識をはるかに超えた長男!1年前までは全く歴史に興味がなかったんですそんな長男が歴史にハマるきっかけを与えてくれた図鑑!それは、講談社の…ameblo.jp最初は特に蒙古襲来がお気に入りでしたそのつながりで鎌倉時代に興味を持ち、中でも源義経が大好きになりました今回、旅行の目的地の通り道に壇ノ浦古戦場があることが分かり、寄ってみることに壇ノ浦古戦場は、壇ノ
「日向坂ミュージックパレード」#10セリフ楽曲回を見ました。最初は正源司陽子と平尾帆夏の源平合戦でP丸様「ときめきブローカー」このMVかわいいですね^^源平合戦もかわいかったです!レイザーラモンRGさん登場であるあるやって、平岡海月によるソロ歌唱で、あたらよ「10月無口な君を忘れる」失恋曲を堂々歌い上げました。画面越しにみっちゃんにフラれた~~って気分になりました^^ってくらい迫真の歌唱!あたらよ最近知ったけど、こんなにバズってたの知らなかった。P丸様もめち
香川県は高松市レグザムホールにてたいへんお世話になりました浪曲の玉川奈々福先生曲師の美舟さん落語の林家つるこちゃんそして講談は貞鏡日本の三大話芸を一挙お楽しみいただくというとても素敵で嬉しい企画をしていただきましたとても温かいお客様に恵まれ最っ高に楽しかったです会場から那須与一が扇を射抜いた舞台屋島まではなんと‼️20分ぐらいとの事…!!!なんとしてと現地に伺いたかったのですが超タイトスケジュールの為泣く泣く断念……次回こそは絶対に屋島に行って絶対にうど
2022年8月に香川県高松市にある「屋島」に行きました。今回は屋島を散策します。高松市北東部に位置する屋島は、昭和9年に瀬戸内海国立公園並びに国の史跡及び天然記念物に指定されました。「メサ」と呼ばれる、水平な硬岩層におおわれ、周囲の一部を急崖で囲まれたテーブル状の高地で、大きな屋根のように見えるので屋島と呼ばれています。一番高いところは約300m、南北に約5km、東西に約2kmあり、山登りやハイキング、野鳥や植物などの観察ができます。屋嶋城跡や屋島寺、展望台や水族館もあるほか、
香川県に来ました!三大源平合戦の一つ『屋島の戦い』の記念碑!そして、那須与一が弓を放ったとされる場所にも行ってきました。ちなみに上に載せた画像の記念碑とか、屋島に関するお土産とかは、この画像の後ろに見える屋島山のほうにあるんです…。屋島城なる山城の跡もあるにはあるんですが…目的は源平屋島古戦場なのに、メインとなる碑石が山頂にある都合上、登山をする羽目になりました。武術探訪、また登山。帰ってから動画を編集します。とりあえず、山の上から以上です。
それでは続きです。前回の補足ですが、先日登米市にあります石越体育センターで行われた神楽大会に初めて行ったまとめとなりますコロナ禍中は殆ど神楽を見る機会がなかったのですが、昨年あたりから少しずつ、特に県北を中心に訪れておりますちなみに今回の石越体育センターは初鑑賞でした長く続いている大会だけあって、朝早くからの観客も多く、駐車場もほぼ埋まっておりましたさすが、皆さん熱いですね!!…気温も暑かったですが後半戦はこちらから…加茂流舘神楽《叢雲》登米市中田町よりおなじみ、スサノオノ