ブログ記事1,556件
降りた駅は須磨寺降りてすぐの商店街にあった顔出し撮りたいところでしたが誰かいたら撮ってもらいたかったわ笑太鼓橋が鮮やか源平一の谷合戦の舞台になったこと有名この時須磨寺は源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられています。平家物語で一番涙を誘う哀しい場面アニメで見たことがあったけど(子供か!)ちゃんと読んで見ようかな源平の庭八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭敦盛の首塚いいお天気だったので奥の院まで行こうといきなり道間違えて😢こっちだ
/高村七子⚽️(@7co_ta)さん/X/「平安時代の大河ドラマって初めてじゃない?」とお思いの方へ「源平合戦は平安時代です」/午後1:16·2022年5月11日//このポストの引用/X///平安時代って長いですよね。桓武天皇が平安京に都を遷してから鎌倉幕府が成立するまで約390年間…—歴史が好き🍀(@naruseyanoken1)December10,2024/午前7:48·2024年12月11日//HIROSHI(@hirosys_
図書館から借りてきた本です。もちろん南極探検の本は忘れませんが、自分にとっては歴史に興味を持つきっかけとなった義経を捨てるわけにはいかんのじゃ。そんなわけで義経関連の古戦場を。・一ノ谷正確には「福原の戦い」と呼ぶべきなのですが、なぜか搦手(裏)の極地戦にすぎない義経のほうがメインになっている不思議。平家物語も一ノ谷の逆落としを大きく取り上げ、範頼側は完全にスルーされてしまってますからねぇ。ちなみに当方は、一ノ谷における断崖からの突撃を否定する立場。近藤某
紅白で戦う源氏と平家昭和23年から始まったNHK紅白歌合戦の中での紅組と白組は源平合戦が基のようです。この紅白は源平合戦で掲げた旗の色が源氏は白、平家は紅(赤)だったからのようです。源平が用いた旗の紅白は、源氏については八幡神を崇拝し清らかな神の色である「白」、平家は太陽神の天照大神を崇拝し太陽の色を「赤」として紅(赤)の旗を用いたそうです。源平合戦では平家は赤地に金の丸、源氏は白地に赤丸の旗を掲げ戦いました。この戦いに勝利した源氏の旗が日の丸となっています。ちなみに紅白歌合戦
本巣市根尾との境になる尾並坂峠から西へ進んできた国道418号線は、かって越前街道とよばれていた。この美山地区は細長い集落になります。前に蓮華寺法幡禅寺等を承知いたしましたが、法幡禅寺から国道を西に少しいくと山沿いにある八角堂(真言宗)にいきました。この堂は紀伊国熊野の武将藤原家次が、大治元年(1126)に建立したと言われている。藤原一族は源平合戦にやぶれ一部生き残った人々が、この山里に住みついてこの八角堂の観世音菩薩を深く信仰し続けるたといわれています。この八角堂から西にいくと山戸口のバ
おはようございます先日、産直野菜のお店に少し大きめの丸いカブが売られていて、160円とお安かったので買って来ました。本当は大根が欲しかったのだけど、1本300円近くて…これで初めて千枚漬けを作ってみましたこれがめちゃんこ美味しくてビックリお砂糖が黒糖しかなくて、ちょっと色が付いちゃいましたが京都の漬物屋さんで買って来たよと言って旦那さまに出しても多分手作りとは思われないかも!というくらいの出来に,我ながら満足しかし残念ながら旦那さまは先週末はご帰宅されなかっ
2024年11月29日西村慎太郎です。来月14日の『第11回浪江を語ろう!』では「中近世の小丸村-「最も弄ぶべき絶景なり」-」という報告をする予定です🤩現在、その準備を進めているところですので、ぜひお越し頂くか、当日のYouTubeライブをご覧ください!!さて、その報告について現在準備中ですが、ちょっと先取りして大字小丸について記してみたいと思います。前回は小丸村にやってきた猪股範綱の末裔である能登守について。猪股範綱は源平合戦でも活躍した武将ですが、実は浪江町内に源平合戦にま
おちこんだりもしたけれど、私は元気です。にょんです。前回の投稿から2ヶ月近くも間が開いちゃいました季節外れな内容ですが、出張最終日のお楽しみ会です前回の内容はこちら15時過ぎに仕事が終わり、連泊でこのホテルに泊まればよかったと後悔はしたものの、次の予定も決めていたので佐伯市とは、「さ・よ・う・な・ら」野良ネコちゃんが、行かないで!と見ていた気がします佐伯駅から大分駅へ向かう電車の到着です「にちりん」様のお出ましだよ大分市内でホテルにチェックイン後
2024年11月28日西村慎太郎です。来月14日の『第11回浪江を語ろう!』では「中近世の小丸村-「最も弄ぶべき絶景なり」-」という報告をする予定です🤩現在、その準備を進めているところですので、ぜひお越し頂くか、当日のYouTubeライブをご覧ください!!さて、その報告について現在準備中ですが、ちょっと先取りして大字小丸について記してみたいと思います。本日は小丸村にやってきた猪股範綱の末裔である能登守について。すでに触れている部分があるので、そちらも合わせてご覧ください。
日本史において、政治的に大きな転換期は鎌倉幕府成立、明治維新、終戦であると考えている。その理由は主権の身分が変わることである。神話から始まった日本は大王、天皇、公家との流れを経て平安時代に到った。平清盛も武士でありながら自らの一族を公家にすることで政権を維持している。しかし治承・寿永の乱(源平合戦)で勝利した源頼朝が鎌倉幕府を開幕することで公家から武家へと主権が動いた。元暦2年3月24日(1185年4月25日)、壇ノ浦の戦いで平家滅亡。三か月半後の7月9日午刻(8月13日正午)に京都を大地
③紀伊田辺駅へひとり旅11月10日(日)①ランチタイム「銀ちろ」→鰻重2人、天ぷら定食(刺身付き)②ギャラリーユリイス→田鶴子さんの個展③海蔵禅寺→パンとコーヒー、そして日本文化闘鶏神社⛩世界遺産に登録→七五三👘の御参りで賑わってました。✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚弁慶観音(海蔵寺)について県文化財に指定されており、指定書によれば鎌倉期とされている。像は全体に煤黒く宝冠を頂き、胸にようらくをかけ、右手
七宝瀧寺からお近くの松尾寺に移動です。階段を登って行きます。松尾寺は源平合戦と関係あったんですね。一ノ谷からは距離ありますね。ちょっと行く気になれず。紅葉の季節は綺麗でしょうね。金堂念珠16/36
屋嶋城と書いて「やしまのき」と読みます。(Wikipediaには「やしまじょう」とも載っていましたが…。)3週間ほど前に屋島に登ったのは、この屋嶋城を観るのが目的だったんですが、登山で疲れてしまったので、屋嶋城見学は次回に持ち越しで、先日改めて屋島山上に行ってきました。今回はクルマで登って、屋嶋城まで歩く計画です。駐車場から屋嶋城に歩いて向かおうとすると、ボランティアの方が「良かったら案内しましょうか?」と。何と親切なんでしょう。嬉しい限りです屋嶋城だけではなく、源平合戦の話
神戸旅2日目まずはホテルの朝食からスタート普段、朝食なしのプランを選ぶのですが、今回は珍しく朝食付きのプランにしてみました。宿泊したANAクラウンプラザホテル神戸にて。朝食はビュッフェ形式と和定食が選べました。ここでもいつもならビュッフェ形式を選ぶところですが、あえて和定食にしてみました和定食は、京料理たん熊北店でいただけますどれもとってもおいしくて静かに落ち着いて食べられたし、これは和定食を選んで正解でした食後にチェックアウトして観光1日目はギャラリー北野坂で開催されて
数年ぶりの白浜へ♪途中で景色がキレイなスポット見つけました🏝️タイミングがよければウユニ塩湖のような写真が撮れるそうです天神崎天神崎の絶景|和歌山県田辺観光協会和歌山のウユニ塩湖!?天神崎の絶景条件が揃うとウユニ塩湖のような景色が見られると話題の天神崎。SNS映えする絶景をお楽しみください。天神崎ってどんなところ?ナショナル・トラスト運動の先駆けとして一躍その名を知られ[…]www.tanabe-kanko.jpまた近くに案内板が出ていたので寄ってみました⛩️闘鶏神
今日は2024年11月8日(金)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。今朝は録画をしてあったNHK-BSの情報番組「にっぽん百名山」を見ました。今回は香川県高松市の屋島でした。源平合戦に登場するところです。===========僕は昔高松市に住んでいたことが有ります。会社は高松の中心街家は屋島に住んでいました。・・・なのでとても懐かしかったです。懐かしいので僕のブログ記事から過去記事を振り返って見ました。過去記事
今日は2024年11月8日(金)です。僕は旅番組歴史番組が好きです。今朝は録画をしてあったNHK-BSの情報番組「にっぽん百名山」を見ました。今回は香川県高松市の屋島でした。源平合戦に登場するところです。===========僕は昔高松市に住んでいたことが有ります。会社は高松の中心街家は屋島に住んでいました。・・・なのでとても懐かしかったです。懐かしいので僕のブログ記事から過去記事を振り返って見ました。過去記事↓=
今回のテーマの一つ「斎藤実盛」平安末期を生きた武将1111年〜1183年越前国で生まれ、武蔵国長井庄を本拠とした為、長井別当とも呼ばれる鏡池篠原の合戦の際に白髪を染めるために使用していた鏡を沈めたという池途中、尼御前岬に寄り道して、実盛塚へ源平盛衰記にもあるように木曽義仲と斎藤実盛の話は悲しい話です。実盛の首を洗ったところ黒髪が白髪になって、木曽義仲は恩人を討ったことを知る。。悲しみに暮れる木曽義仲多太神社にも行きたかったのですが時間切れ。またの機会に。
こんばんは、mmm(まーママ)です。9月28日(土)アドベンチャーワールドのあとは、こちらの観光です。三段壁和歌山県西牟婁郡白浜町2927‐52三段壁(さんだんべき)は、かつての浅い海の底が隆起した海岸段丘で、高さが50m、長さが2kmにも達する海に直立する海食崖と波によって削られた洞窟(海食洞)が見どころです。入場料1,500円エレベーターで、この建物の地底36mの洞窟探検に行きます。平安時代、源平合戦で知られる熊野
『新作オペラ扇の的』観劇してきました(以下に公演のあらすじのネタバレを一部含むのでご注意下さい🙏)舞台は源平の闘いの終盤、一の谷の合戦~屋島(香川)。平清盛の甥、平敦盛に焦点を当てたお話でした。観劇して僕が感じたのは『生きよ!とにかく生きよ!』という先人達からの強烈なメッセージ。『苦しくても情けなくても生きて、生きて、生き続けた先に死がある』『だから死ぬ時は今じゃない』これは主人公の平敦盛と対峙する源氏側の刺客、熊谷直実(くまがいなおざね)のセリフです。熊谷は敵の有力武将で
この夏はとても暑かったので、なかなか神社やお寺さんに行けなかったのですが昨日は神戸市の舞子に行った帰りに神社とお寺さんに行ってきました。まずは、海神社。ずっと「うみじんじゃ」と思っていたのですが、正しくは「わたつみじんじゃ」のようです。この神社は「伊和神社」「粒坐天照神社」と共に「播磨三大社」と言われている神社だそうです。JR神戸線の垂水駅から徒歩1分・・・駅と繋がっているのかと思うほど近い場所にありました。このあたりは、海がとても近いので、一の鳥居を境内から見ると海がすぐそこで
薬を飲み終えたけど、まだまだ咳は続いてるので受診。だいぶ喋れるようになってきたけど、こないだYouTubeに合わせて歌ってみたらまったく音程取れなかった。追加で薬出て、次回再度レントゲン撮ろうと。感覚的には、徐々に回復してきてる気がするけど、まあ歌えるようになったら完全復活だろうか?先生的には「きちんと休養、療養できてない」と言うことらしい。まああの数値だけ見たら普通入院するからな…けど、今月はかなりスローペースに動いてたから自分としては療養は充分だと思ってた。10日前は少し歩いた
「関門海峡」に行きました。下関と門司をつないで関門という名称だったわけで、下関は山口県とは知っていましたが門司は何県?そもそも何市?本州と九州を隔てる場所を関門海峡と言うのも、いまさら初めて知った有様です。九州方面に弱いのです(特に)行ってみないと分からないことばかりでした。その代わりに、行ったことで途端に愛着が沸きます。本州と九州って、こんなに近かったんだ。すぐ目の前に見える陸地なのに、近くて遠い。色んな出来事が起こるのも当然です。巌流島の決闘や壇ノ浦の戦
徳島県小松島市は源平合戦の際に源義経が上陸した地点として、歴史ファンのごく一部にだけ有名です。今回紹介するのは船が着いた場所と伝えられている地点で、牟岐線の阿波赤石駅の近くのr120とr217の交差点がそれに当たります(多分ね)。交差点からちょっとだけr217に入ると踏切の傍に勢合の碑があります。分かりやすい由来。大阪から船団を組んで四国まで来たけど、嵐のせいで離ればなれ。この赤石港に船を集め、兵を整えてから出発したらしい。ホンマかいなと思うて地図を見
こんにちは。NADIAですスピリチュアルカウンセリングや過去世リーディング、守護霊様との交信高次元存在とのチャネリングを通して日々、みえない世界を学んでいます。プロフィールは、こちら↓スピリチュアルライフ~守護霊たちと共に生きる~NADIAさんのブログです。最近の記事は「メッセンジャーの使命を持つ人(画像あり)」です。ameblo.jpお大師様のご縁日(20日)に夫と一緒に須磨寺に参拝して来ました。護摩焚きへの参加と先祖供養と次男の就職祈願のお礼参りそして、佐藤和哉さんの
バスに乗って、壇ノ浦古戦場跡と和布刈神社に行きました。写メを撮り忘れたので、ネットから画像お借りしてます。壇ノ浦古戦場跡には、八艘飛びする源義経と平知盛が碇潜(いかりかつぎ)をした像が立っています。八艘飛び(はっそうとび)とは、源平合戦の壇ノ浦の戦いで、源義経が平氏随一の猛将である平教経から逃れるために船から船へと飛び移ったという伝説です。※某サイトからの引用です。和布刈神社潮の満ち引きを司り、「導きの神さま」とも呼ばれる月の女神「瀬織津姫(せおりつひめ)」を祭っているそうです。
歴史とメルヘンの街小矢部おやべ)義実家に帰省中、半日空いた貴重な自由時間行きたかった南砺市から帰る途中、隣の小矢部市で1時間だけ寄り道しました石川県と富山県の県境にある、小矢部市倶利伽羅峠くりからとうげここは、源平合戦で木曽義仲が平家軍に大勝した古戦場です牛の角に松明をくくりつけて奇襲した火牛の計(かぎゅうのけい)によって、勝利を収めたと言われています🔥🔥🐃小矢部市の岩動(いするぎ)駅前にある、火牛の計の像ですご当地マンホールにも火牛の計が描かれています春に帰
前回はこちら『屋島で朝ごはん』前回はこちら『高松夜ご飯』サンポート高松での午後の講演会が終わって、1Fの「四国ショップ88」でお土産とか見てるうちに外に出たら、すっかり陽が落ちていた。アー…ameblo.jpわら家さんの向かいには「四国村ミウゼアム」のチケット売り場。約5万㎡の敷地に四国地方を中心とする伝統的な古民家や歴史的建造物33棟を移築復元している野外博物館。古民家好きとしては行きたかったけど、あいにくのお天気のため、今回はあきらめました。ミウゼアム側から見たわら家さん。バス停
10月17日の歴史堀川夜討ち1185年10月17日堀川夜討ち源頼朝の密命で土佐坊昌俊が京都・堀河館の義経を襲った事件(源氏六条堀川邸跡)土佐坊は弟の三上弥六家季ら83騎の軍勢で鎌倉を出発17日に京の義経の館である六条室町を襲撃した義経側は手薄であったが義経自ら佐藤忠信らと共に討って出て応戦途中源行家の軍勢も義経に加わり土佐坊を討ち破る!!敗れた土佐坊は敗走するが義経の郎党に捕らえられ26日六条河原で梟首された義経は襲撃翌日の18日に後白河法皇から頼朝追討
過去も現在も戦争や紛争をたくさんしてきましたが、人は本来戦争をしようと思う生き物でしょうか。今まで世界中で起きた戦争のこと考えると人類歴史は失敗だったと思います。ではなぜ高度な知能を持っているのにあえて戦争の道を選ぶのでしょうか。それは戦争を起こす上層部の人間が悪人だからだと思います。人が傷つけあったり、殺し合っているところなどまともな人間ならば見たくありません。相当な悪がこの世を動かしているからそういうことが起きるのだと思います。RAPT|RAPT×読者対談〈第