ブログ記事957件
『渡来人』第10回(最終回)<奈良時代の渡来人>平安時代以降も絶えず少数の来住者があったが,日本史上で渡来人といえば,主として奈良時代ころまでの人々を指すのが普通である。奈良時代は、8世紀、平城京遷都の710年から平安京遷都の794年の85年間である。また、「日本」という呼称は内外とも7世紀末頃から使われ始めたようだ。●百済・高句麗の亡命者と奈良時代の渡来人2024年4月、理化学研究所の共同研究グループが、3000人余りの現代人の遺伝情報を分析した結果を発表した
『祖先の旅特別編Ⅱ:データから読み解く弓月の記憶』2025年。一つの科学論文が発表された。それは「弓月」という言葉を一度も使っていない。だが、そのデータを読み解くうちに、ひとつの確信が芽生えた——**「これは、あの旅の続きを示している」**と。ストロンチウム同位体、DNAハプログループ、出土地点。一見冷たい数字と地名の羅列の中に、確かに人々の足跡と決断の痕跡があった。それは、イリ盆地から河西回廊、そして新羅を経て倭国へと至る技術者たちの軌跡——弓月の記憶が、
『渡来人』第9回<飛鳥時代の渡来人>飛鳥時代は、蘇我氏が飛鳥の地で政治を主導的におこなった時期がその始めとみとめられるので、7世紀初頭がその始まりと考えられます。646年に実効性は疑われているが薄葬令が出され、このころから大型の前方後円墳がつくられなくなった。707年に文武天皇が火葬され、この八角墳を最後に古墳がつくられなくなる。また、飛鳥時代の成立区分が明確ではなく、ここでは蘇我政権が確立された7世紀初頭とします。すなわち、古墳時代は3世紀中頃~7世紀中頃で、飛鳥時代は7世紀初
八品神社(やしなじんじゃ)和泉国日根郡大阪府貝塚市澤840(P無し、近隣停め置き不可、近隣にコインPも無し)■祭神天櫛玉命風光明媚な脇浜・二色浜の海岸近く、貝塚市沢に鎮座する社。海岸まではわずか500m足らず。「近木川(ごぎがわ)」の河口部にあたります。◎櫛を祀るという稀有な社。貝塚市の特産でもあった「和泉櫛」発祥地として知られます。「和泉誌」に「櫛代詞」として、「在沢村相伝古昔調進伊勢斎宮御櫛千比」と記載があり、櫛の神として崇拝されていました。また「泉州誌」にも「近木櫛(
『渡来人』第3回<縄文人はどこから来たのか?>(縄文人)●概略縄文人は、1万6000年~3000年前まで北海道から沖縄本島にかけて縄文文化を成した。最新の遺伝学的研究では、縄文人の起源については次のように説明されている。縄文人は東南アジアで分岐しユーラシア大陸各地の集団によって形成された。日本列島に様々な移動ルートで渡来してきて、多様な遺伝子をもった人種から派生したとみられる。縄文人も、もともとは渡来人だ。日本列島に来るまでは、ホモ・サピエンスの「旧石器時代人」あるい