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『渡来人』第9回<飛鳥時代の渡来人>飛鳥時代は、蘇我氏が飛鳥の地で政治を主導的におこなった時期がその始めとみとめられるので、7世紀初頭がその始まりと考えられます。646年に実効性は疑われているが薄葬令が出され、このころから大型の前方後円墳がつくられなくなった。707年に文武天皇が火葬され、この八角墳を最後に古墳がつくられなくなる。また、飛鳥時代の成立区分が明確ではなく、ここでは蘇我政権が確立された7世紀初頭とします。すなわち、古墳時代は3世紀中頃~7世紀中頃で、飛鳥時代は7世紀初
『渡来人』第7回<古墳時代の渡来人>年代的には3世紀の前半に前方後円墳がつくられ始め、3世紀中頃に箸墓古墳がつくられる。大体、このころを古墳時代の始めとしている。646年に実効性は疑われているが薄葬令が出され、このころから大型の前方後円墳がつくられなくなり、707年に文武天皇が火葬され、この八角墳を最後に古墳がつくられなくなる。次の飛鳥時代は、蘇我氏が飛鳥の地で政治を主導的におこなった時期がその始めとみられるので、7世紀は中頃まで古墳時代と飛鳥時代が重複します。すなわち
於美阿志神社大和国高市郡奈良県高市郡明日香村檜前594(社前に1台程度のスペース有り)■延喜式神名帳於美阿志神社の比定社■旧社格村社■祭神阿智使主神夫妻二柱南東から張り出した明日香村「檜隈」(日前、ひのくま)の丘陵地の先端部に鎮座する社。◎東漢氏(ヤマトノアヤウジ)の始祖である阿智使主(アチノオミ)を祀る社とされます。彼らの氏神であり、境内には氏寺の檜隈寺もあったとのこと。◎東漢氏は後漢の霊帝の血を引くという(創作か)帰化系渡来人で、この辺りを拠点にした氏族。応神天皇
「多胡一族」が羊神社を創建していた・・・・・・・・・・・・❖・・・・・・・・・・・・「給羊」とある多胡碑を知ったからには伝説の多い「羊太夫」を祀るという[羊神社]を承知&参詣せねば当シリーズは先に進めそうもないかねてよりレアな「狛羊が鎮座する神社」として参詣の機会を探っていた筆者シニア改めて「給羊」を念頭に入れつつ狛羊に会いに参詣することに****************