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「アラハバキ神」という存在は女神だという説があったり、男神と言っている人がいたりして謎の神ですが、古くからの神であり、漠然と縄文時代の神のように思っていましたが、そうではないようです。きっかけはMuleさんのブログ記事でした。『出雲神族は龍蛇神を祀っていた』出雲神族の末裔と龍蛇族のお話です。こんにちは元霊的過敏症です。霊能力があるスピ嫌いな旦那と二人で暮らしています。前の記事を見ていただき、ありがとうございま…ameblo.jp『古代出雲王朝の末裔
はい!奈央です。曲り田遺跡にやってきました。曲り田遺跡は、福岡県糸島市にある弥生時代の遺跡です。魏志倭人伝に基づけば、伊都国に所属するムラです。菜畑遺跡と曲り田遺跡季刊「古代史ネット」第2号よりお借りしました。古代史(日本人のルーツを訪ねて)HPよりお借りしました。今、私が居る所は、左下の駐車場と野球場の間の③の場所ですね。曲り田遺跡の発掘場所の中心は、野球場の左上①のあたりですが、なんと、私は、そこに行けなかったのです。理由は簡単で、野球場に多くの人が来て
【総集編】「遅れていた日本は大陸から文化を輸入した」←嘘です。最新研究で次々と明らかになる本当の日中韓史で常識が覆る!【衝撃真実】最新研究で明らかになっていく本当の「日中韓史」とは…?00:00~中国史書の内容は完全に嘘!?常識を覆す古代日本の正史が判明25:45~渡来人が高い技術を持ち込んだ→大嘘!?教科書の定説がひっくりかえる!50:18~縄文時代最大の事件「アカホヤ大噴火」の真実で中国・朝鮮との歴史観が完全に逆転!?1:1...youtu.be【総集編】
日本の縄文人と渡来人の違いは方言のアクセントの違いにしか過ぎなかった!(Wikiより)参考縄文人の痕跡を現代人に探るゲノム科学で迫る先史時代日経サイエンス(2023年12月24日、参考)かつて日本列島の縄文文化を支えた縄文人の遺伝子は今どこにあるのか。現在の日本人集団は、縄文人の子孫と大陸からの渡来人の混血で生まれた。東京大学の渡部裕介特任助教と大橋順教授らは、日本の現代人ゲノムから縄文人に由来するとみられる変異を特定した。ゲノム上に散らばる"縄文人由来変異"の保有率を手がかりに、
中国の新型コロナ緩和政策後、上海では一気にコロナが蔓延しており、友人知人の間でも感染した、という話は珍しくない。約半年、このブログを放置せざるを得なかったが、実は、2022年夏、旦那さんの帰任に伴い、家族揃って本帰国した。多くの上海駐在者やそのご家族が上海を離れる際、涙したという話を聞いていたが、18年半と長きにわたり暮らしたにもかかわらず、全く涙は出なかった。出国直前まで残業続きで業務を引継ぎ、国際引っ越しの手配、息子の転校手続きなどによる睡眠不足が続いていたせいもあるが、家
最新報告「参考:①日本人のルーツ3集団小竹貝塚(富山)など6遺跡で人骨ゲノム解析」を見ると、日本人のルーツに三重構造モデルを提案し、従来の二種構造モデルを発展させている。しかしながら、「参考:②ゲノムが明かす日本人のルーツ」で明らかにされたように関西から四国の人が渡来系のゲノムを持ち、周辺の人々は縄文時代からの在来系のゲノムであったことと整合性が悪い。さらに、「参考:③-1と③-2稲作を伝えた渡来系弥生人は東南アジアから揚子江中下流域が起源」の結果が反映されていない。すなわち
2-1弥生文化の成立およそ2500年前と想定される縄文時代の終わり頃、水田稲作農耕が九州北部で始まったと考えられている。紀元前4世紀ごろには、水稲農耕の展開と金属器(青銅器・鉄器)の使用を特徴とする弥生文化が西日本地域で成立し、それはやがて東日本へと広がっていった。弥生時代は、石器(まもなく消滅)と青銅器・鉄器が同時に用いられた時代である。大陸文明の多くが青銅器時代を経て鉄器時代へと移行していったのと異なり、日本の場合、同時期に青銅器と鉄器の使用がはじまったため、青銅器は実用具
ヤフー知恵袋に『遣唐使などがありましたが、唐(トウ)という字を「から」と読みますよね。どういう経緯で、こういう読みになったのか疑問です。』と言う質問があった。例えば、・唐芋(からいも、薩摩芋(さつまいも)、またはトウイモとも呼ばれ、熱帯アメリカの原産で日本には17世紀に伝わった)・唐揚げ(からあげ、江戸時代初期に中国から伝わった普茶料理にあった)・唐衣(からごろも・からぎぬ、万葉集にも出てくる唐の衣装や平安時代の十二単の上衣)・唐傘(からかさ、洋傘に対する和傘の総称。唐より舶来したもの
明治維新とは徳川幕藩体制崩壊から明治新政府による中央集権的統一国家成立と資本主義化の出発点となった一連の政治的・社会的変革。始期・終期には諸説あるが、ペリー来航による開国から大政奉還・王政復古の大号令、戊辰(ぼしん)戦争、廃藩置県などを経て西南戦争までをいうことが多い。御一新。出典小学館デジタル大辞泉明治維新の核は、大英帝国(ドイツ系王室)とイエズス会に傀儡された薩長土肥(薩摩・長州(萩)・土佐・肥前)+肥後ですが、欧州王室と繋がりがあった徳川家も勝海舟を使い、明治維新を上手く利用し
渡来系氏族、秦氏は朝鮮半島の任那から渡来してきたことは、史実として認められているところであるが、ルーツは中国、朝鮮の何処かであろと通説では考えられていた。しかし、男性のY染色体のD2系統に着目すると日本人は元々、アジアを飛び越えて地中海、中東の人々に近い。縄文時代以前からユーラシア大陸の北のモンゴル経由、南回りで日本に渡来し、またはD系統以外の民族に駆逐され、中国大陸や朝鮮半島の他の民族と混血・定住することはほとんど無かった。弥生時代、O2b系統のY染色体を持った渡来系弥生人が西日本を中心に定
「賀茂県主族の伝説」神社に絡め、既に「秦氏」と「賀茂氏」について述べたのだが、これはほんの序章でしかなかった。ここからは、その何たるかをもう少し深く掘り下げて見たいと思う。まず「賀茂氏」の渡来時期について考察する。但し、「賀茂氏」この氏族は果たして渡来人なのかという問題がある。何故なら「記紀」のどこにも、賀茂氏族の渡来を示唆する記事は見当たらないからである。秦氏族とはここが大きく異なる点だ。先に、我が国の王(倭王・天皇家)の祖は、徐福ではないか、記紀神話はその象徴では・・