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文殊菩薩は、後に「龍趣尊上王仏(りゅうしゅそんじょうおうぶつ)」となられる存在であり、人間ではなく龍から成った菩薩であるため、その寿命は極めて長いとされています。過去七仏の時代よりも前から存命であるのも、そのためです。『法華経』提婆達多品第十二においても、大海の龍宮において龍族を相手に教えを説く文殊菩薩の姿が描かれています。龍樹菩薩は龍宮から大乗仏法を学びましたが、ナーガラージャ(龍王)が住む龍宮では、仏法が至宝として大切に守られています。龍樹が龍宮で「中観(ちゅうがん)」を学んだことと、文殊
おはようございます。部屋の温度は9℃。学会も新しい時代に入ってきたと感じる。AIを駆使し、人類を生命尊厳の大切さを実感させる取り組みだ。いつでも自分の不明なことを聞くことができる。師弟不二に欠かせない機能だ。使いこなして、自身の人間革命を成し遂げよう!今日もお元気で池田先生の著作・指導検索サービス「SOKAD.I.SEARCH」が今春から先行利用全国総県長会議で原田会長が発表【聖教ニュース】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,908件
さて、壮大な宝塔の場面が続く中で、釈迦牟尼仏は十方の仏たちに囲まれながら、未来の弟子たちへの大きなメッセージを語ります。それが、あの有名な「六難九易(ろくなん・くい)」です。六難(六つの難しいこと)仏はこう説きます。「世の中には、どれだけ修行を積んでも容易ではない行いがある。それは例えば――仏が滅度した後の悪世において、この経を説くこと膨大な経典を深く理解し、人々に正しく教えること仏が現れる前の時代に正しい法を説くこと迫害や中傷の多い世で大乗経典を広めること邪説や誤解を破り、
まとめ日蓮大聖人の御書「唱法華題目抄」は、法華経の題目である「南無妙法蓮華経」を唱えることの功徳(くどく)と重要性を説いた文書です。この御書では、題目を唱える行為が仏道修行の中でも最も尊いものであり、それが末法の時代における唯一の正しい修行法であることが強調されています。以下に、その内容を要約し、さらに深く掘り下げて解説します。要約題目の意義「南無妙法蓮華経」という題目は、法華経の全体を要約したものであり、仏の智慧そのものを表しています。この題目を唱えることは、法華経の教えを実践するこ
※質問集より抜粋「質問」・信心をしている人が貧乏や苦しんでいたり、人に迷惑をかけたりして、周囲の人が仏法を疑うようになった場合「法を下げる」ことになるのではないでしょうか。仏法上の罪にならないでしょうか。「回答」我々は、皆、過去からの罪障(ざいしょう)を抱えて入信しています。ゼロからのスタートではなく、マイナスからのスタートであり、その状態から罪障消滅を願い、幸せになることを願って仏道修行に励んでいるわけです。その仏道修行の途中においては、当然、足りない部分、至らない
七百年記念特集号のことば記録するということは、未来へ、真実の歴史を残すことである。昭和二十六年五月三日、会長就任いらい、立宗七百年を目指して、会員一同は、一丸となり、折伏教化に邁進して、大御本尊のご慈悲にこたえんとしたのであった。力なきわれらではあるが、御本尊の加護をこうむり、発願どおりに折伏の戸数一万を数え、登山の数四千を越えたは、望外の喜びである。これは、日蓮正宗始まっていらい初の大折伏であり、かつ一大団体の登山である。しかも、一糸乱れざる登山風景は、末代に誇るものがあっ
私は毎朝毎夕、勤行(※)をするときに人生の師匠である池田大作先生と心で対話しています。本日はその池田先生の三回忌という特別な日を迎えました。これまで創価学園や筑波大学での学恩の師の訃報に接するたびに、その御恩を忘れず報いる誓いを込めて、ささやかな追悼文を記してまいりました(学恩を胸に抱きて)。とりわけ母校創価学園の創立者である池田大作先生は、学園入学前に始まり卒業後の今日に至るまで大きな影響を与えてくださった人生の師ですから、2年前のこの日ご訃報に接したときから、どうにかして先生の御恩と感
※質問会集より抜粋・信心で病気を治せるのか「入信すれば、諸処の業病であっても治せるのでしょうか」大聖人は、富木尼御前(ときあまごぜん)が病気になったとき、「病なき人も、無常はまのがれがたし。ただし、としのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病にては候はじ。たとえ業病なりとも、法華経の御力たのもし。阿闍世(あじゃせ)王は法華経をたもちて四十年の命をのばし、陳臣(ちんしん)は十五年の命をのばしたり」あなたは、これまでに熱心に法華経
おはようございます。本日9月17日は、正五九の清瀧権現と千手観音の縁日です。二尊の縁日なので2連となります。ご了承くださいませm(__)m清瀧寺は『清瀧権現・善女龍王』にまつわる寺院であり、寺名の由来となっています。清瀧権現縁起では、今から1218年前の大同2年(西暦807年)に、当地(瀧山古墳群跡)に清瀧権現・善女龍王が鎮座され、当村の鎮守となり清瀧寺と清瀧神社が創建されたと記されています。通説では、清瀧権現・善女龍王は『沙伽羅龍王(さがらりゅうおう)』の娘で『牛頭天王(ごずてん
誕生堂さて天津小湊にやってきました誕生寺です何回か訪れていますが家族4人で来たのは初めてですね仁王門日蓮は、1222年(貞応元年)安房国東条片海(現鴨川市)の漁師の子として生まれた。父は元鎌倉幕府の役人で、訴訟に敗れてこの地に流されたと伝えられている。幼名を「善日麿」といい生誕伝説「三奇瑞」が残されている。生家の庭先から泉が湧き産湯に使った「誕生水」浜には青蓮華が咲いた「蓮華が淵」海面に大小の鯛が群れ集まった「妙の浦」
🕊️『龍神に愛された慈母菩薩〜観世音菩薩と八大龍王の霊縁譚〜』【序章】大慈大悲の光、龍界を照らす古より、観世音菩薩は「苦しむ者の声を聞き、必ず救う」と誓いを立てた菩薩として信仰されてきた──その慈悲は、地・水・火・風・空…すべての世界に届き、その声は龍神たちの魂にまで届いたという。特に八体の龍王たちは、仏法を護り、人々を災いから守る誓願を立て、観世音菩薩の加護のもとに生きる龍神たちとして伝えられている。【龍神の誓い】観音の名に集う、八体の守護神あるとき、末法の世が近づき、世に
こんにちは🙂今回は『開目抄』の中でも、日蓮大聖人が自らの大難をもって、法華経行者であることを証明される段を拝読します📖✨ここは、👉「なぜこれほど迫害が続くのか」👉「それは何を意味するのか」が、経文と現実の符合によって明らかにされる、非常に重い場面です。◆原文(御書)既に二十余年が間此法門を申に、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず。大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我身命に及。其上弟子といひ、檀那といひ、わづかの聴聞の俗人なんど来
※質問集より抜粋・自らの意思で仏道修行をすることのできなペットでも、こちらの唱えるお題目(南無妙法蓮華経)の功徳で成仏できるのでしょうか。「回答」たしかに、自らの意思によって仏道修行できるのは、人間に限られています。それは動物の中でも、人間だけが因果をわきまえることができ、その上から、仏法を信じて仏道修行に励むことができるからです。では、人間以外の動物は成仏できないのか、といえば、そうではなく、我々人間が行じた仏道修行の功徳をめぐらすことによって、成仏できるのです。こ
以下、『新編日本古典文学全集42・神楽歌/催馬楽/梁塵秘抄/閑吟集』(小学館、2000年)より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー巻第一今様[いまやう]p.18512新年春[はる]来れば門[かど]に松こそ立てりけれ松は祝ひのものなれば君の命ぞ長からん13春の初めの歌枕[うたまくら]霞[かすみ]たなびく吉野山[よしのやま]鶯[うぐひす]佐保姫[さほひめ]翁草[おきなぐさ]花を見捨てて帰る雁[かり]p.18614聞くにをかしき和歌の集は後
【八大龍王(はちだいりゅうおう)の海の王「沙伽羅龍王」―知恵と深淵を抱く龍】八大龍王の中で、もっともスケールの大きな存在それが、沙伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)です。「沙伽羅」とは、サンスクリット語で「サーガラ(Sāgara)」。意味はそのまま、「大海」あるいは「無限の海」。彼は大海原の王――海をつかさどる龍王です。古代インドにおいて、海は「智慧と無限性」の象徴でした。そのため沙伽羅龍王は、単なる水の神というより、深遠な知恵と宇宙の真理を知る存在として崇められてきました。仏典
〈池田先生と私〉総兵庫長河野一彦さん【企画・連載】www.seikyoonline.com
生徒に敬意をもって献身する教育者の中道「中道」とは決して左右の中間という意味ではなく、特定のイデオロギーへの執着を離れて1人の人間の尊厳を価値の根本においていく価値観です。この生き方は政治に限らず万般に通じます。私が「中道」を人生の規範としてきたのは私が教育の仕事に携わっているからです。教育の目的も「1人の学生・生徒の幸福」にあります。そしてその根本は学生に心からの敬意をもって接することだと恩師から教わりました。創価教育の父・牧口常三郎は32歳で大著『人生地理学』を著わした地理学の大家で、あ