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暁(一)和泉貞三はしみじみと、自分が歩んで来た世界以外に、力強い不思議な世界があることを感じ出した。罰と利益の海に抜手を切って、勇しく泳ぐ自分達夫婦は、怒濤に恐れぬ大魚の如くで、朝の出がけに、御本尊に合掌した清清しさを胸にだきしめ、勇気に充ちて職場へと出かける日常は楽しいものであった。おつやは、夫の出かけた後に、すくすくと育つ貞一を見まもりながら、この五ヵ月間の信仰生活を深く味いながら、近所の頼まれ物の針仕事をして、静かに毎日を暮らしていた。楽しみはその後
世間には道を求めている人は多いが、縁がなければなかなか仏法にあうことは稀(まれ)である。仏法との出会いがなければ真実の教えを聞くことはできません。しかし、そんなあなたに、仏陀のことば、釈尊のお言葉をご紹介いたします頑固さという錆(さび)がつかないように心は本来、頑固で、変化に適応できないのです。だから、摩擦を生じて苦しむことになるわけです。頑固さとは、無知、高慢、エゴ、怒り、欲、嫉妬などの感情から生まれます。ほうっておくと、それらの感情の「錆」
※本当の自分を極めていくのが、南無妙法蓮華経です。人類を救う100万人の法華経入門『妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三』について12「爾の時に一切衆生憙見菩薩、復自ら念言すらく、」爾の時に一切衆生憙見菩薩、復自ら念言すらく、「我是の供養を作(な)すと雖も、心猶(なお)未だ足らず、我今当に更舎利を供養すべし。」我是の供養を作(な)すと雖も、心猶(なお)未だ足らず、我今当に更舎利を供養すべし。仏様の葬儀をして、舎利を大事にして塔を建てて供養をしました。供養をし
今日も心と体を鍛えました。室内ウォーキング12,021歩スクワット30回3セット血圧123/8054お題目3時間半題目の力(4)<題目の力は全宇宙のすみずみまで届き、無間地獄の衆生をも即身成仏させる>日蓮大聖人は、「御義口伝」に仰せである。「今、日蓮とその弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄にまで至って、即身成仏させる。廻向の文は、ここから事起こるのである」(御書712頁、通解)題目
後の【人の心】の章で出てきますが、以下のようなストーリーは、文庫本にはありません。なぜ、文庫本の内容が違うのか。そして、文庫本の、「あとがきにかえて」戸田城聖とありますが、はたして戸田城聖先生の書かれた文章かな?と思います。私の常識では、師匠と思う人の書いたものを、書き換えることなんか考えませんけどね?時が経ち表現が不適当というようなこともあったとしても、時代が違うことの注意書きでいいのではないでしょうか。学会員皆さん、日本人なら理解できると思いますけどね。※私見上の部分のテキスト
『日蓮』(にちれん)鎌倉時代の仏教の僧。日蓮宗の宗祖。日蓮は、他の宗派を激しく批判しましたが、日蓮の主張はそれに留まりません。自分の考えを立正安国論という文書にまとめ上げ、それを鎌倉幕府に提出したのでした。それ故、他の宗派から激しく迫害、弾圧されるだけでなく、幕府からも迫害、弾圧されました。日蓮は、2度流罪になります。1度目は、伊豆。2度目は、佐渡島。佐渡島は、海の幸や山の幸に恵まれた素晴らしい地であると思いますが、冬は厳しい。そして当時ですから、いかに過酷
【第5回】地涌の誇りを胸に上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべし(寂日房御書(じゃくにちぼうごしょ)、903ページ)(通解)(法華経神力品(ほけきょうじんりきぼん)の「斯人行世間(しにんぎょうせけん)〈斯(こ)の人世間に行じて〉」の5文字は)上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)が末法(まっぽう)の始(はじ)めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明(こうみょう)をさしいだして、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇(や
迷夢(一)身延の本尊を妹からもらって来て、おつやをだまして、それを一生懸命拝まして、自分も時折拝んで、小泉さんを悪い人だと大先生が言ったと思い込まして。三ヵ月後におつやの家には大事件がおこった。おつやはじめじめした破れ畳にふとんをしいて、ねんねこ一枚かけたきりの貞一の熱ぽい顔をじっとみつめて涙ぐんでいる。手には、派手な長じゅばんを持ち、青ざめた顔で低い声で『南無妙法蓮華経』『南無妙法蓮華経』と唱えている。十六燭の電灯は八畳の部屋にうすぼんやりとともっ
六波羅蜜寺から清水坂を上っていると!洛陽十二支妙見巳の寺の看板を見て、今日は二の巳と思いお参りすることにしました。(実際は二の酉でした😁)日體寺は江戸時代中期の享保六年(1721)に、法華経折伏によって日蓮宗に帰依し、常照院日體上人により開創されました。境内にお邪魔します御本尊は久遠実成本師釈迦牟尼佛(お釈迦様)日體寺には京都十二支の妙見さんで親しまれる、巳の北辰妙見大菩薩が祀られており、災いを除き家を守る守護神(清水の鎮宅妙見)として信仰を集めています御朱印はこちらのインターホン
仏教と人類の叡智から学んで〜みんな菩薩になろう〜岡山に来ています!ご褒美旅行です✨✨信行道場入場前試験も終わったことだし、お経はあげているものの、他に自由にしています。神社仏閣が好きなのであちこち行き始めて何年くらいになるのでしょうか?でも、まだ6.7年ですね。特に今回も、ですが一人旅がいいです。今ホテルですが、新幹線の中からせっせと本を読んでノートにまとめています。…神仏系が多いですが、色々興味を持ったものまとめりあれこれ考えるのが好きです‼️今回はこの本を持ってきました
一生懸命に活動している人ほど気づきやすい、そうかがっかり、末端の信者さんは、生まれたときからですから、なんとなくそうしてきただけ、でも真実を知る人がどんどん増えて覚醒する人があとをたちません、世界を平和にしたいとおもっていたのに、一番真逆なことをしていた組織だったことにやがて気がついてきます、人間性が向上しているのなら、新聞に人を責めたり罵るような、酷い言葉など使いません、あるのは相手を許すこと、間違った事をしている人たちに対する慈悲や哀れみです、何も知らずにしていることですから。
京都東寺の池新幹線の車窓からもよく見える五重塔です。南無大師遍照金剛後嵯峨天皇は町中に蔓延している疫病を鎮静するにはどうしたらよいのかと、空海上人に尋ねられた。空海上人は天皇に「般若心経」の写経を勧められた。その後やむなく疫病は消えたそうです。「般若心経」はパウロ書簡のコリント人への第1の手紙12章、〈霊の賜物〉と〈キリストのからだとしての教会〉に由来すると私は考えてします。いろんな社会を煩わせる疫病をなくすにはどうしたらいいのかと、並木通りを歩きながら考える夕暮れ時がある。詩句
(六)貞三は大先生の顔をまぶしそうに見ながら『小泉が大先生に私の事をどう言いましたか知りませんが……』と言いかけた時、大先生は『小泉さんは何ら貴方の事をいいませんが、大法に照らして、はっきりと言い切る事が出来るのです。小泉さんは大善生活によって、運命を転換し得られましたし、貴方は大善生活の何物たるかも知らない。此処に幸福と不幸の別れ目があるのです』と、絶対の確信の態度である。女房がうるさくいう大善生活の本家本元がこの人で、この人がいるから愚にもつかない信仰を持ち出
お釈迦さまのお声!それは法華経の教えです。別の名を最上王経とも呼ばれ諸経の王でもあります。どんな衆生も救わずにはおかないという仏陀の方便の力は「法華経」のすばらしさです。不透明な日常生活を生きる私たちに❝仏陀のことば❞を法華経から抜粋してお届けいたします。こうなったら来世もやり直し☆増上慢(ぞうじょうまん)自分はこれで十分で、そんな教えは自分には必要ないと考えるのが増上慢の人である。仏の教え、絶対真実の教えがあるのに、それを聞こうともしない態度が
四、諸天善神とはこのように諸天善神は、御本仏のご化導を助け奉るにおいて、まことに重要な存在である。もし仏法を浅薄に理解して諸天善神の存在を軽視するならば、御聖意を如実に拝することはとうていできない。よって改めて、ここに「諸天善神」について説明しておきたい。まず諸天とは、その名を挙げれば大梵天王・帝釈天王・日天・月天・四王天などで、本来、宇宙に具わっている仏法守護の生命活動である。これを十界の上から論ずれば、まさしく天上界の衆生である。仏法は宇宙法界の衆生をそれぞれの境界にしたがって
今回はこういうお題でいきます。さて、最近パワースポットめぐりといって、お寺も神社もいっしょくたにして何ヶ所回られる方がいますが、本来、お寺と神社はまったく違うものですので、そのあたりのことについて書きたいと思います。まずは、外面的な違いですが、これは見ればすぐに分かりますね。神社は鳥居から入り、お寺は山門から入ります。ちなみに、お寺の門をなぜ山門というかというと、お寺の正式名はふつう、〇〇山△△寺となっているからです。あと建築様式も、神社は神明造りなど、日本古来からの建
第七章日蓮大聖人の一代御化導一、二十年にわたる御修学二、立宗三、立正安国論漢字です。続きはまた送ります。以下第七章日蓮大聖人の一代御化導一、二十年にわたる御修学日蓮大聖人は釈尊滅後二千百七十一年に当る貞応元年(一二二二年)二月十六日、安房国(千葉県)長狭郡東条の郷小湊に御誕生された。父を三国太夫重忠、母を梅菊女と申し上げる。十二歳にして仏法を学ぶ志を立てられ、近くの清澄寺に登られた。この頃の御心境を後年の四条抄には「日蓮は少より今生のいのりなし。只仏
(三)おつやは半分夫が可哀想にもなった。が知っているわけはないと思ったので、半分はからかい気分にもなり、『そんならどんな事が大善生活なの』『その……ウム……その』『言えないじゃないか』貞三は、赤くなったり、青くなったりしてうなった。『言えるとも……ウム……こうだ……ウム……世界中の人にただで入用のものを配給することだ』貞三は自分ながら感心したというような顔をして『配給で困る人のないように、どんどん物を造って、ただでくれることさ』『馬鹿も休み休み言いなさいよ、ただで
今日は妙法蓮華経の読み上げをしました三階無量義経徳行品第一全品二階妙法蓮華経序品第一全品一階妙法蓮華経如来神力品第二十一全品合わせてみなさんの絶対無事故絶対無事故絶対無事故元気はつらつ健康一番、亡くなった方の後生善処、お年寄りの更賜寿命を祈祷しました今回は人生140年の扉を開く祈祷もしました法華経当番日置智之
2023年5月1日FB投稿記事より皆様おはようございます。今年もGW期間に入りましたがいかがお過ごしでしょうか?昨年までと違い外に出られる機会が多いようですね!今日から五月に入りましたね!五月の事を皐月(さつき)と呼びますね、「さつき」とは、この月は田植えをする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったと言われています。また、皐には神にささげる稲穂の意味もあるようで、由来は卯の花が咲く月「卯の花月」を略したのが定説となっています。それでは今月の一句「新緑
如来と菩薩、菩薩と悟り、とは仏があなたという視点を通して自分は仏だったということに気がつく仕組み!宇宙とはただそれだけのもの!そのプロセスが声聞、菩薩、如来、悟り(独覚)は法華経に気づいてないんですけど、量子論、相対論、あとビックバン理論とかあと多元宇宙論に辿りついたのはこの独覚たちの文明ですね、7次元のこの発明ですね、多元宇宙論っていうのはですからこの独覚たちっていうのはですね結構橋渡ししてるんですよ、お釈迦様の教えまで、でこの多元宇宙論が独覚た
大善生活(一)和泉貞三は、もくもくと、あわい電灯に照らされた露地を通って我が家に近づいた。我が家と言っても六畳一間で八軒長屋の端である。がたがたと音をたてながら硝子の代わりに何枚も板を打ちつけてある戸を開けて家の中に入った。破れ畳にうすい蒲団を着て一人息子の貞一が寝て居る。うす暗い電灯の灯は人の心も滅入らせる。犬の遠吠えが聞こえる。夜も大分ふけたらしい。女房のおつやは、冬だと言うのに袷一枚で羽織も着ず、今日小泉先生の御宅であった、宗教座談会の感激を思
本日は、2025年度のスタートをきります。心と体の鍛えて老化stopです。ウォーキング12,120歩握力器右左各500回ラジオ体操血圧121/8446お題目3時間半題目の力(1)<題目の力は量り知れない>題目の力を、自分の小さな境涯で、「このくらいだろう」と推し量ってはならない。その功徳は、仏でも知り尽くすことができないと言われている。いわんや凡夫が勝手に決めつけるのは、増上慢です。御本尊の無量の功力を小さく見てしまう「弱い信心」であっては、御本尊の力
今から書写しようと思う人間革命の書かれている、戸田城聖全集(昭和40年12月10日発行)の『あとがき』ですあとがき事実上の本門戒壇堂である、正本堂建立御供養が無事終了し、その大成功は内外を驚嘆の渦に巻きこんだのであった。しかして、わが創価学会は愈々新時代を画するところの昭和四十一年黎明の年を迎えることになった。この意義深い時に、戸田城聖全集第四巻が発刊されることは、学会員一同の無上の喜びとするところである。恩師戸田先生は、日本国の滅亡の時にあたって、その再建の方途は、末法万年
第六章日蓮大聖人と釈迦仏の関係一、下種の本仏と熟脱の迹仏一般世間では、仏教の元祖はインドの釈迦仏で、仏法はすべて釈迦仏に始まると思っている。しかしこの常識は、近々わずか三千年の歴史において仏教を見たものに過ぎない。この広漠の大宇宙には、釈迦仏以外にも多宝仏・善徳仏・薬師如来など、無数の諸仏が存在することが経文に説かれている。これらを「三世十方諸仏」と総称する。そしてインドの釈迦仏は、この諸仏の中の一仏なのである。では、末法御出現の日蓮大聖人と、これら三世十方の諸仏はどのよう
牧口先生「価値判定の標準」㊤2024年11月18日《歴史を創るはこの船たしか》譬えを駆使して人々を救う仏法の精神戦時下の社会で「不善」の克服を主張牧口先生「価値判定の標準」(1942年2月)損得にとらわれて、善悪を無視するのは、悪である。好き嫌いが一時的で刹那的なものであるのに対して、利害や損得は永久的なものである。(同じように)利害が個人的であるのに比べて、善悪は社会的、全体的なものである。ゆえに、自分や家族の私益に目がくらんで、社会や国家の公益を害する者を悪人という。
【第2回】女子部は全員が幸福に女子部は全員が幸福に女人の御身として法華経の御命《おんいのち》をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母《おんぶも》の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提に有るべしや(日女御前御返事、1250㌻)(通解)あなたが女人の身でありながら法華経を信仰し、法華経の御命を継いでおられるのは、釈迦・多宝・十方《じっぽう》の諸仏の御父母《おんふぼ》の御命を継いでおられることになるのである。このような大きい功徳を持っている人は、世界中に、他にいるであ
11月17日、護国寺で宗祖日蓮大聖人第743遠忌お会式を厳修いたしました今年はなかなか寒くなりませんね・・・。綿帽子をお被りになられた大聖人もさぞ驚いておられるでしょう。。。さて、私たちはいつか必ず亡くなりますその時、私たちはどこへ行くのでしょうか?ちなみに臨死体験された方々が、口をそろえて言われるのが、大きな大きな川があったという体験実はこれは日本だけではなく、世界共通だそうです∑( ̄Д ̄;)なぬぅっ!!ヨーロ
ヨハネの福音書「原子と素粒子」【序】ヨハネの福音書1:3には、「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」と記されています。現在の量子力学では森羅万象を構成しているのは「原子」であり、さらにその原子はより小さな「素粒子」により出来ていると説かれます。したがって、ヨハネ1:3の「これ」は、「原子」および「素粒子」の意味だと考え得ます。このことを念頭に置いて、以下で「原子と素粒子」について考えてみます。1:1Intheb