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■奈良街道・三田家住宅から御劔神社(約200m)①奈良街道【飛鳥時代】整備飛鳥時代(西暦593~694年)難波津の四天王寺と斑鳩の里・法隆寺を無ずぶ街道②三田家住宅【江戸時代】建設西暦1768年(明和5年)重要文化財江戸時代の商家の建物。③了意川【江戸時代】整備された年月は不明※西暦1620年(元和6年)と1633年(寛永10年)におきた洪水の復興のために久宝寺村の「了意」という人物が水路として整備し、その後柏原船の運行が西暦1636年
現在の庶民の団地は郊外にあります。江戸の長屋も町はずれにあったものだと思っていました。しかし、調べるとイメージとは異なっていました。この絵は江戸の町のイラストです。道に面して店が並んでいて、店で囲まれた内部に長屋が並んでいます。どうやら長屋はこんなふうに町の真ん中にあったようです。お店とお店の間に入り口の戸があり、そこを開いて入ると長屋が並んでいるという構造のようです。落語「粗忽長屋」では、浅草に行き倒れがあり、それを見た八五郎が、同じ長屋の熊五郎だと感違えして、本人を連れて来ます(死んだ人が
先日、東京都水道歴史館(無料)に行ってきました。近現代の水道についての展示が面白かったのですが、特に気になったのが江戸時代の水道です。上の写真は、江戸時代の上水道システムとして使用された木樋です。そうですよね、江戸時代はコンクリや鉄の水道管ではないですよね。でもこんな感じだったのかと、すごくおもしろかったです。まるで柱をくり抜いたかのようです。木の継ぎ目や隙間には、ヒノキやマツなどの木の皮を詰めてパッキン代わりにしていたそうです。水を含むと皮が膨らみ、水漏れを防ぐ仕組みになっていまし