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『最近、イルミネーションの飾り付けしないよね。』と先日息子にふと言われました。家を建ててから、毎年少しづつイルミネーションを増やしていきクリスマスシーズンになると、庭のモミの木や色んな木だったりトナカイのモニュメントやナイアガラなどかなりの電球を飾りつけしていました。母が亡くなった直後はもちろんそんな気持ちになれる訳もなかったのですが、1年以上経った今でも気持ち的にそんな気分になれずもう飾り付けすることはないんじゃないのかなぁと思ったりしています。母が亡くなって、
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。以前こんな記事を書きました。どうしてこんなにも空を見上げるのが好きなのだろう?と思いながら再び空を見上げて気づきました。それは自分であり宇宙と繋がるからなんですね。どんな私のこともこんなにも愛してくれてこんなにも包み込んでくれる。たくさんの人の価値観にもみくちゃにされながら生きていく中で忘れかけた本当の自分。そんなただここに存在しているだけでいい価値ある存在であることを思い出させてくれるからなん
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。よく頑張ったね。よく頑張って今まで生きてきたね。色んなことがあったよね。ココロが空っぽになったこともあったよね。感情を失くしたこともあったよね。何で自分だけが…って神さまを恨んだこともあったよね。周りが華やいで見えて持って行きようのない怒りが込み上げたこともあったよね。ひとりで抱えるには重すぎて。けれどひとりで抱えるしかなくて。勇気を振り絞って話してみたら理解されなくて。何度もココロを閉ざ
本格的に部活が始まった息子。高校になったら部活やるのかなぁと気にはしていたのですが、中学校と同じ部活に入部することにしたようです。ユニフォーム代が3万5千円バス代やら遠征費や宿泊費めちゃくちゃかかりますね。公立なのに、毎月かかる出費が怖すぎますでも、息子が好きでやりたいのにお金がかかるからと辞めさせることなんて出来ないし、最悪仕事を掛け持ちするしかないかなぁと思っています。しかも、部活が6時半から7時ぐらいに終わる様です。学校から我が家までの距離は10キロ近くあるのですが、家
母がこの世を去ってから、昨日で1年半になります今週は息子の入学式で休みをとってしまった為、お墓参りは明日行く予定です毎日慌ただしく過ごしていて、1日1日があっという間に過ぎていきますが喪失感は大きくなるばかりです。亡くなったばかりのときは、本当に苦しくてたまらなかったし信じられなくて、気が緩むと涙が溢れてたのを思い出します。今でも、苦しさは変わりません。庭に咲いてる花を見ればこの花は母が植えたんだなぁと胸が苦しくなるし、息子の制服姿を見れば見せてあげたかったって涙が出そうにな
この写真は、両親と一緒に近くの植物園に確か10月頃に行った日のものです。お久しぶりのブログ投稿。皆さん、お元気にされてますか?気温差も激しい時なので、在宅介護をされてる皆さんにとってとても難しい時期かと想像できます。実は今日午後から、両親を看て下さっていた訪問看護事業所主催の「家での看取りを語ろう」というシンポジウムがある日でした。行きたい気持ちがありながらも、実は私も人生の大事な岐路に立っている今、色々やる事
介護ブログを書いていたのに全部消してしまいました。見て下さっていた方には申し訳ありません。母が亡くなってから、5月で丸2年が経とうとしています。父が亡くなってから、9か月が経とうとしています。実は、何故ブログを消してしまったかと言うと今でも、両親との思い出を思い出すのが辛かった頃ばかりです。勿論、介護が全て辛かったのではないのですが私の辛さではなく、両親の辛さを思い出す。苦しかったかな。きつかったかな。苦しそうだったな
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。朝目覚めると意識せずとも決まりきった『いつもの』行動をされている方も多いと思います。私も朝目覚めて食事の準備が出来たらテレビをつけていつもの番組を観ていました。その番組を観ながら内容云々というより時間をチェックし今日のお天気をチェックしていたんですね。でも例の通訳さん関連のニュースを連日するようになってからその番組ではなく違う番組を観るようになりました。何が事実で何が真実かもわからない中色んな
晴れたり、曇ったり、急な雨が降ったりまるで私の気持ちの様です父が亡くなって、日々の手続きはまだまだ有り泣いてる間もない程、電話をして問い合わせたり書類が届き記入して投函したり、役所にはもう4回も足を運んでおり祖父が町長をしていた両親の田舎のお役所に電話をしてなんだか田舎ならではの方言に癒されたりこういう死亡後の手続きは、もっと簡素にならないものか海外でも同じ様なのだろうか我が街の役所でも、最近驚く光景に出会う
母のいない世界は残酷な程に辛いなんてことも、美しいなんてこともなく、私の寂しさや悲しさを置いて過ぎていく。前日も夜中までおしゃべりして、翌日も会話をして、昼にはラインをくれた母さんが家に帰ってくることはなかった。病院についたら、既に心臓は動いてない、どうして?胃腸炎だって言ってたのに、何で心臓?パニくる私を置いて母は去ってしまった。母が亡くなって、すぐに私も死ぬことが頭をよぎりました。でも、私が病んで、「母が居なければ私は生きていられなかった。母が居なくなったら私も死ぬ」と言う度
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。大丈夫。そう言うと他人事だからそんな風に簡単に言えるんだと思われるかも知れませんね。不安を抱えている人にとっては現状のどこにそんな大丈夫と思える要素があるのだと怒りすら覚えるかも知れません。けれど他人事だから自分とは関係のないことだから安易に大丈夫と言っているのではありません。大丈夫とは信じると同義語です。今は不安にかられ目の前が暗闇に見えていてもいつか必ず光を見つけられると信じているから
母は病院で最期を迎えたので、葬儀社と連絡をとって、安置場所まで搬送しなければいけません。もちろん葬儀社についてもあらかじめ決めていたので、問題なく連絡は行うことが出来ました。死亡診断書と搬送に時間がかかり、家についたのは深夜でしたがそのまま葬儀社との打ち合わせです。そして、まさかの出来事が起きます。母が積み立てていた葬祭互助会の掛け金が使えない!!最近は色々な葬儀会社が吸収合併したり、名前が変わったり、業界再編が起きているのはなんとなく知っていましたが、まさ
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。長らくこのブログをお読みの方はご存知だと思いますが私は空を見るのが大好きです。空を見ると旅立った人たちのことを想い自然という大きなものに包まれている安心感を抱きどうしようもなく涙が溢れて来るのです。それは悲しみの涙ではありません。ままならない現状に対する歯痒さの涙でもありません。ただただ生きていることへの感謝の涙なのです。辛いことも悲しいことも含めての感謝の涙なのです。今という今まで生きて
どんなに寂しくても、悲しくても、辛くても、日々は過ぎていくんどなと痛感しました。まだ母が亡くなって一日しか経っていないんじゃないか?いやまだ生きているんじゃないか?なんて考えてしまいます。母が残していた私が昔折り紙で折った封筒母が亡くなって1週間と少し経った今日ブログを日記感覚で始めました。今日は一時間に一回ずっと泣いていました。母の車を見るだけで泣いてしまい、母の残していた私の折り紙で作った封筒が残されていることに泣き、冷蔵庫からまだ捨てることのできていない母の作り置きを見て泣き、遺
みんなの回答を見る今のブログタイトルにしたのは一年前の事でした。本当は2018年、父が亡くなった時点で変えても良かったけど、介護の思い出や経験についてまだ書きたかったのでその後5年も放置していました。何よりも未練があったからかな。父母と生きた時間が遠くなるにつれて悲しさや寂しさまで愛おしく感じてしまう時があります。もっともっと悲しみたい、悲しめば悲しむほどそばにいるような気がする、、、でもそんな感情に溺れてしまうと毎日がちゃんと過ごせないからやめときます。とりあ
私が母を殺してしまった。母が亡くなった原因は、まだ自分の中で直視することが難しく、意識的に思い出さないようにしています。ただ、私の不注意が原因であったことは間違いありません。二人っきりの時に起きた事故。危険だと分かっていたはずなのに。どうしてあんなことをしたんだろう。どうして気を付けてあげなかったんだろう。どうして何もしなかったのだろう。不幸な事故だったとか、仕方なかったとか、避けられなかったとか、運命だったとか、あなたの責任じゃないとか、周りが優しく言っ
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。最近テレビを観ながらよく笑うようになったなぁと思います。以前はバラエティ番組を観ても面白くないわけじゃないけれどだからと言ってガハハと笑うでもなくクスッと軽く笑う感じでした。それがこのところ気がつけば声を出して笑う自分がいてそんな自分に自分が驚いています。お母さんを失ってしばらくはバラエティ番組を観ることはまずなかったし笑いに感情が向かうこともなく何より笑うことそのものを自分に禁じていました。笑
久しぶりに新幹線に乗りました。久しぶりの新幹線は、ここは何処の国?と思うほど私達の周りには、ほぼ8割が白人の観光者でした。今回、旅行ではなく去年母の49日法要と納骨そして、今年は父の49日法要と納骨でした。お骨を抱えての新幹線父のは母のと比べて、密度の高い骨だったのでお骨の重みを感じながら今世を一生懸命生きた重みも感じながら母のお骨と父のお骨一年ぶりに出会い、これから一緒に居られますお天気は、曇り時々晴れ時々ちらほ
暗くなるつもりはないのに今年初めて、両親ともが居ないお正月を迎える大掃除をしながら、夕食を作りふとリビングに座るとがらんとした部屋一時は、父と母の介護ベッドがあった和室がらん・・・・。母の生前父の生前介護で疲れていてもお正月の雰囲気は欠かせないからと頑張ってお節を作った食べられなくなっても細かく切って食べられる様に今年は何もしなくていいんだ8月に亡くなった父の事最近はよく思い出す
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。昨日は両親の結婚記念日でした。カレンダーにもしっかりと♡をつけておいたのにお出掛けから戻って来て一息つくまですっかり忘れていた私。。。そのことに気づいて忘れていたことに対する動揺と何をしよう?と焦る私にそっと優しく囁く声が…。思い出してくれただけでいいよ。忘れていてもこんな風に気づくように思い出すようにサインを送ってくれているんですよね。それでも慌ただしくしていたらきっとそのサインを受け取れなか
昨日、2日遅れで母のお墓参りに行ってきました。先日の入学式の日、凍えるような寒さだったのに昨日は春を通り過ぎて夏かと思うような気温でした今年は桜の開花が遅いと言っていましたが、あっという間に桜は散ってしまいそうですね母のお墓は、少し山の方にあるのでちょうど桜が満開になっていてとても綺麗でした🌸綺麗な景色を見た時、母と一緒に見たかったと思ってしまいます。母が亡くなって1年半経ちますが、まだまだ受け入れられてません未だに、母という言葉を口にするのも辛くて躊躇してしまいます。今回は、息子が無事
自分の健康の話をしばらく書いていました。同じ悩みを持つ方のご参考になればと思います。同時に私も同じトピックの方のブログに訪問させていただいています。さてさて表題。近々母の生家のあった場所、そして菩提寺のある愛知に行きます。目的はお墓参りと「兄」に会うためです。「兄」は母が私の父と結婚する前に、別の方との結婚で生まれた男児です。母の前夫が他の女性を家に入れたため、追い出されるように離婚となりました。母は当時の環境ではシングルマザーとしては生きて行けず、泣く泣
この1か月の記憶がほとんどありません。亡くなってから葬儀までの数日は怒涛でしたしそれから1週間ほどは、疲れなのか、心の限界なのか仕事以外は寝てばかりでした。その後は、死後2週間以内という手続きや提出関係に追われ次々に処理をしているうちに気づけば1か月。私は一人っ子なので、他の子供と分担はできません。一人っ子で幸せに過ごしてきましたが、こういう時は少し兄弟姉妹を羨ましく思ったりもします。私の心や頭の整理もかねて私のような一人っ子や、ひとりで色々やらなければ
父が亡くなって、17日目。今日は、午前中市役所へ再び足を運び銀行へも寄り、父の保険を支払いに。今、父の物の書類関係がどんどん郵送されてきていて毎日、テーブルにひろげながら間違いのない様記入そして返送。そのくり返し。わからない事があれば問い合わせと事務仕事?も多い。私の歯科通院も、まだ続く。さて、母、父の生前は出来るだけ無添加の物無農薬の物を購入したり、食欲が出る様に簡単ではあるけれどバランスを考えたりしていたんです。
在宅介護の長年の日々の中で介護する側も、勿論色々な気持ちになります。仕方がない人間なのだから。。今、その在宅介護を終えた後どうしようも後悔の念が出て来るのですよ。どんだけ頑張っても後悔はあるよと聞いていたけど今、在宅介護を頑張る皆さん!大変な思いで、うううっと思う気持ちの中でふと落ち着いた時に、さっきは言い過ぎたなきつく言っちゃったなそう思ったら素直に、さっきはごめんね。そう、伝えてあげてほしいです。また、
私の突発性難聴手前は、まだ、すっきりとはいきません。ご心配コメントた~くさん頂いて、本当にいつも有難うございますこんな長くかかるとは思ってもいませんでしたいや、ご存知の方はそんな簡単ではないと思っておられるでしょう。薬は、ステロイドする程でもないし新陳代謝とビタミンB12の薬は毎日10日分処方され頓服用にめまいの薬を3種救急車🚑のお世話にならない為にも頓服として処方していますと先生まるで、昔時代劇で見た時の様にうっ、、、
母を亡くしてから、約1か月が経ちました。悪い夢という言葉があるけれど、本当にまだ夢の中みたいな気分。でも亡くなったのは現実で、私が平均寿命まで生きるなら母と過ごした時間以上の時間をこれから生きていく。気持ちの整理がつくまで、ブログを続けようと思います。
症状が出て初めて気づく無理していたこと8月5日に父が天国へ行きあれよあれよと日々が過ぎ悲しみなど感じる間もない程毎日毎日手続き関係に走り調べものをして役所法務局郵便局銀行に何回も足を運びました書類の整理問い合わせ身内とのやりとり父のお参りに来て下さる方の対応更にマンションの大規模工事の爆音の中で過ごす日々知らない間にストレスがどんどんどんどんどんどん
いよいよ、今日1日で2023年が終わろうとしています。皆さんの1年はどういう一年でしたか?我が家は怒涛が続いていました。今年、11年間の在宅介護を終えました。肩の荷はおりたのに心にポカンと穴があいた気持ちになっています。在宅介護をしていた頃認知症の母には、季節や行事を欠かさずしてあげたくて忙しいながらもやっていました。今年・・・・、喪中のお正月は去年と今年。お飾りも何もしないんだけど両親の笑顔の遺影を見ていて
約11年の在宅介護中母が歩ける間は、無理にでも連れて外の空気を吸いに出歩いたけれど歩行が困難になってからは、家の近所周りを車いす押しながら散策する程度しかなかった。介護が始まるまで、旅行やちょっと出が好きだった私はすっかり、介護の範囲での行動になり買い物に短時間出るだけでした。今回久しぶりの自然満喫近場ドライブ友達に紅葉見てないからと言ったら連れ出してくれた。有難い。自然の香り、土の香りが最