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ミラクルダイアリー予約受付中『ミラクルダイアリーNo.21』↓↓↓先行予約受付開始。4月30日まで【手帳サイズ・B6判】定価2750円先行予約価格→2475円【ノートサイズ・B5判】定価3300円先行予約価…ameblo.jp最近はセッション三昧!昨日とおとといとkin83の方が続きます♪このナンバーは私の青い猿がガイドになります!ますみさんありがとう😍KIN83のお一人はAさんからLINEで繋げて頂いたんです♪だけどやりとりしててなかなかタイミングが合わず、
今日はうちの弟のマヤ暦BD❣️みっこちゃん(私の母)が入院して余命が短いとわかってから弟も何度もお見舞いに来てくれた。みっこが亡くなって色んな手続きがあって二人で話すことが多くなって昔の弟と私の関係を思い出した。たった二人の姉弟。。二人とも結婚してなかなか会うことがなくなってたけど母の死をきっかけによくやりとりするようになりました。うちの子供3人は私の弟(おじさん)が皆お気に入り🤩なんならツボ!!面白さが半端ないw弟の子供達はいつものことだから慣れっこでシレーと
母と永遠の別れが来てしまった日曜の朝おはよーお母さんお茶飲みたいが?わかった明日市役所の人が来られて介護認定面談があるね生年月日言える?と話しとったらうんちがしたくなったってぇここでする?トイレでする?トイレに行くと言うけど歩くのは無理イスに乗せトイレまで押して行った便器に座ったり立ったりで疲れたようまたイスに乗せベッド側に戻っても立ち上がる元気なしでベッドにもたれかかる大丈夫?苦しいわもうすぐ弟
こんにちは🤗いつもいいねや、メッセージありがとうございます🙇今日は雨で雨だと気分もあがりませんね☔題名の件です🌳今日は久しぶりにヨガにいってきたいと思います❗元々体がものすごく硬くて将来寝たきりになりたくない!という思いからヨガをオンライン始めていたんですが母の死や離婚でやる精神的な余裕がなくなりさらに精神的なストレスで激ヤセしてしまったからか体が不調になってしまって💦💦短期間で七キロ痩せてしまいました特に上半身の痩せ方がすごくてあばら骨がクッキリ見えます💦ご飯も沢山
『初めての医療費控除。確定申告で29万も戻ってくる〜!』こんにちは✨ゲーム大好き、化粧品大好き、(オシャレじゃないけど)オシャレも好き、料理もお菓子作りも好き(片付けは苦手)な主婦トッチ〜です。夫と息子と娘…ameblo.jp『母が旅立ちました。』こんにちは✨ゲーム大好き、化粧品大好き、(オシャレじゃないけど)オシャレも好き、料理もお菓子作りも好き(片付けは苦手)な主婦トッチ〜です。夫と息子と娘…ameblo.jpだいぶ前になりますが。本当は忌中はどこも出かけたら良くないという事は
それぞれのやり方で、自分自身を解放し余韻を残す形で終わりを迎えました。ギジョンは、自分で髪を切りました。テフンからはメール”お父さんの誕生日にマッサージチェアはどうか””ノーノ―要らないわ誕生日はパスして下さい”ギジョン”分かりました””サンキューです”テフンは固いメールで、ギジョンは柔らかくでもメールを見る表情は、反対でギジョンは固い表情です。テフンがランチを食べている所にギジョンが入って来ました。「髪が...」とビックリするテフン「切りました」ギジョン「今
高血圧の薬を服用しはじめて、1ヵ月が過ぎた。これまでずっと乗り気ではなかった。だが、健診がきっかけとなった。会社に勤務しているころ、健康診断の結果が届くと、何故か“悪いところ自慢”になっていた。国保の特定健診になってからは、会社員時代の検査項目より少なく、頼りないので気にはなっていた。そこで今年6月に、勤務していたころに近い項目数の検査をした。7月に結果が届き、気になる所見がいくつかあった。その中のひとつが眼底検査だった。眼科受診を勧められ、受診
お母さんと昨年過ごした最後の桜🌸の季節が、今年も終わりました。桜のように可憐で美しかった。桜をみれば、あなたを思い出し、つつじをみれば、どの色があなただろうと想いを馳せます。私は、一人ではない。自然のなかに、あなたを感じ、生かされていることを一生懸命咲いている花をみて、教えられるのです。あなたは、もうこの世にはいませんが、自然のなかに溶けこんで、私を見守ってくれています。お母さん、ありがとう🤗✨https://profile.ameba.jp/
こんにちはりぃです前回はいつ投稿したのかさえ分からなくなっています。いつの間にか有料記事もREQUはサービス終了しましたと、なっておりました。せっかく買って読んでいただいたのに放置状態になり売り上げを現金化する事もなく無くなってるさて、鬱から復活し、ブログを再開するまでに気持ちが整ってきました。元夫からの不倫から母の死これからは前に進むだけです。数年前、元夫の不倫の最中、その苦しみをブログに吐き出していました(鬱がひどくなり、今までのブログを消し
母を亡くし、こんなにも「お母さんお母さん」と嘆いている私ですが、私はまさか自分がこんなにも母の死を引きずるなんて思っていませんでした。そもそも母が死ぬ日はもっともっと先の未来に起きる出来事だと思い込んでいたし、看護師として何十人、何百人もの患者さんを看取ってきた私にとっては、その時がきてもきっと冷静に受け入れられると思っていました。それに私たち親子は絵に描いたように仲が良い母と娘の関係というわけではなかったし、自立するのが早かった私は母がいないと生きていけないなんて思ったこともありませんでし
お母さんに会いたくて寂しい気持ち、お母さんが辛かったのを思い出して悲しい気持ち、色々後悔してる悔しい気持ち、いろんな辛い気持ちを紛らわせるために考えることがある。お母さんはわたしのことすごく大切に思ってくれてたから、お母さんよりわたしが先に死んでたらものすごく辛い思いをさせてたはず。そうならなくて良かった。みんな順番に亡くなっていくんだ。誰もが親を失う経験をするんだ。その経験をするのが少し人より早かっただけだ。逆に言えば、この先母を失くすという辛さをもう経験しなくてすむん
【2020年4月25日危篤状態の朝】のつづきです。11時半ごろに訪看さんが帰り、ひとりになった私。シーンとした部屋には、母がハァーハァーと呼吸する音だけがしていました。母の手をとり、しばしボーっと母の顔を見つめてましたが、口を開けて息をしている母の唇が渇いているようだったので、マウスケア用スポンジで口の中を湿らし、唾液を吸引器で取り、また母の手をとっていろいろ話しかけていました。((呼吸は苦しそうに見えないので危篤状態にも思えず、このまま明日を迎えられる気がしていました
さて、ジュリーのライブも東京、名古屋、大阪と無事終了しました。そして皆さまのブログを巡り読ませて頂いてジュリーの様子、興味深いMCなど~今回参加できなかった私も十分堪能することができました本当に感謝しています、ありがとうございましたそういえば今回の名古屋のステージのMCでも亡くなったお父さんの年齢とそして、5月27日はお母さんの命日だったと話していますよね・・・さて、ジュリーのお母さんが亡くなった日の続きを書こうと思います。今回フォーラムへ行くこ
暖かく…を通り過ぎて初夏のような陽気がいきなりやって来たので、薄い布団に変えました。バルコニーに置いている鉢植えの葉っぱもワッサワサになったので、テキトーに切り戻しました。このビオラとガーデンシクラメンは、昨年の11月ごろに母が植えたいというので一緒に買いに行ったものです。つい水やりを忘れそうになるのですが、なんとか頑張ってくれています。母が1月3日に亡くなって、もうすぐ4か月になります。先日4月11日が「百か日」でした。…って、特に何をするということはありませんでし
今日のブログは、あまり良いお話ではありませんし、とても長いです。あくまでも「記録」に近いので、ご容赦ください。1月3日に、母が急逝しました。77歳でした。12月25日に自宅で転倒。電話があったので慌てて帰宅すると、倒れて動けなくなった母が居ました。幸いスマホが届く位置にあり、電話を掛けられたそうです。痛い痛いというので動かせないため、救急車を要請。おそらく大腿骨を骨折しているだろうということで、搬送が決まりました。母は血液をサラサラにする薬を飲んでいるのです
『エルヴィス・アーロン・プレスリー(1935年1月8日-1977年8月16日)アメリカのロック歌手、ミュージシャン、映画俳優。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている、史上最も売れた音楽家の一人。「キング・オブ・ロックンロール」と称される。』(Wikipedia)エルヴィスの過食症は、ストレスが原因とされています。そこに加わったストレスの最大の要因は、両親が契約したトム・パーカー(パーカー大佐)というマネージャーが悪人で、お金を横領したり、次々と映画の契
父が弟を乗せ戻ってきました。昨日も朝一の新幹線で戻ってきて病院にいったのに、まさか翌日亡くなるなんて思いもしなかったと…。山を越えて少し落ち着いたと言っていたから、大丈夫なのかなぁと思っていたようです。弟も母の死を受け入れられないようで、母の顔を見れずにいました。ただ、昨日母が生きている時に会えて本当に良かったと言っていました。もし、最期会えずに亡くなってしまったら後悔しか残らなかったと…。今まで入退院を繰り返していたのも知らなかったから、余計に信じられない気持ちが大きいと言
夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
先日、地元の友人が✈️で私の住む地域まで家族旅行にきたので、空港まで顔を見にいってきました。(不安障害がありますが、少しずつ電車も練習中です🚃)高校時代にとても仲が良かった友人なのですが友人と最後に会ったのは、5年前。母の葬儀に来てくれた時以来でした。久しぶりに会う私を見て友人は、『大丈夫?やつれたね…』と声をかけてくれました。私としてはずいぶん元気になったつもりだったのですが元気なときの私しか知らない友人からしたら、やはり、やつれて見えるのですね展望台で飛び立つ飛行機を見な
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母と2晩ほど一緒に過ごし、火葬の日。いよいよお棺の顔の部分の蓋が閉じられるという瞬間。母の死後の顔は散々見たのに、これで見納めかと思うとなんだか妙に悲しくな
というわけで、母が死んでから今日でまるっと1年がたったわけで、叔母には「ーーさんの1周忌がすぐですね、天気が良い日に伺います」と言われたけれども、きてどうするのかというと、まだ骨壷が置いてあるだけで、2mくらい続く腰くらいの高さの本棚の棚板の上の端にコツンと置いてあるわけで、なんとなく骨壷感が酷かったので、クリスマスに100均で買った、シルバーと緑で、ところどこに赤い飾りがついて、いかにもクリスマスなツリーにかけるワサワサしたライン飾りを上にばさっとかけたままのやつがあるだけで、そこの隣に
四十九日法要のお坊さんの手配を依頼した翌日、葬儀の時にお経をよんで頂いたお坊さんから電話がかかってきました。(お坊さん)「四十九日法要の確認のお電話をさせて頂きました。当日私が先に予定が入っておりまして同じ寺から別の者がお参りさせて頂きます」(私)「よろしくお願いします。場所はおわかりになりますか?」(お坊さん)「はい、ご自宅ですよね。何かご不明な点やご心配なことはございますか?」(私)「”過去帳”をまだ書
『自分が死んでしまったらこのコは一体どうなるんだろう、、』母は障害のある兄のことをそんな不安を抱えながら死ぬまで子育てし続けたのかもしれません。「だから私は元気で、少しでも長生きしないと、、」そう思いがんばり続けていたのかな言い方を変えれば、だからこそ、母は年の割にしっかりしていたのかもしれません。小さい頃、母からはよく「たった二人のきょうだいやから仲良く助け合ってね」と言われていました。でも私は、自分よりも
ちょっと更新の間が空いてしまいました。本当はもうちょっとこまめに更新したいのですが、なかなか気分が乗りませんでも日常のこと、何よりもマルコのことを書き残していきたいので、頑張りたいですね。さて。先週末に、こんなに華やかなお花を母にいただきました。母が好きそうな、華やかで可愛いお花です。我が家でたこ焼きパーティー=タコパをやったのですが、そのメンバーが持ってきてくれました。母が居なくなってから、マルコと二人だけになった我が家。私を入れて総勢7人!!
母が亡くなった後にやる大切なことの一つに■STEP5残された家族の生活を整えることがありました。そう、一人残された「兄の生活を整えること」です。きょうだいとはいえ、私には兄が「母の死」をどう受け止めているかということまではわかりませんでした。もちろん寂しいし、悲しいだろうけど兄は母の看取り期にも葬儀の間も思ったことをほとんど口にださなかったし泣くこともありませんでした。私の兄は、30歳を過ぎてから障害者認定を受けて高
母が亡くなった後、たくさんの届け出や手続きに追われてあっという間に月日が流れていきました。<亡くなってからの手続きの流れ>※(★)をクリックするとそのページにリンクします■STEP1看取り後医師による死亡確認と死亡診断書の受取り…(★)↓施設へ駆けつけてもらいたい人へ連絡する↓葬儀社を決めて連絡する…(★)死亡届の提出(葬儀社が代行7日以内)↓遺体の搬送と安置…(★)↓遠くの親戚への連絡…(★)
平成が終わった年の1月31日に、母を看取りました。小腸癌で、発見時はすでにステージ4。主治医からは緩和ケアしかないと言われながらも、癌の統合医療を専門にしている弟のおかげで、さまざまな治療ができました。最期は、母が結婚する前に長年勤めていた病院に入院させていただき、親友の看護師さんと、父がつきっきりで看病してくれました。私も片道500キロの距離を車を走らせ、お見舞いに行ってました。ある日、病室の母が、「雪が☃️みたい」と言いました。起き上がる力はもう無かったので、ベッドを起こすと「
お役所関連の手続きが終わったら次は民間サービスの解約手続きです。こちらは手続きせずに放っておいても誰も文句は言ってきませんが、停止するまで、お金は黙って引き落とされ続けていきます。コワイコワイ、、(^-^;最低過去一年分の引き落とし状況を母名義の通帳で確認しておきます。母は住宅型有料老人ホームに入居していたので、月々の支払いで一番金額が大きいのはホームの利用料でした。その中には、・部屋で使用した光熱費(電気・水道)・食費も含
父と母が障害のある兄のために残してくれた兄がこれから生きていくためのお金それは、今後の生活費であったりいずれ誰もが必要となる医療や介護の費用ともなりうるお金でした。兄は自分名義の銀行口座をいくつか持っていましたが今までのものと一緒にしてしまうと「知らん間になくなってたー」となっても困るので新たな口座を作ることにしました。(兄は使うより貯めることが趣味のような人なので誰かに騙されたりしない限りはたぶん大丈夫なんですけどねー)
みんなの回答を見る今のブログタイトルにしたのは一年前の事でした。本当は2018年、父が亡くなった時点で変えても良かったけど、介護の思い出や経験についてまだ書きたかったのでその後5年も放置していました。何よりも未練があったからかな。父母と生きた時間が遠くなるにつれて悲しさや寂しさまで愛おしく感じてしまう時があります。もっともっと悲しみたい、悲しめば悲しむほどそばにいるような気がする、、、でもそんな感情に溺れてしまうと毎日がちゃんと過ごせないからやめときます。とりあ