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こんにちはみなさま、いかがお過ごしでしょうか。新年のご挨拶から一ヶ月もたってしまい、ご無沙汰していて申し訳ありませんでしたそれにもかかわらず、寛大なお気持ちでこのブログを読んでいただいている皆様には、心より感謝申し上げます。今年最初の記事ですが、久しぶりに日本史の女性を取り上げたいと思います。今日ご紹介するのは、時代は戦国時代、かの有名な武田信玄の側室で、武田勝頼の産みの母である、「諏訪御料人」という姫です諏訪御料人は、1530年に、諏訪頼重と側室の小見氏の娘との間に生まれま
いよいよ今週金曜日に迫った合戦イベント「甲州征伐」。今日は総攻撃と大手柄武将に関する発表です!スケジュールの発表時に、システムに大きな変更はないと書きました。ただ、今日発表の大手柄武将に関してはいつもと違う点がありますので、最後までよくお読みくださいませ。まずは総攻撃の回数から。総攻撃は、織田・武田両軍ともに2回ずつ予定されています。これまで通り、総攻撃は前もって部隊長によって予告されます。続いて大手柄武将について。織田軍の大手柄武将毛利長秀丹羽氏次金森長
先ごろ「信玄公祭り」を覗いてきた…というよりも実際は甲府在住の友人と飲んできたわけですが、甲府まで出向いたついでにひとつ立ち寄りを。先月のはじめ、石和温泉に出向いた際、駅の観光案内所で展覧会告知のフライヤーを目にしていたものですから、折を見て出かけようと思っていたところでして。ひと月経って、折しも桜満開の山梨県立博物館を訪ねたのでありましたよ。その山梨県立博物館では開館20周年記念特別展として『武田勝頼-日本に隠れなき弓取』展が開催中。武田勝頼といえば、信玄の衣鉢を継ぐ大将とも、武田を
現在、東急リバーサイドホテルが建っている場所は、三枚橋城の南曲輪があった場所であり、「上土」と呼ばれています。天正年間(1573年~1591年)武田勝頼によって三枚橋城が築かれた際、城の堀を掘った余りの土を積み揚げた地域であり、上土は揚げ土に由来していると言われています。上土にある三枚橋城外堀跡の碑石碑は発掘された石垣の一つです。平成6年、東急リバーサイドホテルの建設現場から大量の石垣が発見され、三枚橋城の外堀はかなりの規模だったことが判明しました。武田勝頼の時代にこのような石垣があっ
本日お昼12時、2026年最初の合戦イベント「甲州征伐」がついに終戦を迎えました!!その結果、勝利を手にしたのは織田軍でした!!まずは参戦されたすべてのみなさま、大変お疲れ様でした!軍功の経過を振り返ってみると、初日は織田軍がリード、翌日は一転武田軍が10万前後リードを保つ中で戦況が明けました。が、その翌日には織田軍が再逆転してそのまま一回目の両軍同時総攻撃を迎えます。総攻撃終了時の軍功差はたったの5,000(!)、そのまま織田軍がほんの少し優勢な状況で推移しますが、
全国的に寒い日が続きますが、こちらは徐々に暖まって参りました!!合戦イベント「甲州征伐」の告知が続きます。今日は、両軍の部隊長と陣中見舞いが決定したのでお知らせいたします!織田軍は、当時信忠の直属であった森・河尻に、信長が付属させた織田有楽・滝川一益を加えた陣容です。さらに武田家から離反して甲州攻めの先鋒を果たした木曽義昌の姿も見えます。武田軍は、親類衆の信豊(勝頼従弟)、信廉(同叔父)、盛信(同弟)が馬を揃えます。また、当時勝頼を岩櫃城へ迎えようとしたともいわれる真田昌幸、
本日14時、合戦イベント「甲州征伐」がいよいよ開戦となりました!!今手元の時計は16時、まさに開戦したてで戦況はめまぐるしく動いております!今回の合戦でも細かい改修は実施されておりまして、みなさんの使い勝手に少し影響があるかなと思われる部分について一つだけ補足しておきます。注進(申し上げます!)の画面で、これまでは投稿内容を以下のように絞り込み表示することができました。実戦活用情報含む|のみ|除外これが以下へと変更となります。すべて|実戦活用情報のみ