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今回はノスタルジーの旅。念願の高天神城に行ってきました。実に30年ぶりの攻城となります。私が覚えていることは、神社に行く階段の途中にお稲荷さんがあってそこでお祈りしたら宝くじが1万円当たったということ。あと牢を見た覚えがあります。昔大河ドラマの武田信玄に出てきていたのを見て連れて行ってもらいました。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われ、今川⇒徳川⇒武田⇒徳川といったように持ち主がじゃんじゃん変わります。武田信玄をもってしても攻め落とせなかった(無理攻めしな
TOP>戦乱の旅TOP>信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い「武るるん♪日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」、戦乱の旅です。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅を紹介していきます。このページはブログ更新のたびに随時追記してきますので、よろしくお願いします。表題大文字をクリックすると記事に飛びます。1.憎しみの岩村城攻め岩村城主・遠山景任は織田信長の叔母・おつやの方を娶り織田家に属す。景任死後
【御朱印なし】ここは新府城という山城で甲斐武田氏最後の城です。天正9年(1581)2月、武田勝頼公が築城に着手してわずか10ヶ月で新府城は完成(?)。しかし天正10年3月3日、織田軍の侵攻を前に自ら城に火を放ち勝頼父子は天目山で自刃をとげるのです。だいたい合ってる?落城と共に焼失した城の鎮守社を再建し、勝頼公を合祀したのが藤武神社です。徳川さんありがと〜。藤井庄と武田庄を見下ろす地にあるので藤武神社という社名が付いてるそうです。一気に上がってきたから気づかなかったけど結構な
久しぶりに山梨県へドライブしてきました。9時半ごろに家を出ました。いつもながら計画性のないドライブです。ドキドキの初めての神社へ初鹿野諏訪神社に行きました。地図をお借りしました。ここは登山者のよく利用する甲斐大和駅が近いです。こちらからバスに乗って大菩薩嶺の付近の上日川峠に行く人が多いです。神社の前に駐車場があります。そこで車をとめてゆっくり周りを散策しました。早速お参りしました。いい登山が今年も沢山できますようにとお祈りしました。大菩薩嶺に
2022年10月10日JR東海のさわやかウォーキングに参加しています。中央線の奈良井駅を下車して、奈良井宿の街並みを通り抜けると、いよいよ中山道の鳥居峠口になります。中山道の街道道には、山栗の木がたくさんありました。栗の実が入ったものも落ちてましたが、拾っている時間はありません。なぜならば、今にも雨が降り出しそうだから雨に降られないうちに峠越えしたいのです。道は細いですが、整備されているので通りやすいです。ぽつり雫が垂れ
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」、武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅、武田(典厩)信豊の最期を紹介します。甲州征伐、一年ぶりの久々の更新です。放置ですみません(^_^.)勝頼とは信頼しあえる一族衆であった武田(典厩)信豊武田信豊は武田信玄の弟・信繁の子であり、勝頼にとっては従弟にあたります。「甲乱記」によると、勝頼とは竹馬の友、一族の中でも格段の盟友、というような間柄であったそうです。また、政務につ
こんばんは!朝に引き続き、近況書いていきます〜2024年3月!(追い着いた!)newみっちゃん、公文算数A教材突入!!!足し算できないできないの状態からよく頑張った本当に尊敬です博物館マンスリー月初に行った千葉県立中央博物館が良すぎて、(勝手に)博物館月間に指定!マンボウのマネするお子たち。亀パカッと標本!甲羅に骨ビッシリくっついてるのが一目瞭然!↑触ってオッケーなお部屋。ここのお部屋でお絵かきとかしまくりました!写真うまく撮れなかったけど、蛇ちゃんいました!脱皮の話
本日17時30分、いよいよ2024年最初の合戦イベント「長篠の戦い」が開戦しました!!と、過去形で書いてみたものの18時更新のこのブログ、今日は15時頃に書いてるので実際には今はまだ開戦してません。果たしてどんな緒戦が繰り広げられているのか、楽しみでなりません。今回の合戦イベントでは、クエストイベントも実施します。同じく17時30分よりスタートしています。クエストイベントとは本来、家臣団コレクション内の“クエスト達成に必要な武将”が古戦場跡で一気に発見できるものです。さ
武田信玄や武田勝頼の時代の甲斐(山梨県)の武田家を記した軍記物語の甲陽軍鑑には国を滅ぼす大将を4タイプあげています。馬鹿な大将。利口な大将。臆病な大将。強すぎる大将。甲陽軍鑑は軍記物語であり、史実としては不確かですが、教訓として読むには良いものです。馬鹿な大将は当然に国を滅ぼします。織田信長のようにわざと馬鹿であるように見せ、敵国を油断させる大将ならば別ですが、本当の馬鹿では国を滅ぼします。自分を馬鹿ではないと自負し、賢ぶる大将も馬鹿な大将と言えましょう。馬鹿ではない大将とは部
長篠古戦場跡(愛知県新城市)先日、アプリでは合戦イベント「長篠の戦い」の陣触れが発せられました。他方、現実世界では一足早く花粉との戦いが開戦しました(T∇T)そういえば5年前の公式ツアーで長篠古戦場周辺をめぐった時も、花粉で意識朦朧としてた記憶が蘇ってきました。歴史って繰り返すんですね。合戦イベントに話を戻しましょう。本日は各種日程の発表です。「長篠の戦い」は、以下のようなスケジュールを予定しております!【開戦日時】2024年03月13日(水)17:30
長篠城(野牛郭)跡今日は、昼の長さ軍と夜の長さ軍の時間がほぼ拮抗する「春分の日」。アプリの中でも、織田・徳川軍と武田軍の勢力がほぼ拮抗して非常に熱い戦いが繰り広げられています。そんな中、例によって今回も合戦にまつわる「よくある質問」をまとめましたので、初陣の方はもちろん、歴戦の兵の方々もぜひご一読頂ければと思います。損はしません。Q.総攻撃“2回ずつ”は何の回数?A.「長篠の戦い」では、総攻撃は“両軍ともに2回ずつ”と以前告知しています。これは軍単位で数えた
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。今月の信州の旅より紹介いたします。高遠・建福寺。武田勝頼公が高遠城主を務めた際にお母上である諏訪御料人を供養したと伝わる位牌やお墓があります。その後保科家の菩提寺ともなり、武田家とも縁の深いお寺となっています。創建は1176年、文覚上人が本堂裏手の「独鈷の池」あたりに開いたのが始まりとされています。鎌倉時代、建長寺を開き、円覚寺建立にも大きく関わった蘭渓道隆(=
2018年11月11日JR飯田線の長篠城駅にやってきました。秘境駅もあるローカル線なのですが、電車は通勤ラッシュ並みの混雑でした。もちろん、目的は「さわやかウォーキング」への参加です。怒涛のようにやってくる、人・人・人。昨日の高山線のウォーキングとは全然違いますね。お姉さんから地図をもらってスタートします。今回は、長篠の戦いの地を巡るコースになっています。長篠の戦いとは、戦国時代の天正3年5月に、三河国長篠城をめぐり、
本日9時30分、合戦イベント「長篠の戦い」が終戦しました。結果は、織田・徳川軍の勝利となりました!勝利した織田・徳川軍のみなさま、おめでとうございます。そして、「長篠の戦い」に参加頂いたすべてのみなさま、誠にお疲れ様でしたm(__)m今回は久々のフルサイズの合戦イベントということで、色々なものが長かったです。開戦後、混戦模様から明けるまでもいつもより時間がかかり、明けた時には織田・徳川軍が約9万軍功勝っていました。早朝から午前は織田・徳川軍が押し、一進一退を経て日付が変
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。信州高遠の記事の途中ですが、ここで今月開催された武田氏に関する伊那市高遠町と山梨県韮崎市の共同イベントについて紹介させていただこうと存じます。長野県伊那市高遠町は武田勝頼公が高遠城主を務めた地、そして山梨県韮崎市中田町にはその勝頼公が築城した新府城がある地です。この二つの市はこの武田勝頼公の縁で結ばれ今年で交流50年の節目を迎えました。そして先日まで開催されてい