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いよいよ今週金曜日に迫った合戦イベント「甲州征伐」。今日は総攻撃と大手柄武将に関する発表です!スケジュールの発表時に、システムに大きな変更はないと書きました。ただ、今日発表の大手柄武将に関してはいつもと違う点がありますので、最後までよくお読みくださいませ。まずは総攻撃の回数から。総攻撃は、織田・武田両軍ともに2回ずつ予定されています。これまで通り、総攻撃は前もって部隊長によって予告されます。続いて大手柄武将について。織田軍の大手柄武将毛利長秀丹羽氏次金森長
こんにちはみなさま、いかがお過ごしでしょうか。新年のご挨拶から一ヶ月もたってしまい、ご無沙汰していて申し訳ありませんでしたそれにもかかわらず、寛大なお気持ちでこのブログを読んでいただいている皆様には、心より感謝申し上げます。今年最初の記事ですが、久しぶりに日本史の女性を取り上げたいと思います。今日ご紹介するのは、時代は戦国時代、かの有名な武田信玄の側室で、武田勝頼の産みの母である、「諏訪御料人」という姫です諏訪御料人は、1530年に、諏訪頼重と側室の小見氏の娘との間に生まれま
5月5日火曜日端午の節句こどもの日大河ドラマ「豊臣兄弟」主要登場人物山県昌景(石井一影)山県昌景/山縣昌景(やまがたまさかげ)戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。武田家の譜代家老の飯富虎昌の弟とされているが、甥であるとも言われている。戦国時代の飯富氏の一族では武田信虎家臣の飯富道悦の息子とみられる「源四郎」が永正12年(1515年)10月17日に西郡の国人の大井
どーも、castom98です。最近、長野県阿智村関連の記事をよくご紹介しておりますが、今回の記事も阿智村に関する史跡。武田勝頼首実検の跡です。訪問したのは2025年9月ですので、現在では状況が異なっている場合がある点をご了承ください。『長野県阿智村中関の大杉』どーも、castom98です。以前の巨木・御神木紹介で、長野県阿智村にございます阿智の大栗の記事を書きました。『長野県阿智村阿智の大栗』どーも、cas…ameblo.jp『長野県阿智村阿智の大栗』どーも
【問題】長篠の戦いでの敗戦後、武田勝頼が落ち延びた城として知られるのは次のうちどれか?【選択肢】高根城武節城鳥羽山城天方城【正解】武節城【解説】長篠の戦いに敗れた武田勝頼は、田峯菅沼氏の菅沼定忠とともに武節城(愛知県豊田市)に落ち延び、同城に一泊した後、信濃経由で甲斐へ退却したという。
大名未満の小さな領主を「国衆」とか「国人領主」といいます。この「国衆」の連合体が「戦国大名」だと理解したほうがいいです。今でいえば郡とか市とか程度の領主が「国衆」です。こいつらは単独では領地を守れないので、近所の国衆たちと同盟を結び、なかで一番強いヤツを棟梁にして、他の皆はその家来になる。こうして信濃国とか越後国とかいった国単位(いまでいう県)くらいでまとまったものが「戦国大名」だ、というふうにイメージしてください。戦国大名の中には、室町幕府の守護や守護代の家が持ち上がった者もいますが、多
全国的に寒い日が続きますが、こちらは徐々に暖まって参りました!!合戦イベント「甲州征伐」の告知が続きます。今日は、両軍の部隊長と陣中見舞いが決定したのでお知らせいたします!織田軍は、当時信忠の直属であった森・河尻に、信長が付属させた織田有楽・滝川一益を加えた陣容です。さらに武田家から離反して甲州攻めの先鋒を果たした木曽義昌の姿も見えます。武田軍は、親類衆の信豊(勝頼従弟)、信廉(同叔父)、盛信(同弟)が馬を揃えます。また、当時勝頼を岩櫃城へ迎えようとしたともいわれる真田昌幸、
合戦イベント「甲州征伐」に関する最後の告知となります。本日は論功行賞と最低必要軍功についてお知らせします!さっそく見てみましょう。全参戦者参戦者全員に、協賛楽座特典「龍勢・竹筒水・袖印」の3点セットを贈呈!勝利軍勝利軍全員、家臣団コレクションで「松姫(信松尼)」の登用が可能に!軍功第一の部隊両軍通して軍功第一の部隊全員に、「10,000貫」を贈呈!軍功ランキング両軍軍功上位1~50位までの方へ、それぞれ所定の「大分銅金」他