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立春歌舞伎特別公演2月9日(日)昼の部会場:大阪松竹座開演11時分~終演3時25分観覧場所3列中央上手①本朝荷廿四孝11:00~11:50(十種香)幕間30分②恋飛脚大和往来12:20〰1:40(封印切)幕間25分③幸助餅2:05〰3:25あらすじ①八重垣姫の一途な恋心を描いた時代物の名作武田勝頼(虎之介)は、足利将軍暗殺の真犯人を捜し出すこと
誰もが目の前に起きたことに信じられない思いであった。あれほど武威を誇ってきた戦国大名・武田勝頼がこれほど呆気なく滅亡してしまう事態を。歴史の流れは時に雪崩のような凄まじい雪崩のような急速に動く時がある。如何なる者もその流れに抗うことはできない。勝頼を滅亡に追いやったのはあるいはそれであったかもしれない。甲斐の名門・武田家を建て直そうとした戦国武将・武田勝頼の苦闘が今幕を下ろす。○勝頼、最後の戦い小山田信茂に離反され行き場を失った勝頼一行。跡部勝資は、「天目山」に入り地下人を糾合して抗戦し
新春初お城廻り、「青春18きっぷ」による静岡県内の4城(横須賀城、掛川城、高天神城、諏訪原城)巡りのブログをお届けしています。2日目の朝一番に「掛川城」を見てその後、「高天神城」(静岡県掛川市)へ向かいます。後編はこちらからどうぞ↓『<高天神城(後編)>「徳川方」対「武田方」との攻防の仕掛けが盛りだくさんな「西峰」』本日は、「高天神城(後編)」(静岡県掛川市)の「西峰」をお届けします。「前編」の歴史と城主についてお話ししたように、このお城は「武田方」と「徳川方」との激し…ame
今回はノスタルジーの旅。念願の高天神城に行ってきました。実に30年ぶりの攻城となります。私が覚えていることは、神社に行く階段の途中にお稲荷さんがあってそこでお祈りしたら宝くじが1万円当たったということ。あと牢を見た覚えがあります。昔大河ドラマの武田信玄に出てきていたのを見て連れて行ってもらいました。「高天神城を制するものは遠州を制する」と言われ、今川⇒徳川⇒武田⇒徳川といったように持ち主がじゃんじゃん変わります。武田信玄をもってしても攻め落とせなかった(無理攻めしな
初日昨日より12月文楽東京公演「本朝廿四孝」がはじまりました。本朝廿四孝でよく上演されるのは「十種香の段」より「奥庭狐火の段」です。この場面はヒロインの八重垣姫が婚約をしている武田勝頼を想う気持ちで物語がまとまっています。なので、本朝廿四孝というお芝居は八重垣姫の物語かと思いきや!半通しの今月の公演。本朝廿四孝というお芝居の見え方がすっかり変わってしまうかもしれません!竹本義太夫伝ハル、色[岡本貴也]楽天市場1,760円このチラシはいつもの雰囲気。このチラシは
先日3/6~8間の2泊3日、「春のお城めぐり」ツアー(長野、山梨)をしてきました。前回の「お城紀行」で「上田城」を投稿しましたが、その後「長野新幹線」で東京に戻り、特急「かいじ」で「大月」まで足を伸ばし宿泊をして、翌日の6城目の「岩殿城」登城に備えました。当日の天気予報では”晴れ”になっていましたが、ホテルの窓からはどんよりした鉛色の空が見えて少しガッカリしました。ホテルで重い荷物は預かっていただき、「大月駅前」7時25分発「富士急バス日影行」に乗車し、「自動車教習所前」が登城口に近いと
公式ハッシュタグ令和6年6月23日骨董品ランキング1位1575年の6月29日(旧暦では天正3年5月21日),長篠城から数キロ西にある設楽の郷の連吾川を挟んで対峙していた織田・徳川連合軍3万と武田軍1万5000が激突した。世にいう長篠の戦いである。押し寄せる武田軍に対し,織田方は,一人も前に出ず,鉄砲ばかりを打ち出して足軽であしらったと,信長公記は記している。写真提供日本の武器兵器:トップ(xn--u9j370humdba539qcybpym.jp)火縄銃は口径に
決戦か撤退か―。甲論乙駁の議論の末、武田勝頼が出した答えは織田・徳川との決戦であった。いまだ抵抗を続ける長篠城に抑えの兵を置いた勝頼は、残りの全軍を率いて設楽原へと転進した。対する信長・家康は、武田に恐れをなしたかそれとも弱敵を装い誘い込む戦略か、馬防柵の内に籠もったまま動く気配はない。戦端を開いたのは武田軍の一番手・山県昌景隊。押太鼓を打ち鳴らしながら徳川軍に襲い掛かり、瞬く間に戦場は馬蹄の響きと火縄銃の銃声に包まれた。主力と主力が激突する一大決戦!信玄以来の宿敵同士がついに雌
長篠古戦場跡(愛知県新城市)先日、アプリでは合戦イベント「長篠の戦い」の陣触れが発せられました。他方、現実世界では一足早く花粉との戦いが開戦しました(T∇T)そういえば5年前の公式ツアーで長篠古戦場周辺をめぐった時も、花粉で意識朦朧としてた記憶が蘇ってきました。歴史って繰り返すんですね。合戦イベントに話を戻しましょう。本日は各種日程の発表です。「長篠の戦い」は、以下のようなスケジュールを予定しております!【開戦日時】2024年03月13日(水)17:30
合戦イベント「長篠の戦い」がいよいよ1週間後に迫って参りました!みなさんそろそろ具足をタンスから引っ張り出して臨戦態勢でお願いします。今日は合戦の論功行賞と最低必要軍功の予告です!全参戦者参戦者全員に、築城の限定建物「落合左平次道次背旗」を贈呈!勝利軍勝利軍全員、家臣団コレクションで「亀姫」の登用が可能に!軍功第一の部隊両軍通して軍功第一の部隊全員に、「10,000貫」を贈呈!軍功ランキング両軍軍功上位1~50位までの方へ、
先月末陣触れが発せられた合戦イベント「長篠の戦い」について、両軍の部隊長の着陣が完了しましたので、本日はその発表などをさせてもらいます!さっそく見てみましょう!!以上のようなラインナップとなっております!織田・徳川軍についに三英傑が一堂に会しました!と書こうと思ったら、もう既に姉川の戦いでそれは実現してました。今回の合戦でも歴戦の面々が勢揃いしています。徳川勢としては、家康の他にその嫡子・松平信康が初登場しました。武田軍は、勝頼が初の総大将となり、穴山信君・武田信豊の
訪問日:2025/1/4お城巡りーの旅3日目は、武田氏館(躑躅が崎館)です。13時7分甲府駅発の電車で帰宅予定、時間があれば再度甲府城を訪問しようと思います。昨晩は甲府駅の南側、「センティア・ホテル内藤」さんに宿泊しました。駅から徒歩13分、少し駅から離れていますが、朝食が豪華で美味しかったです。料金も朝食付きで7千円台とリーズナブルだったので機会があれば再度利用したいです。ホテルの朝食、お正月用のミニおせちも付いていました。朝食後はホテルをチェックアウト、甲府駅北口へ
※随願寺境内と石段・・・石段を登りきったところに随願寺の伽藍が目の前に現れますかつては、石段の手前に江戸期の姫路藩主榊原家により再建された山門が建っていましたが、焼失しました山門跡の礎石があるか確認しましたが、よくわかりませんでした増位山随願寺2️⃣増位山随願寺増位山随願寺は、姫路市白国の増位山自然公園にあります。随願寺に駐車場はありません。増位山山頂付近まで車道が通っており、増位山山上駐車場という広い駐車場があります。山上
名古屋市中区:名古屋城。2020年4月以来、2021年の初攻城。築城主:徳川家康。大坂、豊臣方への抑えのため、最大最強の近世城郭を築く。大天守は戦後に再建。(画像は、集合写真地点でもある鉄板撮影ポイント)いくつかの主目的があり。御城印帳のお迎え、桜、そして降臨している金の鯱に会うこと。まずはお迎えを。なんと、売店横には御城印仕様のカレンダーが(日付を手動入れ替え)。犬山城の御城印帳はすでに満員御礼。この金鯱御城印帳は、名古屋城ならではのナイス一品。
2018年11月11日JR飯田線の長篠城駅にやってきました。秘境駅もあるローカル線なのですが、電車は通勤ラッシュ並みの混雑でした。もちろん、目的は「さわやかウォーキング」への参加です。怒涛のようにやってくる、人・人・人。昨日の高山線のウォーキングとは全然違いますね。お姉さんから地図をもらってスタートします。今回は、長篠の戦いの地を巡るコースになっています。長篠の戦いとは、戦国時代の天正3年5月に、三河国長篠城をめぐり、
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。山梨県立博物館が、武田勝頼公に関する特別展を開催することがわかりました。開館20周年記念特別展武田勝頼―日本に隠れなき弓取―令和7年3月15日(土曜)~令和7年5月6日(火曜)山梨県立博物館-YamanashiPrefecturalMuseum-www.museum.pref.yamanashi.jpちょうど5年前の2021年には開館15周年を記念し
2022年10月10日JR東海のさわやかウォーキングに参加しています。中央線の奈良井駅を下車して、奈良井宿の街並みを通り抜けると、いよいよ中山道の鳥居峠口になります。中山道の街道道には、山栗の木がたくさんありました。栗の実が入ったものも落ちてましたが、拾っている時間はありません。なぜならば、今にも雨が降り出しそうだから雨に降られないうちに峠越えしたいのです。道は細いですが、整備されているので通りやすいです。ぽつり雫が垂れ
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、武田信武の墓です。人物名墓のある施設住所武田信武法泉寺山梨県甲府市和田町2595誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)mスマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再読次の記事を読み込みすると表示されるようです。武田信武の墓は法泉寺にあります。発見難易度★☆☆☆☆本堂に向かって左側、武田勝頼の墓のさらに奥にあります