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甲州征伐の戦場のひとつ高遠城跡(長野県伊那市)合戦イベント「甲州征伐」、早くも熱々の中盤へと突入して参りました!本日は恒例の「よくある質問編」をお届けします。そして!前回の「北の関ヶ原」で実施して非常にご好評をいただいたあのキャンペーンを今回も実施することとなりました!!後半に詳細を記載していますのでこちらもご注目ください!Q.「注進」における“実戦活用情報”の定義は?A.実戦活用情報は、“軍功を増やす方法や合戦のノウハウ”に該当する投稿です。そのため、再掲となりま
本日お昼12時、2026年最初の合戦イベント「甲州征伐」がついに終戦を迎えました!!その結果、勝利を手にしたのは織田軍でした!!まずは参戦されたすべてのみなさま、大変お疲れ様でした!軍功の経過を振り返ってみると、初日は織田軍がリード、翌日は一転武田軍が10万前後リードを保つ中で戦況が明けました。が、その翌日には織田軍が再逆転してそのまま一回目の両軍同時総攻撃を迎えます。総攻撃終了時の軍功差はたったの5,000(!)、そのまま織田軍がほんの少し優勢な状況で推移しますが、
織田信長は武田討伐へと先発した嫡男・信忠に対し、執拗なまでに自制を促す書状を送り続けた。それは勝頼侮りがたしという畏怖の表れであった。だが、信忠は美濃から信濃の地へ踏み込むや、父の危惧をよそに破竹の勢いで伊那谷を駆け抜ける。その姿はまさに若き日の信長を彷彿とさせるものであった。一方、これを迎え撃つ勝頼は要所に親類衆を配置し、信濃を決戦場と定めて自身は諏訪の地に本陣を据えた。何の因果か、そこはかつて“諏訪四郎”の名で将として歩み始めた自らの原点であった。信長の後継者として自らの手で武田を
本日14時、合戦イベント「甲州征伐」がいよいよ開戦となりました!!今手元の時計は16時、まさに開戦したてで戦況はめまぐるしく動いております!今回の合戦でも細かい改修は実施されておりまして、みなさんの使い勝手に少し影響があるかなと思われる部分について一つだけ補足しておきます。注進(申し上げます!)の画面で、これまでは投稿内容を以下のように絞り込み表示することができました。実戦活用情報含む|のみ|除外これが以下へと変更となります。すべて|実戦活用情報のみ
沼津市の千本浜公園の入り口付近に千本山乗運寺という大きな寺があります。この寺の開山である増誉上人に関しては、こんな伝承が残っています。天正8年(1580年)武田勝頼は北条氏政と対峙するため、兵を率いて浮島原に本陣を置き、北条方の伏兵を警戒して千本松原の松を全て伐り倒させました。松の防風林を失った付近の村々は、海から吹き付ける塩を含んだ強い風に田畑をさらされ、作物が育たずに困窮してしまいました。※(乗運寺には、武田信玄の発した禁制が残されており、増誉上人も天正8年に亡くなったと記録されてい
長篠合戦図屏風(犬山城白帝文庫)に描かれた火縄銃長篠合戦図屏風(犬山城白帝文庫)に描かれている火縄銃の元目当を観察すると、織田・徳川連合軍、武田軍ともその火縄銃に取り付けられた元目当(照門)の位置が、火皿の直前もしくは直近であることがよく分かる。(中央の火縄銃の銃身後方の突起が元目当、倒れている武士の流血のそばです。)種子島に渡来した初伝銃の元目当(照門)は、火皿の直上に取り付けられていた。また京都の龍源院に金森出雲守が奉納した「天正11年9月9日喜蔵とりつき」と墨書さ
いよいよ今週金曜日に迫った合戦イベント「甲州征伐」。今日は総攻撃と大手柄武将に関する発表です!スケジュールの発表時に、システムに大きな変更はないと書きました。ただ、今日発表の大手柄武将に関してはいつもと違う点がありますので、最後までよくお読みくださいませ。まずは総攻撃の回数から。総攻撃は、織田・武田両軍ともに2回ずつ予定されています。これまで通り、総攻撃は前もって部隊長によって予告されます。続いて大手柄武将について。織田軍の大手柄武将毛利長秀丹羽氏次金森長
合戦イベント「甲州征伐」に関する最後の告知となります。本日は論功行賞と最低必要軍功についてお知らせします!さっそく見てみましょう。全参戦者参戦者全員に、協賛楽座特典「龍勢・竹筒水・袖印」の3点セットを贈呈!勝利軍勝利軍全員、家臣団コレクションで「松姫(信松尼)」の登用が可能に!軍功第一の部隊両軍通して軍功第一の部隊全員に、「10,000貫」を贈呈!軍功ランキング両軍軍功上位1~50位までの方へ、それぞれ所定の「大分銅金」他