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柿(種有り)も銀杏も大好きです~建長寺は行きましたが、法隆寺は修学旅行で行ったかも?ですね「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」2005年(平成17年)には、正岡子規が「柿食えば」の句を詠んだ10月26日を全国果樹研究連合会カキ部会が、「柿の日」として制定しました。【柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!日本の近代の俳句は、明治時代の俳人、正岡子規に始まります。江戸時代の松尾芭蕉
小林正観さんの心に響く言葉より…「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。なぜか。「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない
禮子さんはあるとき、はもこさんと呼ばれました。禮と鱧が似ていたから。この例はよくあって「窓の会」の常連の谷さやんさんも「さやこ」を「さやん」と間違えられ、以来「さやん」を俳号にしました。徳永はもこさんも「窓の会」の常連です。実は「はもこ」で入会の申し込みがありました。この欄で何回か述べてきたような理由で私はせめて姓をつけるように言いました。何回かやりとりして「徳永はもこ」になりました。このところ、ちょっと驚いたことがあります。私が夏井いつきさんの選句欄から挙げた俳号について、「具体的な
雄山閣刊、2800円+税正岡明さんの本です。加藤拓川は子規の叔父、明さんは子規の孫にあたります。拓川の子・忠三郎が正岡子規の家(妹の律の家)を継ぎましたが、忠三郎の次男が明さんです。この本、中身は写真の帯の通りです。「人が人を差別することの愚かさに我慢ならなかった」拓川を描いています。
2022.5.16一日一季語柿の花(かきのはな)【夏―植物―初夏】そこまでのつもりの素顔柿の花頓所友枝柿の花言葉の1つに「自然の美しさ」という言葉があります。ありのままで気取っていない人に贈ると良い花言葉だという。作者としては、普段なら、人前に出るには、女性らしさを保っている。しかし、人には会わない、ちょっとそこまで手紙をポストに投函するといった、外出だったのでしょう。この句からは、気取らない、ありのままでも人に恥じることのない、気品さえも感じます。⇒画像
ガイドブックに載っていない松山道後の違った楽しみ方、『道後温泉(裏)観光ガイド』。第1回目は明治時代より、「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」として賑わっていた「宝厳寺(ほうごんじ)」前の通りです。いきなりアングラな話からのスタートです。「遊郭街」とは女郎屋が集まった地域のこと。大ヒットアニメ『鬼滅の刃』で、「吉原遊廓」の名が広まったので、ご存知かもしれませんね。「吉原遊廓」とは江戸幕府によって公認された風俗街のような場所です。遊女(ゆう
今朝もモタモタ出遅れて川筋は止め清水坂公園を目指して走行したソメイヨシノはすっかり葉桜になってツツジやハナミズキ、ヤマブキが目立ってきましたね北本通りを渡ってイオンスタイルの前を走行京浜東北線の高架下は駐車場になっているがその横が散策路になっていて季節の花木が植えられているバラ、ヤマブキ、シロヤマブキ、赤白のハナミズキ、、赤白のツツジなどが植えられ散策路に丸型の照明が設けられているこれはモッコウバラでしょハナミズキヤマブキ
秋山真之司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終わった。飛ばし読みの部分もあるが3度目の通読となった。沢山の資料を調べた著者の努力には驚くばかりである。読後の感想文がわりに、主人公のひとり秋山真之が起草したとされる「連合艦隊解散の辞」を日記に残すことにした。秋山真之は正岡子規とは同年配で二人とも伊予松山城下に生まれ育った。上京して大学予備門に仲良く通っていたが諸般の事情により子規と別れて海軍兵学校に入る。優秀にして首席で卒業し軍人となった。日露戦争の日本海大海戦は東郷平八郎の下の参謀として
べた凪。ちょっと寒い。水温も上昇し乗っ込み近し。朝はこんな・・・数匹がチェイスして来ることも・・・が、なかなか釣れない・・それでも、こんなのが2匹こんなのも4匹本命は来ましたロクマルロクマルを前に置くとこんな感じヨンマルを追加したのでレイアウト変更俎板に鱗ちらしく桜鯛(正岡子規)水温が上がり良い感じですね。
【Q19558】誕生日は、かみなり歴53年14月25日。カミナリの国で生まれた、雨が嫌いな、やんちゃな8才の3つ子の兄弟で、サンダースクールに通っているという設定の、1982年に誕生したサンリオのキャラクターは何?【ゴロピカドン】【Q19559】「綴る」の読み方は「つづる」ですが、「啜る」の読み方は何?【すする】【Q19560】ナポレオン、ルイ14世、ルター、マーラー、野口英世、加藤清正、大岡越前、松尾芭蕉、正岡子規、夏目漱石らも患い、漱石の未完の小説『明暗』の冒頭「医者は探りを入れた後
1955年公開の映画「野菊の如き君なりき」、木下恵介監督脚本。原作は江戸川だが、信濃善光寺平が舞台。白黒で回想場面では縁取りされ水墨画のような美しさを出している。まず、ポスターは二人の姿に添え書き、監督の作だろう。野づらをわたる秋風に思いしのばん初恋の咲くこともなく散りゆきし君の心の哀れさをこれ、七五の長歌。木下さんもすごいは。次から老人が語る歌。まつひとも待たるる人もかぎりなき思ひ忍ばむ北の秋風に待ち人は正夫、待たるる人は民子。二つ違いの
機関誌『たいわ』第39号を刊行しました。会員諸氏からの投稿と、例会における講演要旨等も掲載しています。今後、千葉県内近隣自治体の図書館等にも順次寄贈いたします。第39号2024(令和6年)年3月発行頒布価格500円(送料別)はしがき1研究・随想等石堂正彦「近世、西宮神社配下えびす社人に注がれた蔑みの眼差しと、その脱却-下総国若白毛組を通して-」小林將「戦艦河内爆沈事件105周年について」高花宏行「史料紹
おはようございます。都内、雨降りの朝です。昨夜はよく眠れましたでしょうか。睡眠は健康にとても大事。殆んど眠れないという人は、心療内科か内科を受診し、専門家の医師と相談するといいのかも。幸運なことに、私は熟睡しました。午前3時には起床します。洗顔、歯磨き、朝食、後片付け、朝の掃除、化粧、等々を済ませたら私は読書します。最近では高校生が学ぶ《歴史総合》の教科書にハマっています。さて、マンガ。日本文学の近代詩歌人が数おおく登場する文藝マンガで、オススメ。萩原朔太郎、北原白秋、室生
桜の花が咲く春は、新しい出会いや別れ、そして人々の心を動かす季節です。そんな桜にまつわる名言・格言を集めました。この記事では、桜に関する名言を10選ご紹介します。これらの名言に共通するのは、桜の美しさや儚さ、そして春の喜びを表現していることです。目次太宰治の名言与謝野晶子の格言芥川龍之介の名言松尾芭蕉の句橋本多佳子の詩高杉晋作の言葉林芙美子の名言正岡子規の句夏目漱石の格言釈迦の言葉1.太宰治の名言私はどんなに悲しい時でも、桜の花を見ると、もう、その悲しみを忘れてしまい
✨秋山助六郎✨助六郎ハ余カ長男今茲甲辰征露ノ(すけろくろうはよがちょうなんこんじきのえたつせいろの)役戦死ス行年三十六(えきせんししすきょうねん36)其最後決死ノ際寄する所ノ書左ノ如シ(そのさいごけっしのさいきするところのしょひだりのごとし)続きます…📚💦余カ=よが日露戦争=1904年2月8日〜1905年9月5日にかけて、日本とロシアの間で行われた戦争⚔⚔役戦=『役』は、国が国境を守るために兵士を徴用する兵役戦役的な意味を含めた戦いです⚔⚔また、辺境の地での戦い
おはようございます。今日は柿の日。正岡子規が「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは、1895年のこの日から出掛けた奈良旅行ということで、柿の日になったそう。今まで考えたことがありませんでしたが正岡子規は100年以上前の人なんですね。それでは、本日のバースデーカラーを紹介します。・10月26日の誕生色;ライトターコイズ・色言葉;自力本願・指導者・活路・パーソナリティ;常に冷静で思慮深く行動する人ライトターコイズということで明るいターコイズ色。トルコ石の色です。ターコイズは私
夏目漱石と正岡子規は畏友と呼び合うほどの友人だったという。子規の作風は、「写生」と呼ばれるように絵画を感じさせるものが多い。子規の一番有名な句は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」漱石も俳句を詠み、絵画的というより戯画的なウィットに富んだものが多い。たとえば、春の句で、「ちとやすめ張子の虎も春の雨」や「恋猫や主人は心地例ならず」などの句があり、おしなべて彼の句は滑稽。もともと、俳句は軽妙さや滑稽を短い言葉で表現するものだった。芭蕉の句も、とり方によっては、その背後に滑
1【古今和歌集・巻第一・春歌上】ふる年に春たちける日よめる在原元方(ありはらのもとかた)年のうちに春は来(き)にけりひととせを去年(こぞ)とやいはむ今年(ことし)とやいはむ=====【日本古典文学全集(小学館)の訳】=====十二月中に立春を迎えた日に詠んだ歌在原元方年内だというのにもう春の訪れだ。春が来た以上、過ぎ去ったこの一年を去年と呼んだものだろうか。それとも、正月が来るまでは今年と呼ぶべきだろうか。======================
むしろ「史実に反するエンタメ狙いのフィクション」ではない、ってところに、ポイントっていうか、問題があるんです。坂の上の雲は、もちろん小説です。松山出身の同世代の二人、正岡子規と秋山真之、それと兄の好古の三人を主人公にして、日露戦争に向かう上り坂の日本の姿を、社会と文化のいろんな側面から多面的に描いていこう、っていう意欲的な小説だったんですが。ところが、司馬遼太郎先生というのは御存知のとおり、徹底的に調べて書く人なんで、だんだん取材成果の発表のほうの比重が増えてきて、特に正岡子規が死んだあとは
6月19日ブロクで、年齢差27歳の恋愛についてふれました。歌人の斎藤茂吉52歳、そして弟子の永井ふさ子25歳というふたりの関係です。あの話を聞いてから…改めてふたりはどんなふうに出会い、どんなふうに別れたのか、そして『赤光(しゃっこう)』を31歳で世に問うた茂吉という人はどんな人であったのか…ぼんやりとではありますが考えていました。茂吉の生涯を簡単にまとめると…こんな感じになります。一時期“行方不明”になっていた…斎藤茂吉さんの『赤光』、現在は、館外貸し出し可能
3月22日に道後温泉にある玉泉堂本舗で予約しないと購入できない温泉煎餅が入手できました。道後温泉の玉泉堂本舗です玉泉堂は明治15年創業で、正岡子規が松山中学(現松山東高校)在学中に開店したことになります。正岡子規の随筆では玉泉堂の煎餅を食べている場面が出てきます。趣のある店ですが、少し入りにくいです。温泉煎餅の入っている缶です温泉煎餅は予約して入手するに1月かかると言われていますが、私は10日で買うことができました。温泉煎餅です。50枚入りです缶からは取り出してみると地味な煎餅が出て