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今、現代人にとってとても大切な言葉だと思います!本文何をそんなに思い煩っているのだ。なにもかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。あなたは一番根本なることを忘れている。それはどんな人にも守護霊様守護神様がついておられるということだ。そしてその守護霊様守護神様が必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。あなたのすることといえば、ただその人の為に、その人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。夫のために妻のために、愛する子供たちのために、友人
絶賛堪能しております。しっかり6時半に起きて活動しましたしよう頑張った。我ながら。しっかり朝ごはんも食べて、まずは松山城に行きました。しっかり遠目からズーム撮影で圧縮効果を狙ったやつ10年くらい前に行ったときの記憶が、天守に入るときのスリッパをはくところで思い出しました。めっちゃ緑のスリッパで記憶にありましたね。なんでその場面。天守からの景色がいい。天守からみて南南東くらいいよかんソフト600円!めちゃめちゃ中国人多かったです。渡航禁止命令出てなかったっけ。
正岡子規は新生俳句の祖墨田区にある長命寺月香楼でのひと夏俳諧の世界に写生俳句の新風を吹き込みまた雑誌「ホトトギス」を主宰して多くの後継者を育て長い闘病生活の果て惜しまれつつ早く亡くなった正岡子規は慶応3年伊予松山に生まれた父は松山藩士だったが彼が5才の時病没16才の時自由民権思想の影響を受けて政治家を志して上京したが翌々年大学予備門(東大の前身)に進んで文学に開眼するとそれに新しい夢を託するようになった明治21年予備門に引き続いて第一高等
速報が多かったのでなかなかラスト迄書けなかった松山旅行です。大したこと書くわけでもないのに②仁喜多津酒造からの続きです路面電車で萬翠荘へ1922年に建てられたフランス・ルネッサンス風の洋館松山で最も古い鉄筋コンクリートで国重要文化財中も見学できたのですが、早朝から温泉に入ったり食べたり呑んだりしている夫はまたもやお疲れで~パスこちらの直ぐお隣にあった夏目漱石が松山赴任中に下宿した愛松亭後にできた漱石珈琲店で私達夫婦には珍しくお茶~お抹茶と坊っちゃん団子美味し
おはようございます♪火曜(12月9日)の朝。曇り。本日は漱石忌。昔は旧暦になるので実際の日にちはずれてしまうが一応今の暦で本日としている。高校生の頃には大好物だったピーナツとか買ってきて真似事のお供えをしたものだけど今は何もしないで心の中で拝んでいる。かつて訪れたことのある東京新宿区の漱石山房記念館を思い出しながら漱石に思いをはせる。漱石は新宿区で生まれ多分なくなった時も自宅でのことだったので新宿区早稲田にはゆ
白猪の滝を目指して、スタートしていきます。まずは、白猪谷堰堤横の、階段を上がります。「すべります」だそうですけれど、実際には滑りませんでした。何しろ、スベり知らずのギャグセンスの持ち主、ジダン様ですから。全部ダダスベりやんけ、くそポンコツドアホっ白猪の滝は、極寒の日に、凍ってしまう、いわゆる氷瀑が有名なのですが。落差90m以上なので、おそらく紅葉と相まって、美しいことでしょう。滝までの道は、舗装されていますけれど。結構、勾配がありますから、トレーニングにはなります。おっと、もう
今日紹介する四字熟語は漱石枕流(そうせきちんりゅう)意味:負け惜しみが強いこと、屁理屈をつけて言い逃れることです「漱」は「すす-ぐ」「くちすす-ぐ」「うがい」と読み意味はそのまま”うがい”をして口をすすぐということですねこの四字熟語は、読み下して「石に漱ぎ、流れに枕す」(いしにくちすすぎ、ながれにまくらす)と言われることもありますしかし明らかな違和感があるように本来はこの言葉は「石に枕し、流れに漱ぐ」であり俗世を離れ山中に隠れ住んで自由に暮らすという意味でした
今日は!明治~大正時代の小説家・英文学者の夏目漱石の忌日でもありました。知らない人はいない文豪であります。お札になるぐらい・・・調べていたら知らない事もありましたので書きます。児童期には漢詩文に親しみ、大学予備門で俳人・正岡子規を知り俳句を学んだそうです。1893年(明治26年)、帝国大学の英文科を卒業。1895年(明治28年)、松山の愛媛県尋常中学校の英語教師となります。松山は正岡子規の故郷であり、正岡子規とともに俳句に精進し、数々の佳作を残そいていたそうです。翌1896年(明治29年)
おはようございます。昨日、12月8日、午後11時15分に青森で震度6強の大きな地震が起こりました。夜間のことで、まだ被害の全容はわかっていません。みなさまのお住まいのところは大丈夫でしたか?被害が少ないことを祈っています。今日も余震の可能性もあるでしょう。どうぞ、地震情報など気をつけてお過ごしください。どんどん今年最後というものが多くなり、テレビ番組も特番が多くなってきます。街には、クリスマスとお正月が混在していて、クリスマスケーキの予約とお節の予約が隣合わせだったりで、なんとも急き立
縁側にごろりとなってへちまの忌糸乃こまり季語「へちま忌」秋正岡子規は明治35年9/19に34才で亡くなりました結核性脊椎でした若いのに寝たきりでわ気の毒でしたhttps://blog.with2.net/link/?id=2099003人気ブログランキングblog.with2.net
12月になった。年越し蕎麦にはまだ早いけど、そういえば、このところ“そば処かのこ”に行ってない。数回、店に行ってみると、駐車場が満杯で車を止めるスペースがないので諦めた。この日は11時過ぎくらいだったので、空きスペースがあった。久しぶりだったので、“かのこ”の人から声をかけてくれる。夏場は、店の人の体調不良で、しばらく店を閉めることがあった。酷暑を過ぎれば、そういうことも無くなったかな。“かも汁せいろ”。食べ終えると“そば湯”を飲む。
【不幸や苦しみにたじろがずに生きる】佐藤愛子氏の心に響く言葉より…《不幸や苦しみにたじろがずに生きる》(佐藤愛子・作家)若い時にはいろいろな欲望がありますから、自分にとって一番大事なものが何かというのが、分からない。だから享楽的なことが幸せだと思って、人が流行の洋服を着ていると羨(うらや)んだり、あるいは不美人に生まれると整形手術を受けて美人になろうとしたり。それを簡単に幸福だと思うわけです。だけどこういう考え方もあります。不美人に生まれたからこそ、その不美人であることを武器にして
【不幸や苦しみにたじろがずに生きる】佐藤愛子氏の心に響く言葉より…《不幸や苦しみにたじろがずに生きる》(佐藤愛子・作家)若い時にはいろいろな欲望がありますから、自分にとって一番大事なものが何かというのが、分からない。だから享楽的なことが幸せだと思って、人が流行の洋服を着ていると羨(うらや)んだり、あるいは不美人に生まれると整形手術を受けて美人になろうとしたり。それを簡単に幸福だと思うわけです。だけどこういう考え方もあります。不美人に生まれたからこそ、その不美人であることを武器
【不幸や苦しみにたじろがずに生きる】6087佐藤愛子氏の心に響く言葉より…《不幸や苦しみにたじろがずに生きる》(佐藤愛子・作家)若い時にはいろいろな欲望がありますから、自分にとって一番大事なものが何かというのが、分からない。だから享楽的なことが幸せだと思って、人が流行の洋服を着ていると羨(うらや)んだり、あるいは不美人に生まれると整形手術を受けて美人になろうとしたり。それを簡単に幸福だと思うわけです。だけどこういう考え方もあります。
冬は鉛、では他の季節は?■朝日新聞の天声人語(20251205)に、こんな一文がありました。北国では、ここから春まで、鉛色の空の下での苦労が続く。では、他の季節はどんな空でしょうか。実は「答え」があるのです。■正岡子規が言っています。春雲は綿の如く夏雲は岩の如く秋雲は砂の如く冬雲は鉛の如しこれ、季語にもつかえるかもしれませんね。あるいは、理科や生活科で使えますよね。
正岡子規の句「淋しさもぬくさも冬のはじめ哉」冬のはじめ、冷え込みによる淋しさと、室内のあたたかさという、あい反する感覚が同時にやってきた。外の寒さと内のぬくもりが同時に意識される、季節の変わり目だ。体調には十分気をつけたいですよね。
石崎汽船旧本社こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は、創業150年を超える旅客船事業を行っている石崎汽船の旧本社を紹介します。石崎汽船旧本社ビル愛媛県松山市三津1丁目4−9〔石崎汽船の沿革〕愛媛県松山市に本社を置く海運会社であり、文久2年(1862年)創業の老舗の旅客船事業者。かつては三津浜港~広島の定期航路があったが、現在は松山観光港~呉港~広島港を運行している。2025年10月より、伊予鉄グループの子会社となった。~~~~~~~~~~
晴れた朝、JR予讃線の市坪駅へ。市坪駅には、カッコ書きで(野球)の・ボールと記載されているが何のことだろう?ここに坊っちゃんスタジアムがあるからだろうか、などと考えていたけど後でこの意味が判明しました。JR市坪駅から歩いてすぐの場所にある松山中央公園。公園は広くて、プールや武道館、競輪場、坊っちゃんスタジアムなどがある。正岡子規野球殿堂入り記念のプレート。正岡子規と野球、どんな関係があるのだろう?と思いプレートの説明を読んでみると...正岡子規は学生時代、幼名
俳句2023春~2025冬葉桜の下で寛ぐ人の声ハナミズキ乙女心も光りおり断捨離の作業を終えてハナミズキ花も良し葉も見事なりハナミズキ銭湯の菖蒲湯嬉し朝湯かな筍の皮に挟める梅一つ柏餅一つ頬張る笑顔かな妻仕事夕食作り木の芽かな梅雨半ば猛暑の昼は風強し月変わり初めて今年の蝉を聞くクーラーをひと時止めて読書かな水やりで一息つくか日々草行き過ぎぬ電車の音や夏の宵クーラーを利かせて転折学びおり早朝の風が吹き
俵万智のサラダ記念日が出てから久しいが、半年ほど前のNHKの特集番組では、昨今、そのサラダ記念日の短歌に触発されたのか、はてまた文学に目覚めたのか、TikTokなどの無内容・無思想な動画を観て喜んでいる或る種軽薄とも思われる世代の若者たちの中には、文学の面白さに気付いたらしいまともな者も多く、俵万智の真似をした現代短歌作りに嵌っている者がかなりいるらしい。NHKの特集でそのうちのいくつかの和歌を紹介していたが、自分たちの感性とそれに関わる情景とを素直な視点で歌にしたものがあった。うーん
ミョウガは春の若芽と夏の花穂(花蕾)を食べますが、白い花が咲き終わって本体がしなびてしまうと誰も目も向けないそして今頃のミョウガは葉が枯れて茎もろともバッタリと倒れ伏しているところが、そうなる少し前に注意深く生え際を探すとミョウガの実を見ることができます私も初めて見た時はそれがミョウガの実だとはわかりませんでした正体不明の地球外生命体は大げさだけど新種のキノコか赤いビニールのゴミが落ちてるのかと思いました真っ赤な果実の中には数個の白い種ができて、それがこぼれ落ちて繁殖するようで
【9/187日目①】翌朝、目を覚まして向かったのはこちら。坂の上の雲ミュージアムです。「坂の上の雲」と言えば、司馬遼太郎の有名な作品で…と言われてますが。思い起こせば、中学生の頃から司馬遼太郎の本を読み始め。気に入った本は何度も何度も読み返すという日々を過ごしてきたのですが…いわゆる、戦国時代と明治維新を中心に読んでいたので、近代の「坂の上の雲」はなかなか手に着かず…あの「コロナ禍」のどこへも行っちゃだめ、外に出ちゃダメという抑圧された状態の中で、初めて手に取った
2025年10月23日(木)道後温泉は松山市の中心部から約2km、路面電車で直接行ける便利な所にある。日本書記、万葉集にも登場する日本最古の温泉。道後温泉本館入口からの風景。入口の暖簾のようなもの(写真上部)が派手になっていたが、蜷川実花アートプロジェクト作品。市内中心部のホテルから朝風呂のため妻とお歩きさんで訪れた。2023年に一人で訪れた時は道後温泉本館が工事中の足場で覆われて見えないとのことだったので訪れなかった。前夜ホテルで入浴したが、30数年ぶりに道後温泉本館で入浴、妻は初め
先日、Hnさんのブログで紹介されていたお寺、浄瑠璃寺に紅葉を見にいってきました。四国88か所のうち、松山市内にある8か所のお寺の中で最も南に位置し、順路からいうと打ち始めの寺となるそうです。県内なので一度はお参りしているのに、すっかり忘れていました。浄瑠璃寺がある荏原(えばら)町には、衛門三郎(えもんさぶろう)伝説があります。豪農の衛門三郎が托鉢に訪れた空海に無礼な行いをしたため、8人の子が次々と亡くなってしまい、衛門三郎は改心し、空海に詫びて伊予の国司に生まれ変わる、という話
正岡子規は詠みました。「くらがりの天地にひゞく花火哉」。華やかな光ではなく、闇と音で花火を描いた一句です。子規の生涯は短かったが、実際をありのままに写す革新的な俳風を打ち立て、弟子たちが発展させました。今月、茨城で行われた「土浦全国花火競技大会」。今年で100周年を迎え、「スターマイン(連発式花火)」などの3部門で、花火師たちが技術と発想力を競いました。「ヒュー」「ドーン」「バラバラバラ」――光もさることながら、音からも“来た人を喜ばせたい”との思
愛媛らしさ正岡子規と夏目漱石特徴とらえてる(笑)
生産者が総理大臣に会い柿を渡すその時に首相は俳句を読むことになっているそうだこれは正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」にちなんだもの安倍晋三さんのときから今日まで続いているそうだたとえば安倍さん。柿食えば心豊かに奈良の街。菅さん。柿食えばふるさとおもう奈良の街岸田さん。柿食えば観光復活奈良の街さらに、石破さん。奈良の柿、郷にも浦にも茂る秋高市さん。奈良の柿、未来を拓く力湧く句の出来は石破さんの圧勝
今年は不作でありし庭の柿松山の俳句ポスト365入選初心者の部です俳人の正岡子規は無類の柿好きだったらしい漱石の三四郎にその逸話が登場する場面がある・・・子規は果物が大好きだったかついくらでも食える男だったある時大きな樽柿を十六食ったことがあるそれでも何ともなかった・・・・・栄養価も高く食べると病気になりにくいという意味で柿が赤くなると医者が青くなるという言葉もありますね
月々日々に――池田先生の折々の言葉2025年11月25日人間の生命を変えゆく平和革命の武器は、魂を触発する言葉だ。言葉は生命である。言葉は光である。言葉は希望である。※小説『新・人間革命』第10巻「言論城」の章を基にしています。名字の言山本伸一が花火を見ながら青年に語ったこと2025年11月25日正岡子規は詠んだ。「くらがりの天地にひゞく花火哉」。華やかな光ではなく、闇と音で花火を描いた一句である。子規の生涯は短かったが、実際をありのままに写す革新的な俳風を打ち立て、弟子たちが発
名字の言山本伸一が花火を見ながら青年に語ったこと【名字の言】www.seikyoonline.com安原稔安原稔-「いいね!」2,913件·265人が話題にしています-27年5月より、玉野市議会議員を退職し、宇野地区連合自治会会長として地域のボランティアに取り組んでいます。www.facebook.com