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僕の詠んだ句の7割以上が、先人の名句と同一だということが、AIによる判断で明らかになりました。ショックです。特に正岡子規、高浜虚子、中村草田男、加藤楸邨、石田波郷、飯田蛇笏、龍太、森澄雄、中村汀女、星野立子の句と季語の選択まで同一。どういうことなの?あと、五七五のリズムになっている句を破調と断じたり、字余りだと言ったり、でたらめな鑑賞をするのは、ほんと、やめてほしい。ですが逆に、詠んだ句が類想かそうでないかの判断が簡単にできて、迷いがなくなりました。そういう点はあり
「かなしきデブ猫ちゃん」舞台は愛媛、兵庫に続いて広島へ。中国新聞で4月から連載中➖️の第34回(愛媛新聞12月20日掲載)主人公マルと福山で出会ったピンクのホッペがキュートなメス猫お宮が熊野町で書道をしたり…冒険の旅のあとに…《生きることは、知ることだ。知らないことを知ることで、明日を生きる力になるー。》と、ありました♡文・早見和真絵・かのうりん12月22日13時40分ミカン山から眺めた空・佛壇の菓子うつくしき冬至哉正岡子規きょうは、『銀河に五角形を描く「
11月30日。朝ごはん。バイキングではなく、和食か洋食かを選ぶ式。夫は当然のように和食。私は洋食にしました。しかしポタージュスープは甘く感じて、いつも最後まで飲めない。⇒夫行き。ロールパンとクロワッサン。ロールパンが、ほわほわで小麦感いっぱい。クロワッサンも美味しそうだけれど、クロワッサンは、夫行き。卵料理は、ベーコンを添えたオムレツにしました。デザート。さて、この日は、いち日、車なし。車はホテルの駐車場でねんねです。良いお天気この人は、、正岡子規ですね。俳人とし
東京都台東区の子規庵、正岡子規の屋敷跡で戦中の空襲で一度焼けてはいるけど弟子等により再建されたそうです全室畳で三丁目の夕日的な電灯が下がってます、ただコンセント🔌は刺さらないタイプのソケットでした今年はへちまが豊作なようで、正岡子規の糸瓜の水もとらざりけりって書いた時の糸瓜の子孫の糸瓜だそうです、ーーーーーーーーーーー正岡子規が使ってたらしい机は晩年左?の足が曲がったままだったらしくちょうどそのスペースが机にありました流石にLED子規庵の庭は山ほど草木が
区の平和団体が中心となった「平和のつどい」に、今年もわが俳句の会も出展。短冊にそれぞれ自分の句を書きまして…返してもらったのでご披露別に「平和の句限定」ではないけれど、私は平和の集いだから、毎年平和について詠んだ句か、あるいは地元の地名などを詠み込んだ句を出している。今年は走り根や平和のための藁をうつです。走り根と言うのは、木の根が地表にうかんで広がっている様子。こんな感じね。だから、地表には少ししか見えないけど、大地を這って伸びていく大樹の根のように冬の時
『歴史の中の邂逅(かいこう)』-司馬遼太郎●文章日本語の成立と子規について-①✪私どもが夏目漱石と正岡子規、もしくは森鴎外を所有していることの大きさは、その文学より以前に、かれらが明治30年代においてすでにたれもが参加できる文章日本語を創造したことである。文章を道具にまで還元した場合、桂月も鏡花も蘇峰も一目的にしか通用しないが、漱石や子規の文章は愚痴も表現できれば国際情勢も論ずることができ、さらには自他の環境の本質や状態をのべることもできる。本来、共通性へ参加してゆく文章語はそうある
「盗む」「殺す」が褒められるのっておかしくない?センバツ候補・名取北高が「用語改革」で球界の常識に挑む(河北新報)-Yahoo!ニュース野球用語には物騒な言葉が多い。アウトを巡って「殺」や「死」という字が使われ、今年は米国発祥の「トルピード(魚雷)バット」が話題になった。宮城・名取北高野球部は現状に疑問を抱き、元プロ野球選手で解説approach.yahoo.co.jp要約👆・野球には『殺』『盗』といった“物騒”な表現があるがいかがなものか?とする提議が某高校から出されている・
(借用画像)住む街愛媛県松山市は「俳都」として知られる。俳聖正岡子規や高浜虚子など偉大な俳人を輩出し、今日に至る。道後温泉街のそばには俳句の殿堂と称される松山市立子規記念博物館も建つ。▼このほかに、「三庵」なるものもある。江戸時代の松山俳諧中興の祖と云われる栗田樗堂(ちょどう)が名利を捨て俳諧に専念
連句の座から句会へでは、句会はどのように始まったのか。『現代俳句大辞典』(三省堂)による句会の歴史の解説を写す。これの執筆者は片山由美子さんである。「数人が集まってその場で句をつくることは、江戸時代の連句(俳諧之連歌)に発する。連句は複数の参加者が共同して一つの作品を完成させてゆくものであるが、蕪村(一七一六~八三)の頃になると、個人の発句、つまり独立した五・七・五の作品を出句して競う句会(句合・発句合)が盛んになった。これは、和歌の歌合のように左右に
三津浜散策(その3)こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は三津浜散策をした内容(その3)を紹介します。前回からの続き~三津の渡し船に乗って、三津浜散策に出かけました。三津浜散策(その1)と(その2)過去ブログ。↓↓↓『探検記録(89):三津浜散策(1)〈三津の渡しほか〉』三津浜散策(その1)こんにちは、よっこん日記のよっこんです。今回は三津浜散策をした内容(その1)を紹介します。小旅行に出掛けましょう。三津の渡し港…ameblo.j
鎌倉・建長寺鎌倉五山の第一位の【建長寺】です。鎌倉で一番権威の在るお寺です。1253(建長5)年、鎌倉幕府第5代執権北条時頼が、宋の高僧・蘭渓道隆を迎えて創建しました。日本最初の禅宗専門道場で幕府と強く結び付きました。同行者が、国宝の鐘桜を見て俳句を唄っていました。『鐘つけば銀杏ちるなり建長寺』・・・何処かで聞いた事のある韻ですね!『ぱくりですね・・』と言ったら・・・これは夏目漱石の俳句ですと教
「神田明神」の後は、妻との待ち合わせの時間まで「上野」に向かってひたすら歩きました。「不忍池」に突き当たると、いきなり「黄葉」が出迎えてくれました。池の周りを進みます。「水上音楽堂」前。やがて陽も沈み、西の空は「マジックアワー」に突入。ライトアップされた寛永寺の「不忍池辨天堂」は、まるで「金閣寺」のようにも。「不忍池」を後にします。「上野恩賜公園」に着くと「袴腰広場」はクリスマス色に染まっていました。福岡市内のあちこちを彩って話題の「クリスマスアドベン
松山に旅行した際、俳句ポストがあちこちにあり正岡子規を少しだけ勉強(ずっと名前しか知らなくて女性だとばかり思っていたアホです😅)ブロともさんで句会に参加されてる方もいらして楽しそうだなぁと思い私も浮かんだ言葉を俳句にしてみようとこの何週間かやってます。全くの初心者ですし、季語も全然知らないので図書館で季語の本を借りてきました。↘️これが物凄く分厚い本で読む気にならずパラパラとめくっただけでも知らない言葉(季語)が沢山あって目を白黒例えば榾(ほた)って?焚き物にする木の切れ端だそ
#五七五七七和歌山とはまさに文字通り和歌の聖地が由来だって知ってましたか?はるか昔の古今和歌集に登場する歌人や時の天皇そして徳川家や夏目漱石まで多くの人らがこの地を愛し詔し句を詠いました俳句や和歌ピンとこないかもですが日本人にとって1番身近なそれが君が代だということ平安の時代の『古今和歌集』に「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」として収録されそれが祝賀の歌として歌われる中で初句が「君が代は」へと変化したのだとか…歴史って壮大ですよね
石手寺の近くにある夏目漱石の句碑の近くにもう一つ句碑がありました。高浜虚子の句碑正岡子規の弟子にあたる高浜虚子(1874ー1959)の句碑ですが、夏目漱石の句碑と同じく達筆すぎて彫られた俳句を読むことができません。句碑の俳句句碑の俳句は「秋日和子規の母君来ましけり」でした。高浜虚子は松山中学(現松山東高)の同級生河東碧梧桐と京都の第三高等学校(現京都大学)に入学しましたが、文学を志して三高を中退して碧梧桐と一緒に東京の正岡子規のところに転がり込みました。しかし、子規からは「学校を卒業して
令和7年12月14日日曜日、久々の雨。今日の再掲は中段の理由から法隆寺。聖徳太子の寺だから当然、数えてはないが一番多く登場させてる寺かもしれない。法隆寺駅を降りて法隆寺までの1.5kmは派手な店も無くのどかな散歩道。のんびり歩いても20分ちょっとで着く。散々書いている寺なので多くの秘密や謎も書いて来たから詳細は割愛、西暦607年に創建された謎の多い唯一無二の建物。何度も何度もユダヤに攻め込まれ焼かれているが_世界最古の木造建造物として残り続けてる。聖徳太子、法隆寺こそ日本の心であり
11月に友人とデジタルスタンプラリーの旅をしてきました。そろそろ冬が到来して寒くなる前に、目いっぱいお散歩しよう!というのが今回の目標ですということで目いっぱい歩くために何かご褒美があると嬉しいよね、という話になり、調べた結果スタンプラリーをすることにしました。今回のスタンプラリーは荒川区が主催になっているそうで「日暮里からはじまる谷根千スポットめぐり」というタイトルでした。残念ながらこのブログが公開されているころにはもう終わっているのですが、こうしたスタンプラリーはいろんな
駒込六義園に行ってきました。あたたかい冬の日差しです。正岡子規は晩年、根岸の子規庵で病状六尺のなかで日々を送っていました。インドア派であったわけですね。最近腰を痛めて内にこもっていましたが、せいせいと外出するのは久しぶりでした。子規の心持ちがなんとなくわかる思いがしました。やはり外に出て、自然や人や世の中をよく見て感じないとダメですね。紅葉🍁もそろそろ終わりですね。堪能しました。気分も晴れやかに回復した思いです。健康であることが、何より大切なのだということをよくよく噛みしめました。
2025年12月12日(金)2056句【季語】冬枯/冬冬枯をのがれぬ庵の小庭哉正岡子規(まさおか・しき)1867〜1902年。俳人、歌人。昨年の12月12日の句→オリオンの『オリオンの〜稲畑汀子』2024年12月12日(木)1691句【季語】冬の朝・オリオン/冬オリオンのかたむき消えぬ冬の朝稲畑汀子(いなはた・ていこ)1931〜2022年。俳人。昨年…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
12月に入ると見つけられるキノコはヒラタケかナメコくらいになります。残念なことにヒラタケの生えていた朽木は土に戻ってしまい、ナメコの発生場所はまだ見つけていないので、キノコ探しをする場所が思いつきません。仕方なくなく、前々からやりたかった句碑巡りをすることにしました。とりあえず、気になっていた石手寺から道後へ行く通り沿いにある句碑を見ることにしました。石手寺の弘法大師の銅像石手寺は四国八十八箇所五十一番札所です。八十八箇所巡りをしようと思ったことはなく石手寺しか訪れたことはありませんが、石手
今、現代人にとってとても大切な言葉だと思います!本文何をそんなに思い煩っているのだ。なにもかも自分一人で背負うとするから混乱してしまうのだ。あなたは一番根本なることを忘れている。それはどんな人にも守護霊様守護神様がついておられるということだ。そしてその守護霊様守護神様が必ずその人の運命をよくしようと、日夜努力し導いて下さっておられることだ。あなたのすることといえば、ただその人の為に、その人の天命を祈ってあげさえすればよいのだ。夫のために妻のために、愛する子供たちのために、友人
絶賛堪能しております。しっかり6時半に起きて活動しましたしよう頑張った。我ながら。しっかり朝ごはんも食べて、まずは松山城に行きました。しっかり遠目からズーム撮影で圧縮効果を狙ったやつ10年くらい前に行ったときの記憶が、天守に入るときのスリッパをはくところで思い出しました。めっちゃ緑のスリッパで記憶にありましたね。なんでその場面。天守からの景色がいい。天守からみて南南東くらいいよかんソフト600円!めちゃめちゃ中国人多かったです。渡航禁止命令出てなかったっけ。
正岡子規は新生俳句の祖墨田区にある長命寺月香楼でのひと夏俳諧の世界に写生俳句の新風を吹き込みまた雑誌「ホトトギス」を主宰して多くの後継者を育て長い闘病生活の果て惜しまれつつ早く亡くなった正岡子規は慶応3年伊予松山に生まれた父は松山藩士だったが彼が5才の時病没16才の時自由民権思想の影響を受けて政治家を志して上京したが翌々年大学予備門(東大の前身)に進んで文学に開眼するとそれに新しい夢を託するようになった明治21年予備門に引き続いて第一高等
速報が多かったのでなかなかラスト迄書けなかった松山旅行です。大したこと書くわけでもないのに②仁喜多津酒造からの続きです路面電車で萬翠荘へ1922年に建てられたフランス・ルネッサンス風の洋館松山で最も古い鉄筋コンクリートで国重要文化財中も見学できたのですが、早朝から温泉に入ったり食べたり呑んだりしている夫はまたもやお疲れで~パスこちらの直ぐお隣にあった夏目漱石が松山赴任中に下宿した愛松亭後にできた漱石珈琲店で私達夫婦には珍しくお茶~お抹茶と坊っちゃん団子美味し
おはようございます♪火曜(12月9日)の朝。曇り。本日は漱石忌。昔は旧暦になるので実際の日にちはずれてしまうが一応今の暦で本日としている。高校生の頃には大好物だったピーナツとか買ってきて真似事のお供えをしたものだけど今は何もしないで心の中で拝んでいる。かつて訪れたことのある東京新宿区の漱石山房記念館を思い出しながら漱石に思いをはせる。漱石は新宿区で生まれ多分なくなった時も自宅でのことだったので新宿区早稲田にはゆ
白猪の滝を目指して、スタートしていきます。まずは、白猪谷堰堤横の、階段を上がります。「すべります」だそうですけれど、実際には滑りませんでした。何しろ、スベり知らずのギャグセンスの持ち主、ジダン様ですから。全部ダダスベりやんけ、くそポンコツドアホっ白猪の滝は、極寒の日に、凍ってしまう、いわゆる氷瀑が有名なのですが。落差90m以上なので、おそらく紅葉と相まって、美しいことでしょう。滝までの道は、舗装されていますけれど。結構、勾配がありますから、トレーニングにはなります。おっと、もう
今日紹介する四字熟語は漱石枕流(そうせきちんりゅう)意味:負け惜しみが強いこと、屁理屈をつけて言い逃れることです「漱」は「すす-ぐ」「くちすす-ぐ」「うがい」と読み意味はそのまま”うがい”をして口をすすぐということですねこの四字熟語は、読み下して「石に漱ぎ、流れに枕す」(いしにくちすすぎ、ながれにまくらす)と言われることもありますしかし明らかな違和感があるように本来はこの言葉は「石に枕し、流れに漱ぐ」であり俗世を離れ山中に隠れ住んで自由に暮らすという意味でした
今日は!明治~大正時代の小説家・英文学者の夏目漱石の忌日でもありました。知らない人はいない文豪であります。お札になるぐらい・・・調べていたら知らない事もありましたので書きます。児童期には漢詩文に親しみ、大学予備門で俳人・正岡子規を知り俳句を学んだそうです。1893年(明治26年)、帝国大学の英文科を卒業。1895年(明治28年)、松山の愛媛県尋常中学校の英語教師となります。松山は正岡子規の故郷であり、正岡子規とともに俳句に精進し、数々の佳作を残そいていたそうです。翌1896年(明治29年)
おはようございます。昨日、12月8日、午後11時15分に青森で震度6強の大きな地震が起こりました。夜間のことで、まだ被害の全容はわかっていません。みなさまのお住まいのところは大丈夫でしたか?被害が少ないことを祈っています。今日も余震の可能性もあるでしょう。どうぞ、地震情報など気をつけてお過ごしください。どんどん今年最後というものが多くなり、テレビ番組も特番が多くなってきます。街には、クリスマスとお正月が混在していて、クリスマスケーキの予約とお節の予約が隣合わせだったりで、なんとも急き立
縁側にごろりとなってへちまの忌糸乃こまり季語「へちま忌」秋正岡子規は明治35年9/19に34才で亡くなりました結核性脊椎でした若いのに寝たきりでわ気の毒でしたhttps://blog.with2.net/link/?id=2099003人気ブログランキングblog.with2.net