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陳進興は、1958年の1月1日、台北市郊外の三重という土地で生まれました。しかし父母は未婚の状態であり。陳進興が生まれた翌年、父は母を捨てて別の女性と結婚。陳進興は、台北市内にある、母親の実家で育てられることとなります。1964年、小学校に進んだ陳進興は。成績は悪くないものの、向学心は皆無で。窃盗やいじめなどの事件を繰り返すようになります。1970年、中学校に進みますが。相変わらず問題行動を繰り返し、一年後に転校させられる有様。母が再婚し、
泪橋は橋に関する資料に無い!あしたのジョーに登場する泪橋思川大きさ不明昭和38年1963年資料から抜粋道路・橋梁考台東叢書幅員総工費などは資料に有るが省略台東区に有った橋現存する橋無くなった橋橋梁(きょうりょう)昭和山谷堀隅田川の橋1960年頃有った橋橋名橋長完成吉野橋12.341m大正15年12月地方新橋10.000m昭和4年3月地方橋11.700m昭和4年8月聖
『それ、もしかすると空手?』これでピンと来たら私と同世代(^_^;)2024年の現在から見て約40年前。ブルース・リーの『燃えよドラゴン』と並び、空前の空手ブームを牽引したのが、昭和の劇画王、梶原一騎先生原作の『空手バカ一代』後半の作画影丸譲也本来の主人公である大山倍達先生をも越える人気の『ケンカ十段こと芦原英幸先生』。作中で芦原先生が、極真空手を広めるべく道場破りに行き、ケンカを売った名セリフがこれ。『それ、もしかすると空手?』
自分が中学生か高校生の頃、読んでいた漫画で、こんな⬇️のがありました。悪役ブルースプロレス漫画だね、少年マガジンで連載してたんだね格闘漫画で原作が梶原一騎さん。自分が読み出したのは、途中から…そうタイガーマスクが登場した辺りからでしたね。タイガーだけでなく、新日本プロレスのレスラーも話に登場しており、そこが面白かったなぁ。なんと当時、実際の新日本プロレスに参戦していたラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団も登場していました。自分は、けっこうハマっていて、先が楽しみだったので
◆子供の頃に夢中になって読み漁っていた「少年サンデー」や「少年マガジン」にはよくプロレスのことが載っていた。中でも「プロレス怪奇物語」という連載ものに魅せられ半世紀,いや60年も経った今でも忘れることが出来ないでいる。世界中にいる怪奇・怪物レスラーが梶原一騎によってセンセーショナルに描かれ,石原豪人の挿し絵によって想像力が更に膨らみ,それまで以上にプロレスにのめり込んでいった。そんな幼少の頃の想い出を何らかの形に残してみたいと考えた。それが‥‥今回から隔月に1回の割合でTシャツにして゛想い出
「白暁燕誘拐殺人事件」とは、1997年に台湾で起きた「台湾史上最大の誘拐事件」と言われる凄惨な事件である。白暁燕は1980年6月23日、台湾の女優や歌手として活躍する白冰冰のひとり娘として、日本人漫画原作者の梶原一騎との間に台湾で生まれた。冰冰は暁燕が生まれる前に梶原と別居し、帰国したため、暁燕は冰冰の手元で育てられた。成長するにしたがって、有名人である母親とともにテレビ出演する機会も増え、タレントとして将来を嘱望されていた。しかし、儒教的世界では父親が日本人であることは日系と強く意識され
かざま鋭二というマンガ家がとても好きです。近年、かざま鋭二先生というと『風の大地』(原作・坂田信弘)の印象が強くて「あ、ゴルフの人ね」と言われがちなんですが…。(なにしろ1991年から続く超ロングラン作なので、まあ無理もないです)私が最初にかざま鋭二先生を好きになったのは『我ら九人の甲子園』(原作・高橋三千綱)という野球マンガでした。主人公の小林投手は天才的なピッチャー…に見えて人知れず黙々と努力をしている。ちょっと陰があるけど野心を持っていて、でも人前では飄々と振る舞う、そんな
昭和の日本の漫画の原作者として有名な梶原一騎氏。その娘の白暁燕さんが惨殺されたのが1997年4月18日でした。母親は、1975年に来日して梶原氏と結婚した台湾人の白氷氷さん。1980年に白暁燕さんを出産するものの、梶原のDVが原因で翌年離婚。台湾に戻って歌手として活躍しますが、17年後、娘に悲劇が訪れます。普通の娘に育てるため、白さんは暁燕さんに警護はつけませんでした。暁燕さんが芸能活動を始めてからも通学は乗り合いバス。それが