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以前このブログでも話題にしましたが、映画「愛と誠」3部作の初配信が始まっています。愛と誠Amazon(アマゾン)梶原一騎さんの作品が好みだという事もありますが、原作漫画は本当に好きでした。「夏夕介」さん、「池上季実子」さん主演の「ドラマ版」もありましたが、やっぱり「西城秀樹」さん主演の映画版第1作の印象が強いです。これも秀樹さんファンの妹に付き合って観にいったはずなのですが、イマイチ記憶が不鮮明。2作目以降は「南条弘二」さんに変わったので観てません。今となれ
ご訪問いただきありがとうございます。夫の不倫が原因で離婚しました。こちらのブログは、不倫発覚から離婚までの過去の経緯を書いたブログになります。現在進行形の記事も時々投稿していますので、過去の出来事の記事を順々にお読みになる場合は、テーマごとに絞り込んでください。第1R「不倫発覚。」第2R「妻、動く。」第3R「真実を知るために。」第4R「妻、悩む。」第5R「妻、また動く。」第6R「偽りの人。」第7R「2人が行き着く先は。」第8R「最善の道を探して
陳進興は、1958年の1月1日、台北市郊外の三重という土地で生まれました。しかし父母は未婚の状態であり。陳進興が生まれた翌年、父は母を捨てて別の女性と結婚。陳進興は、台北市内にある、母親の実家で育てられることとなります。1964年、小学校に進んだ陳進興は。成績は悪くないものの、向学心は皆無で。窃盗やいじめなどの事件を繰り返すようになります。1970年、中学校に進みますが。相変わらず問題行動を繰り返し、一年後に転校させられる有様。母が再婚し、
1994年4月26日国際空手道連盟極真会館の大山倍達総裁が、他界されてから本日で早30年我々世代は、[総裁]というよりも[館長]の方がしっくりきますやはり、このコミックのせいでしょうか小生の人生に多大な影響を与えてくれた御仁です実際にお会い(お見掛け)したのは、2回だけだったでしょうか(大会会場以外で・・・)また、我が師、日本拳法協会最高師範森良之祐先生とも懇意であった事は、後年知った次第総裁と梶原一騎先生、アントニオ猪木氏、この御三方がいなければ、小生の人生も変
泪橋は橋に関する資料に無い!あしたのジョーに登場する泪橋思川大きさ不明昭和38年1963年資料から抜粋道路・橋梁考台東叢書幅員総工費などは資料に有るが省略台東区に有った橋現存する橋無くなった橋橋梁(きょうりょう)昭和山谷堀隅田川の橋1960年頃有った橋橋名橋長完成吉野橋12.341m大正15年12月地方新橋10.000m昭和4年3月地方橋11.700m昭和4年8月聖
今日は80年代の人気女優「多岐川裕美」の初期作品ポスターです。昭和49年にデビューし東映系の作品に出演したのち昭和54年頃から人気に火が着きドラマを中心に活躍しました。昭和49年「聖獣学園」でデビュー。この作品でヌードを披露しており現在ではカルト映画となりました。デビュー当時のプロモーションポスターで写真は聖獣学園からです。多岐川裕美の人気が出たため「聖獣学園」は昭和55年にリバイバル上映されました。同時上映はこちらも伝説的な作品「狂い咲きサンダーロード」です。昭和51年「新・女囚
東映チャンネルにて昨夜放送の柔道一直線92話最終回80話くらいの柔道部3年生引退からずっと続いていた2年と1年生の主人公、一条との軋轢を引き摺ったままの柔道大会。高校代表のミラーマン大沢との対戦で、一選手として参加していた一条は、2年生等のいじめで心折れてたが、大沢の堂々と戦おうと励まされ一条は大沢を破るが高校柔道部の面々は2人のスポーツマンシップを理解せずに会場を去る。そんな一条の前に飛んで現れるのがライバルで親友の風祭右京!先に城山と言う選手と戦い敗れた右京だが、次にその城山
「白暁燕誘拐殺人事件」とは、1997年に台湾で起きた「台湾史上最大の誘拐事件」と言われる凄惨な事件である。白暁燕は1980年6月23日、台湾の女優や歌手として活躍する白冰冰のひとり娘として、日本人漫画原作者の梶原一騎との間に台湾で生まれた。冰冰は暁燕が生まれる前に梶原と別居し、帰国したため、暁燕は冰冰の手元で育てられた。成長するにしたがって、有名人である母親とともにテレビ出演する機会も増え、タレントとして将来を嘱望されていた。しかし、儒教的世界では父親が日本人であることは日系と強く意識され
昭和の日本の漫画の原作者として有名な梶原一騎氏。その娘の白暁燕さんが惨殺されたのが1997年4月18日でした。母親は、1975年に来日して梶原氏と結婚した台湾人の白氷氷さん。1980年に白暁燕さんを出産するものの、梶原のDVが原因で翌年離婚。台湾に戻って歌手として活躍しますが、17年後、娘に悲劇が訪れます。普通の娘に育てるため、白さんは暁燕さんに警護はつけませんでした。暁燕さんが芸能活動を始めてからも通学は乗り合いバス。それが
押忍。昨日1月2日は真樹日佐夫先生の御命日でした。真樹先生は「巨人の星」、「空手バカ一代」、「タイガーマスク」、「あしたのジョー」、「愛と誠」などの原作者として著名な故・梶原一騎先生の実弟。梶原先生の紹介により極真会館総本部に入門。大山倍達総裁と義兄弟の契りを結び、極真会館総本部師範代も勤められました。自身の代表作「ワル」は映画化もされ、映画プロデューサー、文筆家でもありました。また東映映画「カラテ大戦争」では主演を勤められました。高校生の頃に極真空手の同好会で稽古していた私にとって、
どうも。前橋育英高校時代の現・西部の高橋光名の投げた球を『大リーグボール1号』とか言ってますね。実際の大リーグボール1号というのは、打者のバッティング動作を予測し、星飛雄馬の『球質の軽さ』『コントロール』『父に教わった魔送球』を利用して、スイング途中のバットに当てて凡打にしてしまう、という実に地味な魔球でした。いわば2号「消える魔球」の前座的意味合いが強く、1号を生み出すきっかけも安易なら、習得方法も非常に「???」で意味不明でした。梶原一騎の本質が、格闘系興行系日本的なるも